09
■
昨日写し取った魔術式を研究机の上に置き、一つ息を吐く。
アリシアは昨日頼んだとおりラウラに預けてある。あれだけぶつくさ言ってもちゃんと来るあたり、人間ができていて非常に助かった。あっちの方はすべてラウラに一任しているのでどんな訓練をしているのかすら掴めていないが、最悪死ぬ、なんてことはないだろう。
そして、こちらもこちらで進めないといけないのだが、何分手がかりもないもので、既に最初から行き詰ってしまっている。机の上に魔術式を広げながら、俺は頭を抱えていた。
そもそも、人間に魔術式が刻まれている、という前例が少なすぎるのだ。俺も開発した身とはいえ、あれはほとんど偶然の産物。おそらく今から同じものを作ろうとしても、ちゃんとしたものができる可能性は少ないだろう。
過去の記録を遡ってみても、それといった結果は得られない。もともと禁術と言いうだけあって情報があまり外に出てこないというのもあり、下手に調べたら学会に目をつけられる。悲しいことに、こちらには前科があるのだ。
「問題は、これと同時に刻まれたこと、か」
その前科であるアリシアの瞳が刻まれた紙を手に取ってひとりごち、思考にふける。もう一度視線を机の上に向けるが、手がかりは得られず、ただただ時間が過ぎてゆくばかり。
彼女の身体から写し取った魔術式は、五つ。
そのうち一つはアリシアの瞳、もう一つはおそらく六属性を付与させるもの。そう考ても、最低三つは未知の魔術式が刻まれていることになる。
一つの人間の身体に五つも魔術式を刻むなど、研究者目から見ても、ふざけているとしか思えない。下手したら人間の身体の方壊れてしまうというのに、これを刻んだ奴はそれを成し遂げている。ある意味での馬鹿だ。
ならばその馬鹿が刻むような魔術式は、何か。
「分かるわけないだろ」
少なくとも俺はそっち方面の馬鹿ではない。多少の実例はあるがそれも常識の範疇で起こった出来事で、作りたくて作ったわけでもない。だんだんと自信が無くなってくるが、大方俺はそういう変態ではない。
やはり研究者目からして彼女は異常だ。そこにいるだけで、普通の研究者ならば目の前の事実を受け入れられず、発狂するくらいには危険な存在。
ふと、考える。
もし俺が、魔導士としてアリシアに魔術式を刻むとしたら?
記憶眼持ちで、六属性の適正を持つ人物に、何らかの魔術式を刻むなら、何か。
刻まれた魔術式からして明らかに魔導士寄りの構成になるだろう。
六属性の適正を持つのなら、まずは魔力量を増やし、魔力の質も上げられれば上げる。操作も練習させて慣れさせ、場に応じた使い分けもできるようにさせておく。
魔導士として最も必要なものは最高のものが用意されているのだ。あとは、それに見合うように他のものを引き上げれば……。
「そういう事、なのか?」
アリシアは魔導士に向いているのではなく、魔導士になるための人間ということ。 そうと決まれば、残りの魔術式も漠然とだが見えてくる。おそらく一つは魔力の質を無理やり上げるもので、もう二つも魔導士寄りの魔術式だろう。予想するところでは魔力量の底上げや魔力操作をしやすくするものか。
しかしこれだけの整えた人間を奴隷として売り払うとは、少々考えにくい。何らかの事件に巻き込まれ、身元をはぐらかすために売り払われたか。あるいは元々の持ち主から逃げ出したか、もともと奴隷の人間に刻んだ可能性も振り払えない。
それか、ただの失敗作として売り払われたか。いずれにせよ、それも明らかにする必要が出てきた。
「クソ……面倒ごとを押し付けやがって……」
今すぐアリシアに魔術式を刻んだ奴を殴り飛ばしたい。できれば本当に死んでほしいが、それでは恨みを晴らせない。死よりも苦しい生を与えなければ満足しない。
頭にくる苛立ちをなんとか抑えながら、俺は魔術式の解読に取り掛かった。
■
「クレア」
ここの変換公式はクレースの第六理論か。それとも、フィルレの原理を応用したものか……この二つはどうにも似ているから、見分けを付けるのが面倒だな。
