14 信頼
リダール少年は確かに客人として扱われていた。
かと言って、とても心穏やかではいられなかった。
何しろ使用人たちは一言も口を利かず、彼と目を合わせることもなく、まるで動物か或いは人形の世話でもしているように無感動だったからだ。
話しかけても無視されるという状況はリダールには慣れたものだったけれど、使用人にまでそうされたことはなく、彼は戸惑った。もっともここの使用人たちは意地悪でそうしているのではなく、ただ黙々として、反応を返さないことが立派に仕事を勤め上げることであると考えている風情だったが。
ともあれ、食事を出され、風呂に案内され、茶を出され、寝台を整えられても、リダールは、彼らには自分が見えていないんじゃないかという気がしてならなかった。
もちろんそんなはずはない。ただ、そんな気がしたのだ。これはカル・ディア宮廷と同じか、もしかしたらそれ以上に寂しい感じのすることだった。
(ぼくは魔法で透明になっていて、彼らには見えないんだ――というごっこ遊びもできないもんな)
宮廷ではよくそうして、つらい時間を乗り切った。だがここではそれも難しい。彼らは確かにリダールを世話しているからだ。
時折訪れるミヴェルだけが、彼の話し相手だった。
「どうだ、今日の調子は」
「ミヴェル! おはよう!」
三日目になるとリダールは、彼女の姿に満面の笑みを浮かべるようになっていた。
「ねえ、また外へ行きたいな」
「行きたければ、行っていい」
ミヴェルはそう答えた。
「お前は虜囚ではないんだ。誰も咎めない」
カヌハを出なければ、だろうに――などとリダールが返すことはなく、少年はただ、困惑した顔を見せた。
「確かに、ぼくが館を歩いても庭に出てみても誰もとめないし、見張りもいないみたいだけど」
「お前が逃げないと言ったからだ。私はお前を信頼している」
「信頼」
リダールは目をしばたたいた。
「何だか、奇妙だね。ぼくは客人で、信頼されているんだ」
口にした者によってはたいそうな皮肉になっただろう。結局のところ自分は虜囚で、信頼など無意味なのにと。だがリダールの声音には、そうした皮肉の色はどこにもなかった。ただ、奇妙だなと思った、そのままだ。
「そうだ。信頼している」
「何だか嬉しいな」
彼は呟いた。
「ぼくはいつでも厄介者だったのに、ここでは信頼されて、必要とされるんだ」
殺すために必要で、信頼は対等な立場から発せられたものではない。それを知ってか知らずか、少年は能天気に言う。
いや、知っていた。彼は幼く見え、素っ頓狂なことを言うようでも、決して愚かではなかった。
「ねえ、ミヴェル」
「何だ」
「あと何日?」
彼は天井を見上げた。
「フェルナーの帰る、満月の日まで」
「それは……」
ミヴェルは居心地悪そうに、視線をさまよわせた。
「三日」
「三日かあ」
リダールは指を三本立て、一本ずつ折った。
「けっこう、長いね」
殺される日まで。
ミヴェルにすらリダールの言動はよく判らなかったが、タイオスやジョードであればなおさらだったろう。
たとえば、友人を救うために死ぬというような自己犠牲の精神。それならば戦士は理解するだろう。彼自身の気質にはないが、世の中には本気で他人のために命を惜しまない馬鹿がいること、彼は知っているからだ。
知っているかどうかとのことになれば、彼は「自分は無価値だ」と考える者たちの存在も知っている。衝動的にでも継続的にでも、そうした思いに苛まれると生への渇望が薄れて消えてしまうものだということも、戦士は知っている。
ただ、リダール少年が友人の死から立ち直れていないことを知らないだけだった。
「フェルナーが戻れば、ロスム閣下はきっと喜ぶよね。ううん、みんな」
無邪気に、それともそのふりで、リダールは笑った。
「――お前の、両親は」
ミヴェルは呟いた。それは、彼女の立場で言うべきことではなかった。
「お前の両親は、哀しむだろうに」
「ぼくは……迷惑をかけてばかりだから」
リダールはうつむいた。
その思いは、ミヴェルもよく知るところだった。こんな自分など、いなくても同じだと。
いまは、使命がある。そのことが彼女を生かしている。
この使命が終われば、どうだろうか。それは、ミヴェルには判らなかった。
「ぼくは、死にたいと思っている訳じゃないんだ」
ぽつりと少年は言った。
「ただ、それが正しいと……思うから」
リダールが何をして「正しい」と思っているのか、その正確なところはミヴェルには伝わらなかった。
しかし彼女は、尋ねなかった。
(正しい)
(そう……正しいはずだ)
少年の思うこととは、違う。それは判っていた。だがミヴェルはそう考えた。
リダールが死ぬことも、フェルナーとやらが戻ることも、ソディ一族にとっては何の感傷も覚えないことだ。リダール、フェルナーという個人のことではない。ソディと、ライサイにとって重要なのは「死者が帰る」という――神秘のこと。
「〈月岩〉の話をしようか」
ミヴェルは言った。
「月岩?」
リダールは顔を上げた。
「そうだ。この建物の裏に、山に登る小道が続いている。その先に、竜の形をした岩があるんだ」
「へえ、竜の」
目をしばたたいてリダールは、あれと言った。
「月と竜にどんな関係があるの?」
彼は尋ねた。
「竜の形をしているのなら、竜岩と呼んでもいいんじゃない?」
「形だけならな」
ミヴェルはうなずいた。
「月岩が月岩と呼ばれるのは、天空の月の満ち欠けを映すように岩が光るからなんだ」
満月の夜であれば、岩の全体が。空の月が欠けるに従ってその光は薄くなり、やがて消え、そしてまた輝き出す。
「へえ、見てみたいなあ」
無邪気に少年は言った。
「見ることができるだろう」
ミヴェルは答えた。
「儀式は、その前で行うから」