05
■
「始めるか……」
そう呟いて、研究机の上に視線を落とす。
今日からしばらくの間、アリシアという助手がついてくれる。もともと一人でする仕事だったのだ。単純に作業量が二倍になるだけで、研究の成果が大きく向上する。彼女は多少知識不足かもしれないが、主な作業は俺が担当するので、魔導具や書物を持ってきてくれるだけでもありがたい。
本日の研究は、昨日と同じ魔法適正の変換公式について。まだまだ実験は足りないが、前には進めている。その道が正しいとは限らないが、今の俺にはそれしかできない。
と。
「……じー……」
後ろで待っていろ、と指示しておいたアリシアが、じっと研究机の上を見ていることに気づく。
その視線の先には、俺が書いた魔術式がぼんやりと光っていた。
「……書いてみるか?」
「いいの!?」
途端に、アリシアが目を輝かせた。正直、この頃研究続きで退屈していたのだ。息抜きにちょうどいい。
「魔力があればできる。幸い、少量の魔力ならあるようだしな」
「おぉ……!」
微かな量ではあるが、アリシアには魔力が宿っている。
そもそも魔力は人間なら誰しも持っているもので、その量も生まれた時のままではなく、努力次第で増やすこともできる。もっとも、アリシアの場合は生まれたときから少ないらしく、また魔力を増やすような訓練も行っていないので、本当に少量ではあるが。
机の上に置かれている魔術式をどかして、新しく書くために一回り小さな板を用意する。
「まずは魔力に慣れないといけない」
そう告げて、アリシアの体を寄せる。
「わわっ」
「魔力の込め方は朝説明したから、今度は流し方だ」
アリシアの頭に手を置き、魔力を手のひらに集中させる。手のひらに、じんわりと痺れるような感覚。この感覚もいつぶりだろうか。最近はめっきり教えることをしなくなったので忘れてしまった。
「一度、自分に流れてる魔力を認識しないとな」
魔力を込めるのと魔力を流すのでは、意味が大きく違ってくる。
魔力を込める場合は、ただ単純に魔力をそのまま入れればいいだけ。操作や手順もあまり必要なく、魔術式を発動する際にもこちらの方法がとられる。コツさえつかめば簡単にできることで、アリシアでもウェーブナイフの使い方を教える過程でできるようになった。
だが、問題は魔力を流す場合。これには少しの慣れと才能が必要で、そのために自分の中にある魔力の流れを理解しなければならない。これを教えるとき、多くの場合は他人の魔力を流し、それに沿わせることで自分の魔力の流れを理解させるのだ。
ただこの方法、問題が一つある。
「ちょっと痛いぞ」
「えっ」
振り返ろうとするアリシアを無視して、魔力を流す。
「あっ、痛っ!?」
一度彼女の体がびくんと跳ね、そのまま俺の体にもたれかかるようにしてバランスを崩した。先に言ってからだと妙に緊張するかと思い勢いで流したのだが、どうも驚かせてしまったらしい。
自らの魔力と他人の魔力は相反する。他人の体に自らのものを入れるのと同意義なのだ。痛みがあって当然だろう。だから、痛みを伴うのは他人の魔力が流れている証拠だ。
「どうだ? 分かるか?」
「……もう一回、いい? ちょっと分かんなかった」
「構わんが」
頭に手を置いたままアリシアに訊いてみると、彼女はどうしてか顔を少しだけ赤らめてそう答えた。
言われた通りもう一度、同じようにして魔力を流してやる。
「んうっ、いっ、た……」
先ほどと同じような痛みが走り、アリシアが嬌声にも似たような声を上げる。
「も、もう一回」
三度要求するアリシアに、同じようにして魔力を流す。
「あっ、あぁっ、好き……!」
「ふざけんなよお前」
「ひゃん!」
思わず魔力を込めた手とは反対の手で、アリシアの頭を叩いた。この様子だと既に一回目の時点で魔力の流れは理解しているだろう。
