13 よい響きだ
乱暴に開かれた扉に、〈青竜の騎士〉はゆっくりと振り返った。
「――戸を叩くことも知らぬ野蛮な国なのか? シリンドルというのは」
「ふざけるな」
訪問者は、その金属製の仮面の奥から、金目銀目の騎士を睨みつけた。
「何故、タイオスを殺らせない。ルー=フィンは殺れた。俺の力はもう充分だ。この手に宿る力は」
ヨアティアは両手を前に突き出すようにした。
「もう、俺のものだ」
「そうかもしれないな」
エククシアは肩をすくめた。
「正直、危ぶんでいた。使いこなすまでどれだけかかるものかと。だがお前はその危惧をはねのけた。恨み辛みの力というのは、強いものだな」
「正当な怒りだ。俺は父を殺され、国を追い出された」
死んだ神殿長の息子は主張した。
「お前の怒りが何に由来するものでもかまわない。私は〈白鷲〉の示す神秘が気に入った。それ故に、お前を拾った」
エククシアは座るよう、促した。ヨアティアが音を立てて椅子を引けば、騎士の方は静かに腰を下ろした。
「ヴォース・タイオスは殺す。だが、お前は手を出すな」
「何だと」
ヨアティアは不満をあらわに、がたんと立ち上がった。
「俺は奴に復讐を果たす動機がある!」
「駄目だ」
エククシアは首を振った。
「――白き鷲は、青き竜が仕留める」
静かな台詞だった。だがそこに秘められた迫力に、ヨアティアは勢いを弱めた。
「何が……〈白鷲〉だ」
苦々しく、ヨアティアは言った。
「伝説の〈白鷲〉は、確かに神秘だ。だが、あれはそんなものではない」
「それを決めるのは、お前ではない」
淡々とした騎士の口調に、仮面の男は反駁できなかった。
「お前が確実に殺ると言うのなら、任せてもいい」
渋々と、彼は呟いた。
「だが、いつだ。いつ、タイオスを殺る」
「急くな。〈白鷲〉がやってきてからだ」
「それが判らない」
ヨアティアは首を振った。
「何故、カヌハまで呼び寄せる必要がある」
「レダクには、判るまい」
エククシアは言った。
「ことが済めば、お前にはシリンドルへ帰ってもらうのが、互いのためになろうな」
「力が手に入ったいま、復讐はたやすい」
男は両手を握った。
「あのルー=フィンでさえ簡単だったのだからな」
「それだが」
エククシアは長い指で卓をとんと叩いた。
「その剣士は生きている」
「……何」
「お前は巧くやった。その〈魔術師の腕〉を見事に操り、術を呼び出し、命中させた。だが死ななかったのだ、お前の目標は」
「馬鹿な。俺は、あいつが動かなくなるまで見ていた。流した血の量だけでも、死んだとしか」
「だが、生きているのだ」
騎士は繰り返した。
「これも〈峠〉の神の加護か? お前には、ないようだな」
「何を」
ヨアティアは立ち上がりかけたが、耐えるようにそのまま少しじっとして、また座った。
「そうだな。シリンドルの神は、俺を守らない。父を守らなかったように。だがいまに見ていろ。ボウリスから神殿は取り戻す」
「神殿」
エククシアは面白そうに、仮面の奥の瞳と目を合わせた。
「神殿、だけか?」
「――いや」
ヨアティアは首を振った。
「俺に楯突いた者は、みんな殺してやる。ルー=フィンが死ななかったのならば、次こそは。タイオスも。ハルディールも。そして」
「そう。そして」
騎士はうなずいた。
「お前が、シリンドルの王になる」
「シリンドル国王ヨアティア・シリンドレン……いや、ヨアティア・シリンドルか」
彼は笑った。
「よい響きだ」
「問題はやはり、〈白鷲〉だろう」
エククシアは言った。
「タイオスはいまも〈白鷲〉だ。お前は認めたくないようだが、その力、私もお前も、目にしたな」
「ああ。あれには……正直、驚いた」
言いたくなさそうに彼は言った。
「護符にあんな力があるとは」
