足りないもの
それはいつも通りの近隣の村に行って帰ってくるだけの簡単な都市外授業だった。
この頃は一日で帰れるようになっていた。今回もこのペースなら今日中に帰れるだろうと、ベルナデットさんと調理をしながら話をしていた最中に異変は起こった。
傍で座っていたフェアチャイルドさんがふらりと地面に倒れた。僕はそれに反応できず、皮を剥いている最中の野菜を手に持ったまま見ていた。
ドサリという音と共に我に返り慌てて野菜を置きフェアチャイルドさんに近寄った。
頭を打っていたら大変なのでヒールを掛けつつ声をかけた。
「どうしたの?」
「少し、目まいがしただけです」
そう言ってフェアチャイルドさんは起きようと身体を動かし始めている見たいだけれど、支えている僕からしたらまったく力が入っていないように感じた。
額に手をやる。少し熱いか? でもよく考えたら僕はフェアチャイルドさんの平熱を知らない。この体温が平温なのか異常なのか区別がつかない程度の熱さだ。
「とりあえず横になって。喉とか、どこか痛い所ない?」
「目の奥が……痛いような気がします」
「風邪かな……とりあえず近くに火を付けて……他の二人は念の為フェアチャイルドさんには近寄らないで」
「うん。わかった」
荷物から毛布を出してフェアチャイルドさんに掛ける。
ハイマン先生は近くで僕達を時折見ながら荷物の中身を探っているようだ。何か薬みたいなのがあるのだろうか。
やがて目的の物が見つかったのか僕達の傍にやってきて念の為の栄養剤だ、と言って小瓶を差し出してきた。
その小瓶を受け取りフェアチャイルドさんに飲ませた。どうやら相当苦いらしく非常に嫌そうな顔をしているが、それでも吐き出す事無く全て飲み干した。
「フェアチャイルドさん。ゆっくりしてね」
「ごめんなさい……」
「……身体の調子、悪かったの?」
「前回、休んだ時からなんとなく体が重い気がしていました……ただの疲れだと思ってそのままに……」
「そっか。寒くない?」
焚火を新たに作ったけれどまだ周辺の空気は温まっていない。ウィンドで少しずつ空気をかき混ぜているけれどどれほど効果があるだろうか。
「はい。大丈夫です」
気だるげに答えるフェアチャイルドさん。
水はフェアチャイルドさんの水筒がある。中身もまだ残っているみたいだから問題ないだろう。
後は体調が戻るのを待つだけだ。
食事を終えてもフェアチャイルドさんの容態は良くならなかった。
それどころかローランズさんも体調不良を訴えた。
僕とベルナデットさんは話し合い、ローランズさんがまだ動けるうちになるべくグランエルに近づこうという事になった。
途中馬車が通ればそれに乗せてもらう事も先生に確認を取っておいた。
フェアチャイルドさんは僕が背負い、皆の荷物は先生に持ってもらう事になった。
ベルナデットさんが全部持つのはさすがに無理だし、ローランズさんのフォローもベルナデットさんが担当してもらわないといけない。
そして、歩き出しておよそ一時間。ローランズさんが倒れた。
すぐにベルナデットさんが支えた為怪我はなかったけれど、どうやらフェアチャイルドさんと同じような症状で目の奥が痛く力が入らないらしい。
僕はベルナデットさんに学校から支給されていた緊急時用の発煙筒を渡し道で救援が来るのを待っていて欲しいとお願いした。
ベルナデットさんは心配そうにローランズさんを見てから力強くうなずいて発煙筒に火をつける。
発煙筒から急病人の知らせを告げる赤の煙が立ち上る。
先生には少し離れた場所から僕達三人の周りに風の壁を作り隔離して欲しいと頼んだ。少しでも他の人への感染を防ぐためだ。正直気休めにしかならないだろう。二人の症状が感染する物なら多分すでに全員感染しているだろうから。
先生が風の壁を作ると空気が暖かくなるのを感じた。先生が風の壁を温風で作ってくれたんだ。でもこれだとすぐに魔力が尽きてしまうのではないだろうか? そう思ったのが顔に出たのか先生は心配するなと言ってくれた。
先生と野営の準備をして二人を柔らかい毛布の上に寝かせる。
大した事が出来るわけじゃないけれど、冷やしたタオルの面倒くらいはできる。
