第百五十三話【ランチ前の軽い運動】
扉を壊して美鈴の寝室に充てられていた部屋へと侵入して来た猪の魔物は美鈴達を一瞥するや、フン!と鼻息を噴き出した。
奴の鼻からは鼻水が垂れている。
「月夜先輩、あの猪かなり興奮してますわね。」
「あ、あれはタダの猪じゃないわ、魔物よ?」
確かに普通の猪よりはデカいかも。
高さ2メートルはあるし、長い四本の牙と頭や背中にも二本ずつの角が生えている。
攻撃方法は猪らしくその突進力だろうか?
しかしこの狭い部屋ではあまり身動きは取れないかもな。
まあそれは逃げ場の無い俺等も同じなんだが。
「…襲って来ませんわね?」
「どれから食うか品定めしてるのかも知れませんわよ?」
「猪って人食べるんですかあ?」
「それは身の程知らずですわ、逆に私達のディナーにしてさしあげましてよ?!」
三人娘の緊張感に欠けたトンチンカンな会話に月夜は指でコメカミを押さえた。
「さあいらっしゃいなさい、極上のポークステーキ百人前!」
美鈴は何処から取り出したのか、両手にナイフとフォークを握ってキンキンと打ち合わせていた。
「はしたないですよ、美鈴さんたら。」
「ですわね、仮にも八大武家のご令嬢なのですからもう少しマナーというものを…」
「貴女達、今はそういう問題では…」
月夜が呆れて三人娘に物申した瞬間。
ドガッ!
ソイツは扉の跡から全身を部屋へと入れて来た。
そしてブンブン頭を振り回し牙や角で威嚇する。
「来ましたわ!」
えっ?と振り替える月夜もろとも両腕に真友と親友を抱えて美鈴は頭上へと飛び上がると天井にピタッと張り付いた。
その様子はさながらスパイダーマンならぬスパイダーウーマンだ。
いや、三人を抱えて両手が塞がってるんで二本足だけで天井に貼り付いてるからそれ以上か。
「あ、これではこちらから攻撃出来ませんわ。」
「なら鳳さん、私達が魔法を放ちましょう。」
「良いですけど…安さんの霊獣とかは無しですよ?ここでは狭過ぎだから。」
「もちろんよ?」
と、言うわけで。
「「マジックアロー!」」
二人は無難に魔道具である指輪から護身用の魔力の矢…マジックアローを放った。
通常の獣相手ならこれで充分な威力がある。
魔物相手なら程度にもよるけど役不足。
しかし片や4大名家の、そしてもう一人も北学院代表の選抜対抗戦準優勝者。
マジックアローに込められた魔力は相当なモノだ。
だから。
「ブキイイイッ?!」
思った以上のダメージを負った猪の魔物は悲鳴を挙げながら扉跡から廊下へと逃げ去った。
「あら、意外と弱かったのね。」
「普通に剣で戦っても良かったのかしら?」
月夜と華音は自分達を抱えて天井に張り付いている美鈴をジーッと見た。
美鈴はこれに気不味くなったんだろうな。
「逃しませんわ!」
美鈴は床に着地し抱えていた三人を離すと手負いの猪の魔物を走って追うのだった。
慌ててその後を追おうとする鳳華音だったが。
「鳳さん、残りなさい。」
月夜の声が彼女を制止した。
ウ〜ッ…
ハッハッハッ…。
今度は狼のような唸り声がした。
「鳳さんは結界を張ってくださらない?私はあの対抗する使い魔としてフェンリルを召喚しますから。」
「フェンリル?あの神狼を?」
「確か情報では貴方は普通の狼を使役してるけど、そんな大物の狼系は…」
「それは以前の私♪」
ニコッと笑いながら月夜は叫んだ。
「出でよ、フェンリル!」
…………。
ガン、ガキイン!!
ズババッ、ドガッ!
ギャアギャア、キシャアアア〜〜〜ッ!!!
兵士らによる剣戟、貴族による魔法攻撃、そして獰猛そうな魔物達の咆哮が城内至る所から響いていた。
この様子だと城の中では既に沢山の魔物達が暴れているようだ。
美鈴も例の手負いの猪の魔物を追いかけながら通りすがりで戦闘中の魔物達に
「チョイ。」
と、一撃を加えながら走り去る。
その魔物とすれ違う一瞬に魔物の手足や翼、グロいところでは頭部が欠損する様がチラリと視界に入った。
ついでに唖然と見ている兵士や貴族らしき姿も。
お城のお抱え魔術師や魔導師みたいな格好した人達も防衛に参加していたけど、みんな同じような表情で同じように口アングリの反応をしていた。
【おいおい、オマエ相手が魔物とはいえ流血させても平気なのか?】
(何の事ですの?)
