過去編1部−残された時間
『…彼方……彼方………ほら。起きなさい………彼方。』
私は隣でスヤスヤと気持ち良さそうに寝ている彼方に優しく声をかける。
窓から空を見るとちょうど夕日が沈み始めていた。
蝉の声も風に乗って聞こえくる。これは多分ヒグラシだろうか…。
空は赤く染まっていく。赤い光がどんどん空を覆っていく。
とても綺麗な茜色だった。
そして、この世界は、空は、これから少しずつ夜の色に染まっていくのだろう。
季節はもうすぐ初夏に入る頃。
私はまだ、この世界に生きている。
あれから2ヶ月が過ぎていた。
彼方のため、彼方を悲しませないためと自分を励ましながら何とか生きてきたけれども……そろそろ私は…限界にきていた。
『クスッ(微笑) 可愛い寝顔ね。でも…。』
私は壁に掛けられている時計を見た。
『そろそろ起きなさい彼方。もうすぐ面会時間も終わってしまうわよ。』
そう声をかけながら優しく彼方の髪を撫でる。
おそらく、学校が終わって直ぐ私に会いに来たのだろう。それで、私が寝ていたものだから起こさずに一緒に寝ていたのだろう。
『私に気を使ってくれたのかな?』
この子は自分の事よりも誰かに気を使いすぎる所がある。優しすぎるのだ。
『…ん……んぅぅ? お母……さん?』
彼方がようやく目を覚ましたようだ。
まだ眠たそうな目を擦りながらぼんやりとしている姿が可愛いかった。
『おはよう彼方。とは言っても、もうこんばんはの時間になっているのだけれどもね。』
まだ、彼方はむにゃむにゃしている。
『…んぅぅ。おはよう…お母さん。ん? もうそんな時間になるの? んぅぅ〜寝過ごしたよぅ〜。』
彼方がむくれている。それはそうだろう。せっかくの私と話を出来る時間が無くなってしまったのだから…。
『ふふふっ(笑) そんなにむくれないで彼方。お母さんは彼方と一緒に寝られる事が出来て嬉しかったから。』
『それに彼方の寝顔を見れて幸せだったよ。ほら! お母さんが入院してから彼方と一緒に寝られる事もなかったでしょう? だから、私の事は気にしなくてもいいのよ。』
『それに明日も、明後日もまた会えるでしょう?』
私は出来る限りの笑顔を彼方に向けてそっと髪を撫でる。
『…うん。お母さんがそう言ってくれるなら僕も我慢するよ。』
まだ少しむくれながらも彼方は素直に頷いてくれた。
『そう。彼方はいい子ね。それじゃあ、もう暗くなるから気を付けて帰りなさいね。』
私は優しく、早く帰るように促した。
『それとお父さんに伝えてくれるかな。話したいことが有るからなるべく早く会いに来てねって。』
『うん、分かった。お父さんにはちゃんと伝えておくよ。任せて!』
そう言って彼方が小さな胸をドンと張る。
『それじゃあ、お母さんまた明日ね。バイバーイ。』
彼方がいつものように大きく手を振って病室から出て行く。
『バイバイ、また明日ね。彼方。気を付けて帰りなさいね。』
彼方が帰った後の病室はとても静かになった。
『また明日…か。私には…明日が在るのだろうか…明後日も…。』
私は自分の胸に手を当てながら、だんだんと暗く静かになっていく外の世界に目を向ける。
闇が迫っていた。
『…早く彼方に私の全てを伝えよう。』
『私がこの世界から居なくなってしまう前に………大切な事を伝えよう。』
『そのためには……!?』
『ドクン!!』
発作が起きた。最近はとみに発作の回数が増えてきている気がする。
『ハァ……ハッ……。』
『フゥッ……フゥッ……。』
胸を押さえている手と反対側の手をベッド脇にあるナースコールへと伸ばし、押した。
『…っ……。』
私は心臓が悪い。もう手術も移植も出来ない状態らしい。
今は何とか薬で延命出来てはいるが、それも続かなくなってきている。
医師からは、
『水無瀬さん。これが最後の薬です。これが効かなくなればもう進行を止めることは出来ません。そうなれば、長くは持たないでしょう…。』と言われている。
余命6ヶ月と宣告されてから2ヶ月が過ぎている。
私の心臓はもう4ヶ月も保ちそうに無い。
『水無瀬さん、大丈夫ですか! 今先生が来ますから。』
看護士さん達が数人駆けつけて来てくれた。
だが、私の意識は遠のき始めていた。
看護士さん達がドタバタと慌てている声だけが聞こえる。
『…私には……もう時間が無いの。だから、アナタにも……。』
『……行君……お願い。あの子を……彼方を………。』
『水無瀬さん!』
周りが騒がしかった。
私は意識を失い、眠りに落ちていった。
いつ訪れるか分からない永遠の眠りに怯えながら。