握る手
僕の誕生日も過ぎ年末が間近まで迫って来た。新入生達も続々と寮にやってきており、アイネが後輩が出来ると友達のミリアちゃんと一緒になって楽しそうにはしゃいでいた。
すっかり元気になったフェアチャイルドさんはマスクをつける事が減り、さらに前よりも表情が豊かになった。大きな表情の変化はさせないけれど、それは彼女が控えめでお淑やかだからだろう。
フェアチャイルドさんのそんな変化になんだか嬉しくなって僕は少し変わった提案をしてみた。
「フェアチャイルドさん。良かったら僕と一緒に子守りやってみない?」
「子守りですか?」
「うん。先生に許可取ってからじゃないといけないけど、どうかな?」
「……私にできるでしょうか?」
自信なさげに呟く彼女に僕は出来るだけ優しい口調で答えた。
「それは僕にも分からない。けど始めは誰だってそんな物だよ」
僕が記憶している限りじゃフェアチャイルドさんは下級生の面倒を自ら進んでみた事はない。そもそも彼女は人間関係に関しては割と消極的な子だ。消極的な所を治したい……なんて言うつもりはない。ただ、僕は彼女に子守りという経験をさせてみたかっただけだ。色んな事を体験して、そこから将来の道を見つけられたら僕が嬉しいというだけの話なんだ。
彼女が嫌だというのなら無理強いするつもりはないんだけれど……。
「……わかりました。やってみます」
「良かった。じゃあ明日早速先生に話してみるよ」
昼食が終わった頃合いに僕とフェアチャイルドさんは下級生寮にいるレノア先生にフェアチャイルドさんの手伝いの話をした。するとあっさりと了承が出た。ただし、先生の方から願い出た僕とは違ってフェアチャイルドさんには最初の一か月間は試用期間としてお給料は出せないらしい。
一緒に話を聞いていたフェアチャイルドさんがそれでもいいと言って一月から僕と夜に一緒に下級生寮に通う事になった。
「フェアチャイルドさん。早速皆と遊んでみない?」
「今からですか」
「うん。今のうちに慣れておいた方がいいと思うんだ」
僕の提案を彼女は顎に指を当てて考える仕草をしてから小さく頷いた。
玄関ロビーに行くとエンリエッタちゃんが迎えてくれた。
「ナギお姉ちゃん。お話終わった?」
「うん。終わったよ。……本読もうか?」
エンリエッタちゃんはいつもの様に本を後ろ手に持っている。僕が聞くとエンリエッタちゃんは花が咲いたように笑顔になり絵本を差し出してきた。
エンリエッタちゃんはもう八歳なのだけど、まだ小さい子向けの絵本を好んでいる。これは多分村に絵本がなくて、グランエルに来て初めて絵本に触れた所為かもしれない。
実際そういう子は多い。娯楽の少ないこの世界、可愛らしい絵柄で書かれている絵本は子供達にとって興味を引きやすいのだろう。
玄関ロビーには数人いた。僕はフェアチャイルドさんに僕のやり方を見本にして欲しいと言ってから椅子に座り絵本を開く。
絵本の中身は擬人化させた動物達が冒険し困っている人を助ける物語だ。
本を読みつつエンリエッタちゃん以外の他の子達の様子を横目で見る。興味を持っているのは一人だけのようだ。他の子はお喋りや遊びに夢中になっている。ここにいるのは来年三年生になる子達ばかり。心配はいらないか?
