僕の願い
翌日、朝からフェアチャイルドさんの所に顔を出してみた。すると彼女はちゃんと起きていた。
僕は今フェアチャイルドさんとは別の部屋で寝泊まりしている。もしも夜中に患者がやってきた場合、僕は叩き起こされる事になる。実際何度もあった。その為、迷惑にならないようにフェアチャイルドさんとは別の部屋にしてもらったんだ。
フェアチャイルドさんの生命力を確認してみると減っていない。ちょっとだけ安心して念の為にピュアルミナを……ってそんな訳にはいかないんだ。いつ病人が出るか分からないから下手に魔力を使う訳にはいかない。あれ? そう考えると昨日フェアチャイルドさんにインパートヴァイタリティをかけたのは不味かったか? うん。不味かったよね……ごめんなさい。
「あの、ナギさん?」
フェアチャイルドさんが床に跪いて手をついている僕に驚いたような声で声をかけてきた。
「どうしたんですか?」
「いや、自分のミスに気づいたんだ」
「ミス、ですか? ナギさんが?」
「僕だってミスぐらいするよ。何度も見てると思うけど」
四年間一緒にいるだけでなく、同じ部屋で暮らしているんだ。ミスの十や二十どころか百は見ててもおかしくない。
「そう……ですね」
何故か斜め上を見ているフェアチャイルドさん。そういえば人は何かを思い出す時左上を見ると聞いた事があるような気がする。そんなに僕はミスをするイメージがないのかそれとも僕自身の印象が薄いのか。
まぁいい。気を取り直していこう。
「今日は施設で皆を治して回るんだ。今日新しい患者が来なかったら明日明後日も施設で待機して、お終いなんだって。何かあったらすぐに言ってね? 駆けつけてくるからさ」
「はい」
「あと、空いてる時間が出来たら会いに来てもいいかな?」
「もちろんです!」
勢いよく首を振った為彼女が被っている覆面が取れそうになり、慌てて自分の覆面を抑えた。その様子がどうにも愛らしく僕は思わず笑ってしまった。
「ひどいです……」
フェアチャイルドさんはむくれているようだけど、覆面の所為で表情は分からない。
「ごめんごめん。じゃあ僕はもう行くね」
「はい……あの、待っています」
「うん。そんなに期待されるとなんだか照れちゃうな。あはは」
よほど暇を持て余していたんだろうな。なるべく早く会いに来よう。
部屋を出て今度は職員さんが待っているであろう応接室へ向かった。
応接室にはすでに覆面を被った職員さんが椅子に腰かけていた。けど、他にいるはずの神父様やシスターはまだ来ていない。
職員さんに挨拶をすると椅子に座って待っていて下さいと言われたので適当な椅子に腰を下ろし待つ事にした。
待つと言ってもそれほど時間はかからなかった。カップラーメンが出来上がるほどの時間もかかっていない。
最初に入って来たのは神父様だ。後に続くようにシスターも入って来た。どちらも僕と一緒に患者を診ていたルゥネイト様の信徒だ。顔は覆面をしているからわからないけれど、神父様は声の感じから年老いた男の人、シスターはまだ若い女の人だと思う。
二人が入って来たところで僕は椅子から立ち上がり二人にお辞儀をして挨拶をした。
職員さんも確認した時にはすでに立ち上がっていてあいさつを終えていた。
これから僕は神父様とシスターと一緒に患者を回って治す事になる。その事を職員さんは簡単に説明すると次に二枚の紙を差し出してきた。
見てみるとそれは今施設にいる患者達の名簿だった。部屋の番号も書かれている。これを見て順番に治して回れという事なんだろう。実際に名簿を確認し終わった後そう説明された。
僕が症状が重い患者は居ないかと聞くと職員さんは特別重いという人はいないらしい。治す順番はどうしようか。正直これだけの情報じゃ判断がつかない。
もしも、もしも次があったならと前置きをしてから僕は名簿には症状の進行に応じて優先度を書いて欲しいと頼んだ。
覆面の所為で表情は分からなかったけれど、ゆっくりとまるで僕の意図を図りかねるような言葉使いで分かりましたとだけ返してきた。
本当に分かっているのか不安にはなるけど、追及しても仕方ない。子供の僕がそんな上から目線みたいな指摘をしたら不愉快にさせるだけだろうから。
けど助け舟は意外な所からやって来た。
「ねぇ、どうして優先順位なんて気にするの?」
聞いて来たのはシスターだ。覆面を被っているがローブの様に身体に布を被って覆うだけの法衣。覆っているだけなので女性らしい体の線が出ており僕の視線をよく迷わせる元凶だ。
「優先順位が分かればどの人を先に治したらいいかって分かると思ったんですけど……」
医療漫画なんかで重症度を診て治療を施す順番を決めていたような記憶がある。この世界じゃないのか、それとも必要ないという事なんだろうか。
「ああ、そういう事ですか。今残っている患者は優先度を設定するほど差が開いていないんですよ。だから今回の名簿には書かれていないんです」
答えてくれたのは職員さんだった。どうやら僕の疑問の答えは後者だったらしい。
「じゃあ誰から治しても同じという事ですか?」
「そうなります」
誰でも同じか……本当にそうなのかな。
例えば子供。子供は大人よりも体力がないし免疫力だって低いはずだ。大人よりも症状の進行を油断できないんじゃないだろうか?
