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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

虫と生きる村で、虫食いドラゴンを育てようと思う

人の身長ほどもある大きな甲虫たちが、空気を裂いて飛んでいく。

目指すのはスライムの群れだ。シカのような姿をした、四足歩行のスライムである。

迫りくる真っ黒い外装に気付き、群れのリーダーが逃げ出した。続いて、群れ全体がリーダーを追い掛ける。軟らかい身体をぶるぶるぶるぶる揺らしながら、猛スピードで森の中を駆けていく。


虫たちも陣形を保ったまま、負けじと追従する。


突き離せそうだとスライムたちが思ったその時―――先の草陰に、武器を構えた人間達が待ち伏せしていることに気付いた。

包囲されている、とリーダーがざわめいた。急に一匹の虫が陣形を抜け、スピードを上げて群れに突っ込んだ。


群れはパニックに陥り、散り散りになった。おのおのが四方八方好きな所に逃げていく。人間たちが焦って、分散してスライムを仕留めに掛かった。

しかし、一匹残らず逃げられてしまった。

残った人間たちは茫然とした。そして、怒声が上がった。


「またか、ピート!」



彼らはエゾモ村の一員である。エゾモ村は50名ほどの集落で、虫と意思疎通をし、狩りや生活を協力して行っている。狩りに出る狩猟虫は、メンバーが手ずから育てた、大切なバディだ。メンバーは村にいくつかある狩猟隊の一つに所属しており、みなが狩猟虫の扱いに長けた精鋭たちだった。


ただ一人を除いて。


ピートと呼ばれた少年はおずおずと進み出た。みなの視線が集中する。

片耳の耳飾りが不安げに揺れる。これはエゾモ村の村人全員がつけているもので、花びらの形をしていた。


「ちゃんと指示出せよ!」

「せっかくの獲物だったのに!」


あちこちからヤジが飛んだ。


陣形を乱した狩猟虫は、ピートのバディだった。今回の獲物は群れで動く。狩猟虫に遠隔で指示魔法を出し、獲物を誘導し、待ち伏せているメンバーで挟み撃ちにする。そういう作戦だった。

 ピートはきちんとバディを制御できなかった。その為、狩猟虫が好きに動き、猟が失敗してしまったのだ。


「なあ、もういいんじゃないか?」

「これ以上獲物を逃がすわけにいかねえよ」


こうなった原因はよく分かっていた。ピートは、虫が苦手だったのだ。


14年間、生まれてからずっと克服できていなかった。コバエのような小さい種類は大丈夫だが、それ以上のサイズは全部駄目。だからバディの虫がおらず、他所から借りた狩猟虫と組んでいた。苦手意識は虫にも伝わっているようで、指示魔法が阻害されるのである。それは、ノイズが載っていて雑音だけが頭に響くような感じだ。


 今日狩りに連れてきてもらえたのだって、リーダーの優しさ故だった。沢山実戦を積めば大丈夫だ、とメンバーを説得してくれたのである。

でも、ピートは上手くいかなかった。自分のせいで獲物を逃すのは3回目だ。収穫がなければ、村のみなが飢えてしまう。


「ピート、悪いけど今日は抜けてくれないかな?」


リーダーが言いにくそうに言葉を発した。ピートは黙って頷いた。そして、肩を落として一人、帰路についた。



とぼとぼと歩いていると、嫌なことばかり思い出してしまう。

みなの呆れた目。怒った目。疲れた目。投げ出したい気持ちと、申し訳ない気持ちが次々浮かんでくる。


今日のメンバーには、同い年のカーターもいた。カーターは、あのメンバーの中で一番虫の扱いが上手い、将来有望な奴だった。ピートはいつも、一人で劣等感を味わっていた。


「俺だって克服したいよ……」


俯いて涙を堪えていると、地面に死んだ年中セミが転がっていた。

年中セミは、年中鳴いているセミである。どうやらひっくり返って死んでいるようだ。ピートはセミを横目に見ながら、そっと横を抜けようとした。


「さ、触ろうと思えば、触れるし……」


ヴヴヴヴ!!!!

セミが急に動き出した。羽をバタつかせ、ひっくり返ったまま地面を動き回る。

ピートは絶句して声も出せず、走って逃げた。

(やっぱり、無理だ!!!)


どれくらい走っただろうか。慌てていたせいか、躓いて頭から地面に突っ込んだ。


「いって・・・」


頭をさすりながら立ち上がる。地面に落ちていた何かに、足を引っかけたらしい。

それはどうやら卵だった。両手の平ほどの大きさの卵には、特徴的な縞模様があった。


「ドラゴンの卵だ!」


この辺りを縄張りにしているドラゴンはいなかったはずだ。あたりを見回したが、巣らしきものも親ドラゴンも見当たらない。卵泥棒する生物が盗み、途中で置いていったのかもしれない、とピートは見当を付けた。


ピートは卵を拾い上げた。持って帰って、家で孵化させようと思ったのだ。

虫が苦手なら、別の生き物をパートナーにすればいいのだ。ピートは少し、やけになっていた。


■■


村は、森に囲まれている。深い森には小型の魔法生物から大型の神獣まで、多様な生物が暮らしており、村ではそれらを狩って分け合うことで生活を維持していた。


村で育てた虫はアミーカと呼ばれている。卵を森から採取し、魔力を注ぎ込んで人より大きく育てるのである。様々な種類がおり、仕事を手伝ったり、服の材料を作ったり、土壌を浄化したりできる。村には養虫場や調教場があり、またアミーカの食料を管理する農場もあった。


家に着くと、ピートは部屋を暖めて、卵を毛布にくるんだ。室内に備え付けられた釜戸のそばに場所を作り、そっと置く。


家には虫よけ魔法がかかっている。虫の苦手なピートのために、両親がかけてくれたものだ。

両親は、1年前に流行病で亡くなった。それからピートは一人で住んでいる。


ピートは、本棚から大量のドラゴン図鑑を引っ張り出し、机に積み上げた。亡くなった両親が、ドラゴン好きなピートの為に買い与えてくれた本だった。

読み古された本を、夢中になって読んでいく。温度は、環境は、食べ物は、などと調べていると、外がすっかり暗くなっていた。


からから、と村の入り口にある鐘が鳴った。村人が狩猟から帰ってきた知らせだ。

獲物は解体され、決められた比率で村人全員に配られる。ピートが貰うことはおかしくはないが、罪悪感があり、受け取る気にはなれなかった。


空腹を誤魔化すためにまた本に没頭していると、家の扉がノックされた。


「ピート! 狩猟隊がドラゴンを狩ってきたそうよ!」


訪ねてきたのはリンだった。ピートと同い年の女の子で、魔力量の高さを生かして養虫場で養務員として働いている。両親が死んでから、ピートをよく気にかけてくれる相手だった。

