ジーンの依頼
ルゥと魔獣との邂逅も終えた後、僕はユウナ様に会ったりアールス達の到着を待ちつつその間に入れておいた特別授業の準備を宿の部屋で進める日々を送っていた。
そんなある日の事、部屋で作業をしていた僕は宿屋の従業員に僕に来客が来たと伝えて来た。
来客の名はジーン。ジーンさんだ。特徴を聞くと相変わらず女性の姿をしているらしくすぐに特定できた。
わざわざ訪ねてくるとは思わなかった。
作業に使っていた物を全て片付け、隣の部屋に泊まっているカナデさんに声をかけてからジーンさんのいる受付前へ向かう。
久しぶりに見たジーンさんは相変わらず派手だ。筋骨隆々の身体に濃い化粧、それに彩り豊かなドレスと装飾品。
「お久しぶりですジーンさん」
「お久しぶり。ナギちゃん。成長したわね。少し凛々しくなったかしら?」
「先達者にそう言って貰えると嬉しいです。それにしてもわざわざ宿まで会いに来てくれるとは思いませんでしたよ」
「水臭い事言わないの……って言いたい所だけれど実は貴女に聞きたい事があって訪ねて来たの」
「聞きたい事ですか?」
「ここで立ち話もなんだから食堂で何か飲みながら話しましょ」
「分かりました」
宿に併設されている食堂へ行きそこで飲み物を頼みやってくるまで軽い雑談をし、注文した物がやってくると雑談を止めて本題へ入った。
「話したい事は一杯あるんだけどね、一応仕事の一環としてきたからそっちを優先させてもらうわね」
「はい」
「まずあなたに聞きたい事なんだけれど、ナスちゃんはリュート村の森に棲んでいたのよね?」
「そう聞いています」
ナスの事が聞きたいのか?
「十年くらい前に魔物が壁を越えて侵入してきて、その時ナスちゃんが魔獣になったと」
正確には九年前か。あの時の事を思い出すとお父さんが腕を無くしていた事とアールスの小父さんの事も思い出す。
「ええ、そうナスからは聞いています。母さんはオーガ以上の魔物がいて、そのオーガの魔素で小さかったナスが魔獣になったんじゃないかって推測していましたね」
「うん。身体が小さいとその分魔獣化しやすいものね。ありがとう。あまり思い出したくない事も思い出させちゃったみたいね」
「いえ、大丈夫です。それよりもそれがどうかしたんですか?」
「そうね……ナギちゃんはその推測に疑問を持った事はない?」
「疑問ですか? もちろんあります。オーガは探知能力が高くないとはいえ自分の魔素の影響を受けるほど近くにいる生物に気が付かない訳がありません。どうしてナスの事を見逃したんだろうって。
一応小さいから放っておいたと無理やり納得は出来ますけど……」
「そうね。私も初めてその話を聞いた時そう疑問に思ったわ。魔獣になった後ならともかくなる前は魔物にとって生物は敵でしかないのに」
「聞いたって誰から聞いたんですか?」
「貴女のお母さんよ。調査で聞き込みもおこなっててね、リュート村であなたのお母さんから話を聞いたのよ」
ジーンさんが聞き込みって外見の問題からすごく向いてなさそうだけどな。何かコツでもあるんだろうか?
「まぁこの街で聞き込みをしても似たような話はいくらでも聞けたけれど。さすがに有名よね」
「魔獣達は目立ちますからね……学校で一緒に過ごした人達の影響もあるんでしょうが」
グランエルの住民には魔獣達の認知度は意外と高い。アースとナスは学校でずっと暮らしていたので当時の子供達の口から魔獣達の話題が良く上がっていたようだし、一度兵士さん達と一緒に凱旋したのも大きいかもしれない。
けどグランエルに顔を出さなくなって三年近くなっている現在でも未だに忘れ去られていない事に少し感動を覚えてしまう。
「それで話は変わって調査の内容なんだけれど、まずナギちゃんは前線基地近くの魔素が年々減ってきていた事は知っている?」
「ええ、知っています。魔の平野から流入する魔素の量が減っているんですかね?」
「それもありそうなんだけれど最近とある学者がある説を唱えたのよ。魔素が減っているのは地中の魔蟲が増えているからではないかってね」
「魔蟲が……ですか?」
「学者の説を要約すると魔の平野から流入する量が減っているにしても減り方が異常らしいのよ。
もともと地面って魔素に侵されてるじゃない? 開拓の時にある程度浄化するとはいえ人の手が入っていない土地では浄化なんてわざわざしないでしょう?
