情けは人の為ならず
表向きは魔獣達の預りの延長の申請と魔獣と共に預けていた荷物を取りに来た事にして僕とフェアチャイルドさんはナス達のいる小屋へ話をするためにやってきた。
ウィトスさんは施設の前で待っている。預けているのは僕とフェアチャイルドさんだけなので用のないウィトスさんは待つ形になったんだ。
ナス達へ僕が軍と共に戦地に向かう事を話し、フェアチャイルドさんがこの都市に残る事を話すと、寝そべりながら聞いていたナスは突然歩き出しフェアチャイルドさんの前に二本足で立ち僕の方を向いた。
「ぴぃー!ぴぃぴー!ぴぴー!」
「ナス……」
ナスの言葉に僕の胸の奥が温かくなる。
なんて、なんていい仔なんだろう。僕は堪え切れず立ったままのナスを抱きしめた。
「あの、なんて言ったんですか?」
「ナスはここに残りたいって。フェアチャイルドさんを守る為に」
「私を……ですか?」
「うん……」
「でも、その……お金はどうするんですか?」
「一応ナスの滞在費は出せると思うけど……」
「たくさんかかりますよね……」
「うん」
「ぴぃー?」
「……お金がかからない方法もあるんだ」
「そうなんですか?」
「うん。というか食費とかがかからないからさ、ナスが他人に迷惑をかけたり、ナス自身に危険がなければ問題ないんだよね」
魔獣を飼う際の注意点は僕が言った二つだ。
あくまでも安全面に気を付けて人に迷惑さえ掛からなければ都市の中を割と自由に過ごす事が出来る。
ナスが飼育小屋で暮らしていたのだってぶっちゃけ普通の動物の様に管理上の問題。ナスが寮で一緒に暮らせなかったのは寮では動物を飼う事は出来なかったと言うだけの話だ。
だから宿屋でナスと一緒に過ごそうと思えば過ごせるんだ。ただ、アースの事を考えると一緒に泊まる事が出来なかっただけで。
「ナスさんは、どうして私を守ると? ナギさんと一緒にいた方がいいのではないですか……?」
「ナス、どうしてフェアチャイルドさんの事を守りたいのかだって」
「ぴーぴーぴー」
「……ナスは、君に何かあったら僕が悲しむからだって言ってる」
ナスは僕が彼女を守って欲しいと言った事を実行しようとしているんだ。あれは僕に何かあったらって事だったんだけど……何かっていうのが彼女と離れる今だと思ったのかな。
「ナギさんは私に何かあったら、悲しいですか?」
「悲しいなんてもんじゃないよ。そんなの、本当は想像もしたくない」
フェアチャイルドさんは考えるそぶりを見せてからナスの頭に触れ少しの間ナスと視線を合わせてから僕に視線を合わせてきた。
赤い瞳は潤んで揺れたように見えた。
「分かりました……ナスさんは私がお預かりします」
「うん。ナス。フェアチャイルドさんの事頼んだよ」
「ぴー」
そして、施設を出ると僕達はウィトスさんと合流しとりあえず明日からの準備をする事になった。
僕は最初に銀行に一人で行こうとしたが、ウィトスさんもついて行くと言い出した。
どうやら護衛の依頼は受けた時点から有効らしく、僕一人で遠くまで行動させるわけにはいかないらしい。他にも護衛の依頼を受けた人はいるのだけど、明日からの準備をしていたり僕の見えない所で見張っているみたいだ。
移動しながら『蜘蛛の巣』でそれらしい人は確認できた。
銀行に着くと僕はお金を下ろしその足でアースが引く荷車と樽を購入した。
これは前もってマナポーションを確保しておくための物だ。樽を乗せた荷車は取り合えず施設へ僕とウィトスさんが引いて持っていき預かって貰った。これに関しては戦の為の準備という事で無料で場所を貸して貰う事が出来た。
荷車は大きく樽を積み上げれば三十樽は乗せられるだろう。
施設から出る前に四つの樽に限界までマナポーションを蓄えてブリザベーションをかけておく。
次は今日の宿だ。と言ってもどうやら僕の泊まる場所はすでに決まっているらしい事をウィトスさんから聞いた。
ならば探さなくてもいいかと思ったのだけれど、そうはいかなかった。護衛の関係上依頼の関係者以外は僕の泊まる宿屋に泊まれないらしく、フェアチャイルドさんは泊まれない事になっているらしい。
抗議しに行こうと思ったがフェアチャイルドさんが涙目になりながらも僕を止めた。
彼女のそんな顔を見て自分の主張を貫き通せるほど僕は恥知らずではない。