出てきたピートを見て、リンがにっこり笑った。赤毛の長髪と、花びらの耳飾りが揺れる。


「一緒に見に行こうよ。他の獲物もいるから、お肉がもらえるわ」

「いや、でも……」

「村で決まってるでしょ?獲物はみんなで分けるのよ」


今日ピートが狩りに行っていたことは、リンも知っているはずだ。今家に居ることについても何か察しているのだろうが、何も聞かれなかった。


ピートはリンに流されるまま、外に出た。成果を讃えるため、村のみなが外にいた。

広場には、3つに解体されたドラゴンの肉が横たわっていた。運ぶのに不便だからすぐに解体したのだろう。村長がニコニコしながらリーダーと話している。


リンが、もっと近づこうよ、とピートに言ったとき、足音と声が聞こえてきた。


「やっぱりピートがいない方が上手くいくな」

「あいつ、別の隊に押し付けてくれよ」

「リーダーに言ってみるか」


笑い声から逃げるように、ピートは踵を返した。


「ピート! 待って!」


去っていく背に、リンが声を張り上げた。

そんな二人の姿を、遠くでカーターが見ていた。



家に逃げ帰って本に没頭していると、家の扉が控えめにノックされた。なぜか、いい匂いも漂ってくる。

空腹に負けて扉を開けると、鍋を持ったリンが立っていた。


「その……母さんが、作りすぎちゃったから。一緒にどう?」

「……ありがとう」


ピートはリンを家に招き入れた。

食卓を片付け、皿を準備する。リンが鍋のスープを取り分けてくれた。二人で向き合って机に座り、食卓の真ん中に鎮座する花の銅像に手を合わせた。


この銅像は、村の守護神クレオメマダラである。村のはずれの洞窟に住んでいる、花びらのような姿に擬態した肉食の虫だ。村では朝と夜、そして食事の前に、祈りと感謝を捧げるのが掟だった。


その昔、人間はドラゴンに住処を奪われ、苦しんでいた。その時、人間の見方をしたのが、天界に咲く花だったという。その花のおかげで、人間はドラゴンを退け平和を取り戻した。しかし、下界に干渉しないという掟を破った花は、虫の姿に変えられて下界に落とされてしまう。それがクレオメマダラで、今は薄暗い洞窟に隠れ住んでいるのだ、というのが言い伝えである。


洞窟はマダラ洞と呼ばれ、神聖な場所として立ち入り禁止になっている。


食べ始めた二人の間に言葉はなく、気まずい空気が流れた。リンが誤魔化すように口を開いた。


「ドラゴンの肉が洞窟に捧げられていたわ」

「喜んでくれるといいね」


ドラゴンの肉には魔力が宿っている。村ではドラゴンを狩ると、自分たちの強さの印として収穫の一部をマダラに捧げていた。


(なんだっけ、ドラゴンは共食いして強くなる……肉には魔力強化の作用があるんだったよな)

ピートはスプーンを動かしながら、図鑑の表記を思い出していた。


リンは視線をさまよわせ、またピートに話しかけた。


「ねえ、ピート、虫が苦手でも大丈夫よ。きっと頑張ればなんとかなるわ」

「……虫が苦手な奴なんてこの村には俺だけだろ。子供だってみんな触れるし、意思疎通ができるのに。俺は何も……」


リンが俯いたのをみて、ピートははっとした。


「あ……ごめん、ネガティブなこと言って……」

「ううん……どう? スープおいしい?」

「あ、えっと……その」


スープはリンの母親の味とは違ったから、ピートは恥ずかしくて感想が言えなかった。


■■


夜中、ピートは物音で目を覚ました。音はどうやら釜戸の方からしているらしい。アミーカが忍び込んで悪戯していたらどうしようか、とピートは震えた。

アミーカも普通の虫も、傷つけたり殺したりすることは禁止されている。どちらも村と共に生きる仲間であるからだ。武器を構えることはできなかった。


ピートは足音に気を付けながら、月明かりを頼りに闇を進む。そうっと物陰から釜戸の方を覗いた。


――卵が動いている。


ピートは卵の元にすっ飛んでいった。間違いなく動いている!と気分が高揚する。そして、首を長くしながら子ドラゴンが出てくるのを待った。


細いひびが入って、少しずつ卵が割れていく。夜明け近くにやっと割れて、ピートは目を瞬いた。


出てきたのが、あまりにも小さなドラゴンだったのだ。


体長は卵のサイズの半分もない。よく出てこられたと感心しそうなほどひ弱な体だ。

ピートは子ドラゴンを手のひらに乗せて、上から下まで全身眺めた。全身は薄い緑と深い緑の斑模様。翼であろうものは小さなでっぱりにしか見えなくて、尻尾は枯れたミミズのようだった。

かろうじてドラゴンと分かるのは、頭の特徴的なとさか(・・・)のみだ。


「これ、グリーンドラゴンだ…」


ピートは子ドラゴンをタオルに包んでおき、図鑑を広げた。

そして、そこにある表記を何度も何度も確認した。


「ドラゴンの食べ物は種類によって違って…」


レッドドラゴンは肉を食べ、ブルードラゴンは魚を食べる。そして、グリーンドラゴンは――


「虫を食べる……」


子ドラゴンがピイと鳴いて、目を開いた。黒い大きな瞳に、ピートが映る。ひくひくと鼻を動かし、起き上がってちょこちょこと動く。

村では、グリーンドラゴンは忌避されている。村の近くで見つけたら追い払い、子を殺し、巣を燃やす。それがアミーカを守るための掟だった。


ドラゴンは、生まれたらしばらくは親と暮らして虫の取り方や飛び方を学ぶらしい。子ドラゴンをここで育てることはできないが、放置すれば死んでしまうだろう。


「見つかる前に、親を探さなきゃ」


子ドラゴンを、床にあった手のひらサイズの木箱に入れる。

それからピートは食卓の上の銅像を、棚の上に、後ろ向きにしてそっと置いた。


■■


早朝の森はしんとしていた。

グリーンドラゴンの最大の生息地は森の中心、樹齢1000年を超える大木の近くだ。その大木には、春から秋にかけて沢山の虫が集まってくるので、食べ物に困らないのだろう。


