第1話 「堕天使ルシファー」
「……ん……」
目を覚ました俺はぼんやりとした視界で天井を見る。
白一色の天井。間違いなく俺の家だ。
少し俺の家族の話をしよう。
俺の両親はもう何年も前に亡くなっている。死因は自動車の追突による事故死。
残された俺は施設で暮らした後に親戚である叔母の家に引き取られたが、去年高校に進学すると同時にこのアパートで一人暮らしを始めた。
もう1年もこの家に住んでいるので天井など見慣れている。ハッキリしない視界でも自分の家の天井だと認識するのは容易だった。
「俺寝てたのか……?」
そうだ、さっきまでの出来事は夢だ。夢に違いない、頭の中でそう結論付けた。
というよりそう信じたかったんだ。藤導に殺されるなんて夢じゃなきゃ受け入れることなんてできっこない。
ようやく焦点が定まってきた俺の視界は今いる場所が自分の家だと結論付けた。
もうこのまま二度寝しようと決め再び眠りにつこうとした矢先のことだった。すぐそこからバリボリというやけに聞き覚えのある音がする。一体何の音だ。この家には俺しかいないはずだ。
音の正体を探るため俺は起き上がりベッドの左側にあるテーブルの方を向いた。
「ん? おお、起きたか!」
「……え?」
そこにいたのはポテチを食べながら俺に話しかける少女だった。髪は短めの紫、黒い服を身に着けている。
しかしこの子には普通の人とは決定的に違う点があった。なんと頭に2本の角が生えているのだ。
「うわあああああああ!!」
思わず大声を上げて驚いてしまった。
何者かも分からない、幼さすら感じさせる角の生えた少女が俺の家でポテチを食っている。
何なんだこれは!?
「失礼な奴じゃのう、人の顔を見てそんなに驚くなど」
「おおおおお前! な、なに何者だ! な、何で俺の家にいる!」
俺はもうパニック状態だ。なんせご覧の通りの状況だからな。
だが少女は冷静に話し続ける。
「そうか、覚えとらんのか。まあ無理もないじゃろ、あの時のお前は死にかけじゃったからのう」
「あ、あの時……? ま、まさか……!」
そんな馬鹿な。まさかあの夢は現実だったというのか? 俺は藤導に殺されたっていうのか? いや、今生きてるから“殺されかけた”って方が正しいか。
だが俺の胸には傷はない。痛みもない。何がどうなってる?
「思い出せんか? 今日のサバトでお前は私と契約したのじゃ」
「サバト……だと……」
こいつの声はどこかで聞いたことがあると思っていたが今思い出した。
夢だと思っていた今日の放課後、意識を失う前に確かに藤導ではないもう1人の人物が言っていたはずだ。
『早くサバトを済ませないとこの小僧死んじまうぞ』
あの声の主がこいつということか。
「お前は一体……?」
正直聞きたいことは山ほどあるがとりあえず今一番の疑問を恐る恐る聞いてみた。当然のように俺の家でくつろいでいるが俺はこいつが誰なのか知らないのだ。
「おっと、自己紹介がまだじゃったのう、すまんすまん」
少女はハハハと笑った後、軽い息継ぎをし語りだす。
「私は堕天使ルシファー、お前の契約悪魔じゃ!!」
「契約悪魔……?」
確かに藤導は言っていた。悪魔と契約して魔法使いになってほしいと。
ということは俺本当に悪魔と契約して――――ん?
「って堕天使!? 悪魔じゃないのか!?」
悪魔と名乗っているのに堕天使? わけが分からん。
「なんだ知らんのか。堕天使と悪魔は同一の存在じゃぞ。人間にも様々な人種があるようにな。まあその辺はあまり気にせんでもよい」
「結構適当なんだな……」
その時、ガチャリと音を立て俺の家のドアが急に開いた。
音に反応してドアを見るとそこには先ほど俺を殺そうとした張本人、藤導切歌がいた。
「起きたのね櫻津君」
「藤導……!」
つい身構えてしまうがそれも仕方ないだろう。あんな目に遭わさたのだから。
「……何しに来た!」
恐怖心からか、つい声を大きくしてしまう。
だが藤導は冷静さを失うことなく言った。
「買い物に行ってたの。ほらルシファー、プリンよ」
「おお! 待ちくたびれたぞ!」
ルシファーはすかさずプリンを食べ始める。
こいつは堕天使というより子供に思えるな。
ルシファーにプリンを渡した後、藤導は俺の方を向く。
より強く身構える俺に藤導が言った。
「櫻津君安心して、私はもうあなたに何もしないわ」
すると腰から今まで見えなかった刀を取出し床に置いた。どうやら攻撃する気はないようだ。
「私のことはある程度説明しておいた。後の説明はお前に任せるぞ」
ルシファーがそう言うと藤導は小さく頷いた。
気が付くとルシファーはもうプリンを食べ終えており、2つ目に手を出している。
「……こんなやり方して……ごめんなさい……」
正座をした状態で俺に謝罪する。
この目は見覚えがある。あの時、俺を刀で切る前に見せた悲しい目だ。
「まあ……まずは事情を聞こうか……」
あんなことがあったにも関わらず未だに俺は藤導のことが好きなのだろうか。
悲しい目をする藤導を見るのが何故か辛かった。
自分で言うのもあれだが超お人好しだな俺。
「今日も話したけど、あなたはサバトによって魔法使いになったの。左胸を見て」
襟から服の中を除くと左胸には小さい魔法陣が書かれていた。
「なんだこれ……?」
「それはあなたが魔法使いである証拠よ」
冷静さを保ちながら藤導は話を続ける。
「つまり俺は魔法が使えるってことか?」
