第七話『現状の彼ら』
帝国首都雲の隙間より光さす都から大陸鉄道に乗り、そこからヴァレン辺境伯領へと進む。
そして飛翔船に乗り換え、クーカイ男爵領へを目指すこととなる。
「クラウディア皇女殿下の側近のヴァレン辺境伯って、飛翔船を運用してんのよね。貴族にしちゃ珍しいけど」
水面を発着場とする飛翔船。乗り込もうと思うなら湖の上に渡された桟橋を歩く必要があった。
魔女だが貴族ではないクラリッサは、『空を飛ぶ事は貴族にのみ許された特権である』という意識はないに等しい。だから平民でも誰でも空を飛べる飛翔船に乗ることには、特に忌避感などはなかった。
驚いたのは別のことに対してである。
「はーい! こちらがクーカイ男爵領への便になります! 慌てないで、一列ずつの乗船をお願いします!!」
冒険者ギルトから渡されたチケットで乗船の手続きを済ませたクラリッサだったが……驚いたのは、同じようにクーカイ男爵領へと向かおうという人の数が、想像より遙かに多いことであった。
「……うわ、凄い人だかりっ……」
この人の数は、それだけクーカイ男爵領に望みを託しているという裏返しなのか。
感心しながら座席に座り、拘束具を嵌めて体を固定する。
幸い彼女の座席は窓側に面していて、風景を楽しめそうだ。魔女騎士として生身で空を飛ぶ事は何度も行ったが、今回のように誰かの操縦する飛翔船に乗って空を飛ぶのははじめての経験で、クラリッサは内心ワクワクと心を躍らせる。
「おう、姉ちゃん。あんたもクーカイ男爵領に行くのかい?」
すると隣の席に腰掛けた男性が……道中の無聊を慰めようとクラリッサに話しかけてくる。
「ええ。……ちょっと仕事の伝手がありまして」
「そいつは良かった。あっちは今どこもかしこも人手不足で有名だが、給料はしっかりと貰えるそうだ。頑張りなよ」
「はい。おじさんも仕事で?」
「ああ。俺は、向こうで使われている干し鰯っていう肥料の買い付けに向かうんだ」
ああ、とクラリッサは頷く。
冒険者ギルトで書類に必要事項を記載した後、彼女はそこでクーカイ男爵領の資料を貸してもらって読み込んできた。
……山間の盆地にある、奇跡の一大耕作地帯。開墾で田畑を広げれば三年間の無税が約束され、また租税それ自体も安い。その発展を支える新しい肥料である干し鰯。耕地面積は平地にある帝国側のほうが多いのだから干し鰯は足らず、仕入れれば仕入れただけ売れるのだと評判だ。
「今凄い発展を遂げているそうですね」
「ああ。帝国側の出身でも喰うに困る人はどんどんと招いている」
そう話を続けていると……不意に、鼻に突く異臭が船内へとなだれ込んでくる。
臭っ! と思わず悲鳴をあげかけたクラリッサは臭いのする方向に視線を向け……絶句した。
恐らくは過酷な扱いに耐えかねて逃げ出してきた農奴の類なのだろう。襤褸切れのように擦り切れた衣服と垢塗れの体。そして脂肪など一欠けらも無いあばらの浮いた体。そんな男女と幼い娘が一人。水浴びぐらいはしているのだろうけど……長年に渡る不衛生の悪臭はそう拭えるものではない。窓もなく、密封された船内では臭いが籠る。
「農奴かな……」
「おい、臭ぇぞ! つまみ出せよ!」
思わず呟いたクラリッサであったけど……乗客の一人の大声に思わず眉を顰める。
あんな格好で船の中に来たのだ。だいたい事情は分かる。恐らくは、暴政に耐えかねて逃げてきた農民なのだろう。貴族領の人々の暮らしとは、その領主の考えに影響される。国家の眼の届かないところでは領民を非道な扱いで締め付ける領主も多いと聞く。
幸いこの地方の主、ヴァレン辺境伯は温和な人柄で知られており、逃げてきた難民にも穏やかに対処する。
とはいえ……縁もゆかりもない人間を置いておく余裕もないのか、あるいは発展著しいクーカイ男爵領の噂を聞きつけて藁にもすがる思いでこの飛翔船に乗ったのか。
そんな困りきった人間に対する冷淡な台詞に、クラリッサはムッとした。
農奴の家族は……自分達が迷惑をかけていると自覚があるのだろう。怯えて縮こまりながらも、一家の父親がいう。
「お許しください旦那様方、元の地方の暮らしに耐え兼ねて逃げてきたんです……どうか」
「そんなら船室じゃなくて縄つけて外に縛り付ければいいんだよ!」
見てみぬふりの人間は多い。確かに悪臭は悪臭だ。長い時間をひどい臭いのまま船旅を行うのは嫌だ。
けれども、必死にここまで逃げてきたらしい農奴を見殺しにするのも心が痛む。
「うう……ああ~ん!!」
ましてや、恫喝ぎみの男の声で小さな女の子が泣き出したともなれば。
「そろそろ出発をします。皆様……」
「ちょっと待って」
乗員全員に拘束具をつけるように言おうとした船員に少し待ってくれるよう、クラリッサは手で制した。
そして農奴たちの元に近づくと、浄化の魔術をかける。野外活動中に魔獣等に襲われた場合、傷口の応急処置は生命に関わる事柄だ。そういう魔術の修練も抜かりはなかった。
きらきらと輝く光が農奴の家族を包み込むと……その悪臭の原因であった不浄が弱まり、臭いも和らぐ。
「あ、あの……ありがとうございます」
「良いんです。お仕事が見つかる事を願ってますよ」
クラリッサはそう言い、元の座席に戻った。