男女にだって同じような理由で差がある……と思う。あくまでも前世からの知識だからこの世界でも同じように当てはまらないかもしれないけど、僕がこの世界を知るなんて事は先人達からの知識がなければできない。だから現状では僕は前世の記憶を基準に選んでいるけど……それが間違いという事もあるかもしれないのか。
もしかしたら病気への抵抗力は男性の方が高いって事もあるかもしれないんだよね。本はよく読んでいるけど、男女の病気への扱いの差が書かれている本は僕の記憶にはない。医学書なんて子供の手が届く値段じゃないから当然なんだけれど。
きっと全てを一度に救えたら楽なんだろう。
でも僕にはそんな事は出来ない。そんな力はない。だから僕は命に順位を付けなきゃいけないんだ。全ての人を平等になんてできないんだから一定の判断基準で、僕は力を使わないといけない。
僕は……吐き気に襲われた。
幸い吐かなかった。覆面を被っているのに吐いていたら大惨事だ。
僕の授かった力はなんて重いんだろう。僕はこの力を使う時、人の命の価値を決めないといけないんだ。そんな……そんなの人間が出来る事じゃない。人に対する好き嫌いはあるけど、そんな物を判断基準に使っちゃ駄目なんだ。この力は唯々ひたすらに客観的な視線を持って力を使わないといけないんだ。
僕は開き直れる人間じゃない。好き嫌いで人からの頼みを断れるような人間じゃない。もっとはっきりとした理由がないと断れない人間だ。特に、人の命がかかっているのなら僕には自分の好き勝手に選ぶ事なんてできない。そんな事をしたら僕はきっと罪悪感で押しつぶされてしまうだろう。
きっと人の命を救うには救えなかった人の命を背負っていく覚悟が必要なんだ。そんな覚悟は僕にはない。捨てる覚悟さえ出来ないのが僕なんだ。
ああ、そうか、想いが足りないっていうのはきっとこういう事なんだ。僕にはこの重圧に耐えられるだけの覚悟何て持っていない。力を持つその意味をまるで理解していなかった。僕はただフェアチャイルドさんを助けたかっただけだったんだ。他の人の事なんて考えていなかった。本当に使えるようになったのはシエル様の情けなんだ。
そう考えると法律で治療費について定められているというのもきっと先達の人達が与えてくれた救いなんだ。
治療費を国が負担してくれる子供は率先して助ける。大人はお金がある人だけを助ければいい。それで罪悪感が消えるわけじゃないけれど、それでも法律の所為にできるんだ。
きっとそれは少しだけ重荷を軽くしてくれる慈悲なんだ。
気が付くとお昼になっていた。どうやら考え事をしながらも患者は治していたらしく、名簿に書かれた名前の横に上から順に丸の印が書かれている。
そうか、僕は上から順番に治していったんだ。……きっとそれでよかったんだろう。そんな理由で安心できている。深く考える必要はなかったんだ。きっとそれでいいはずなんだ。
僕は胸の奥に暗く重い物を抱えた事を自覚しながら休憩を取りたいと言って神父様とシスターと別れフェアチャイルドさんの部屋へ向かった。
……言い訳になってしまうかもしれないが、僕は精神的に疲れていた。覚悟もなく重い力を持った事、命を選択する事への重圧、色々な事を考えていて疲れてついノックするのを忘れていた。
扉を開けた先でフェアチャイルドさんは……何故か覆面を取って腕立て伏せをしていた。
「フェアチャイルドさん?」
疲れの所為もあってか声に妙に力が入ってしまった。
彼女は僕に気付くと急いで傍に置いてあった覆面を被るが前後逆になっている。
慌てて直すけれど結果は少しずれてしまっている。
「何を、していたのかな?」
怒ってはいない。怒ってはいないんだ。ただちょっと疲れてて、余裕がないだけだ。
「……」
フェアチャイルドさんが僕から顔を背ける。
「こっち向いて?」
口で言っても僕の顔を見てくれなかったので両手でフェアチャイルドさんの顔を僕の方を向かせた。
「何を……していたのかな?」
出来るだけ落ち着いた声で改めて聞く。
「あ、あの……その……か、身体を鍛えていました……」
僕はその答えにため息をついた。見ていれば分かる。問題なのはどうしてそんな事をしていたのかなんだけど……。
「フェアチャイルドさん。疲れていると病気になりやすいって言ったよね?