僕はすぐに自分のやろうとした事は唯の我儘だという事に気が付いた。頭に一瞬血が上ったのは事実だけれど冷静に考えて見れば仕方のない事だと僕は納得する事が出来た。
僕は組合や軍からしたら護衛対象なのだ。その護衛対象が我儘を言って好き勝手していたら守れるものも守れなくなってしまう。
それと同じような事をさっきフェアチャイルドさんに言ったばかりじゃないか。
偉そうな事を言って僕が実行できないなんてなんて情けない! 彼女の潤んだ瞳もそんな僕を戒める為感情を高ぶらせた結果なんだろう。
結局彼女は組合に泊まる事になった。仮眠室は複数人で使う場所の為女の子一人で大丈夫だろうか。
やはり宿に泊まるべきなのではないだろうか。そうフェアチャイルドさんに言ったが、彼女は首を縦には振らなかった。
これからどれだけお金が必要になるか分からない。出費を抑えられる所は抑えたいと言った。確かにそうだけど、それで安全が犠牲になっては意味がない。
ここは僕がお金を出すか? 無論ただで出すわけにはいかない。僕だってそこまでお金に対して無頓着じゃない。
あくまでもナスの面倒を見る依頼としてフェアチャイルドさんに提案してみるという事だ。
でもなぁナスが残るのはフェアチャイルドさんを守る為だ。むしろナスが貰う立場なのではないだろうか……いや、待てよ?
今の僕の状況を利用できるのではないだろうか?
僕はさっそく組合の建物の中に入ったフェアチャイルドさんに待ったをかけ話しかけた。
「フェアチャイルドさん。提案があるんだ」
今日の所は多分仮眠室で泊まる事は避けられないかもしれない。仕方ないで片づけたくないけど……魔力の糸は付けておくから異変があればわかると思う。……あれ? これってストーカー?
「今度は何ですか?」
とりあえず落ち着ける場所、ロビーに置いてある長椅子に座ってから改めて話を切り出した。
「えと、提案っていうのはね、フェアチャイルドさんとナスの事なんだ」
「私とナスさんですか?」
「うん。ナスが今回フェアチャイルドさんの傍に残るのは、君を守る為だって事は分かってるよね?」
「……はい」
僕が何を考えているのかうかがう様にフェアチャイルドさんは僕に視線を向けてくる。
はやる気持ちを抑えて僕は言葉を選びながら続ける。
「それでね、ナスが君の事を守りやすいように君の泊まる宿屋を指定したいんだ」
「え。わざわざそんな事しなくても……」
「僕だって宿屋指定されてるんだよ? これが冒険者のやり方なら僕達もそれに慣れるように真似するのも悪くないと思うんだ。
もちろん僕が指定するんだからお金は僕が出すよ」
「でも……」
「駄目かな」
「ナギさんに悪いです……」
「君の安全には変えられないよ」
僕は、正直この世界の治安を信じていない。前世では平和で治安のいい街で生まれ育っただけあってどうしても前世を基準に考えてしまう。
「迷惑じゃないですか?」
心配そうに見てくる彼女に向かって僕は微笑んで答えた。
「迷惑なもんか。むしろそうしてくれた方が助かるよ」
本当は彼女だけを残したくはない。けれど、都市に残って貰った方が安全なんだ。
「……ナギさん」
何故かフェアチャイルドさんはもじもじと体を動かし始めた。
「私……待っていますから。早く、帰ってきてくださいね」
「うん」
待っていてね。
出発は予定されていた通り朝早くからだった。
荷車を引いたアースと護衛の冒険者と共に北の検問所の前に行く。
検問所の前には大通りを埋めつくす兵士さん達の姿があった。皆一様に現れたアースを見ている。
僕は今アースの首の上に乗っている為アースに視線が集まっている様子がよく見える。
兵士や荷物を載せる為の馬車を引く馬もいるのだけど、訓練されているのかアースを気にはしている様子だけれど恐れて逃げ出すような馬はいない。
立派な鎧を着た偉そうな人が近寄ってくる。僕はアースから降りて出迎えた。
「君がパーフェクトヒールを使えると言う神官か」
「い、いえ、神官ではなく冒険者です……一応」
「そうか。私は今回の行軍を指揮する指揮官の、補佐役をするフェレグスという者だ。指揮官は今最終確認をしている為私が君に役割の説明をしに来た」
「は、はい」
緊張で鼓動が早くなった心臓が痛くなってきた。
フェレグスさんの説明によると軍はまず戦地である前線基地の一つ手前の村に向かってまっすぐ進みワイゼルから見て北と西の都市からの援軍と合流するらしい。