念の為キュアもかけてみるけれど効果はない。当然だ。キュアは魔素や魔力由来の状態異常に効く魔法で、病気や自然の毒には効果がない。
二人の看病をしつつ待つ事大よそ一時間半。馬車が野営している場所の近くに止まった。中から複数の兵士と神父様が出てきた。
神父様は見た事がある。寮の近くにあるラーラ様の教会の神父様だ。
神父様はフェアチャイルドさんに近寄ると『解析』の魔法を使った。
「どうですか?」
「これは……急いでグランエルへ運んだ方がいいでしょう」
神父様は僕を含む他の皆にも同じように魔法を使い状態を確かめた結果、全員が病気にかかっている事が判明した。
どうやら健康かそうでないかまでわかるみたいだけれど、具体的な症状までは分からないみたいだ。
グランエルへ着いた僕達は中に入った後真直ぐ南東の繁華街の近くにある療養施設へと連れて行かれた。
そこで複数の鳥のくちばしみたいな物がある白い覆面を被った大人に囲まれていた。まるで前世の学校の授業で習ったペスト医師のような格好だ。
その医師?に僕達は伝染病にかかった恐れがあり、隔離する必要があると告げられた。
どうやら僕達よりも先に進んでいたチームで同じような症状になった子が出たらしい。
それ以上詳しい事を聞かされる前に個室へ入るように命令された。
「お願いします! 僕を、フェアチャイルドさんと同じ部屋にしてください!」
「あ……わ、私もお願いします! フィアと一緒の部屋に!」
僕とベルナデットさんでそう懇願すると命令した男の人は困惑した表情で周囲の大人の人と少しの間相談しだした。
やがて、一人が僕達に優しく語りかけてきた。
「君達はまだ症状が軽い。一緒にするのは……」
まだ軽い気だるさしか感じていないけれど、僕も感染しているのはステータスで確認されているから確実だ。
「お願いします……友達なんです」
僕はフェアチャイルドさんから離れたくなかった。フェアチャイルドさんが倒れた時から続く妙な胸騒ぎ。嫌な未来が僕の頭の中を支配している。
一緒にいたとして何もできる事はないかもしれない。けど、それでも僕は一緒にいたいと思った。
「せめて、僕が元気なうちはフェアチャイルドさんを元気づけたいんです」
ベルナデットさんも僕の横で頷いている。
大人達は仕方ないといった感じで軽くため息をついて僕達の願いを受け入れてくれた。
お礼を言い、僕はフェアチャイルドさんと同じ部屋へ案内された。
元々二人用の部屋らしくベッドが二つ用意されていた。
部屋の中は白で統一されていて、窓の外には枯れた木と薄汚れた白い壁があるだけだ。部屋に入って右手側にもう一つ扉がある。何の部屋だろうか。
大人がフェアチャイルドさんをベッドに寝かせた後、僕に向かってここでの生活について説明を始めた。
担当の人が日に三回ほど様子を見に来る事、担当ではないが元の世界でいう看護師のような様子を頻繁に看病する人がやって来る事、食事は扉についている差し入れ口から渡され、原則として外には出る事は出来ないらしい事を説明された。
トイレは右手側にあるのがそうらしい。
大人達が出て行くと僕は早速ベッドで寝ているフェアチャイルドさんの手を取った。
「フェアチャイルドさん。大丈夫だからね」
「ナギさん……」
苦しそうに応える。
僕にできる事。この場でできる事なんて限られている。
今ここで僕は新しい魔法を授からなきゃいけないんだ。方法は分からない。今までどんな特訓をしても目的の魔法は覚えられなかった。
……今やらなきゃいつやるんだ。
そう、決意しつつも夜頃になると僕にもついに病魔の手が伸びてきた。
身体中に力が入らない。魔力は動かす事は出来る為練習はできるけれど、熱も出てきた。どこまで集中できるだろう。
僕も動けなくなった時、僕はフェアチャイルドさんのベッドにしがみついていた。様子を見に来た人が僕を発見しベッドへ運ぶ。
僕はフェアチャイルドさんから離れたくなかったけれど、その願いは聞き入れてくれはしなかった。
仕方なく僕は魔力の操作に集中する事にした。
二日が過ぎた。相変わらず動けず頭は痛いが僕の病気の進行はそこで止まっていた。だけど、フェアチャイルドさんは違った。