【いやだから、オマエは血を見ると気が遠くなっちまうから…】
(走り去った後の様子など振り返りませんから、何の問題もございませんわ(笑)。)
【あ…そう。】
要は視界にさえ入らなけりゃ幾らでも魔物をぶち殺せるわけかい。
巷じゃ仮面の剣豪は相手の血を流さずに倒す慈悲深い剣豪と噂されてるらしいんだが、中身がコレだから噂なんて所詮こんなもんだな。
…もっとも、この噂の出どころは明花らしい。
ちょっと気になって調べてみたら、どうも前に仮面の剣豪の白百合のプリンセスの姿だったかが相手を殺さず傷つけず倒した様子を見た彼女が洩らした感想が誰かの耳に入り、その言葉が独り歩きしてるようだ。
………と、今はそんな事どうでも良かったな。
「名尾君、このまま進むと…」
【嫌な予感がするな…】
そう。
今、美鈴が追っている手負いの猪の魔物の進行方向は会議が行われている大広間だったのだ。
大広間に飛び込んだ猪の魔物。
が、ソイツは直ぐ様立ち止まった。
「おや、何か警戒してるようですわね。」
美鈴はコッソリその魔物に近付き、大広間を覗く。
「あ…」
ズババババッ!!!
「おらおらおらあっ!」
「私のこの剣の錆になりたいヤツ、次はオマエか?」
「ククク…我が槍の前に立ったのがそなたらの不幸…。」
「こんなものかい?少しは退屈しのぎになってくれると思ったのにねー?!」
「ホラホラ待ちやがれえっ!キャハハハ…!」
「王様、妃様、姫様!ご無事ですか!?」
……………。
どんな激闘かと思いきや、一方的に魔物達がやられまくっていた。
流石は八大武家と四大名家の集う会議会場なだけの事はあるな。
「やはりこの程度の魔物達にこの皆様の相手は務まらなかったみたいですわね。」
美鈴がチラリと猪の魔物を見ると、ヤツはダラダラ冷や汗かいてブルブル震えてやがった。
「う〜ん…」
「ちょっと不憫に思えてきましたわ。」
【何だ?今さら逃がすなんて言わないよな?】
「いえ、ジビエ肉や牡丹鍋にするのは可哀想というか、食欲が失せてしまいましたの…。」
相手が意思疎通不可な魔物なら躊躇無い美鈴も、可哀想と感じた相手に対して冷酷にはなれないようだ。
「さ、見つからぬうちにここにお入りなさい!」
シュン!
【収納魔法か?】
「ええ、後で月夜先輩の使い魔にでもしてもらいますわ。」
【こんな中途半端な魔物を使い魔のレパートリーに入れたところで月夜にメリット無いんじゃないか?】
【あと、無駄に月夜の魔力消費を増やすだけなんじゃ…】
「あら、フレイムドラゴンの時に比べればお相撲さんと幼稚園児位に消費量が違うはずですけど?」
こうして部屋へ侵入して来た猪の魔物は月夜の体内のペット?となる事に。
しかし他の霊獣や使役されてるモンスター達に比べば弱そうだな、襲われたり虐待されたりしないよう居場所を区別するよう美鈴から月夜に説明させとかないとな。
「残念ですけど今晩は牡丹鍋かジビエ料理のつもりでしたけどアテが外れてしまいましたわ。」
冗談なのか笑いながら美鈴は言った。
幸い収納空間内の猪の魔物に聴こえてない…筈だ。
「おお、美鈴無事だったか?」
「私達の娘ですもの、当然よ。」
美鈴の両親が美鈴を見つけて駆け寄って来た。
まだまだ魔物達は片付いてないので彼女らは飛びかかってくる魔物らを振り向きもせず倒しながら。
この様子には美鈴も苦笑いしていた。
「ところで何故このような事になったのかお聞かせ願えますかしら?」
風魔法を纏わせた素手で自分に飛びかかって来た鳥の魔物をぶっ叩きながら美鈴は事の顛末を尋ねた。
「ああ、暫くは例年の如く物静かに会議は進行していたのだが…」
「あのワードが出た途端、よね?」
「あのワード、とは…?」
「「新血脈同盟。」」
美鈴の両親の声がハモった。