もしかすると、レッテンによる併合論理も混じっているのか。そのせいでリースハーヴの顕現解法も歪んでしまっている。先にこっちを明らかにする必要もあるな。
「……クレア」
結局のところレッテンの論理を先に片付けねばならない……待て、これ、同時にクレースの第二理論も抱合しているのか。 つまり第二理論を解くにはクレース基本理論を並行して解かなければいけなくて、その上で共通点を照合し、解法を改めて……
「クレア!」
アリシアに後ろから抱きつかれ、はたと我に返る。
後ろを振り返ると、じとっとした視線を向けるラウラの姿があった。
「あの、いつまでやってるんですか?」
「昼まで、と言ったはずだが」
「もうとっくに過ぎてますよ」
ラウラの言葉に慌てて机の上の時計に目をやると、すでにその針は正午をとっくに過ぎている。どうやらかなり魔術式の解読に集中していたらしい。背中に引っ付いたままのアリシアをどけて、机の上の魔術式を片付ける。
「飯は?」
「適当に食べさせました」
「そうか」
机の上に栄養剤を置いておいたから、それでも食べたのだろう。
「アリシア、今日は何をした?」
「ラウラさんと手合わせ」
「そうか、どうだった?」
「一回しか取れなかった……」
しゅん、と肩を落とすアリシアに、俺は少し疑問を抱いた。
「ラウラ、調子が悪いみたいだが」
「いや、そういう訳じゃないですけど」
それならば、指折りの冒険者であるラウラから一本取れるなど、中々ないはずだが。
「なんか、動きが全部読まれるんですよね。記憶力がいいというか、私の癖がぜんぶ手に取られている、というか」
確かにラウラの戦闘スタイルは大剣を振り回すだけのものだが、それは問題ではない。
今のアリシアは戦闘を知らないただの奴隷。どれほど相性のいい武器を使っても、運がよくても、ラウラに一矢報いることはできないだろう。それほどにラウラは強いのだ。だから今回の事を頼んだのだが。
考えられるのは、記憶眼によるラウラの動きの記憶。それとも。
「アリシア」
「ん?」
「ラウラは剣を右に振るとき、少し左手を引いていたか」
「うん」
「ええ……?」
即答する当たり、アリシアもそこがラウラの弱みだと分かっているらしかった。
やはり、記憶眼だけではない。アリシアは卓越した理解力を持っている。先日渡した本をすぐに読み終わってしまったのも、わずか数日で俺が助手と呼べるようになったのも、そのせいだろう。
これも魔術式による影響か、それともアリシア独自の能力かは知らないが、少なくとも普通ではないことは確かだ。それに弱みを握ったとしてラウラから一本取れるということも含めて普通ではない。
これからまだ伸びしろがあると思うと、期待を通り越して恐怖すら感じる。ここからどこまで伸ばすことができるだろうか。それを考えただけで、どうしてか自然と笑みが浮かぶ。どうやら、俺も魔導士ではあるらしい。
「なんか、腑に落ちない……」
「大丈夫だ。こいつが異常なだけで、お前は十分強い」
ほぼ初対面の人間に自分の剣を見抜かれるのは、堪えるものがあるだろう。いくらか励ましの言葉を投げかけても、ラウラはむすっとした顔のままだった。
「じゃあ、もう休憩が終わったみたいだし、このままいくか」
「えっ」
いい加減じゃれついて来ようとするアリシアを抱え、机の引き出しからあらかじめ準備しておいた魔術式をいくつか取り出す。片手では足りないのでラウラに追加分を持ってくるように指示し、俺は地上へと続く階段へと足を踏み出した。
■
土の魔術式か刻まれた鉄の棒を握り、魔力を流す。簡単に頭の中で式を組み立て、投影を始めると、俺とアリシアが立っている少し遠くで土が隆起し始め、ずんぐりとした人の形を成していく。一通り形を整え、ゴーレムにその場に待機するように指示をしてから俺はアリシアに向き直った。
「じゃ、始めるか」
「よろしくおねがいします!」
明るく元気な声を上げるアリシアとは反対に、俺の気分は落ち込んでいた。
魔法の特訓、などと銘打っても、実際は魔術式を片っ端から試していく程度。特に初めての今回は、土魔法で作ったゴーレムを的にして、それに狙いを定めて魔術式を起動させる、といった簡単なものだった。