大人達から漏れ聞こえてくる話によると、フェアチャイルドさんの指先の皮膚がただれ始めたらしい。神父さんやシスターが交代でヒールを掛けて何とか症状を遅らせている状態だとか。
誰もいない時、フェアチャイルドさんはうわ言の様に痒さと痛みを訴えている。身体が動けないのはむしろ幸いだったかもしれない。
だけど、ああ、駄目だ。僕は、子供が目の前で苦しんでいるのを見ていられない。産まれてこれなかったあの子を思い出してしまう。僕の目の前で事故にあったお母さんを思い出してしまう。嫌だ。嫌だ。
助けたい。僕はフェアチャイルドさんを助けたい。苦しんで欲しくない。笑っていてほしい。僕を置いて行かないで……。
僕は二人きりになった時間に身体を動かそうと力を入れる。どこからも力が湧いてこないけれどそれでも、と動かそうとする。すると魔力が僕の身体中に染み渡るのをかんじた。魔力感知をする時よりももっと深く濃い感触に、僕は魔力操作を使い身体に染み渡っている魔力を動かす。
するとゆっくりとだけど僕の身体が動き始めた。
これはきっとウォーターの応用だ。いや、そんな考察は後ででいい。今はフェアチャイルドさんの元へ。
ゆっくりとベッドから降り、ぎこちなくバランスを取りながら僕はフェアチャイルドさんの元へ向かった。
フェアチャイルドさんはまるで呼吸音のように微かな声で僕の名前を呼んでいた。
「フェア……」
僕も名前を呼ぼうとするけど、続かなかった。口や舌が動かなかったからじゃない。フェアチャイルドさんの顔を見たからだ。
雪のような白さをしていたフェアチャイルドさんの顔が今は赤く、ぶつぶつで覆われていて、綺麗だった顔立ちが見る影もなくなっている。
しかもそのぶつぶつは顔だけではなく首元にまで広がっていた。
少し見れなかっただけなのに、もうこんなに。
僕は倒れこむようにフェアチャイルドさんのベッドの横の床に座り込み、フェアチャイルドさんの手を取った。
白く細く柔らかかった手は今ではカサカサになっている。
僕が手を握っているのが分かったのかほんの少し握り返してくる感触がした。その手を強く握り返す。
「絶対に助けるよ」
まだ温かい。フェアチャイルドさんの手は温かいんだ。温もりを失わせはしない。助ける。絶対に助ける……
静かに僕の中の魔力を動かし呟く。
「『インパートヴァイタリティ』」
効果はない。けれど僕は何度も同じ言葉をつぶやいた。
何度も何度も。途中引きはがされてもまたフェアチャイルドさんの手を取り何度も唱えた。
どれぐらいの時間が経っただろう。フェアチャイルドさんの手は赤黒く腫れて、強く握る事はもうできない。手だけじゃない。顔、足……全身がだ。駄目だ。このままじゃ駄目なんだ。
助けたいんだ。助けてほしいんだ。シエル様、お願いします。フェアチャイルドさんを助けてください。
(何故助けたいのですか?)
何故? そんなの決まっているじゃないか。友達なんだ。フェアチャイルドさんは大事な友達なんだよ。僕の事を知っても受け入れてくれた。僕と雪を見に行く約束をしてくれた。僕を助けてくれた。僕を……好きだって言ってくれたんだ。
そんな彼女に生きて欲しいんだ。生きてもっともっと楽しい事を知ってほしい。まだまだこれからなんだ。これから将来の夢をたくさん見るかもしれない。沢山の友達との出会いと別れだってあるかもしれない。遠くの国へ行って珍しい物を見れるかもしれない。誰かに恋をする事だってあるかもしれない。誰かと愛し合って家庭を作るかもしれない。
そうやっていろんな事を体験してフェアチャイルドさんに自分の幸せを見つけて欲しいんだ!
《神聖魔法『インパートヴァイタリティ』、神聖魔法『パーフェクトヒール』、神聖魔法『サンクチュアリ』、神聖魔法『ホーリー』、神聖魔法『ピュアルミナ』を習得しました》
僕は流れ込んでくる魔法を精査する事無く、新しく覚えた魔法の一つを唱えた。
「『ピュアルミナ』」
その魔法だけで僕の魔力は空っぽになった。だけど、一先ずはこれでいい。ピュアルミナは身体から害になる物を完全に消す魔法だ。
ありがとうございます。シエル様。




