第二話『新しい名前』
「……とても高いところで生まれたからって、随分と凄そうな名前をつけたねぇ」
僕は小さく呟くと、椅子に腰掛けた。少し考える。
地上人を導く? 面倒そうではある。けれども、拒絶したとしてもモモはそれを受け入れてくれるだろうか?
知識は欲しい。これほどの高度な技術を学ぶ機会をみすみす見逃すなんてありえない。
魔術も学びたい。僕は技術者だが普通にアニメや漫画、TRPGも嗜むおじいちゃんだったのだ。呪文を唱えて何かを掌から発射するふりをする遊びは、日本人なら一度は通る道である。
モモは機械を呼んで僕の前に陶器のティーカップを用意し、紅茶を注いだ。
「成層圏でお茶会、か。僕の前世……らしき記憶にも、そんな経験をした人はいなかったろうな」
「先ほども仰っていましたね、記憶があるのですか? これまで貴方の前に一人、継承体がこのムーンボウで生まれましたが、記憶を有する個体は貴方が始めてです」
「そうか……」
自分のように、前世を持つ人はいないのか、少し残念に思ってティーカップに口をつける。
珈琲は目をはっきりさせるために若い頃は良く飲んだ。そうか、もう僕は国防の為に新しい機体を作ろうと、無理をする必要もないのだな、と思うと感慨深い。
角砂糖を二つ、ミルクを注ぐ。僕は少し気になって、ぺろりとミルクを舐めてみた。
「はしたないです」
「いいじゃないか、気になったんだ」
ミルクはきちんと乳牛から採取したと思しき味わいがあった。珈琲ショップで好きなだけ取ってもいい合成品のたぐいではない。
それはすなわち、この船は成層圏で乳牛を飼っているのだろう。完全に自給自足が叶っているのだ。
手を伸ばしてクッキーらしきものを抓む。そのまま口に運ぼうとして……一瞬手を止めた。
「……ナニコレ」
蟲の蛹である。どうやら油でからりと揚げたものらしい。
「虹色蚕の蛹の揚げ物でございます」
「……ああ、なるほど。カイコね」
僕が今着ている服は、確か虹色蚕の生糸で出来ているとさっき話していたな。
もし、僕が普通の一般人であったなら『こんな虫なんか食べられるか!』と怒ったかもしれない。しかし幸い僕はこういう事に技術者として理解があった。
蚕は宇宙開発の事業で資材として着目されている。餌となる桑の葉は日光と適量の水さえあればいくらでも栽培できるし、それを餌とする蚕からは生糸を取れる上、食料としても利用できる。まさに一石二鳥の存在だ。確かに衛星軌道を浮遊する<ムーンボウ>には最適のものだろう。
なに? 気持ち悪いから食べたくない? そんなワガママ言う奴はそもそも宇宙船には乗れない。
このおやつとして供された蚕の蛹も、生糸を取る為に茹でられたものなのだろう。
航空機開発と宇宙ロケット開発は親戚みたいなもので、限られた『積載量』に必要なものをどれだけコンパクトに、軽くできるかは僕達にとって頭の痛い問題だ。
とりあえず、蛹の油揚げを頭から齧りついてみる。
「……ナッツみたいな味よね。美味い」
「先ほどから『生まれた直後の、なんの知識もないはずの継承体』のものとしては理屈の合わない単語があります。
貴方は知識、記憶があるのですか?」
モモも、僕が生まれたばかりにしてはおかしな発言をする事から、興味を持ったらしい。
頷き……話すことにする。
前世の記憶がある事。
気づいたら培養槽の中にいた事。
こっちとは別種の技術体系を持つ世界の技術者だったこと。
……モモはその全てを聞き終えた後、口を開いた。
「魂、輪廻転生に関する考察は『王国』にも存在しました。しかしその大半は妖しげなもので、学問とするには不十分です。
このモモにも、継承体の疑問を解消する回答は持ち合わせていません」
「そうか」
期待していたわけではない。僕は曖昧に頷いた。
ただ……と、モモは言葉を続ける。
「人は死ねば、皆、星の海に帰っていく……造物主達はそう信じていました。
ならば、この世界でもっとも星に近い天蓋領域で生まれた貴方は……星に還るはずだった命がたまたまその体に宿ったのかもしれません」
それは理屈とも呼べない回答だったかも知れないが……今の僕にとって不思議としっくりくる回答だった。
モモは言葉を続ける。
「貴方は前世に戻ってやりたい事が残っていたのですか?」
「……いや、無い」
前世にやり残しはない。
どうして生きる事に未練のない僕が消滅せず意識を保っているのか。本当に不思議だ。
けれども……なぜこうなったのか、を探るより、これから何を成すのかを考えるべきだと思う。どんなに老い果てた老人であっても未来に生きる権利はあるはずだから。
考え込んでいた僕に、モモは言う。
「それではお名前を聞いてよろしいでしょうか?」
「お名前……?」
「はい。継承体は前世の記憶を持つのなら、名前も持っていたものと推測します。継承体とお呼びするのも味気ないです」
ああ、うん。確かに名前はあった。
けれども……その名前は、心臓が弱く、空が好きだったあの老人のものだ。
いまさら、それを名乗る気にはならない。
「いや、いいよ。僕は僕に新しい名前をつけることとしよう」
首を振り、モモの提案をやんわりと断る。
「僕は、どうして二度目の生を得たのか分からない。
どうして天が僕にこんな機会を施したのか……多分、その回答は永遠に得られないだろう。
けれども天が僕にこんな機会を与えたのなら、その恩は天ではなく、天下万民へとお返しするべきだ。
僕は『空』の『海』で生まれた。そして天に『恩』を『施』されたのだから、この世の為にその命を使おう。
……恩施じゃちょっと言葉の響きが悪いから『施恩』と名前をひっくり返して」
そうして僕は僕に名前をつけた。
「僕の名前は施恩=空海。
シオン=クーカイだ」