最終話 「この世界で」
あの戦いから十三年が経った。長い時間の中で私達はそれぞれの道を進んでいる。
アイラさんは長官として今も人間世界のために働いている。先日もヨーロッパでEUとの会談があったようで、ほぼ休みもないような生活を送っているみたい。
シャーロットはそんなアイラさんの役に立ちたいと、七年前からアイラさんの秘書として活動している。今でも電話は頻繁にするし、数か月に一度は会っているからあまり遠くにいる実感はないのだけれど。
ヴァニラは私のメイドとして活動しており、九年前にメイド長へ就任した。今でも私にとっては欠かせない存在。
そして私は……。
「ねえ、お母さん」
「なに明日翔?」
そう、あの人との子供を八年前、二十二歳の時と四年前の二十六歳の時に産んだ。そのため現在は第一線から離れている。
両方とも先天的な魔法使いの子で、上の子は今では上級魔法も扱えるほどの才能を見せている。
今日はそんな私達の子――長男明日翔の八歳の誕生日。私の時ほど盛大ではないけれど、毎年この子の誕生日にはみんなが来てくれる。
多くの人が祝福してくれるなんて、凄く恵まれていると思う。けれど――。
「ねえ、何で父さんはいないの?」
「何度も言ったでしょう? お父さんは世界のために働いて――」
「そうやって去年もいなかったじゃないか! もう四か月は会ってないし!」
怒りを込めた口調で言い放つ。
父親がいない、それに対して怒る気持ちは分かる。けれどあの人の立場からすれば無理矢理来いだなんて到底言えない。
二人目の子である長女の切奈は幸いぐっすりと眠っている。
私は諭すように説得を試みた。
「わかってあげて。今お父さんのお仕事は一番忙しいの。決して出たくないわけじゃないのよ」
「二年もいないなんておかしいじゃん! どうせお仕事の方が大事で僕のことなんてどうでもいいんだ!」
「そんなこと言わないで。お父さんだって悔しい思いをしてるのよ」
私がどれだけ説得しても聞く耳を持たない。
どうすれば……。
「ごめんね、でも分かってあげて欲しいの。あの人はちゃんとあなた達のことを――」
「もういい! あんな人お父さんじゃない! だって……僕と苗字が違うし!!」
その言葉を聞いた瞬間、私は息子の頬を叩いていた。
やってはいけないことなのは分かってる、手を出すなんて母親として失格だと。
それでも我慢ができなかった。あの人の思いを知っているから……!
「あ……明日――」
「う……うわあああん!!」
「待って!!」
泣きながら部屋の外へ飛び出していった。
なんてことを……。
私は力なく椅子に座り込んだ。
「何があったッスか!?」
何かあったことを察知してか、部屋へ入ってきたヴァニラが問いかける。
「私……母親として失格ね……」
全てを話した。先ほどの顛末を。
「そんなことが……けど、あのくらいの年頃ならしょうがないッスよ」
「いえ、私があの子に寂しい思いをさせてしまっていたのが悪かったのよ。それにあの人の優しさに甘えてしまったことが……」
「……そんな悲しいこと言わないでくださいよ」
そう。私達は籍を入れておらず、別性を名乗っている。ちゃんと籍を入れた方がいいと言われたこともあった。私自身もあの人に進言したこともあった。
だけどあの人は頑なに拒んできた。その理由は私の夢の――――家の名誉を守るという夢のため。つまり私のため。
けれどあの子にあんな風に思わせてしまっていたなんて……!
「あの子に寂しくないようにしてきたつもりだったのだけど……私が悪かったのよ……」
私がそう言うとヴァニラは優しく背中をさすってくれた。
ほんの少しだけ気持ちが落ち着く。
「切歌様が悪いんじゃないッスよ。誰が悪いのでもない」
「ありがとうヴァニラ……」
私を慰めてくれる。昔からこの子のこういうところがありがたい。
「明日翔様を探してくるッス」
「ごめんなさい、お願い」
未だに立ち上がるほどの力は沸いてこない。けれど探しに行かないと……!
