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墨色の満月―シリンディンの白鷲―  作者: 一枝 唯
第1話 護衛 第1章
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01 大都市カル・ディア

 覚えのある声がする。

「助けてください」

 これは夢だ、と彼は知っていた。

 だが同時に、不安そうにしている少年をなだめてやろうという気持ちも生じる。

「大丈夫だ、心配するな。怖いことは何もないから」

 優しく彼は告げた。

「守ると……言ったのに、どうして」

 少年の顔が歪んだ。

「おい……」

 彼はぎくりとした。少年の口から、つうっと赤いものが洩れだしたのだ。

「どうして、ぼくを、守って、くれなかったん」

 少年の口調は怪しくなったかと思うと、そのまま大量の血を吐いて、彼は糸の切れた操り人形のように力を失った。

「リダール!」

 とっさに彼は、少年を支えた。腕に重みがかかる。

 軽い。

(いや)

(軽すぎる。人間の重さじゃない)

 彼はそれをのぞき込んだ。

 その目は、髑髏(どくろ)のように、空洞だった。

「うわあああ!」

 豪胆な戦士もこれには叫び、手を放した。するとそれ(・・)は再びくずおれ、かしゃん、と軽い音がした。

 かと思うと、それ(・・)は服を着た骸骨となり――ゆっくりと顔を上げた。

「タイ……オス……」

 戦士は血の気が引くのを覚え、ごくりと生唾を飲み込んだ。

「ええい」

 彼は呟いた。

「これは夢だ、びびるこたあ、ない」

 彼は自分に言い聞かせた。骨が喋るはずはない。

「助けて……ぼくを助けてください……」

 それは涙声になった。骸骨がどうやって泣くものか、と彼は顔をしかめた。

「これは夢だ。俺はちゃんと判ってる」

「判っている? ならばどうして」

 骸骨ははいつくばったままで上体を起こし、首をかしげた。気味が悪かった。

「どうして、そんなに怖れているんですか?」

「そりゃ、不気味だからだ!」

 きっぱりと彼は答えた。くくく、と声が笑った。

「何が〈白鷲〉。大したことのない」

 囁くような、高めの声。

「……何だと」

「伝説の騎士と言うからどのようなものかと思ったが。ささいな手柄を立てて、大げさに称えられただけの、ただの戦士か」

 右の眼窩の奥に、何かが見えた。

 黄色く、丸いものが燃えていた。それは、薄闇に浮かぶ満月のように。

「我が敵ではない」

「てめえ!」

 反射的に、彼は左腰に手をやった。

(剣が――無い)

 踏みしめた足元が、波にさらわれる砂のように覚束なくなった。

 これはただの、悪夢であるのに。


 ――賑やかな街並みは活気にあふれている。

 人々は忙しそうに走り回り、ぼんやりと立っていれば誰かがぶつかってきそうだ。

 これから冷たくなり行く初冬の風も、彼らの勢いをとめることはできないようだった。いやむしろ、本格的に寒くなる前に人々は奔走しているのかもしれない。

 やれやれ、と男は荷を背負い直した。

 若い頃はこうした騒がしさにわくわくし、自分も負けまいとばかりに勢いよく歩いたものだが、最近は煩わしさばかりが感じられる。

 剣を佩いた戦士にぶつかってくる人間もあまりいないが、それを笠に着て威張り散らすのもいまでは面倒臭く、彼は人気(ひとけ)の少なさそうなところを選んで歩を進めた。

(だから大都市は苦手なんだ)

 ふう、と息を吐く。

 馬車の護衛などをやっていれば、待遇はいい。借りた(ケルク)に乗って一緒に歩いているだけで飯は食えるし、金がもらえる。もっとも、楽なのは何ごとも起きなければであって、山賊でも出ればひと働きしなければならないが、それが契約だ。

 しかし、てくてくと歩いて約五日、都会と田舎の中間のような慣れた町を離れてカル・ディアル国の首都たる大都市カル・ディアまでやってきた彼は、単純に疲労していた。賑わいは心を弾ませずに苛立たせ、頭痛さえしてきそうだ。

 二十歳の頃は、こんなことはなかった。

 それからいつの間にか、二十年超。

 年は取りたくないものだ。

「あー……どうすっかな」

 ヴォース・タイオスは白髪混じりの黒髪をかきむしった。

(すぐさま伯爵の館に向かうべきか)

(ちょいとひと休みしてからにするべきか)

 少し考えて、タイオスは後者を選択することにした。

 伯爵の依頼が何であれ、ぼうっとした頭で話を聞けば判断に狂いが生じることもあるだろう。簡単で高報酬の話をうっかり蹴ってしまったり、逆に困難な話を気軽に受けてしまったり、どちらもご免だ。

(軽く飯を食って、公衆浴場(ウォルス)でさっぱりして、それから出向こう)

 初冬のカル・ディア付近は涼しいと言える気候で、五日くらい旅をしても汗臭くてどうしようもないと言うことはないものの――あくまでも旅戦士の観点では、ということだ――、招かれたとは言え伯爵閣下の邸宅を訪れるのである。それくらいは最低限の礼儀だ。

 タイオスは適当に小道を曲がり、目についた食事処の扉をくぐった。

 あとで彼は、何故この辺りで引き返すことを考えなかったのかと後悔することになるのだが、やがて彼の巻き込まれる波瀾をこのとき知るのは、神ばかりであった。


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