ピートは大木の近くまで来ると、気配を消す魔法を自身にかけた。虫よ飛ばないでくれ、と願いながら巣を探す。

崖を上がって、川を越え、草むらかき分け、木を上る。そうしていくつかの大きな巣を見つけたが、卵の模様や子供の特徴が一致しなかった。ピートは毎回ため息をついた。


ふと滝の方を見ると、若草色をしたグリーンドラゴンが、ちょうど滝の中から出てくるところだった。おそらく、滝の向こうに洞窟か何かあるのだろう。

ピートはドラゴンの顔を見て、走り出した。

ドラゴンの頭に、子ドラゴンと同じ形の、とさかがあったのだ。



滝の裏の洞窟は広かった。魔力でどうにか濡れずに入れたので、ピートは少し安心した。

洞窟の中には巣があった。卵が1つと、子ドラゴンの倍の大きさをしたドラゴンの子供が1匹いる。


子供は眠っているようなので、ピートは小さな子ドラゴンを箱から出し、巣に置いた。子ドラゴンは、状況がよく分からない、というような顔して首をひねっていた。ピートは人差し指を口に当てて大人しくするように示すと、防御魔法と消音魔法を自身に厳重にかけ、岩陰に隠れた。


少しして、親ドラゴンが返ってきた。

どしんどしんと床を踏み鳴らす音が近づくたび、地面が揺れた。グウウ、と親ドラゴンが鳴くと、寝ていた子供が首を上げて親ドラゴンを見た。口にくわえている虫に気付き、立ち上がって催促する。


(ふ、踏まれそう……!)


親子は子ドラゴンに全く意識を向けない。あまりにも小さい子ドラゴンは、ヒイイと鳴きながら、背中の突起(はね)を振って、親ドラゴンにアピールした。


その姿が親ドラゴンの瞳に移ることは、一度もなかった。


お腹いっぱいになった子供が眠り始めると、親ドラゴンは子供の頭をぺろぺろ舐めて、また飛び立っていった。ピートが岩陰から出ると、子ドラゴンに非難めいた視線を向けられた。

子ドラゴンはぷいっと顔を背けると、とぼとぼと洞窟の外に向かって歩いて行った。


そして――意を決したように、飛び降りた。


ピートは走った。子供が何事かと目を覚ましたが、構っていられない。滝の下を覗き込み、魔法をかけ、ピートも飛び降りた。


滝つぼに落ち、浮かび上がって探知魔法で子ドラゴンを探す。離れたところでぐったりしたように水に浮いているのを見つけた。泳いで行って、そっと手に包む。


岸に上がると、物陰に隠れ乾燥魔法をかけて、体を乾かしてやった。

ピートは子ドラゴンを見ながら、しばらく何事か考えていた。



子ドラゴンは目を覚ました。辺りを見回して、またため息をつく。

そばの草むらでがさがさ音がした。子ドラゴンは怯えながら、息を殺してそちらを見た。


出てきたのはピートだった。頭の葉や枝を払い落として、子ドラゴンの隣に腰掛ける。

ピートは重い口を開いた。


「考えたんだ、お前のこと。……これはきっと、悪いことで、危ないことなんだと思う……そうだろ。みんなを、裏切って、お前、お前もバレたら殺される……。でも俺は、見捨てたくないんだ。だから、お前が約束してくれるなら、アミーカを傷つけないって約束してくれるなら……」


ひどく複雑そうな顔をしながら、ポケットに手を突っ込んだ。あー、とかうー、とか言いながら、やがて中の“それ”を取り出し、子ドラゴンに差し出した。


ピートの震える手に、小さな甲虫の死骸が乗っていた。


「今はまだ……」


ピートは言葉を濁した。

子ドラゴンはピートと死骸を見比べたあと、ぱくりと死骸を食べた。そのまま喉を鳴らして呑み込む。

子ドラゴンは嬉しそうにピョンピョン飛んで、ピートの腕に乗った。ピートがほっとしたように笑う。


「お前が大きくなって森で生きられるまで、一緒に居よう」


子ドラゴンがギャウ!と鳴いた。ピートは人差し指で、子ドラゴンの頭を撫でた。


「さ、帰って寝床を作ろうか」


ふと、ピートは花びらの耳飾りを失くしたことに気付いた。滝に飛び込んだ時に落としたのだろう。きっと見つからないから、また今度作ろう。

そう考えて、ピートは子ドラゴンをポケットに隠し、帰宅した。


■■


小さな子ドラゴンは、スコッティと名付けられた。ピートはスコッティの為に、こっそり森に入り、日々食べ物を探すようになった。


「うわっ、やめろひっつくなぁ!」


服にとまった蛾がなかなか離れてくれなかった。叩き落とすわけにいかないので、服をばたばたさせてせめてもの抵抗をした。


餌を探すためには、必然的に虫が多い場所に行かなければならない。

何度も帰ろうと思った。しかし、そのたびにスコッティの悲しそうな鳴き声が蘇るので、ピートはため息をついて森の中を進むのだった。



「ただいまぁ……」


ピートは満身創痍で帰宅した。体はずっしりと重い。早くベッドに横になりたかった。

音に気付いて、スコッティが待ち遠しそうに玄関までやって来た。


スコッティにはなるべく寝床から出ず、隠れているように教えている。だが餌の時は我慢できないようで、何度言っても玄関まで出てきてしまうのだ。まったくもう、とピートは思いながらも、出迎えてくれるのは嬉しかった。


食卓の上に虫の死骸を入れた袋を置き、ピンセットで一匹ずつ取り出す。

スコッティは虫を、それはそれはすごい勢いで食べ尽してしまう。もう入ってないのに、袋に顔を突っ込んで探したりしている。


嬉しそうなスコッティを見ていると、達成感が満たされる、とピートは思った。

スコッティは舌で口の周りをぺろぺろと舐めると、満足げな顔をした。眠そうにあくびをする。


「寝ようか」


スコッティの寝床はベッドの下だが、一緒に眠るときはいそいそとベッドに上がろうとする。上がれずにずり落ちているのを見かねて、持ち上げてやると、枕の真ん中に陣取って丸くなる。何度どかしても、何度も枕に上がってくる。