「く、クレアのけち……」
「そういう問題ではないだろうが」
魔力の流れで感じた痛みからか、じんわりと涙を浮かべるアリシア。
「とにかく、魔力の流れは理解したようだから……次は実際に書いてみるか」
「これだけで書けるの?」
「大体は俺が導いてやるから、お前はそれをなぞればいい」
そう答え、アリシアの小さな手に自らの手を重ねる。そのまま研究机の上に置かれた板の上に手を動かし、真ん中のあたりで止める。
「魔力の流し方は込め方のそれとあまり変わらない。問題は、その魔力に方向性を加えられるかどうかだ」
「方向性……?」
「見てろ」
アリシアの手を握りながら、ゆっくりと板の上に魔力を流していく。板の上には青い線が刻まれていき、それがいくつもの図形を成して、魔術式を完成させた。
「魔力を流す上で考えるのは、魔力をどの方向に、どれくらい込めるかを決めることだ。何と言えばいいか……そうだな、紙一面を塗るとき、何も考えずに塗るか、ちゃんと順序立てて端から端まで塗っていくか……そんなところだ」
「ん? どういう……?」
「……すまん、忘れてくれ」
魔力の込め方と魔力の流し方は独特なものだ。それを例えること自体が間違っていた。
一通り魔術式を書き終えた後、アリシアの手を放す。
「道筋は引いたから、それに沿うようにやってみな。失敗してもいい」
「や、やってみるね」
そう意気込んで、アリシアが机に向かう。手が魔力の流し方をちゃんと覚えているのでそう難しくはないはずだ。その感覚を頼りに、腕を慎重に動かせばいいだけ。なんてことはない、コツさえつかめば簡単なことだ。
いくらか時間が経った後、アリシアが魔術式を完成させた。
「終わったよ」
「ほぉ」
アリシアの頭上から、魔術式を覗く。
いくつか魔力の流れが歪なところはあるが、全体的には問題なく纏まっている。本当はもっとゆがんでいたり、魔力の流れが均等じゃないと思っていたが、予想外の出来に俺は感心した。
「じゃ、魔力を込めてみるか」
「うん」
魔術式の上に手をかざして、アリシアが目を閉じる。
次の瞬間、眩しいほどの閃光があたりを包み込んだ。
「うぉ」
「きゃっ!?」
思わず目を伏せる。アリシアもそうしたのか、魔力の供給が途絶え、閃光は少しの間だけ続いた後、だんだん力が抜けるようにして消えていった。
「し……失敗した?」
「違うな」
今アリシアに教えたのは、魔力を込めると光を放つ、主に照明などに使われる光属性の魔術式だ。
魔術式は間違っていなかった。多少歪んでいるとは言ったものの、それだけでこんなに光を放つことはない。となると考えられるのは、魔術式が効果を最大限に発揮したこと。
ふと、孤独の森でのことを思い出す。あの時アリシアの魔力の質が高く、ウェーブナイフは普段よりも精密に探知して見せた。
「お前、もしかしたらかなりいい線行ってるかもな」
「……ほんと?」
アリシアがじとっとした目でこちらを見てくる。
「世辞じゃないさ。お前の魔力の質が高いって言ってるんだ」
あの魔術式であれだけの光を出せるのなら、かなり高質な魔力を持っていることになる。下手すれば、おとぎ話や伝説に謳われるような魔導士レベルのものになりそうだが。
俺とて研究員をしているが、これでも魔導士のはしくれ。気まぐれでアリシアに提案してみたが、いくらか興味が湧いてきた。
「お前に魔術の道を進ませるのもいいかもな」
「いやいや、そんな……」
「なんだ? 主人の命令が聞けないのか?」
アリシアの魔力を見せつけられて、俺は少し機嫌がよかったのかもしれない。腕を組んで少し笑ってやると、アリシアはどう返していいのかわからず、押し黙っている様子だった。