もしも僕達が先に村に着いて他の援軍の合流が大幅に遅れそうな場合は斥候を送った後僕と冒険者達は先行して前線基地に入る事になっているらしい。
もしも斥候が戻って来なかったり、前線基地が崩壊していたらすぐに他の援軍に知らせを送りワイゼルへ戻る事になるらしい。
「所で魔獣の引いている荷物は?」
「マナポーションです。まだ中身は空なのがほとんどですけれど、道中僕が作った物を溜めていくつもりですけれど……いけなかったでしょうか?」
「むっ。そういう事なら一応マナポーションの濃さを確認したいのだがよろしいか?」
「はい。えと、今作ってみせた方がいいですか?」
「出来るのなら」
空中にマナポーションを生み出すと驚かれた。そして納得したように頷きこのまま僕が樽を満たす事を許可してくれた。
恐らく驚かれたのは僕みたいな子供がマナポーションを直接出せたことに驚いたんだろう。そして納得したのは僕がパーフェクトヒールの使い手だからか。
説明を終えた後僕は出発まで樽にマナポーションを詰める作業に入った。
出発したその日の夜。膝を抱えて焚火を見ていた僕にウィトスさんが声をかけてきた。
「ちょっといいですか?」
「ウィトスさん? いいですよ」
ウィトスさんはにっこりと笑ってから僕の隣に座り寒そうに手を焚火にかざした。
「少しお話ししようと思って」
「お話ですか。構いませんけど、改まってどうしたんですか?」
「……ナギさん怖いですか?」
僕はウィトスさんの問いに返事をする事が出来なかった。
認めるのが怖いんじゃない。頷く事すら怖いんだ。動くだけで何か得体の知れない物に飲み込まれそうな、そんな錯覚さえ覚えてしまうほどに。
焚火の温度が僕の恐怖を和らげてくれる。
一度死んだとはいえまた死ぬのは怖い。でもそれ以上にルイスやアイネ、カイル君やラット君……僕の大切な人に魔物の牙が襲い掛かる事の方が怖い。
だから僕は今回前線基地へ行く事を決めた。少しでも危険があの子達から遠のくように。
何も答えない僕にウィトスさんは近くに寄ってきて僕を抱きしめてきた。
革鎧を着ているから柔らかさとかはあまり感じられないのだけれど、何故だろう。すごく暖かく感じる。
「ウィトスさん……?」
「ナギさんは勇気がありますね。北の方の前線基地で私が初めて魔物と戦う事になった時はもっと逃げ出そうとしましたよぉ。その頃一緒にいた人に止められましたけど……」
「喧嘩別れしたっていう人ですか?」
「はい。快活な子でいつも私の事引っ張ってくれていたんですよぉ」
「仲直りは……」
「したいですねぇ。次に会えたらしたいです」
「その人は怖くなかったんでしょうか……」
「分かりません。強気な子でしたからぁ」
「そうですか……」
少し空白の時間が出来た。
焚火の火は尽きる事なくパチパチと音を立てて燃えている。時折魔力を操り火の強さを調整する。
ウィトスさんは相変わらず僕を離そうとはしない。それが……僕には有難がった。
気持ちが落ち着いてきた頃ウィトスさんは再び口を開いた。
「ナギさんはどうして今回行こうと思ったんですかぁ?」
「僕が力を持っていたからです。この力があれば……前線基地にいる人の怪我を治す事が出来るから」
「優しいんですねぇ」
「そんな事ないですよ……僕が救いたい人は前線にいる人達じゃないんです……その後ろにいる、僕の家族や友達なんです。
だから前線基地が崩壊して皆が魔物達が襲われるような事があるのは困るんです」
「大切な人を守る為に……他の人を助けるという事ですかぁ?」
「そうです。人はどこかしらでつながっているものですから、人を助けるっていう事はきっと、大切な人を助ける事に繋がるんじゃないかって思ったんです」
「素敵な考え方ですねぇ」
「情けは人の為ならずって奴ですよ」
「なんですかそれぇ?」
「えと、人に良い事をすれば、巡り巡って自分に幸せが来ますよっていう意味で、遠い国の言葉だったと思います」
「なるほどぉ。ナギさんは博識ですねぇ」
「それほどでもないですよ」
本当に遠い国の言葉なんだ。
あの空の星よりももっと遠くの。
「……少しは落ち着きましたか?」
星空を見上げているとウィトスさんが僕の顔を覗き込んできた。
そして、いつの間にか恐怖が大分和らいでいる事に僕は気が付いた。