過去編1部−蒼い空、紅い夕日
『…こっちにおいで、彼方。』
僕はお母さんに呼ばれた。
少し駆け足しでお母さんのいる場所へ向かう僕の背中には茜色に染まり始めた空が広がっていた。
僕達家族がこの丘を訪れてからずいぶんと時間が経っていた。久しぶりに家族三人水入らずで話して、笑いあったり、涙を流したり、僕はちょっぴり怒られもした。
この時間はとても、とても大切な時間でかけがえのないものだと、まだ小さな僕にも理解する事が出来た。
でも、どんなに楽しい時間にも、大切な時間にも終わりの時はやってくる。
どんな事にも、どんな人にも、どれほど大切な時間にも終わりの時は必然とやってくる。
『ふぅ、ふぅ、はぁ……何かな? お母さん。』
僕は息を整えながら、お母さんの側までやってきて腰を下ろす。
すると、お母さんの手のひらが僕に伸びてきて頭を撫でてくれた。
『あははっ……ふぅ、ふぅ、ふぅ。』
『ふふふっ。』
まだ少し息が上がってはいたが頭を撫でてもらった事でスッと楽になり、笑みがこぼれた。
やっぱり僕はお母さんに頭を撫でてもらうのが大好きだ。
『ふふっ。どうかな、少しは落ち着いたかな?』
お母さんの優しい声が聞こえてくる。
『ふぅ、ふぅ………うん。落ち着いた。』
僕は息を整え、元気いっぱいの笑顔で返事をする。
『…そう。ねぇ彼方。少しだけお母さんの話を聞いてくれないかな?』
お母さんは柔らかい笑みを浮かべながら僕を真っ直ぐに見つめてそう言う。
その間もお母さんの手のひらはずっと頭を撫でてくれていた。
『うん、分かった。もちろんだよ!』
そう返事をすると、僕はお母さんの横に座り話を聞く体勢をとった。
お母さんは僕が座るのを見てからゆっくりと、それでいてとても優しい口調で話し始めた。
『空を見上げて覧なさい彼方。』
『蒼い蒼い空の色と紅い紅い夕日の色。この二つが溶け合って綺麗な茜色に染まっていく。』
『凄く綺麗で神秘的な色だと、そう思わない?』
僕は空を見上げる。確かにそこには、夕暮れ時特有の蒼い空と紅い夕日があった。
そして、その中心はとても綺麗な茜色だった。
『うん、とっっても、綺麗だと思うよ! だってさ、今まで見たことがないくらいの空だもん。』
確かに夕暮れ時の空はどこにいても見る事は出来る。
でも、この丘から見る夕暮れ時の空は、全てが圧倒的で他に類をみる物がない空だった。
僕とお母さんは空を見上げて一瞬、一瞬と姿を変えていく夕暮れ時の空を眺めていた。
『そうね…綺麗だよね。』
『それでね彼方。お母さんは彼方に……この空を忘れずに覚えていて欲しいの。』
『ん? この空を? どうして?』
急に少し難しそうな事を言われ僕は首を傾げる。
そして、不思議そうな顔をしている僕にお母さんは話を続けた。
『ごめん、ごめん。ちょっと言い方が難しかったね。』
『分かり易く言うとね、この空の下で過ごした時間を、思い出を忘れないために、綺麗なこの空の景色を覚えていて欲しいの。』
『だって綺麗な思い出は色褪せないはずだから…。』
『だからずっと、ずっと記憶の中に思い出として残していられるでしょう?』
お母さんは微笑んでいた。
夕日に照らされて少し頬が紅く染まって見えるお母さんはこの空に負けないくらい綺麗だと思った。
『なんだぁ、そんなことかぁ〜。絶対に忘れないよ! 絶対に覚えてるよ! 今日の事は何があってもだよ。だって、こんなにいっぱい綺麗なものを見れたんだもん。』
『ふふっ。そうね…。』
見上げている空の色が一段と濃くなった。