先ほど農奴の家族に怒鳴りつけていた男も……その理由である悪臭が和らいで舌鋒が鈍ったのか、以降は大声を出すこともなかった。
元の座席に戻ったクラリッサは……視線を窓の外に向ける。そんな彼女に、隣の席の男性が言った。
「なぁお嬢ちゃん」
「なんです~?」
「さっきのご家族がアンタに頭を下げてる」
「知りませ~ん」
気づいてはいる。窓が鏡の役割を果たして、自分に深々と頭を下げる家族が見えた。
けれども照れくさくて、クラリッサは、ぷーいとあさっての方向を向いたまま何も答えなかった。
美しい。
ゆっくりと飛翔船が降下を開始し、着水準備に入る中……クラリッサは一面広がる小麦畑の美しさに目を奪われていた。
収穫の時期を迎えた一面の小麦畑は美しい。まるで地面全体に黄金の粉をまいたかのような煌びやかな光景。風がそよぐたびに穂が揺れて、領土の豊かさを象徴するかのようだ。
豊かな領土だと聞いた。沢山の人が働いている場所と聞いた。それらを話半分に聞いていたけど……この膨大な収穫量を見れば、相当に豊かであることが分かった。この地なら僅かな食料を奪い合う人の争いも無いだろう。
「……さすが。話に聞くだけはあるわね」
船から降りたクラリッサは手元の地図を見つめながら街中を歩き始める。
道は足元がしっかりと舗装されている。相当の重量を載せた馬車でも陥没する事はあるまい。
町の中央を貫く大通りは広く、大きな馬車が横に8台ほど並んでもまだ余裕がありそうなほどだ。
道の両側では大勢の商人たちが威勢のいい掛け声を上げながら、魚やら野菜やら、沢山のものを売っている。
大通りを四頭の馬で引かせる運搬車には木材を載せて道の中を進んでいた。
「遠くからはノミと槌の音。どこかで建物建ててるのよね」
もちろん帝国首都である雲の隙間より光さす都のほうが住まう人の数は多いだろう。
だがあそこは建築されて三百年以上も経過した都。対し、このクーカイ男爵領は成立してまだ二年程度しか経過していないと聞く。
強いて言うなら、都市の活気、若さが違っていた。それに……と、気づいたことがある。
「そっか。貴族の馬車が少ないんだ」
納得したように呟く。彼ら商人や民衆の頭を押さえつける存在がいないことが、彼らの闊達とした雰囲気を作っているのだろう。
クラリッサはそう考えて……空腹で唸りを上げるお腹を抑える。
冒険者ギルトは近くに酒場や食事どころも一緒であることが多い。
そこに向かえば、そこで面接の予定を受けられるはず。同時に噂話も仕入れておきたいので、まずは腹ごしらえも兼ねて向かう事にした。
冒険者ギルト『傷跡』に向かい、扉を潜る。
中には十何名の男女が酒と魚をつまみに談笑をしている。店内の目に付くところには調度品なのか、壁に掛けられた盾があった。恐らくは一度実戦を掻い潜ったのか、盾には鋭い爪で付けられたと思わしき傷跡がある。この傷の深さ、ワイバーンにやられたものなのだろう。
この盾が『傷跡』という店の名の由来かと感心しながら周囲に視線を向ける。
冒険者の依頼が貼り付けられた掲示板、立食式のテーブルで酒をかっ食らう武装した冒険者と思しき男達。なにやら熱心に保険を勧める熟練者と新人。
さて、どこに話を持っていこうか……と思っていたら店員と思しき女性に声を掛けられた。
普通の町娘のような衣服。少し年嵩だが、体の内側から沸き上がる活気が彼女を十分に美しく引き立てていた。
「いらっしゃいっ! 冒険者ギルトは初めて?」
「あ、はい」
こくりと頷くクラリッサ。なるほど……冒険者らからぬ、汚れ一つない衣服、武装一つさえない自分を見れば一目で分かるだろう。
「あたいはキスカ。この冒険者ギルトの新米女将さね。よろしく」
「あ。クラリッサといいます。今回は、これを」
差し出される握手の手を握り返し、眼鏡のずれを直して……懐の中に大切にしまっておいた紹介状を手渡す。
バルロフ=オーフェスティンの印鑑が押された書類を受け取り、キスカ女将の視線はクラリッサと書類の双方を行ったり来たりを繰り返した。
「え? 魔女騎士? 本当に?」
「あくまで候補のままですけど」
「いやったぁぁぁ~!! レグルスッ! 来たよ、新人魔女さんだぁ~!」
そう言うと女将のキスカ女史は、カウンターの前で冒険者相手に説明をしていた、ギルトマスターのレグルスに大声で呼びかける。
同時に周囲の冒険者達からも『おおっ?!』と驚きの声が上がった。
『おい、聞いたか。とうとう軍属の魔女騎士じゃなく、新人の魔女騎士がやってきたぞ?』
『素晴らしい! 飲もう!』
『これで少しは支援が多くなるといいな』
『魔女騎士さんたちも、もうちょっと休みが増えるといいんだが』
どの声も、クラリッサの到来を喜んでいる事が伺える。
しかしなぜ? 彼らは魔女騎士である自分の存在を、こうまで喜んでいるのだろうか。
「不思議そうにしてるねぇ。クラリッサちゃん」
「え、ええ」
「ま、地上を這い回って戦うあたいら冒険者からすれば、あんたたち魔女騎士は、まさに守護天使なのさ」
「しゅ、守護天使?」
そんな大層なものにたとえられても困るのだけど、クラリッサは目を白黒させながら、女将の勧められるまま椅子に腰を下ろした。
二月……二月になったら仕事やめるの。
更新遅くてすみません。