「ええ。でも何時でも使えるというわけではないの。それも含めて魔法使いについて説明するわ」
藤導が説明してくれた内容はこういうものだった。
1魔法使いには先天的なタイプと後天的なタイプがおり、生まれながらの魔法使いである藤導は前者にあたり悪魔と契約し魔法使いになった俺は後者にあたる。
2後天的な魔法使いは契約悪魔が武器の姿にならない限り魔法を使うことはできない。
3魔法は4つのクラスに分かれている。下級、中級、上級、特級の4クラスだ。
4特級魔法はその者特有の魔法であり他の魔法使いには使えない。ただし完全に使いこなすには通常数年を要する。
5悪魔との契約を解除する方法は魔法使いか悪魔のどちらかの死のみである。
6人間と悪魔の契約の儀式をサバトと呼ぶ。
「魔法使いの具体的な説明は以上よ」
う~ん、ぶっちゃけ覚えるのは大変そうだ。
「それと一番気になっているでしょうけど、何故櫻津君を魔法使いにしたのか説明させてくれるかしら?」
「ああ、俺も聞きたい」
そりゃ気になるさ。俺は何の特技も取り柄もない、普通の一般的な高校生だ。そんな俺を選んだ理由、これを聞かなきゃ納得しないさ。
「人はみんな魔法を使う力“魔力”を持っているの。けどほとんどの人間はほんの1~2%、高くても5%くらいしか魔力を持っていない。けど櫻津君、あなたの魔力はこの数カ月で急激に増加したのよ」
「ど、どのくらい増えたんだ……?」
気が付けば藤導の話に完全に聞き入っていた。俺にそんな力があったなんて思いもしなかったからな。
藤導は話し続ける。
「今までは魔法使いや悪魔から見向きもされないくらいだったのが今は80%という数値が出ているわ。理由はまだ解明されてないけれど何百年に一人かはこういう人間がでてくるようなの」
「80%!?」
信じられん。何もないと思っていた俺に魔法の才能があったとは。
そう考えるとなんか嬉しくなってきたな。
「そこであなたを悪の魔法使いや悪魔から守るように魔法省は私に命じたのよ」
「魔法省?」
「悪魔や魔法使いを管理する機関じゃ。切歌は2年前からそこでエージェントをしておる」
ルシファーが言うには藤導は魔法省の命令で俺の学校に転校してきたということらしい。目的は俺を守るため、そして俺の監視だと。
「そして先日、魔法省からもう1つの命令が来たの。その内容は“あなたを魔法使いにしろ”というものだった」
「そうか……」
「あなたにお願いするわ。魔法省のエージェントとして、魔法省に協力してほしいの」
「俺が……エージェント……?」
どうすればいいんだ俺は。こんなことすぐに決められるわけない。
決めあぐねていた俺だが、藤導が口を開いた。
「魔法省はあなたを必要としているの……! お願い……櫻津君……!」
必要とされているだって? この俺が?
こんな言葉かけられたの生まれて初めてだ。
しかも俺の想い人である藤導から。
どうせ普通の生活してたら一生平凡な生活を送るに決まってる。
だったらいっそ自分の持っている力を使い人助けした方が良いんじゃないだろうか。
「だぁ~! 分かったよ! 協力するよ! せっかく手に入れた魔法の力を使わないのももったいないし、使うなら平和のために使いたいしな!」
「櫻津君……!」
「ほ~う、口だけは一人前じゃのう。ま、そのくらいじゃなきゃ私の契約者は務まらんがの!」
今ここで俺、櫻津明日夢は魔法省のエージェントとなった。
「さて、そうと決まったら特訓するぞ!」
「え? 今からか!?」
「当然じゃ! 私は厳しいからの。覚悟しておれ明日夢!」
「ハハハ……」
俺は苦笑いを浮かべ、反対にルシファーは高笑いしている。
その瞬間、いきなり窓が開いた。
『ガラガラガラ!』
「何だ!?」
「ちわーッス。お邪魔しますね」
窓から俺の部屋へ入ってきたのはショートカットで白銀の髪を持つ少女だった。背は低めで恐らく年下だと思われる。正直顔は可愛い。だがなんというか、気だるそうな声をしている。
よく見るとうちの制服を着ているじゃないか。
「遅かったのう」
「これでも急いだんスよ」
「し、知り合いなのか?」
ルシファーと普通に話している様子から顔見知りなのは理解できた。だが俺の家に平然と不法侵入してきたこの謎の人物は俺とは初対面なのだ。当然ながら俺は名前すら知らない。
だが靴はちゃんと脱いでいる。外国人のようだが礼儀は弁えてるようだ。
「紹介するわ。私達の仲間、ヴァニラ・エルビアよ」
「ヴァニラと申すッス。話は聞いてるッス。よろしく櫻津さん」
「お、おう……」
この少女――もといヴァニラは俺に手を差し出してきたので俺も手を出し軽い握手を交わす。
何ともやる気のなさそうな、しかしそれでいてフレンドリーな印象を受けた。
基本表情が動かず感情がイマイチ伝わりにくいのは困ったもんだが……。
「ってかなんで窓から……?」
「パルクールの練習してたッスよ」
パルクールだがなんだか知らんが次回からはちゃんと玄関から入ってきてもらいたいものだ。心臓に悪い。
「さて、役者も揃ったことじゃ。魔法の特訓をしに行くぞ!」
「ええ!」
「おー」
なんだろう。2人とは今日会ったばかりなのにとても居心地が良い。何だか4人でいるのがとても楽しく感じた。
こうして俺、櫻津明日夢の魔法使いとしての生活が始まった。
それは同時に俺の人生の新たなスタートでもあったのだが、そんなことは知る由もなかった。