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墨色の満月―シリンディンの白鷲―  作者: 一枝 唯
第3話 異国 第1章
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12 お前は貴重な

「ライサイ様のお部屋はここにもあるが、この館は誰のものでもない。ただ『館』と呼ばれる。言うなれば、ソディ一族全員のものだ」

「ふうん」

 よく判らないな、とリダールは思った。建物があるならば、誰かのものであるだろうに、と。

「ここはカル・ディアと違って小さな村だが、みな、支え合って生きている。犯罪などもない、よいところだ」

「……ふうん」

 誘拐のことはどうなんだ、他国でなら何をしてもいいのか、というような疑問は、幸か不幸かリダール少年の内には浮かんでこない。ただ、違和感は覚えた。

「ミヴェル。帰ったのか。……何だ、その子供は」

「ゴ、ゴセア殿」

 少し先の扉から現れた男に、女は慌てて頭を下げた。

「彼は、リダール・キルヴンと言って、ライサイ様のご命令で連れた少年だ。エククシア様のお言葉に従い、面倒を見ている」

「初めまして」

 どうしていいか迷ったが、とりあえずリダールも頭を下げた。ゴセアと呼ばれた体格のいい男は、リダールをちらりと見ただけだった。

「ライサイ様に、〈月岩の子〉だと?」

 その視線はミヴェルに向き、右手が伸びたかと思うと、それは彼女の胸ぐらを掴んだ。リダールがぎくっとしたのは、その行為についてだけではない。男の右手に、銀色の鱗が生えているように見えたからだ。

「嘘をつくな。お前がそんな重要な仕事を任されるものか」

「な、何をするんです。やめてください」

 怖ろしく思いながらも必死で言ったのはリダールだった。

「ご婦人に、乱暴な真似は」

「生意気なガキだな。これは単なる、役立たずさ」

 ゴセアは吐き捨てた。

「本当にしるしがあるのか、みんな疑ってた。脱がせてやってからは、その疑いはなくなったが」

 その言葉にミヴェルは、恥辱を思い出して唇を噛んだ。その疑惑を晴らすため、何人もの男たちの前で、肌をあらわにしなければならなかったのだ。

 しるしを持ち、当時は〈月岩の子〉の女であった彼女におかしな真似をする者はいなかったが、いやらしい目線にさらされた恥と怒りは何年も経ったいまでも消えない。

「役立たずであることに変わりはない。大きな仕事を任されるはずがない」

「本当だ」

 絞り出すような声でミヴェルは返した。

「私は、女としてお役に立てなかったので、その代わり、他国での危険を……お引き受けした」

「危険だと。ガキの世話の何が危険だ」

「有力者を父に持つ、少年なんだ」

「はっ、成程。そういうことか」

 ゴセアはミヴェルを解放した。リダールはふらついた彼女を支えようとしたが、非力な少年では巧くいかず、彼女は結局、自分の足で立った。

「重要な任務と言うより、捨て駒か。それなら判る」

 他都市で罪を犯し、捕まるようなことがあっても、何ひとつ洩らさないことで忠義を守る。ミヴェルが求められていたのはそれだと、男は言った。

「だが捕らわれ、処刑にでもされては困るんだ、ミヴェル」

 男は女のあごに手をかけた。

「お前は貴重な、しるしある女だ。エククシア様に次の娘がついたいま、お前は俺たちの内の誰かを相手にするんだ」

「馬鹿なことを」

 ミヴェルは顔をそむけた。

「私は、石女だ」

「そうじゃない、ミヴェル。お前のしるしは小さすぎて、〈月岩の子〉の子供を(はら)むには向かなかっただけさ。だが、〈しるしある者〉同士の相性のよさは、知られている通り」

「では……」

 女は驚いた顔でゴセアを見た。そこには不安と、もしかしたら期待のようなものも混じっていた。

「そうだとも。お前は俺か、それともアトラフの女になるんだ。他人のお古なんざ願い下げだが、エククシア様のお下がりなら栄誉ってもんだからな」

 男はにやにやとしながら、彼女の胸に手をやった。

「よ、よせ。そのような、淫らがましいことを」

「寝台の上で灯りを落とさなきゃお断りだと? お前に、どんな権利があると思ってるんだ」

 ゴセアはいやらしく笑いながら、彼女の抵抗を退けた。

「エククシア様とどんなことをした? ん?」

「――やめろ! 先ほどから、ご婦人に対して、無礼すぎる!」

 いくらか恐怖を覚えていたリダール少年は、そこで怒鳴った。

「ゴセアと言ったか。ミヴェルを愚弄するのであれば、ぼくが相手だ」

 堂々と、と言うには声が震えていた。

「何を……この、ガキ」

 男はミヴェルから手を離すと、リダールの胸ぐらを掴んだ。もとより、貧弱な体格の少年である。ミヴェルよりも簡単に、彼は引っ張り上げられた。

「ゴセア殿! そこまでだ、この少年はライサイ様の」

「……そうだったな。くそ」

 男は毒づいて、リダールを投げ捨てるように解放した。どうにか少年は、均衡を保った。

「可愛いツラして、やるじゃないか。ライサイ様のご用命がある以上、俺が何もできんと判った上で」

 そう言われたが、少年にそんなつもりはなかった。ただ、ミヴェルが酷いことを言われ、乱暴にされるのを黙って見ていられなかっただけだ。

「せいぜいガキを世話してろ、ミヴェル」

 ゴセアは吐き捨てた。

「あまりうろうろするなよ。ガキもだが、お前も目障りだ」

 ミヴェルを睨みつけて、ゴセアは言った。

「俺の女になると決まったら、二度と口答えできないようにしてやる」

 そう言うと男は女の肩を突き飛ばした。女はまたよろけ、壁に当たった。男は見もせずに去っていった。

「だ、大丈夫ですか、ミヴェル」

「ああ、何でもない」

 彼女は手を振った。

「いつものことだ」

「いつもって……」

 少年は顔をしかめた。

「ミヴェルも、いじめられているんですか」

「いじめられている? どういう意味か判らないな」

 女は首を振った。

「私は務めを果たせていない。あのようにされても、当然なんだ」

「ちゃんと、ぼくの世話をしてくれているのにですか」

「そのことじゃない。そのことじゃ……」

 ミヴェルは否定して、それからリダールを見た。

「お前は、優しいんだな」

「え?」

「私を気遣う者など、ここにはいない。少し嬉しかった」

「そんな。ぼくなんかじゃ、さっきの人に敵わなかったです。抗議する以外のことは何もできなかったし……タイオスみたいに力があればなあと思うけど、ないものは仕方ないですし」

「タイオス、か」

 ミヴェルは呟いた。

「彼はお前を追ってくるのだろうな。ジョードを探すだろうか。あいつが酷い目に遭わされたりしなければいいが」

「タイオスは酷いことなんかしませんよ」

 少年は実に能天気なことを言った。

「ジョードがぼくの手紙を渡してくれれば、きっと判るはずです」

 愚かとも無邪気とも取れる発言に、女は苦笑した。

「さあ、気を取り直して外に行こう。近くに、とてもきれいな花園がある」

「本当ですか? 楽しみです」

 どこか的の外れたふたり組は、どこか互いに似通うものを感じながら、ゆっくりとカヌハの村へと出て行った。


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