11 客人
いたたまれない、というのはこういうことだろうかと――リダール・キルヴン少年は、考えていた。
貴族のひとり息子は、これまでいつも贅沢のなかにいた。キルヴン伯爵が比較的地味であったことは確かだが、それはきらびやかな基準においての地味であり、庶民から見れば彼らの暮らしは質素とは言いづらかった。
だがそんな伯爵令息でも、こんな広い個室を与えられたことはなかった。
彼の自室の倍はありそうだ。南向きの窓は大きく、きれいに磨かれている。白い壁には見慣れぬ紋章のような絵画がいくつもかけられており、どこか落ち着かない気持ちにさせた。重厚感のある木卓は、一本の木から彫り出されているようだ。並ぶ長椅子も同様であり、置いてあるクッションは尻に敷いていいのか迷うほどふかふかで、惚れ惚れするような細かい刺繍がされていた。
ここで待っているようにと言われた少年は、部屋のなかの探検もしなければ、ふたつある扉の外をのぞいてみようとすることもないまま、おとなしく椅子の上に小さく座っていた。馬鹿正直に、或いは素直に、言われたまま、待っていたのである。
ぼんやりと酔っぱらった頭で「すぐに出発だ」とミヴェルに言われたとき、やっぱり彼は言われるままに従い、仮面の男を目にしてすっかり酔いが覚めた。
仮面は何も言わなかったが、ミヴェルがいますぐカヌハへ向かうのだと彼に教えた。
言われたところでリダールはカヌハの場所など知らなかった。いや、魔術で移動をさせられるのだから場所など関係なかったろう。「仮面殿が魔術で連れていってくださる」とミヴェルは少年に言ったけれど、彼にはそうした経験はなかった。魔術はそうしたことを可能にする、と知識で知っていることと、実体験することでは、天と地ほども差があるものだ。
よって、初めて魔術の〈移動〉を体験した少年は酒よりもその術に酔って、しばらくぐったりとしていた。もうここはカヌハだと聞いても興味や好奇心も湧かず、連れられて部屋で休むしかできなかった。
それは、昨夜のことだ。
睡眠不足や疲労、酒と魔術の酔いも重なって、少年は不安を抱くよりもぐっすりと眠ってしまい、真昼近くなってようやく目を覚ました。すると見ていたかのように使用人のような男が現れ、洗面や着替え、食事の世話をした。それはまるで、余所の貴族邸宅を訪れたときのようであり、リダールは少し戸惑った。
そして、待っているように言われて、待っていた訳である。
「――リダール」
「ミヴェル」
知った顔がやってきて、少年はほっと息をついた。
もちろん彼女は彼を誘拐した一味だったのだが、一日一緒に過ごし、酒盛りまでしたことで、彼は呑気にもミヴェルに親しみを覚えていた。
「何か足りないものはないか。何でも言っていい」
「ううん、大丈夫」
少年は首を振った。
「ただ、気になるんだけど」
「何だ」
「ジョードは?」
「彼は……」
ミヴェルは視線をうろつかせた。
「クビだ」
「クビ?」
「いや、契約を終了させた、と言うべきかもしれない。カル・ディアでの仕事は済んだし、お前はこうしてカヌハにいる。もう、彼の仕事はないんだ」
「彼はあなたの仲間じゃなかったの?」
「雇い人にすぎない」
「そう……」
リダールはがっかりした。ジョードの話は面白かったし、もっと聞いてみたかったのにと。
「あの」
それから、彼は尋ねた。
「タイオスは?」
「判らない」
ミヴェルは正直に答えた。
「エククシア様は、彼が追ってくるだろうと仰ったが」
「手紙は? ぼくの手紙は届けてくれなかったの?」
「それも……判らない」
彼女は首を振った。
「夜の時点では、ジョードは渡していなかったと思う。タイオスに会っていなかったようだから。いまでは判らないが、いちいち、渡す必要もないだろう」
「そんな……」
リダールは消沈した。
「ぼくを助けようなんて、思ってくれなくていいのに」
「そのことなんだが」
ミヴェルは首をかしげた。
「お前は、エククシア様と何を話したんだ?」
「何って」
「私は、お前がソディ一族のためについてきたものと思ったが、ジョードはそれはおかしいと考えたようだった。言われてみれば、お前がソディに尽くす理由はない」
今更気づいたというように、ミヴェルはそんなことを言った。
「一族とかは……判らないけど。ぼくは、フェルナーが帰ってくるためには、ぼくが必要だと聞いたから」
「次の満月の、儀式か」
「満月だって?」
「そうだ。次の満月まで、お前はライサイ様とソディの客人だ。好きなようにしていてかまわない」
「客人? 囚人、ではないの?」
「おかしなことを言う」
ミヴェルは肩をすくめたが、リダールにしてみれば、彼女の方がおかしなことを言っていると感じた。
いまのリダールは力ずくで連れてこられたのではないが、もともとは誘拐されて連れられるはずだったのだ。「生け贄にする」のであれば、逃げられても困るはず。
(逃げるつもりは、ないけど)
自分が死んで、元気なフェルナーが戻るなら、それはきっとよいことだ。
(でもひとつだけ、残念なこともあるな)
(ぼくが死ぬことでフェルナーが戻るなら……やっぱりぼくは、もう、彼に会えないんだ)
「囚人などと思っているのなら」
ミヴェルが声を出し、リダールの思考を遮った。
「誤解を正そう。少し外を歩くのはどうだ?」
「え」
「カヌハはよいところだ」
女は胸を張った。
「お前もきっと好きになる」
ジョードが聞いていれば、呆れただろう。カヌハがどうと言うのではなく、リダールは結局のところ虜囚であるのに、好いてもらおうとして故郷を紹介などとは、と。
だがそれを指摘するジョードはここにおらず、リダールは素直に立ち上がった。
部屋の外へ出て廊下を歩けば、ずいぶん立派な館だなと思った。前日も歩いたが、気分が悪くてよく見られなかったのだ。
(王城に雰囲気が似てる)
カル・ディア城ほどの広さはなさそうだが、ミヴェルとリダールが通ると足を止めて頭を下げる使用人たちを見ていると、異国の王城にでもやってきた錯覚を覚える。貴族の屋敷と違う感じがするのは、生活感のなさだ。どこもかしこもきれいに装飾が施されていて、訪問者に誇示するような作り。
(何だか、落ち着かないな)
少年はミヴェルだけが頼りだと言うように女にぴったりとくっつき、ミヴェルは少し困惑したが、彼の世話は自分の務めと考えて何も言わなかった。
「ここは、どこなの」
「カヌハだが」
「そうじゃなくて。カヌハの、どこなの。何て言ったっけ……カヌハでいちばん偉い人の邸宅?」
「ライサイ様のことか」
「うん、その人」
「そうではない。ここはカヌハの中枢、城と言ってもいいと思うが」
「やっぱり」
「何だって?」
「そんな感じだなと思ったんだ」
リダールは周囲を見回した。
「そうか」
ぼんやりしているようでも、きちんと見ているな――などとミヴェルは少年を評した。少年がライサイの邸宅かと尋ねたのは、自分がもてなされるならそこだと考えたのでもなく、建物の様子を見て判断したのだ。