そんな攻防に飽きたころ、一人と一匹はそろって眠りにつくのだった。


■■


ある日、ピートは村でリーダーに声を掛けられた。


「なあ、もう狩猟には来る気はないのか?」

「ええ……あの、ご迷惑おかけしてすみませんでした」


あの日以来、ピートは狩猟に行くのを辞めた。今は、アミーカの食料を栽培するのを手伝っている。


「そうか、残念だ。もしまたチャレンジしようと思ったら、いつでも言ってくれ。諦めないでくれよ。きっと克服できると思うんだ。俺たちは、アミーカと共に生きる民族なんだから」

「……ありがとうございます」


ピートは頭を下げた。



家に帰ると、スコッティが本を見ながら、なにやらうなっていた。

出かける前に開きっぱなしにしていた本のページには、大きなドラゴンと、その背に乗る勇者の大きな挿絵が載っていた。


「これ見てたのか? これは、ドラゴンに乗った勇者が世界を救う話さ」


ピートが一番好きなドラゴンの話である。

スコッティが背中の突起をぱたぱたさせた。


「乗れって?」


スコッティが得意げに鼻を鳴らした。ピートは苦笑しながらスコッティを撫でた。


「はは、つぶれちゃうだろ」


スコッティは不貞腐れて、しばらく目を合わせてくれなかった。


■■


虫の死骸に躊躇なく触れるようになったころ、ピートは森で年中ゼミを見つけた。

ひっくり返って地面に落ちていたので、ピートはそっと近寄った。手を叩いてみたり、地面を踏み鳴らしてみたが、一向に動く気配はない。


そろそろと近寄って、つついてみる。……動かない。うん、動かない。そう思い、ピートはセミを掴んだ。


瞬間、ジジジッ!!と激しく羽がばたついた。腹部がうねうねと動き、逃げ出そうともがいている。


「ああああああ!!」


どうにでもなれ!と思いながら、袋に突っ込む。袋の中でも抵抗していたが、やがておとなしくなった。


(い、今、触れたぞ……!)


達成感で興奮状態のピートは、ちょうど頭の上に、枝に擬態しているエダヒャクフシを見つけた。

ピートは「これは枝だ……!」と念じながら、ヒャクフシをひっつかんだ。そして、うごめく足を見ないようにしながら、ポケットに入れたのであった。



生き餌をあげるようになってから、スコッティは狩りの動きをするようになった。


餌を見て、間合いを取りながら口から粘膜状の液体を吐き出す。当たると、粘膜がそこを覆って、虫の動きが鈍くなる。この液体のことは、図鑑にも載っていなかった。

虫によって攻撃場所が違った。ある虫には頭、ある虫には前足の付け根、ある虫には腹部を狙っている。


ピートはそれを不思議に思い、リンのもとを訪ねた。

リンは西の養虫場でアミーカの世話をしていた。カーターが近くにいたが、ピートを見るとそそくさとどこかへ行ってしまった。


リンと一緒にいたアミーカはジゾウコオロギだった。大きなあごに、真っ黒い瞳。羽はひどく短く、後ろ脚はひどく長い。


「コオロギの前足の……そう、これって、何?」

「ああ、これはこまくよ。この子は前足にこまくがあるの。すごく耳がいいのよ」

「へえ……」


リンは、ピートが虫に躊躇なく接していることに驚いたようだが、すぐに張り切って、


「面白いでしょ?! もっと見せてあげる!!」


と、ピートを引っ張り、養虫場を歩き回り始めた。

広い養虫場では、アミーカたちが自由に過ごしていた。区分けしなくても、自分たちでなわばりを決めて、争わないように過ごすらしい。


「あの子の頭に出てる飾りみたいなの、あれは目でね……」

「この子は腹部が……」


リンがあるアミーカの前で止まった。

四角い外形をした緑色のアミーカだ。立てばピートより大きそうだ。背中の模様が、ちょっととぼけた人間の顔に見える。

ピートはそのアミーカに近づいた。


「腹部?」

「あっ、そこ触っちゃだめよ!」


そこはどうやら臭腺だったらしい。近くにいたアミーカたちが、鳴きながら一斉に逃げていった。



これ以上、仕事を邪魔するわけにはいかないので、ピートは切り上げることにした。


「今日はありがとう。……俺、アミーカのことちゃんと知らなかったのかもしれない」


そう伝えると、リンは目を見開いて、それから嬉しそうに言った。


「私たちはアミーカを知り、アミーカもまた私たちを知る。アミーカによって変わり、アミーカもまた変わるのだ、って村長が言ってたわ。だから、ピートはもっとアミーカと仲良くなれるよ。きっとね」



帰りに手は洗ったものの、ピートには匂いが残っていたようだ。

家に帰ると、よだれを垂らしたスコッティに手をかまれてしまった。


■■


スコッティと出会って3か月ほどたったころ、ピートはスコッティを連れて夜の森にやって来た。飛ぶ練習をするためだ。明日は仕事が休みなので、森で一泊してみっちり教えようと思っていた。