ましてここは療養施設。この部屋に入った人がどんな病気を部屋の外から持ってくるかわからないんだ。だから疲れる事も、覆面を取る事もしちゃ駄目だって言ったよね?」
「ごめんなさい……私、早く良くなろうって思って」
「……焦らなくていいんだよ。焦るのは元気な時だけでいいんだ」
「でも……」
僕はまだ何か言おうとするフェアチャイルドさんを両腕で抱き寄せ、髪が覆面の上から優しく頭を撫でた。
「また、フェアチャイルドさんに何かあったら、僕は悲しいよ」
「あ……」
片腕の中にいるフェアチャイルドさんの身体は、健康になったはずの今でも細く脆そうだ。でもたしかに彼女の温かさを感じる事ができる。
「魔法は万能じゃない。僕にだって助けられない事はある。ううん。むしろそっちの方が多い。だから、自分の事を大事にして……」
口にして後悔した。何を言っているんだ僕は。そんな事を言う資格が僕にあるのか?
自分を犠牲にして、皆を置いてこの世界にやってきた僕にそんな事を言う資格があるはずがないじゃないか。
……でも、ああそうだ。それでもだ。それでも僕は彼女に生きて欲しいと何度でも言おう。それがピュアルミナを授かった時に願った僕の願いだったんだから。
「はい……もう無茶はしません」
「信じるよ?」
「はい」
「じゃあ約束」
抱きしめていたフェアチャイルドさんを放し小指を彼女の目の前に立てて出す。すると、彼女ははあの一月の夜の様に僕の小指に自分の小指を絡めてきた。
絡め合った小指を手ごと小さく縦に揺らしてからゆっくりと離す。
「ナギさんとの約束、増えますね」
「もっと増やそうか?」
「はい。それじゃあ……あの、その……今晩一緒に寝て貰っても……いいですか?」
「夜中起こされるかもしれないよ?」
「それでもいいんです……」
こんな所に一人で居させてしまっという負い目がある。一緒の部屋で寝る事ぐらいで償えるとは思えないけれど、この位の願いも叶えられないで男なんて言えないよね。
「分かった。それじゃあ今晩は一緒の部屋で寝ようか」
「はい。一緒の部屋で、一緒にお休みしましょう」
今度は彼女の方から小指を差し出してきた。
「うん。約束」
これからももっとこうやって約束を増やせて行けたらいいな。
「あの、フェアチャイルドさん?」
「はい」
「どうして僕のベッドに入って来るのかな?」
夜になり約束通り許可を貰って僕はフェアチャイルドさんと同じ部屋で寝られる事になったのだけれど、いざ眠ろうとベッドに入るとなぜかフェアチャイルドさんが僕のベッドに入り込んできた。
「一緒に寝るって約束しました」
「一緒に寝るって同じベッドで寝るって意味だったの!?」
「はい」
彼女は本当にいい笑顔で答えた。
まぁ一緒に寝る事については別に構わないか。きっと僕と同じベッドに一緒に寝たいと思うほど寂しかったんだろう。
その証拠に彼女は僕の服を掴んでいる。きっと離れて欲しくないんだ。
フェアチャイルドさんは僕と身長は変わらない。けど、横で寝ている彼女は何故だかとても小さく見た。
同じ目の高さだから忘れがちだけど、彼女はまだ小さな小さな女の子なんだ。僕はその事を忘れないように心の奥に刻み込んだ。
そして、安心させるために眠りにつく前に一言囁いた。
「僕はここにいるからね」




