星新一によろしくを ~死のノート~
その男はごく普通の男であった。収入も人並み、運動能力も平均、容姿も減点対象ではないが加点もされないものであったため今までごく普通の人生を歩んできた。
「何か人生を大きく左右するようなことが起きないだろうか」
そう言いながら男はいつもと変わらない部屋でいつもと変わらないコーヒーを飲んでいた。
「そんなお前にぴったりの話があるぞ」
男は仰天した。その声の主は見たところ悪魔であったからだ。
「君はだれだ。ど、どこから入ってきたんだ」
男は少し威圧的にその悪魔に尋ねた。
「悪魔だよ。悪魔だからどこでも自由に入れるんだよ」
悪魔は男の威嚇に対し何も効果が無いといった感じで答えた。悪魔は続ける。
「お目の人生は見たところかなり平凡なモノらしいな」
「否定はできない」
男はお前になんか騙されない、という意思表示でもするように強い口調で言った。
「そんなお前に紹介したいモノがあるんだ。このノートだよ」
悪魔はやはり男を全く脅威とも思っていないような様子で言った。
「なんだそのノートは」
「よくぞ聞いた。このノートに名前を書くとその人が死ぬんだよ」
悪魔はいかにも悪魔的な笑いを浮かべながら言った。
「なんて忌まわしいノートなんだ。やはり悪魔が考えることは邪悪なことばかりだな」
男は建前では善人のようなセリフを吐いたが、これまでの人生を振り返ると何も人に話せるようなことも起きていなく、良く言えば安定した、悪く言うなら面白みも何もない人生であったことを思い出し悪魔の話をよく聞いてみることにした。
「いや、考えが変わった。詳しく話を聞かせてくれ」
そう言った男にはさっきまでの威厳というモノはなかった。
その男の言葉を聞き悪魔は嬉しそうに話し出した。
「ノートについてはさっきの通りだが、お前が心配しているであろうことは多分、俺様が魂をよこせだの言い出すんじゃないかということだろう」
「やはり、何か代償があるのか?」
「心配するな、寿命だの魂だのを欲しがるのはもっと切羽詰まった奴だけだ、それにこれはただの俺様の暇つぶしに過ぎない」
「本当か?」
「本当だ、信用しろ悪魔は嘘をつくが契約に関しては嘘をついてはいけないという掟があるんだ。俺様ほどの悪魔にもその掟は破れん。お前は安心して俺を信用すれば良い」
「はぁ」
男の心には迷いはもう無くなっていた。心にあるのはこのつまらない人生を変えてやろうという気持ちだけであった。
「さぁ、どうする?これまで通りくだらん毎日を繰り返すのか、それともそれを自らの手で終わらせるか?」
男は少し間を置いてこう答えた。
「ノートを使わせてくれ」
その返事を聞き悪魔は嬉しそうにこう言った。
「そう来なくっちゃな」
悪魔はいかにも人間界のモノではないであろう字が表紙に書かれたノートを取り出し男に渡した。
男はそれを受け取ると、何か自分がもはや人類を超えた者になった気分になった。
「ハハハ、まずはじめにイヤミな部長をこのノートの餌食にしてやろう」
男は人が変わったように言った。そしてペンを持ち部長の名前をノートに書いた。
「ハハッ、書いた、書いたぞ。あの部長に仕返ししてやったぞ」
男は興奮した様子でそう言ったが、よくよく考えてみるととてつもないことをしてしまったことに気がついた。
「ちょっと待てよ。確かに部長はいやな奴だが殺すほどだったか?そもそも俺は人を裁くなんてことができるほど立派な人間なのか?しまった、取り返しの付かないことをしてしまった」
男は自分のしたことを後悔した。なんとかこの状況を変えることはできないかとあがいた。
「おい、悪魔。ノートに書いたことを取り消すことはできるか?」
「そんなの無理だ」
「くそっ。なら死んだ人間を生き返らせることは?」
「それは神様の仕事だ」
「畜生!神に頼るしかないのか」
男は神に祈りを捧げようとしたが、それを見て悪魔はこう言った。
「悪魔の道具を使った人間なんかの願いを神様が聞くとか思ってるのか?世の中そんな都合良くないぞ」
「そんな…」
「背に腹はかえられんぞ。やったことは取り消せない。奇跡なんか起こらんぞ。悪魔も神も人も関係ない」
「そんな…そんなつもりじゃあなかったのに…」
男は絶望しベランダに出て自らマンションを飛び降り自殺してしまった。
それを見届けた悪魔はノートを回収した。そして、すっかり冷め切ったコーヒーを見ながらこう言った。
「だから言っただろう。このノートに名前を書くとその人は死ぬって」
書いていて楽しかったです。星先生の足下にも及びませんが大目に見てクダサイ。