しかし、問題があった。


「飛べるのかなあ……」


図鑑の大きな羽とは、似ても似つかないスコッティの羽を見ながら、ピートはため息をついた。

生まれたころに比べれば、スコッティの体は大きくなった。尻尾も太ってきたし、背中の突起も羽の形になった。しかし、飛ぶほどの力があるのかは疑問だった。


そしてもう一つ問題がある。そもそも人間は飛び方を知らないのだ。


「見本を探すか」


餅は餅屋である。ピートは消音魔法をかけて、ドラゴンの巣に向かった。

今はドラゴンの繁殖期らしく、見本を見つけるのは難しくなかった。ちょうどよく、一匹のドラゴンが子供を連れている。


親ドラゴンは子供を咥えて、とことこと崖の端に来ると、子供をぽいっと放り投げた。

ピートは遠くから崖の下を覗き込んだ。子供の姿と声が、あっという間に小さくなっていく。

ほどなく、子供が背中の羽で飛んで戻ってきた。

よろよろしながら着地した子供に、親ドラゴンが餌を与える。


「ス、スコッティ…」


少し離れた場所で、スコッティがピートをジト目でにらんでいた。



スコッティがピートの腕を警戒するようになったので、なだめていたら、雨が降り出した。遠くから、ゴロゴロと嫌な音がしている。

スコッティはすぐにピートの胸元に隠れてしまった。防水魔法で濡れないようにしてから、ピートはどうするか考える。


帰るべきだろうか。しかし、森で悪天候なんて日常茶飯事だ。スコッティに慣れてもらうため、ピートは雨宿りすることにした。

手ごろな洞窟に入り、乾燥魔法で乾かした木を並べる。


「スコッティ、火は出せる?」


スコッティが胸を張ってがぱっと口を開いた。しかしそこからは黒い煙しか出ず、スコッティはぱちぱちと目を瞬いた。


「こっちも練習しなきゃいけないな」


頬を膨らませたスコッティの頭を撫でて、ピートは火をつけた。


「ちゃんと出来るようになるまで教えるから」


スコッティは火のそばで丸くなると、安心したようにすやすやと眠り始めた。


岩肌から染み出す地下水が、ぽちゃん、ぽちゃん、と規則正しい音を鳴らしている。

奥に歩いていくと、そこには水たまりがあった。

ピートは、ぼんやり水面を眺めた。濁りのない澄んだ水の上に、花びらが落ちている。


「ああ、落としたっけ……」

滝壺に沈んでいく耳飾りを思う。

それは両親がくれたものだった。


そういえば、こんな雨の日だった。二人が亡くなったのは。

虫が苦手なピートを、一度だって咎めなかった。優しい両親だった。

突然一人になって、自分が何もできないことを知った。でも、村人たちが助けてくれた。だから、みなの役に立ちたくて、虫を克服しようとした。

ピートは花びらをすくい上げようとして、手を止めた。


頑張ってるつもりだった。

でも、分かってなかったのだ。村のみなの大切なものを何も知らなかったし、知ろうとしなかった。

結局克服できたのは、スコッティがいたからだ。


「俺、ここにいていいのかな」

小さな声は、水に落ちて沈んでいった。


■■


次の日の夜、ピートたちは帰宅した。ピートが夕食を用意していると、家のドアがノックされた。

訪ねてきたのはカーターで、ピートは驚いた。


「や、やあカーター! 元気?」

「上がるぞ」

「ちょっ、ちょっと待って!」


慌てて振り返り、スコッティを探す。どうやらちゃんと隠れたらしい。ピートはカーターを招き入れた。

カーターはどこかぎこちなく、そわそわと落ち着かないようだった。ピートはお茶を入れて、座るように促した。


「……この前、リンに会いに来てたのか?」


深刻な話かと思ったらリンの話だったので、ピートはほっとした。


「ああ、養虫場で? 会いにというか、聞きたいことがあって……」

「会いに言ったんだろ?! 虫苦手なくせにわざわざ養虫場に行くわけない!」


急にカーターが声を荒らげた。

カーターを不思議そうに見ていると、見慣れた緑色が視界の端に入った。


(スコッティ?!)

スコッティが後ろの棚の上をうろちょろしている。ピートは背筋が凍った。

カーターがお茶を一口のんだ。スコッティが鼻をぴくぴく動かし、それを上から見つめている。


「さ、最近、触れるようになったんだ。だから」


カーターがガタリと立ち上がった。花びらの耳飾りが揺れる。


「お前を狩猟メンバーに復活させたりしないからな!」

びしりと指をさされた

スコッティがびっくりして、棚からずり落ちそうになったから、ピートは心臓が縮まる思いがした。


(戻れ! 気付かれる前に戻れー!)

「俺は絶対にお前を認めない。お前の両親は凄い人だったんだ! お前は両親から何も受け継がなかっただろ! それなのにみんながお前を気にかけてる! そんなのおかしい! だから、みんなの前で証明してやる」


生前、ピートの両親は狩猟の主要メンバーで、だれよりもアミーカの扱いが上手く、だれよりも成果を上げていた。バディのアミーカとの絆は深く、両親が死んだ日、アミーカが火に飛び込んで死んでしまうほどだった。

カーターもその姿を知っているのだろう。息子の無様な姿を見れば、失望してもおかしくはない。


しかし、今はそんな感傷に浸っている場合ではなかった。


動揺したスコッティがせわしなく動き回っている。カーターが振り返れば、すぐにばれる位置だ。

しかもさっきから、棚に移動させたマダラ像が、グラグラして倒れそうになっているのだ。


ピートはスコッティに念を送りながら言った。

「カーター、君の気持ちはよく分かる!! もう要件済んだよね?!」

「そうか、分かるか。なら、勝負受けてくれるよな。今度のマダラ祭りで、アミーカレースが行われる。俺はそれで優勝するつもりだ。お前もそれに参加しろ」

「ああうん、うんうん」

(こら!怒るぞスコッティ!)


マダラ祭りは、年一回行われる伝統行事だ。マダラに、感謝と祈りを捧げることが趣旨である。いろいろな出し物が催される中に、アミーカとの友好性を示すためのレースがあった。

 

内容は、森の奥の祠に置かれた宝物を探し、村に持ち帰る、というものだ。宝物を持って帰れると、一年間怪我無く狩猟できるといわれている。また、一番早く帰ってきた村人とアミーカは、優勝者として名が残り、村の誇りとして祝福されるのである。


 ピートの念に、さすがにまずいと思ったのか、スコッティが戻ろうとした。その時、銅像がぐらりと傾いた。

ピートは焦ってガタリと立ち上がった。カーターが目を見開く。


 銅像は真っ逆さまに床に落ち――なかった。スコッティが尻尾で掴み、間一髪止めていたのである。


「やる気満々ってわけか。こっちも手加減しないからな」


ピートの鬼気迫る顔を見て、カーターが言った。ピートを見る目の奥に、闘志が燃えている。


「はっ?え?なんだって?」


ピートは目を丸くした。半分も話を聞いていなかったのである。

カーターはもう帰ろうとしていた。


「俺は絶対にお前に負けない。お前なんか何の役にも立たないことを証明してやる。エントリーしとくからな、逃げるなよ!」

「ちょっ、カーター待って…いや待たないで! 外で待って!」


カーターはさっさと帰ってしまった。

ピートは呆然とした。スコッティが机に降り、残ったお茶をペロペロし始めたので、睨んでやった。


■■


「レース用のアミーカを貸してほしいって?」

「そうなんだよ」


東の養虫場で、ピートは主任の堅物親父――ビリーと交渉していた。

ピートがここに来たのは、カーターとの勝負に乗り気になったわけではない。飛ぼうとしないスコッティに、飛ぶ感じを掴んでもらおうと思ったのである。実は、スコッティを胸元に隠して連れてきていた。