絵本を読み進めて行くと次第に玄関ロビーに子供が集まって来る。殆どは来年二年生になる子ばかりだけど、中には新入生の子もいる。
絵本を読み終わると後から来た子がすかさずに絵本を渡してきた。
僕はその絵本を受け取るけれど読まずにフェアチャイルドさんを手招きで呼んだ。
「今日はこのお姉ちゃんにも読ませたいんだけどいいかな?」
「ふぇ?」
フェアチャイルドさんは驚いたような声を上げたけれどそれには構わず子供達を見渡す。えーという不満というよりは残念そうな声が上がるけれどすぐにいいよーという声に変わった。
「わ、私出来ません……」
「慣れる為だよ。がんば」
少し涙目になっているけどここは頑張って貰う。もしも途中で駄目そうだったらすぐに変わるつもりだけれど。
僕は椅子から立ち少し離れた場所へ移動する。子供達がどんな反応を見せるか見る為だ。絵本を子供達のせがむ声が大きくなる。フェアチャイルドさんは意を決したのか諦めたのか深いため息をつき固い表情で絵本を読み始めた。
声量はフェアチャイルドさんにしては大きい。殆ど棒読みだけれど精一杯声を出しているんだろう。子供達の方は僕が読んでいる時よりも食いつきは良くない。初めてだから仕方ないか。
「あれ? 今日はレナスねーちゃんが読んでるの?」
アイネの声に階段の方を見てみると、アイネとミリアちゃんが階段を降りてきていた。そしてどこからか二人の後ろから泣き声も聞こえてくる。
「うん。来月からお試しでフェアチャイルドさんも夜にこっちに来るんだけど……どうしたの?」
僕が聞くと二人は泣いている男の子を僕に見せるように左右に分かれた。
「昨日来た子なんだけど、全然泣き止まないんだー」
「レノア先生の所につれて行こうと思ったの」
「そっか。じゃあ……」
「でもねーちゃんがいるなら安心だね」
「うん!」
「……うん?」
「この子ジェスターってゆーんだ。後はよろしく!」
「よろしくねー」
「いや、え?」
それだけ言って二人は僕が止める間もなく二階へと戻っていった。
残されたのは僕とジェスター君と、僕の方を見ている子供達にフェアチャイルドさんだ。
「あー……とりあえず続けていいから」
止まっていた読み聞かせを再開させ僕はジェスター君を見る。
ジェスター君は階段の途中でしゃがみ込みお母さんお母さんと呟きながら自分の顔を両腕で隠している。
僕はさっそく去年も一昨年も同じように泣いていた子に対して行った行動をとった。
まずは背中をトントンと痛くしないように優しく規則正しいリズムで叩く。
これで僕の事が気になって泣き止んでくれたら運がいい。大概は気にはしても泣き止む事はない。
今回もそうだ。なに? とひっくひっくといいながら涙声で聞いてくる。背中を叩いたのはこうやって話を聞くために気を引かせるための行為だ。
「大丈夫?」
「うっく……」
僕の問いに答えはしない。でもそれでいい。顔を上げてくれたから今度は背中を叩いていた右手で今度は頭をゆっくりと撫でた。
「お母さんがいなくて寂しい?」
「ううぅ~……」
僕の質問に一層唸り声をあげる。
「寂しいよね……」
思えばアールスやフェアチャイルドさんは親が恋しいという理由で泣いた事は一度もなかった。
徐々にロビーにいる子供達も僕達の方を見て心配そうな視線を向けてくる。もしくは悲しそうか。フェアチャイルドさんもその事に気付いたのか一層声を上げた。
ごめんフェアチャイルドさん。もうちょっとだけ頑張って。
また腕の中に顔を埋めたジェスター君に対して僕は前から抱きしめた。
そして、背中を今度はゆっくりと右手でさする。落ち着くまでずっとそうした。
フェアチャイルドさんの読み聞かせが終わるとロビーが少しざわつく。どうやらフェアチャイルドさんに遊びをせがんでいるみたいだ。
「ナギお姉ちゃん。その子大丈夫?」
エンリエッタちゃんが心配そうに声をかけてきた。
「大丈夫だよ。心配してくれてありがとうね」
「ん……」
ジェスター君は泣き声はもう出していないけれどまだひっくひっくと嗚咽をもらしている。
「ジェスター君。苦しかったら僕やレノア先生に思いっきり泣きついていいんだからね。我慢しないでいいんだよ」
ジェスター君から返事はないけれど、代わりに僕の服を掴んできた。
僕は掴んできた手に自分の右手を重ねる。
「僕はアリス=ナギ。ジェスター君の名前は?」
「……じぇすたー=まいるど」