力を振り絞り椅子から立ち上がったその直後、私の携帯電話に着信が入る。
そこに表示されていた名前は――。
◇
「どうせ僕のことなんか……」
転送魔法で屋敷の外へ移動した明日翔は街を歩いていた。
自分をないがしろにされたように感じた気持ちは収まらない。結局は自分より仕事なのだと。
幼心に自分達は大事にされていないと思い込んでいたのだ。
頬は未だにヒリヒリと痛む。そっと手で抑えながら見知らぬ街を歩き続けていた。
「何が……!!」
「おい、少年」
呼ばれたように振り返るとそこには大柄な男性三人ほどが自分を囲んでいた。
気が付かないうちに路地裏へ迷い込んでいたのだ。
「君、随分と高そうなもん身に着けてるじゃない」
「おじさん達お金に困っててさあ」
子供ながらに即座に危機を感じ取った。三人の目が明らかに敵意を向けているからだ。
「ひっ……!」
「おっと」
逃げようとするものの、すぐに腕を掴まれ口を塞がれる。
身動きも取れず、声も出せない状況にされてしまった。
「さあて、ちょっくら金目のもんがないかチェックさせてもらうぞ」
「チー・クリサ・チェイス」
鎖魔法が唱えられ、体に巻き付く。
ミノムシ状態である。
「んー!! んー!!」
「ちょっとばかし大人しくしてろよ」
「中々いい服だな。誘拐して身代金を要求してもいいんじゃないか?」
男の手が迫ってくる。
自分の無力さを思い知った明日翔は自然と涙を流していた。
「んんん!!」
「ジタバタすんな」
必死の抵抗も大人が相手では効果はない。たかが八歳の子供なのだ。
最早成す術はなかった。
その時――。
「ぐはあっ!!」
「何だ!?」
涙で溢れかえった目にしっかりと映っていた。
剣を手にした見覚えのある男性が。
「何だお前――」
「うっせえ」
間八入れずに男性達を次々に倒していく。
アクション映画さながらのその姿に思わず見入っていた。そして心の中で心境の変化が起きていた。
ついさっきまで嫌いだった。自分達は大事にされていないとも思った。だが自分に危機が訪れた時にかっこ良く表れ、助けてくれた。
明日翔の見方はもう変わっていたのだ。
(かっこいい……!!)
一分にも満たない時間で男性三人を全員成敗してしまっていた。
その男性こそ――。
「ったく、人の子供に何しやがんだ!!」
父である櫻津明日夢その人である。
四か月振りとはいえすぐに分かった。同時に途轍もない安心感が胸の中で広がっていく。
「大丈夫か?」
「……うん」
すぐに鎖を解く。
「お母さんから聞いたぜ。寂しい思いさせちまってごめんな」
「……」
父からの謝罪。それをどう受け止めればいいのかが分からなかった。
だが一つだけ確実なものがある。それは父に微かな憧れを抱いたということだ。
「でもしばらくは一緒にいられるぞ。今日までに絶対に仕事を終わらせるって決めてたからな」
「え?」
「去年は一緒にいてあげられなくてごめんな。……誕生日おめでとう、明日翔!」
にっこりと笑い頭を撫でてくる。不思議と嬉しく思った。
明日翔自身は気付いていなかったが、心の奥底ではこれを望んでいたのだ。
「でかくなったの」
「……ルシファー!」
ルシファーは剣から悪魔へ戻る。
明日翔も切奈もルシファーに大変懐いていたのだ。ルシファーもまた二人を孫のように可愛がっていた。
「うむ、おめでとう明日翔」
「ありがとう!!」
先ほどまでの不安や恐怖は既にどこ吹く風であった。
自分の誕生日を二人が祝ってくれる。
自分は大事にされていないわけではなかったことが知れたのが何よりも嬉しかった。
「明日翔!!」
「あ、お母さん……」
母が姿を見せる。
その表情はいつもの優しさを含んだものだった。しかしさきほどのことがあった手前、顔を合わせられずにいる。
そんな時だった。
「ほれ」
そっと明日夢が背中を押してくれたのだ。
意を決して近づく。
「その……ごめんなさい」
「……おいで」
切歌は明日翔を呼び寄せると強く抱きしめた。
それはめいっぱいの愛情。
「帰りましょう」
「うん……!」
明日夢とルシファーは抱擁する二人を見て微笑んでいる。
そして明日夢と切歌は視線を合わせた。
「……おかえりなさい、あなた」
「ああ……ただいま!」
◇
その日の深夜。みんなが寝静まった頃、俺達二人はテラスで夜風を浴びていた。