「神殿長の息子という地位にいても、大して物事を知らぬと見えるな」
「父上とて、ご存知ではなかったはずだ」
むっつりとヨアティアは返した。
「ご存知でいらしたら、何か利用法を考えられたはずだからな」
「王家はどうだ? 王家は、知っていたと思うか」
「判らないが……ああしたことが起こるなどとは、伝承でも聞いたことがなかった」
「そうか。では、少なくとも喧伝しなかった。護符はあくまでも名誉のしるしとして伝わり、〈白鷲〉に渡されてきた。過去にも……」
エククシアはふっと笑った。
「そう、五年前に発動したという力も、シリンドルの外で、だ。これは、興味深い事例だな」
「何を言っているんだ?」
「シリンドルの神が、シリンドルで力を振るわず、余所で〈白鷲〉を守る。これは、何だろうな、ヨアティア」
「余所で、余所者を?」
ヨアティアは〈白鷲〉を余所者と置き換えた。
「神がそのようなことをする理由は思いつかない。ただ、あのような男を守っているのであれば、それは俺の神ではない」
「ほう」
エククシアは片眉を上げた。
「お前は、シリンドルの神を崇拝していないのか。ならば、何故シリンドルが欲しい」
「故郷だからだ、というだけではいかんのか?」
ヨアティアは鼻を鳴らした。
「シリンドルは俺が生まれ育ち、父上が守ろうとした土地だ。ハルディールの一族に任せておいては廃れるだけ。俺ならば、巧くやる」
「それにはライサイも手を貸すだろう」
「頼みたいところだ。ひとりでは手が回らないこともあるだろうからな」
シリンドル国王や騎士たちが聞けば、憤然とするよりも唖然としそうな台詞を平然と吐いて、ヨアティアは足を組んだ。
「まずはとにかく、現〈白鷲〉を消すことだ。俺が護符と奴の首を手にシリンドルへ帰ったら、連中はどんな顔をするか」
「しばし待て。満月の夜まで」
「満月か」
ヨアティアは、天井に遮られて見えない空を見た。
「仕方がない。もどかしいが、従おう。この腕も、ライサイに従ったことで得られたものだ」
両腕を撫でながら、彼はうなずいた。
「タイオスは仕方ない、お前にやる。だがルー=フィンは、俺が必ず殺る。手を出すなよ」
「いいだろう」
騎士もまたうなずいた。
「それまで〈魔術師の腕〉を磨くがいい」
「望むところだ」
だが、とヨアティアは呟き、ちらりとエククシアを見た。
「標的が、要るな」
「成程」
騎士は腕を組んだ。
「動かぬ的では、訓練にならぬな。しかしソディの民を殺させる気はない。東の街道へ行け」
「東の?」
「西からはカヌハに荷を入れる隊商がくるが、東は街道警備隊も滅多に通らず、山賊の住処になっている」
「俺が山賊退治でもするのか?」
「やりたければ、それでもよいが」
エククシアは肩をすくめた。
「街道で誰かが死んでいても何も奇怪ではない、というだけだ」
「成程」
今度は仮面がそう答えた。
「警戒を知らぬ、愚かな旅人が相手か。練習にはよさそうだ」
「腕が上がったと感じたら、本番だ」
「本番というのはつまり」
「ルー=フィンとやらは殺してかまわない。それから」
〈青竜の騎士〉は、南を見た。
「愚かな盗賊も」
「何?」
「連中は、タイオスとともに北上をしてくるつもりでいる。あれらは何の役にも立たん。〈白鷲〉の目の前で殺してやれば、お前も力を見せつけることができて気分がよかろう」
「ルー=フィンと……ジョードか」
いいだろう、とヨアティアは応じた。
「あの盗賊は、俺の顔を見た」
ヨアティアは仮面に触れた。
「見ていないと言ったが、顔が引きつっていた。腹立たしく思っていた」
「ライサイが神秘を食って力を得れば、それも治してやれる」
エククシアは囁いた。
「全ては――ソディと、ライサイのために」
「ライサイのために」
ヨアティアは唱和した。エククシアは、満足そうに笑った。