「マイルドか。いい名前だね。ジェスターとマイルドどっちで呼んでほしい?」
「……まいるど」
「わかった。じゃあマイルド君って呼ぶね。僕の事はナギって呼んでくれると嬉しいな」
「ん……」
結局マイルド君と言葉を交わせたのはそれだけだった。マイルド君はいきなり立ち上がると僕に掴まれていた手で自分の目をごしごしと拭いた後二階へ戻って行ってしまった。汚れた手で目を拭くと後で痛くなるけど大丈夫だろうか。
「ナギさん。ありがとう」
マイルド君を追いかけようかと思ったけれど突然横から聞こえきたレノア先生の声に足を止めた。
振り向いてみるとニコニコと満面の笑みを浮かべたレノア先生がエンリエッタちゃんの肩に手を置き立っていた。
「レノア先生。居たんですか」
「来たばかりだけどね。マイルド君の事慰めてくれていたのね」
「はい。お陰で初めてのフェアチャイルドさんに色々と押し付けちゃった形になっちゃいましたけど……」
フェアチャイルドさんは今僕が子供達に教えた前世の遊びの相手になっている。
彼女は真剣な表情で子供の相手をしている。表情が硬い気もするけど子供達にも彼女の真剣な気持ちが伝わっているのか、皆真剣な面持ちで遊んでいる。
「ふふ、フェアチャイルドさんも頑張っているみたいね」
「はい」
「マイルド君の事は私に任せて、ナギさんはフェアチャイルドさんを助けてあげて」
僕は頷いて応えてから子供達の輪の中へ入って行った。
子供達との触れ合いの時間を終えて女子寮の自室に戻るとフェアチャイルドさんは疲れたのか服を着替えもしないままベッドの上に倒れこんだ。
「疲れた?」
「はい……とても疲れました」
「じゃあお茶入れるね。スーリアでいいかな?」
「はい……ありがとうございます」
お茶を入れている間フェアチャイルドさんはベッドから起き上がり、机の前の椅子に座り子供達の相手について色々と聞いて来た。
泣いている子の対処法、怒っている子の対処法、喧嘩している子達の仲裁方法等を聞かれ、僕は本当の正解はないと前置きしてから僕なりのやり方を答えた。
「なるほど……正解がないというのは難しいですね」
「人間だからね」
どんなやり方をしてもフェアチャイルドさんがどうしても子守りは向かない、という事もある。その場合はすぐに辞めてもいいとレノア先生から言われている。
「何もかもが同じ人なんて一人もいない。それぞれが色んな悩みを持って、その人にしかわからない苦しみがあるんだ」
「それも、前世で習ったんですか?」
「うん。誰かからの受け売りだよ。……だから、本当の意味で人を救うのは難しいんだと思う。僕だって今のやり方が合っているのかわからないんだから」
失敗を恐れるな、なんて言葉も前世ではあったけど、僕はやっぱり失敗する事は怖い。自分のできる事しか出来ないのに、もしかしたら取り返しのつかない失敗をしてしまうかもしれない。
「……あ、あのナギさん」
「何?」
フェアチャイルドさんは口を付けていたカップを机に置き、畏まった感じで続けた。
「階段で男の子にやっていた事を私にもしてください」
「……どうして?」
意外な申し出だ。彼女がこんな事を言ってくるなんて一体どうしたんだろう?
「その、私、泣いている子がどうして泣き止んだのかわからなくて……同じ事をされたら分かるかもしれないと思ったんです」
「ああ、なるほど」
改めて語るが、フェアチャイルドさんはグランエルに来て寂しいとか怖いとかの理由で泣いている所を見た事がない。
理由は多分……いや、これはただの邪推だな。
理由はなんであれ、そういう理由で泣いた事も慰められた事もないとなると彼女には共感しにくいのかもしれない。
「わかったよ」
僕は早速フェアチャイルドさんを正面から抱きしめた。
「ふあ……」
そして、彼女の耳に僕の心音が聞こえるように位置を調整し、トントンとあやす様に背中を叩く。
「あ……」
「どうかな?」
「……温かくて安心します」
「大人の女性なら柔らかいからもっと効果あると思うけどね」
これは僕が前世で幼い頃にお母さんにしてもらった体勢だ。よく泣いていた僕はこうやってお母さんに慰められていたっけ。
「さて、そろそろ……」
離れようとした時、フェアチャイルドさんが僕の服を掴んでいるのに気が付いた。
……僕は離れずにもう少しだけ続ける事にした。何となくだけど、この子の手が泣いている子供達と同じ手に見えたから。