魔法には、主となる四つの属性それぞれに二つの概念がある。
例として土魔法には「顕現」と「生命」の概念があり、今しがた生成したゴーレムなんかは顕現の概念に属する。逆に「生命」は全ての命を生み出す大地を表しており、これは主に守備的な解釈で取られている。
概念は「顕現」と「生命」の他にも「動的」と「静的」という概念が存在し、この四つのうちそれぞれ二つが、四属性の一つの属性に割り振られている。こうして二つの概念を持つ属性を一般的に第一属性と呼ぶ。
「アレにこの魔術式を当ててみろ。あまり考えなくていい」
「わかった」
アリシアに火の魔術式持たせ、基本の魔力を診るために指示。
火魔法には土魔法と同じ「顕現」と風魔法と同じ「動的」な概念があり、顕現は土と同じくその事象を発生させること、動的には燃え盛る炎や揺らめく炎なんかを表したりしている。
今持たせた魔術式は顕現の概念であり、アリシアが魔力を流すと、彼女の周囲に手のひらほどの火球がいくつか浮かび上がる。魔術式を使うことは問題ないらしく、助手をやらせている点から投影までは難なくこなせていた。
初めて使う魔術式で、複数のものを投影できるというのは聞いたことがないが。
「それっ」
なんとも軽い掛け声と同時に、火球が同時に放たれる。複雑な軌道を描いて、ゴーレムに吸い込まれるように飛んで行った火球は、直撃と共にいくつもの爆発を起こした。黒い煙がゴーレムを包みこんだかと思うと、その中から土のかけらがいくつも崩れ落ちる。
……。
「アレを倒せたら、もう教えることがあまりなくなるのだが」
「えっ?」
投影も早ければ、威力や命中精度も十分ときた。おそらく魔術式による底上げがあるにしても、アリシアの魔力はよほど質が高く、扱いやすいらしい。目的が目的でなければ、魔力を少し拝借して調べたいものだが。
もう一度ゴーレムを顕現させ、今度は別の魔術式を渡す。
「鉄の魔法だ。一回使ってみろ」
俺の説明を聞くことなくアリシアは首を縦に振り、魔術式を受け取って魔力を流す。そうしてしばらく経ったのち、ゴーレムの真下の地面から巨大な鉄の刃が顕現し、ゴーレムの身体を二つに隔てた。
確か、その魔術式は、そんな使い方をするようなものではなかったはずだが。
「できたよ?」
事も無げに、アリシアはそう呟いた。
「お前、俺がそれをどんなものか、どう使うとかも言ってないよな」
「うん」
「じゃあどうして、あんなみたいに使える」
同じ概念を持つ属性は、合成することができる。
例えば土属性と火属性は同じ「顕現」の概念を持っており、それらを複合したものが「顕現」の概念しか持たない鉄魔法である。このように第一属性とは違い、概念を一つしか持たない属性は、第二属性と呼ばれた。ちなみにここまで話に出ていない光魔法と闇魔法はそのどちらにも属さない、第三属性と呼ばれている。
第二属性は有する概念が一つしかない代わりに、他のどれよりもその概念に特化している。今しがた顕現した鉄の刃も、鉄属性が持っている「顕現」の概念によって生み出されたもの。よって、鉄魔法は主に物質の生成や変換なんかを得意としているのだが、それをこうして攻撃的なものに転換するのには多少の慣れがいるのだ。
「うーん、なんとなく?」
名だたる魔導士が幾年もの時間をかけて成し遂げたこの事象を、彼女は、なんとなく、という惰性で片付けてしまった。
「本当はこんな風に、瞬時に武器を作るものなんだが」
そう言ってアリシアと同じ魔術式を握りながら魔力を流すと、透明な型に水を流すように銀色の流れが形をつくり、手の内に腰ほどの長さを持つ鉄の長剣を顕現させた。普通はこうして指定の場所に、思い描いた形で鉄を生成させるものだ。
「こう?」
俺の一連の流れを見たアリシアが魔力を込めると、また同じようにして鉄の長剣がアリシアの手の内に顕現する。その長剣も俺が作り出したものと瓜二つであり、彼女の身には少しありあまるほど。
長剣を地面に突き刺し、魔力を流す。鉄の剣は霧散するようにその輪郭をおぼろげなものへと変えてゆき、煙の用に消えてゆく。アリシアのほうに目をやると、まったく同じ剣が、まったく同じように消えていた。