「あいつらには悪いことしちまった。帰ってはいたんだけど、時間が合わなくて中々顔も会わせられなかったからな」
「いいえ、あなたは頑張ってくれていたわ」
そっと俺の手に彼女が手を添える。
「まあ今日からは一緒にいてやれる。ようやくエジプト神話との協定が結ばれることになったんだ」
「……本当に!?」
「ああ。人間嫌いなラーを説得するのに二年もかかっちまった」
この二年間は本当に厳しい日々だった。エジプト神話の太陽神ラーは人間を嫌っている。シヴァ様やミカエルさんの協力がなかったら絶対に協定は結ばれなかっただろう。
それでも二年の月日が経っちまった。俺の力のなさであいつらには寂しい思いをさせてきただろう。それが俺は悔しかった。
「でも、今日であの子はあなたのことちゃんと分かってくれるようになったはずよ」
「そうかな……」
「ええ。だって寝る前にあの子がなんて言ってきたと思う? 『お父さんみたいにかっこよくなりたい』って」
その言葉は、今まで生きてきた中でどんな言葉よりも俺の胸を熱くさせた。今まで仕事優先でろくな父親じゃなかった。けど、そう思ってくれたのなら、俺は嬉しい。
「そうか……だとしたら間違いなくお前のおかげだよ。本当にありがとう」
彼女は無言で首を横に振った。
「いいの。それと……」
「それと?」
なんだか様子がおかしい。どこかもどかしいというか。目も泳いでいる。
すると俺の手を掴み自らの腹部を触らせる。まさか……?
「もしかして……?」
「……もう一人家族が増えるみたい」
その言葉を聞いた瞬間、自分でも驚くほどの素早さで切歌を抱きしめていた。
「はっ! 悪い、いきなり!!」
「い、いえ……」
そのやり取りが何だか面白くて二人して笑いあう。
ああ、最高に幸せな瞬間だわ。
「あれ……?」
なぜだろう、急に涙が……。
ほんの少しだけど、次々にあふれてくる。
「大丈夫?」
「ああ……大丈夫だよ。悲しいんじゃない、多分すげえ嬉しくてたまらないんだ。仕事がうまくいって、子供達にも理解してもらえて、新しい家族が増えるこの状況が。大きな争いもなく過ごせているこの日々が……!」
あの戦いで世界は大きく崩れた。
そこから元に戻すのは簡単なことじゃない。未だに世界は復興の途中だ。
そんな中でも自分のやってきたことが実を結び、自分の家族が幸せな日々を送れているなら、こんなに嬉しいことはない。
そして新しい命が産まれるというのなら、俺には勿体ないくらいだ。
「まだまだ復興の途中だけど、こんなに気分でいられるなら、俺は世界一の幸せ者かもな」
「あなたは世界を良くするために必死に戦ってきたんだもの。幸せになる権利はあるわよ」
「ああ……それに何があってもこの世界なら大丈夫さ。魔法があればな」
「どういうこと?」
外交官として活動していくうちに、ふとこんな考えが浮かんできていた。
「最近思うんだ。きっと人が幸せになるための手助けをしてくれる、それこそが本当の魔法なんだろうなって。俺達を引き合わせたこと、それこそが俺達に魔法がしてくれた幸せになる手助けなんだ。だからこの世界は大丈夫だよ。魔法は人を不幸にするためのものじゃないから。俺達もそうだっただろ? 途中でどんなに厳しい現実が待っていても、希望を失わなければ最後は幸せになれるはずだ」
「ええ……」
あの日、屋上でルシファーとサバトをした時に、運命は決まった。
今日、そして未来を彼女と生きる。その運命をくれたことが魔法の力なんだ、俺は最近そう思う。
「愛してる、切歌……」
「はい……!」
俺達はそっと唇を合わせた。
誰よりも、何よりも愛している。その気持ちを表す行動として。
俺達は今日も明日も、これからも生きていく。魔法のありふれたこの世界で。そこには当然不安もある。まだまだ世界は平和を取り戻しきれてはいないしな。けれどたった一つ、確実に言えることがある。
人はみんな、希望という名の魔法を持っているということを。
閲覧ありがとうございます。
そして最後までお付き合いいただき本当にありがとうございました。
約3年間の連載でしたが感想、評価、ブクマにレビュー、みなさまに支えられた3年間でした。
他作品も連載しておりますので、そちらもよろしくお願いします。
最後まで本当にありがとうございましたm(_ _)m