援軍要請
「実は……今朝がたここから東北にある前線基地から援軍要請が来ました。
東北の前線基地……ビッテルでは一昨日から軍が魔物の軍と交戦している最中なのですが、ナギさんには兵士達の治療を行って欲しいのです」
所員さんの言葉に僕は思わず息を呑んだ。
「危ない状況……なんですか?」
「……日に重傷者が増え今前線基地にいる神官では手が足りないそうです」
「あの、まだ避難とかそういうの聞いていないんですけどしないんですか?」
「東北と言ってもここからおおよそ十日の場所で距離があります。襲われている前線基地周辺の村は北の都市に避難しているので、こちらの方では厳戒注意はしますがまだ避難は行われません」
「十日って……ま、間に合うんですか?」
「分かりません。都市から軍を出すので、それについて行く事になります。どうですか?」
「僕は……」
正直に言えば行きたくない。僕が行かなくちゃいけない所は殺し合いしている所だ。怖い。怖くて手が震えてる。足もだ。
もしかしたら僕も死ぬかもしれない。また死ぬのかもしれない。死ぬのは嫌だ。
でも、それでも……僕は選択をする。
「い、行きます……」
「安全は保障できませんが、よろしいのですか?」
「……は、はい。僕が居れば助かる人も増えるはずです。い、行きます」
震える声で僕は答える。所員さんは悲し気な目で僕を見てくるけど僕の意思は変わらなかった。
この世界には魔王がいる。けれど、誰もその姿と存在を確認した者はいない。
昔からただ漠然とそう語り継がれてきただけだ。
けれど誰も存在を疑っていない。何故ならば魔王の配下と名乗る魔人と幾度となく戦い続けてきたからだ。
この国で最初に魔王の配下である魔人が確認されたのは八百年前。西に生存圏を少しずつ広げていたアーク王国は冒険者からの魔物の集まる居城を発見したという報を手に入れた。
何度も調査隊を送った結果魔物を指揮する存在を確認する事が出来た。それが魔人だ。
魔人はその名の通り魔素に侵され変質した人間の事だ。魔人となった人間は世界の全てを憎むようになり魔王への忠誠の言葉を叫び狂うらしい。
おそらくこの魔王と言うのは以前シエル様が話したこの世界を侵略している別の世界人の事なんだろう。シエル様も同じ見解を示していた。
魔人は狂うけれど魔獣は普通の動物と変わらない。いや、むしろ知能は上がっているんだろう。
生まれ方は同じはずなのに変化した際に差が出るのは恐らく知性の差だろうと学者達は指摘している。
魔人は魔獣と同じく魔素を食らって力を得る。その為長年生きた魔人を人が倒すのは困難だとされている。
そんな魔人だけれど三英雄の一人イグニティは見事に打ち取っている。
イグニティが打ち取ったのが先ほどの八百年前に見つけたという魔人だ。
名前をアモニウスと名乗っていたらしい。
冒険者だったイグニティはアモニウスの指揮する魔王軍との戦争に参加しており、後に死海大戦と呼ばれる戦争の時にイグニティ率いる冒険者の一群はアモニウスを拠点にしていた城まで追い詰め、当時イグニティスが開発し、彼女しか使えなかったと言われる第十階位の魔法を使い魔人を消滅させたらしい。
魔人を滅ぼし魔王軍を蹴散らした後一気に西の開拓は進んだ。魔人を倒した功績が認められ、イグニティは魔王軍の居城があった場所を中心に開拓された村々を統治し国とする事を当時のアーク国王に認められたのだとか。
魔人の存在は魔の平野でも冒険者によって確認されている。
北と南にそれぞれ勢力圏があるらしく、フソウへの交易路は二つの勢力圏のちょうど中間あたりに作られている。
二人の魔人はあまりこの国に対して積極的には動いていないらしい。交易路から南側の地域は時々思い出したように大群の魔物に前線基地を襲われる。しかし、統率された動きから魔王軍だろうとは推測されているらしいが目的ははっきりとしないらしい。
北の方は勢力圏がフソウ側寄りらしくアーク王国よりもフソウの方が被害が大きい。交易路が襲われるのも北側からが多いらしく北の方が活発に動いているのかもしれない。
魔人達の目的は千年前から誰も分かっていない。分かっているのは人類の敵だと言う事だけだ。
役所を出て僕はフェアチャイルドさんとウィトスさんが待っている組合の建物まで重い足取りで向かう。
街はいつも通り平穏そのものだ。まだ情報が出回っていないんだろう。北の都市ワイゼルまでは馬車で大体四日かかる。冒険者ならもっと速いのだろうけど、噂が広まるにはまだ時間がかかるのかもしれない。
怖い。
分かっているはずなんだ。この怖さはきっと魔の平野を越える時にも感じる物だと。でも、足が竦んで止まりそうになる。
胃に違和感を感じる。喉に熱い物がこみ上げてくるような錯覚を感じる。眩暈だってしている。なのに僕が今脚を動かせる理由なんてたった一つだ。足を止める事の方がよっぽど恐ろしいんだ。
ああ、会いたい。あの子に会いたい。会って……会って僕は……僕はどうするんだ?