西ではなく東の養虫場を選んだのは、カーターに悪いと思ったからだ。多分、カーターはリンが好きなんだろうから。


「しかしな、お前虫ダメだったんじゃないのか?」

「最近、克服して…」


ビリーは怪訝な顔をした。信じてくれないよな、とピートが思った時、肩を全力で掴まれた。


「そうか、そうか! ああ、あいつらが聞いたら喜ぶだろうなあ。もちろん協力するぜ!」

「きょ、協力?」


ビリーの勢いに、ピートは驚いた。スコッティもびっくりしたらしい。胸元がほんのり湿っている気がして、ピートはげんなりした。


「優勝狙いだろ?! 俺に任せろ! お前の父ちゃん母ちゃんに負けないぐらい鍛えてやるぜ!」


ビリーが嬉しそうに手を差し出してきた。少しだけ後ろめたさを感じながら、ピートは手を握り返した。


先に操縦服に着替え、ピートはアミーカのいる奥に来た。

ビリーは他の村人に呼ばれてどこかに行ってしまったので、これ幸いとスコッティに選ばせることにした。


「……出ておいで」

「ギャウ」


ぴょん、とスコッティが胸元から飛び出した。瞬間、小屋の中が幾分冷える。アミーカたちが、じっとスコッティを見ていた。


「スコッティを怖がらない奴じゃないと……」


虫食いドラゴンの足が動くたび、波のように緊張が広がっていく。スコッティは気に留めずに歩き、あるアミーカの前で止まった。


「こいつか……」


それは、黒い甲虫だった。サイズはピートより少し大きい程度。楕円の細長い体をしていて、短い触角と大きな顎を持っている。なんというか、実に普通な形だった。他の甲虫と混ざれば、見分けがつかないような平凡な姿である。

それに、この個体はあまりにも弱弱しく見える。スコッティが近くに来ても、目を開けて眺めるだけだ。


「だって、俺を乗せて飛べるかもわからないのに……」


スコッティがふんと鼻を鳴らした。聞く耳を持たなそうなので、ピートは諦めることにした。


アミーカの背に鞍を付け、外に連れ出す。

放牧場には誰もいなかった。さっそく、ピートは鞍の上に乗ってアミーカに指示を出す。しかし、アミーカはじっとしたまま動かなかった。


「困ったな……」


スコッティがぴょんと地面に下りて、アミーカに何かを差し出した。アミーカはじろりとそれを見た後、大きな顎でそれをむさぼり始めた。


「なに食べさせてるんだ?!」

「ギャウ」


ピートは鞍から降りてアミーカに近寄った。アミーカの口の周りに、きらきらした緑の粉末がついている。どうやら、スコッティの鱗を与えたらしい。


慌ててアミーカの体をさする。何事もないようだった。むしろ、さっきよりも目が輝いているようにも見える。


「なんかあったら堅物親父になんて言われるか……」


それからスコッティの体を見る。鱗を取った部分に血がにじんでいる。傷薬用の薬はまだあっただろうか、とピートは考えた。


スコッティをしまって鞍にもう一度乗ると、アミーカのやる気を感じた。意思疎通魔法も問題なく、クリアな気持ちが流れ込んでくる。眠い、とかだるい、とかあまりいい気持ちではなかったが。

ピートは指示魔法で、アミーカに飛ぶように伝えた。すると、アミーカが羽を動かし、浮かび上がった。


アミーカに乗って飛んだのは初めてだった。ピートが感動していると、ビリーが放牧場にやって来た。


「おお、そいつを飛ばすなんてなかなかやるな」


ビリーの手に餌があるのを見て、アミーカが地面に下りた。


「そいつはコメって名前なんだ」

「コメ?」

「米が大好きで、米しか食べないんだ。あげると離れなくなるぞ」


ビリーがピートに米粒を渡した。ピートがコメに米を差し出すと、一粒ずつ咥えて、ポリポリと食べていた。

米は商人と物々交換で手に入れられるお高い穀物である。米が尽きると何も食べなくなるようで、その間はあまり動かなくなるらしい。


「珍しくやる気に満ちた顔してやがる。この種類はやる気にムラがあるから主流じゃないが、いいんじゃねえか。それに、必殺技があるからな」

「必殺技?」

「起死回生の一発さ。連発させると嫌われるから内容は秘密だ」


それから、ビリーのスパルタ特訓が始まった。早朝に起きて乗る練習をし、村の仕事が終わってから夜まで、また練習をする。その合間にスコッティの餌を捕まえなければならず、ピートは疲れる間もないほど忙しかった。


スコッティが毎日鱗をあげるのを止めようとした。しかし、スコッティは譲らなかった。毎日鱗を食べたコメはどんどんと大きくなり、つやつやとし始めた。

ドラゴンの魔力強化は虫にも効くのかもしれない、とピートは思った。


■■


二ヶ月後、祭りの日がやってきた


レースのスタートラインには、多種多様なアミーカたちが集まっていた。みな、気合十分といった感じだ。

カーターのアミーカは頭に、黒光りする立派な角を持っていた。ゼウスオオカブトである。体はひどく大きく、強者のオーラを放っている。


ピートはなるべく端っこに並んだ。号令がかかり、一斉に鞍に乗る。

スターターが、固い実に包まれた種を掲げた。魔力を流し込むと、色が黄色に変わり、赤に変わり、そして、パアン!と音を立てて破裂した。


音とともに、一斉にアミーカたちが動き出す。ほとんどは飛ぶ甲虫だが、地面を無数の足で這ったり、ジャンプしながら進んでいくものもいる。


目的地は、ヌルヌル沼だ。場所は、村から真っ直ぐ3時間ほど歩いた位置にある。ただ、直線だとグリーンドラゴンの繁殖地を通ってしまう。アミーカが全力で嫌がるので、そこは迂回しなければならなかった。


ヌルヌル沼には、アミーカが好む匂いの苔が生えており、それを持ち帰るのが今回のミッションだ。アミーカが沼で苔に夢中にならないように管理するのもバディの役目である。


カーターのカブトは早かった。大勢のアミーカを突き放して、あっという間に姿が見えなくなる。

だが、その後ろをついていく甲虫が一匹いた。


コメである。ビリーの「レース前はたらふく米を食べさせろよ」という忠告を守ったら、ほとばしるようなやる気を出したのである。

カーターがむっとしている。ピートは気まずいなと思った。

ふいに、カブトがコメにぶつかってきた。カブトの大きな体に、コメがぎょっとして減速する。その隙に、距離を離されてしまった。


(正々堂々じゃないのか……?!)