何というか、ここまで来ると、ちょっと来るものがある。
「お前は何なんだ……」
「クレアの奴隷!」
魔術式を受け取りながら嘆くように聞いてみると、彼女は屈託のない晴れやかな笑顔で答えた。
なら奴隷ごときに魔術の理解も成長速度も負けている俺はなんなのか。一介の魔導士としては憤りを通り越して、涙を流したくなってくる。
「でも、私はこれあんまり使えないかも」
手のひらに剣を生成したり、霧散させたりを繰り返しているアリシアが、ぼそっと呟いた。
確かに彼女は近接戦闘と言うよりは、その魔法を存分に使って後衛に回る方が上手く動けるだろう。そもそも俺が鉄魔法くらいしか使えないから渡しただけで、アリシアにはもっと体に合う魔法があるはず。しばらくは魔術式を片っ端から試して、アリシアの扱いやすい魔法を探すことになりそうだ。
と、ふとアリシアの手に握られた鉄の剣を見る。
「お前、こ、これ、どうやって」
震えた指で、鉄の剣を示す。もう片方の手には、確かにアリシアから受け取った鉄の魔術式があった。
「どうやって、って、本に書いてあったよ?」
そう言われ、はたと思い出す。初日に渡したあの教本だ。確かにアレには魔術式を使わない場合の魔法の使い方がほのめかす程度に書いてあったが、まさかそれだけで実行し、それを成功させたというのか。
魔術式を使用しない魔法の使い方は、体内で魔術式の形に魔力を流し、それをそのまま投影させるといったもの。先日も示した通り魔術式は魔力の通り道というもので、魔術式を介さなくてもそのとおりに魔力を流せば魔法は顕現するが、それにはかなり繊細な魔力操作と、魔術式を細部まで記憶する必要がある。
それを彼女はまた、いつも通り、といった調子でやってのけた。
「普通はできない」
「そうなの? でも私は、普通じゃ……」
そこでアリシアの言葉が途切れ、体の軸がふらりと揺れる。咄嗟に腕を出すと、彼女は俺の腕の中に倒れこんでしまった。細い体を受け止めてアリシアの顔を見ると、その顔色はいつもより悪い。
魔力の使用限界による、過剰な疲労。アリシアの魔力は質が高く、操作はしやすいとはいえ、その量は普通よりも少ない。魔術式を二つばかり使っただけで倒れるというのは想定外だったが。
「あ、あれ? ごめん、なんか体が」
「気にするな。誰でもなるものだ」
ばつが悪いようにに眉を顰めるアリシアに、優しく声をかける。魔力の過剰使用による疲労の回復には、十分に休む以外にいいものはない。専用の薬剤でも使えば話は別なのだろうが、そんな都合のいいものは一回の研究所に置いていない。
「魔術式を使わずに魔法を使えるのが分かっただけで十分だ」
「でも、全然出来なかったよ?」
「問題ない。魔法を教える過程でお前の体が壊れてしまっては、話にならん」
それに、今日はそこまで深いところをやる予定などなかったのだ。ラウラとのこともあるし、適正どおりに魔法を使えればよかったのだが……そう考えると、それすらも達成できていない気がするが、仕方のないものは仕方ない。
「いきなりこんなことになって、すまなかったな」
そうやって口から出てきた労いの言葉に、アリシアが目を細める。
「大丈夫。私はクレアの奴隷だから。クレアの言う事なら、何でもするから」
「そんな体では、何もできないと思うが」
「でも、何でもするのは本当だよ」
「……いい加減、その言い方はやめないか。誤解を招く」
「誤解と言うよりは、本心がいいな」
「どういうことだ」
「そのままだよ?」
そう、力なくアリシアが笑う。まあこれだけ冗談が言えれば、心配することはないだろう
彼女の華奢な体を抱きかかえ、研究所へと戻る。そのまま寝室のベッドにアリシアを寝かせ、布団をかぶせてやると、よほど堪えていたのか、少しの時間が経っただけですうすうと寝息を立てはじめた。
今日のすべき事は終わった。だが、日はまだだいぶ高く、夕食を作るのにはまだ早い。とりあえず時間を潰すことに決めた俺は、ベッドの隣に手頃なイスと本を持ってきて、アリシアのそばにいてやることにした。
■