彼女はウィトスさんと一緒に建物の入り口の横に立っていた。通りを行く人を眺めている。僕を見つけた彼女は途端に笑顔になり駆け寄ってきた。
僕の名前を呼ぶ彼女に僕は……。
「フェアチャイルドさん」
いつもよりも低く落ち着いた声で名前を呼ぶと彼女はビクッと動きを止めた。
震えはもうない。彼女の笑顔を見ただけで吹き飛んでしまった。そして、覚悟も出来た……少しだけ。
「どうしたんですか? ナギさん……」
何かあったのかを察したのか彼女は訝し気に僕の顔を見てくる。
ウィトスさんも遅れてやってきた。僕とフェアチャイルドさんとの間におかしな空気が流れているのに気付いたのか心配そうに聞いてきた。
そこで僕は役所で受けた依頼の事を話した。
ウィトスさんは僕が『パーフェクトヒール』を使える事に驚いていたが、フェアチャイルドさんはまるでこの世の終わりかのような表情をして僕に問いかけてきた。
「どうして、ナギさんが行かなくてはいけないんですか……?」
「僕が決めたんだ。行くって」
「どうして……」
「僕に出来る事があるのなら……精一杯頑張りたいんだ」
「それだったら私も連れてください!」
「それは出来ないよ。危険な場所に行くんだ。君には安全な場所にいて欲しい」
「……私……私」
「僕にはナスとアースがいる。だから大丈夫」
「私……は……」
「帰ってくるよ」
彼女の目に浮かんだ涙を指でそっと拭きとる。
泣かないで欲しい。けど、泣いてくれて嬉しい。
「邪魔、ですか?」
「……本音を言うとね、ついて来てほしい」
僕の言葉に彼女は大きく目を見開き折角ふき取った涙が頬に流れてしまった。
「でも、それは出来ないんだ。僕は軍と一緒に行動する事になる。護衛もつく事になっているんだ。
護衛対象が増えた場合の守る事の難しさは学校で習ったよね?
僕はまだまだ弱い。守られる側の人間だ……少なくとも今は。
だから僕は軍の人達に迷惑をかけたくないんだ」
「……」
「君が来てくれたら心強い。でも、それだけなんだ。僕達にはまだ力がない。自分の願いを押し通すだけの力はないんだ。
だから待っていて欲しい」
「ナギさん……」
「何度でも言うよ。僕は絶対に帰ってくる。だから、待ってて」
「約束……です」
彼女は小指を立てて僕の前に出してきた。
「うん。約束」
何度目かの約束の証。
これからも増やしていく為に。
そして、果すために僕は生きてみせる。
指を離した僕は今度はウィトスさんと向き合う。
「そういう訳ですので僕の研修はいったん中断となります。ウィトスさん。短い間でしたけどありがとうございました」
「……ふぇ!? え、えとぉえとぉ……すみません。ちょっと展開についていけなかったと言いますかぁ……」
「えぇ……」
「えと、えと……ナギさんは怪我した人の治療の為に、襲われている前線基地に行くんですよね?」
「そうです」
「それで、フェアチャイルドさんは、こっちに残る……です?」
「はい」
「それでぇ……向こうに行ってる間ナギさんは、研修が出来ないんですねぇ」
「ですです」
「この場合ってどうなるんでしょう~?」
「僕の方だけ中断で、フェアチャイルドさんは継続になるのでは?」
「うう~ん……組合に一応聞いてみましょうかぁ?」
「……そうですね」
「じゃあ行きましょう~」
ウィトスさんが建物の中へ入っていく。僕達もついて行くと……。
「中級以上の冒険者の方は至急会議室へ向かってくださーい」
職員さんが何やら口の横に手を当てて拡声器のようにして呼びかけている。
「あらぁ? なんでしょう~?」
ウィトスさんがふらふらと声を上げている職員さんの元へ歩いていく。