ピートはコメに怪我がないことを確認し、怒ったように言った。

「裏技使おう」


裏技という名のただの近道である。グリーンドラゴンの繁殖地を抜けるのだ。

ピートは消音魔法をかけると、コメに進路変更の指示を出した。コメは素直に指示に従ってくれた。予想通り、コメはグリーンドラゴンを怖がっていないようだ。


もう何度も来たその場所を、低空飛行で飛んでいく。今はドラゴンが巣で休んでいる時間帯で、ドラゴンと鉢合わせしなかった。

ただ、雌に求愛している雄ドラゴンはいた。雄ドラゴンがおしりと尻尾を振りながら雌を見つめている。雌はつれないふりをしながら、気になって仕方ないようだ。二匹の世界に入りこんでいるらしく、幸いこちらには気付かなかった。


周りに村人がいないので、スコッティが胸元から顔を出していた。2匹のそばを通る時だけ、ピートはスコッティを服に押し込んだ。



無事に生息地を抜け、ピートは息を吐いた。ほどなくヌルヌル沼にたどり着いたので、コメから降りて苔を採取した。


「これでよし」


苔にはもう取られた跡があった。カーターはもう帰路についたらしい。

もう一度近道すれば間に合うだろう。ピートは、苔から離さないと、と思いながらコメを見た。


コメは苔に一切触れたくないようだった。安物憎むべし、みたいな顔をしていたので、ピートは少し笑った。



戻りの生息地は、やけに静かだった。もうすぐドラゴンたちが動き出すころだから、ピートは警戒していた。

その時、空が暗くなった。ピートははっと上を見あげた。


グリーンドラゴンが、こちら目掛けて急降下していた。大きな口が、後方いっぱいに迫ってくる。コメが加速しながら急カーブして、間一髪牙から逃れた。ドラゴンは諦めず、追いかけてくる。