そうなると魔蟲しかその土地の魔素を減らす存在はいないのよ。けど魔蟲は繁殖が出来ないから数を増やせない。
だからその土地の魔素を全部消すほど爆発的に増える事はないの。
その所為で普通は一定の魔素濃度に保たれるのだけど、他の動物に食べられて魔蟲が減り過ぎた場合はほんの少しずつ増えていくものらしいわ」
「でも国の中心部では恒常的に魔素の量が減ってるんじゃないでしたっけ?」
「それは魔素に侵されていない土地が広がってるかららしいわ。魔素に侵されていない土地が広がればその分魔素の浸食も鈍るし地中の魔蟲も魔素を得ようと頑張るのよ。
でもそれはあくまでも千年経ってようやく減り始めたっていう話なの。開拓してうん百年も経っていない前線基地周辺の土地には当てはまらないっていうのがさっき言った学者の主張ね」
「え~と……前線基地周辺の魔素が減っているのは土地の広さと時間の長さが当てはまらないなら単純に魔蟲が増えているから……と。
でもそれじゃあ魔蟲が増えた原因は何なんですか?」
「それよ。魔蟲を調査するのが私の仕事って訳」
「ああ、なるほど……それで増えてたんですか?」
「調査自体は学者自身が細々とやっていてね。もう年だからって冒険者に調査の手伝いを依頼として出して私が受けたのよ。
おかげで資料はあるんだけど……数年前までは増えていたけれど今は減っているみたいなの」
「減ってる?」
「そして魔素は最近増えてきているのよ」
「ああ、そう繋がるんですか……というか魔素が増えてる?」
「本当にごくごくわずかだけれどね」
僕の感知力じゃ分からない位緩やかに増えてるって事か。
「これは魔蟲が他の土地に行ったか縄張り争いに敗れて死んだか小動物に食べられて数が減ってしまったんじゃないかって言ってたわね。その証拠に虫を食べる小動物を獲物にしている動物も減っているらしいわ。
そして植物も減っているんだって」
「えっ、どうして……ってそうか、植物の受粉には虫が必要ですもんね。その虫も減っちゃってるって事ですか」
そう言えば昔遺跡調査をして大量の魔蟲が出た事があったな。たしか東の方から続いてる小動物の穴を通って来たようだとライチーが調べてくれたんだっけ。
関係は……さすがにないだろう。さすがに最東端の都市からあの遺跡までは遠すぎる。
……ないと思いたい。
「その通りよ。まぁ虫だけが受粉に必要なわけじゃないから人が暮らす分には致命的なほどには減っていないけれど、安定するまでは森の恵みは少なくなるでしょうね。どれくらい減るかは学者じゃない私には分からないけれど」
森の恵みとは果実だけを指すわけじゃない。ナビィなど食用になる野生動物も指す。
繁殖できない魔蟲が増えるとその分普通の虫がいなくなって虫を主食としている小動物の餌が少なくなる。
となると当然小動物は餌場を求めて移動するからその小動物を餌とする肉食動物も小動物を追いかけて移動してしまう。もしくは獲物が捕らえられなくなり餓死する。
ナビィの様な雑食もしくは草食の動物は移動する必要があるどころか自分を襲ってくる肉食動物の数が減ったらその分数が増える。
それで草食動物の数が増えると今度は植物が減るのだけど、その植物は増やしてくれる虫がいないから中々増やせなくなって結果草食動物の餌も減って草食動物も減って行くわけだ。
そして、それが僕達人間の暮らしにどれほど影響を与える程の事なのかは分からない、と。
「で、次の調査段階に入ろうか考えていた時に丁度ナギちゃんが来たっていう噂を聞いて会いに来たのよ」
「協力して欲しいと?」
「時間は取らせないわ。必要なのはアースちゃんの力。アースちゃん地面を掘り起こして天高い高台を作った事があるんでしょう? その力で地面を掘って調べてみようと思うのよ」
「それなら確かに適任でしょうけど……原因がアースが必要なほど地中深くにあるって考えてるんですか?」
「ええ。最悪魔物が地中に溜まってる事を危惧しているわ」
「それは……」
話している途中で僕もその可能性には気づいていた。でもアースも昔は地中に潜っていたのに気づかないなんて事があるか?
いや、地中に魔素を求めたのが逆に地中に何かある証明なのか? 地中の魔素が少なければわざわざ潜る必要はないか。
「ナスが魔獣化したのもそれに関連があると?」
「魔物っていうのは何故か魔人のいう事を聞くのよね。だからリュート村にいた魔物は魔人から命令を受けていたからナスちゃんを放っておいてでも命令を果たそうとした。
じゃあその命令が何かってなった時どうしてわざわざナビィを殺したのかを考えてさらにナビィの習性を考えてみたの。
ナビィは穴を掘る。その穴を利用しようとしたかもしくは……地中に溜まった魔素が穴を掘っている内に吹き出ていて魔物はその魔素に引かれてナビィの巣に入り込んだ……」
「仮説に仮説を重ねているだけですけど……」
「杞憂ならそれでいいのよ。なんにしても調査で地面は掘り返す事に変わりはない。ナギちゃん協力してくれるかしら?」
「……僕は先に仕事の予定が入っていますし仲間を待つ身です。時間はあまりとれませんがそれでもいいのなら」
「じゃあじゃあ依頼の内容の詳しい説明と報酬の話をしましょうか。それから受けるかどうか決めて頂戴。もちろん一旦持ち帰って仲間と相談してもいいわ」
「はい」