職員さんの言葉に従っている冒険者らしき人はウィトスさんを除いて三人いた。
何やら剣呑な雰囲気を出している。
「わざわざ中級以上の人を呼ぶという事は前線基地の事でしょうか?」
「……かもしれないね」
「中級以上の方は至急会議室へ向かってくださーい。会議室は奥の通路を真っ直ぐ行った先にありまーす」
「あら~。じゃあちょっと行ってきますねぇ」
ウィトスさんが僕達に手を振って奥へ消えていく。
「とりあえず僕達は受付に行こうか」
「……はい」
受付へ向かい事情を話すと意外な答えが返ってきた。
「申し訳ございません。研修の旅は暫くの間安全の為中断となりました」
「へ?」
「昼頃に厳戒注意報が都市の方から出されまして、依頼をこなした時に印を渡さない様にと、周辺の村々に厳戒注意の知らせと合わせてつい先ほど伝令の者が伝えに出たところです」
「そ、その間見習いの人は生活どうするんですか」
「あくまでも移動を抑制する為、印が貰えなくなるだけですので仕事自体は幾らでも受けて結構です」
「見習い用の仕事は受けられるって事ですね?」
「その通りです」
「ちなみにここでも受けられるんですか?」
「はい。基本的にこの組合内での雑用となります。特別に仮眠室での泊まり込みも許可が出ていますので是非ご利用ください」
「ありがとうございます。とりあえず何とかなりそうだね」
「そうですね……あの、厳戒注意というのは村々への移動も制限されてしまうんですか?」
「少なくとも未成年の単独では都市からは出られなくなります」
「そう……ですか」
フェアチャイルドさん一人じゃ外に出られなくなるって事か。ウィトスさんが居れば出られるんだろうけど……どうなる事やら。
多分中級の冒険者を呼んだのは援軍目的だよね。中級以上は軍からの要請を断れないから僕と一緒に前線に行く事になりそうだ。
そうなるとフェアチャイルドさん一人になってしまう。
……マリアベルさんとローランズさんに話を通しておいた方がいいかな。まだ都市から離れていないはずだ。
とりあえず話を終えて受付から離れウィトスさんが戻ってくるのを待つ事にした。
一時間ほどだろうか。ウィトスさんが通路の奥から戻って来た。
「ナギさんナギさん~」
機嫌良さそうに両手を振っている。
どたどたと騒がしくやってきて満面の笑顔で言った。
「私パーフェクトヒールの使い手の護衛する事になりました~。パーフェクトヒールの使い手ってナギさんの事ですよね~」
大きな声でいう物だから周りにいた冒険者達が僕の方を見ている。
まぁ今回の事でばれるだろうからいいんだけど、勘のいい人なら僕がピュアルミナの使い手だって事も分かったのだろうか。
「護衛って強制ですか?」
「そうですよぉ」
「なんだかすみません……」
「でもぉナギさんを守れるんですからよかったですよぉ」
「ウィトスさん……」
「そういう訳ですから、フェアチャイルドさん。お一人になってしまいますけど、大丈夫ですかぁ?」
「大丈夫……だと思います」
うつむいたまま弱弱しく頷いた。
「……何かあったら、ローランズさんやマリアベルさんに相談するんだよ? カイル君やラット君だっているし」
「はい」
「じゃあ次はナス達に話に行こう」
僕は先に立ち上がる。その時フェアチャイルドさんがいつの間にか僕の服の裾を握っていた事に気が付いた。
彼女の握る手はそのままに開いている方の手を取り立たせる。
立ち上がると裾を握っていた手は開かれた。そして、僕達は手を繋いだままナス達の元へ向かった。
設定を少し変えました
グランエルから北の都市まで
一週間→四日