ピートはコメに合図すると、後ろを振り返って狙いを付けた。ドラゴンが距離を詰めてきた瞬間、ドラゴンの目に向かって瓶を投げつける。


目に直撃した瓶が割れ、中の液体が目を覆う。ドラゴンは悲鳴を上げてよろめいた。

液体はスコッティが出す粘液を集めたものだ。スコッティに、餌をサービスして恵んでもらったのである。


ドラゴンがまた襲ってくる前に、コメは全速力で生息地を抜けた。コメに謝ったら、楽しかった、と返ってきたので、ピートは呆れた。


前方にカーターたちが見えると、コメがキレながら加速した。ドラゴンから逃げて自信がついたのだろうか。こっちからぶつかっていきそうな勢いだ。

コメとカブトが先頭で並んだ。どちらも譲らず、にらみ合っている。

その時、ピートとカーターが同時に叫んだ。

「スライムだ!」

地面から急に伸びてきた茶色い手が、アミーカたちの前に立ちふさがった。

全身べたべたしていて、粘着性があるスライムだ。草の上や地面の表面に擬態し、獲物が来るのを待つ習性がある。

コメとカブトは避けようと二手に進路を変えるが、スライムは分裂した手で2匹の羽を正確にとらえると、地面に引き落とした。


鞍から飛んで逃げたピートは、なんとか地面に着地した。自らに剥離魔法をかけてスライムにくっつかないようにして、コメに駆け寄る。

背中がスライムにくっついているらしく、コメはひっくり返った状態でもがいていた。


剥離魔法でこれ以上付かないようにしたが、既に着いた部分はどうにかしてはがさなければならない。

虫がひっくり返れば抵抗できないことを知っている、手練れのスライムのようだ。攻撃を警戒しながらはがすのは容易ではない。人手が必要だ。


コメはもがいていたが、諦めたように動かなくなった。魔法で村人を呼ぼう、とピートが思った、その時。


突如、バチンッと轟音がして、コメがひっくり返ったまま宙に飛び上がった。円を描きながらくるくると回り、地面に足から着地する。

ピートは目を見張った。スライムは背中から綺麗にはがれている。

コメが、背中越しにピートを見る。それはまるで、乗れよと言われているようだった。


ピートはカーターの方を見た。カブトがひっくり返って、角までべったりスライムについている。カーター自身に怪我はなく、村に救助連絡を入れているようだ。


ピートは安心してコメに乗った。コメは今までで一番早く飛んだ。途中スコッティが鱗を食べさせると、バテることなくあっという間に村についた。


ピートたちは歓声で迎えられた。興奮冷めやらぬまま祭壇に引っ張っていかれ、花輪を首に賭けられる。どうやら、優勝したらしい。

「ピート! すごいね! かっこよかったよ!」と、リンが嬉しそうにニコニコしながら話しかけてきたかと思えば、

「見違えたな! 明日の狩猟にはもちろん参加するだろ? 絶対参加してくれよ!」と、リーダーに背中を叩かれ、

「お前、ううう、お前、最高だーーー!!!」と、ビリーに泣かれてしまった。

スライムから逃れたジャンプを見たい、とコメは何度も村人にひっくり返されたので、怒っていた。


祭りの間中ずっと、みなから代わる代わる声を掛けられ、ピートは目を白黒させたのであった。



夜も更けたころ、コメを養虫場に返して、ピートは帰宅した。

沢山褒められ、お腹もいっぱいで、つい顔が緩んでしまう。スコッティもルンルンしていた。

「飛ぶの楽しかった?」


スコッティがギャウ!と鳴いた。羽をぱたぱたさせながら、ぴょんぴょん飛んでいる。


「ちょっとはやる気になったな。……明日は雨降りそうだから、また晴れたら練習しような」

ピートはスコッティを撫でて、一緒に眠りについた。


■■


ピートは寒さで目を冷ました。雨が降っていて、締め切られた寝室は冷え切っている。

ピートは寝ぼけながら足元の掛け布団を探して、はっとした。


スコッティがいない。



雨はひどくなり、ごうごうと地面を叩きつけている。ピートがばたばたと外に出ると、雨が全身を濡らした。


家を隅々まで探しても、スコッティは見つからなかった。動転しながら外に出たが、スコッティが行きそうな場所など分からない。

家の下を覗き込んだり、草むらをあさるピートを見て、リーダーが不思議そうに声をかけてきた。


「おい、防水魔法もかけずに何やってるんだ」

「あ……えっと」


すっかり忘れていた。防水魔法と乾燥魔法をかける。


「探し物をしてて……」

「何失くしたんだ? もうすぐ狩猟の時間だし、一緒に探してやるよ」

「あ、いえ大丈夫です! すぐ見つかるので!」

「そうか? 送れるなよ」

「わ、わかりました!」


急いでリーダーから離れよう。きょろきょろとあたりを見回し、養虫場に向かった。


アミーカたちは中でひしめき合っていた。スコッティが来た様子はなさそうだ。コメを探して、スコッティを見たかと聞いたが、知らないと返された。


『ねえ聞いて! 虫食いのドラゴンが村にいたらしいわよ!』


声がした。近くにいる養務員たちが噂話をしているようだ。


「ピート! そんなところで何やってるの?」


噂に聞き耳を立てていると、リンがやってきた。今日は非番で、遊びに来たのだろう。

ピートが言葉に詰まった時、反対側の洗い場から話し声がした。


『近くに縄張りを作ったのかしら。探して駆除しなきゃ』

『大丈夫、まだ子供だったから、傷を負わせてマダラ洞に放り込んだそうよ』

「マダラ洞?!」


ピートは驚いて叫んだ。


「虫食いドラゴンなんて嫌ねえ……。ピート、どうしたの?」


リンが怪訝な顔をしてピートを見た。


「いや…」

『マダラ様も新鮮なお肉が食べられて満足でしょうね』

『どこから来たのかしら? もっと厳重警戒しないとだわ!』


(これは、普通のことで…あたりまえのことなんだ)

屋根を叩く雨の音が大きくなる。風で壁が揺れて、嫌な音がした。


『村長が早く対応してくれて助かったよね。アミーカも落ち着いてるし。あ、ビリーさん。アミーカみんないた?』

『ああ、全員無傷だ。早急に駆除してくれて助かったぜ』


(これでいいんだ、だって、やっとみんなと仲間になれて…認めてもらえたんだから…)

身体が芯まで冷えそうだ。だから、もう戻らなければ。

(でも……)


 ピートは急いで養虫場から出た。そのまま村のはずれに向かって走る。後ろから引き留める声がしたが、一度も振り返らなかった。


■■


洞窟の中は、じめじめして薄暗かった。マダラを刺激したくないため、ピートは暗視魔法をかけて中を進んだ。

遠くからごそごそと音がしたかと思えば、足首を何かが霞めた。ピートは縮み上がって足を引いた。


「なんだ、草か…」


気持ちを落ち着かせた後、草の近くに骨と腐った肉塊が転がっているのに気付いた。ピートはがくがくする足を叩き、頭をぶんぶんと振った。


ふいに、洞窟の奥から細い鳴き声がした。無数の虫がうごめく音も一緒だった。


(一匹だけじゃないのか?!)


嫌な想像が脳裏に浮かぶ。ピートは焦って先に進んだ。


「スコッティ! どこだ! 今助けるからな!」


まもなく洞窟の広い場所に出た。そっと覗き込んで、ピートは目を疑った。


大きなスコッティがマダラを食べまくっていたのである。


全長2メートルほどありそうな巨体に、大きな口。伸びる舌で虫を数匹、器用にからめとって丸飲みにしている。がっしりした足が動くたびに、地面を埋め尽くすほどの無数のマダラが、逃げようと必死にうごめいていた。

スコッティが、今まで見た中で一番楽しそうにしている。


「え? いや、なんで?」


ピートに気付いたスコッティが、狩りを中断してこちらに寄ってきた。体は綺麗な若草色になっており、頭ととさかはピートの頭より大きい。

虫の体液がついた口でじゃれ付こうとしてくるので、ピートは手を出してなだめた。


「そうか、ドラゴンの肉を食べてたから……!」


ドラゴンの肉を摂取して魔力強化され続けた虫を食べることで、魔力強化の作用を受けたのかもしれない。虫たちは丸々と肥えているから、きっと多くの魔力をため込んでいるだろう。間接的に、共食いと同じ効果を得たのだ。


ピートは緊張が解けて、その場に座り込んだ。気にするなと手を振ると、スコッティはさっさと狩りに戻っていった。洞窟の最奥まで進んでいったらしく、姿が見えなくなる。無数の花が、周りに散っていた。


マダラの数が3分の1ぐらいになったころ、ピートはスコッティを止めた。


「全部食べちゃダメだ。このぐらい残ってればまた復活するだろうから」


スコッティは満足したのか、大人しくピートの横に座った。また大きくなったので、狭そうにしている。


(大きくなりすぎだろ。村で育ててたら、こんなに大きくなれなかったんだよな……)

「これから、どうしようかなぁ……」


独り言を聞いて、スコッティがお尻と尻尾を振り始めた。あちこちに尻尾がぶつかって、洞窟の壁が揺れる。


「恋人探しがしたいのか?」


今度は袖口を引っ張られた。スコッティの目が輝いている。


「そうだな、一緒に探しに行くのも悪くないな」


人がいないことを確認して、洞窟の外に出た。明るい太陽が二人を照らす。ピートが背中に乗ると、スコッティが嬉しそうに鼻を鳴らした。


スコッティは翼をはためかせた。そして空気を裂きながら、どこまでも飛んで行った。

スコッティって名前は、テッシュじゃなくてティラノサウルスから取りました。


読んでいただいてありがとうございました。

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