「まあいいさ。今はきびきび働いてもらうからな」
「うん、分かった!」
ぱぁ、と明るい笑みを浮かべたアリシアと共に、俺は研究を進めることにした。
■
研究を進めると言っても、実際はその場で足踏みをすることが多い。これが正しい、と思って進めた実験も実は基盤のところから間違っていたり、逆にあと少しのところで何かが足りなかったりする。
今日の実験も一言で纏めてしまえば「そんなところ」で、一区切りついたころには既に五時間以上が過ぎているころだった。
「つ、疲れた……」
もう終わりだ、と告げてやると、アリシアはその場にへたり込んでしまった。
実際は本や材料を取って貰ったりしているだけなのだが、どうも彼女には堪えたらしい。
「初日にしてはいい働きだ。今後ともよろしく頼むぞ」
「うん、頑張るねー……」
倒れこんだままのアリシアに手を差し伸べてやる。やわらかい手が触れて、同時に腕が弱く引っ張られる感覚。予想外に軽い感覚に、思わず俺がバランスを崩しそうになった。
「クレアはいつもこんなにやってるの?」
彼女の疑問に、うなずいて返す。
「こうでもしないと、終わる気がしないからな。後は……他にやることがないから、というのもある」
「じゃあ休憩とかもしないの?」
「する時はするさ。まあ必要な時以外はしないが」
「必要な時って?」
「必要な時は……疲れた時だろう」
「疲れた時、かぁ」
どうも、そんな時は稀にしかないみたいだが。
俺の体は、どうも疲れをあまり感じない体らしい。だから常に研究に時間を費やして、時たま起こる疲れには寝て対応しているのだが……どうも、アリシアはそれに疑問を抱いたらしい。
「頑張り屋さんなんだね、クレアは」
「……まあ、頑張らないとやってけないからな」
「じゃあ頑張り屋さんなクレアはよしよししてあげる!」
「どういうことだ……」
彼女の口から放たれた言葉に、思わず頭を抱える。
「ほら、よしよししてあげるから頭下げて?」
「されない」
「なんで?」
「こっちのセリフだ」
どうも会話のペースが掴まれている気がする。そもそも奴隷だろうこいつは。何か間違いがあったとしても、よしよしなんてするのは俺の方じゃないのか? むしろ俺がしてやりたいのだが。
ダメだ、俺の方も疲れているみたいだ。主に研究ではなく、彼女の方で。
「ほら、よしよし」
いつの間にか、彼女は適当なイスを持ってきて、座っている俺の頭を勝手に撫でていた。
短く切られた黒髪を通して、彼女の柔らかい手の感触が伝わってくる。冬だというのに、とても暖かい手。思えばこういった風に頭を撫でられるのは初めてだ。慣れない感触に戸惑いながらも、俺はアリシアの方に目をやった。
「ん? どうしたの?」
「お前は何というか……」
奴隷ではないよな、と言おうとしたところで、やめた。
それを言って何になる? 奴隷らしくないと言って彼女にかしこまった態度を取らせても、あまり意味がないように思える。俺は別の奴隷が欲しいわけじゃないし、彼女もこれが自然体ならそうさせるべきだ。
ふと彼女の首輪に目が行く。どういった経緯で嵌められたのかは知らないが、おそらく彼女が望んだことでないのは事実だろう。趣味だとは言ったが、どうも俺はそうではないように思うのだ
もしかしたら、彼女は首輪を外したいのかもしれない。そんな自分勝手なことを、俺はアリシアに頭を撫でられながら考えていた。
「なんでもない、続けてくれ」
「いいの!? じゃあもっとよしよししてあげるね!」
「間違えた……………………」
撫でられる感覚が存外心地よかったとはいえ、いくらなんでも続けてくれはないと思う。
何故か気分の高揚したアリシアに頭を撫でられながら、俺は今日の夕飯は何にするかな、などと考えるのであった。
■