出発
遠征から戻って半月。いよいよガルデから出発する日がやって来た。
二年間住んでいた家を引き払い今最後の別れを迎える所だ。
家の持ち主である大家さんと握手を交わし離れる前にじっくりと家を眺める。
住んでいたのはたったの二年間だったけれど楽しい二年間だった。
だから感謝の気持ちを込めよう。
「さようなら」
一言でいい。これ以上は名残惜しくなってしまう。
ガルデを出た僕達はまずドサイドへ向かう。アイネの闘技場参加の為だ。
僕の我儘でアイネに我慢させてしまっていた。その鬱憤が溜まっていたのか毎日の訓練にも気合が入っている。
だけどそれ以上に気になるのがレナスさんだ。
遠征から帰って来た時くらいからだろうか。強くなってきている。
前からレナスさんは身体能力は高くないが先読みと戦いの流れを操る事に秀でていて、最近はそれに磨きがかかってきているのだ。
しっかりと周りや相手を見る事が出来ていて、レナスさん自身に余裕を感じる。
何か変わった事でもあったか? と考えても心当たりと言えばレナスさんの誤解を解いた事くらいしか思い浮かばず、それが上達の要因になったのかと疑問を浮かべるばかりだ。
そして、約二週間の道のりを経てドサイドに到着する。
ドサイドではさすがにアールスの人気はもう過ぎており、お店でもアールス関連の商品は無くなっていた。
ドサイドを出てから全く関わらなかったから当然だろう。
とりあえず宿と預かり施設の倉庫は一週間借りる事にした。
アイネが順調に勝ち続けられそうだったら延長し、駄目だったら滞在は一週間までになる。
その一週間も初日は荷物降ろしや宿探しでつぶれ、七日目も出発する日になるので実際にアイネに与えられた猶予は五日間だ。
トラファルガーへの挑戦権を得られる十連勝のちょうど半分だ。
アイネはドサイドに着くとともに翌日の試合の為に体調を整えはじめる。
本当なら挑戦させるまでにもっと身体を休められるようにしたいのだけどあいにくと予定が詰まっている。
今は九月の初旬。アールスがまたグラード山の露天風呂に入りたいと言っていたが一週間後に出発だと着くのは十月になる。しかし、ここで三週間滞在すると着くのは十月の終わりになってしまう。
雪が降る前に南下したい僕達はそうなるとグラード山に登る余裕が無くなってしまうのだ。
それにアイネの意向もある。アイネは本当ならついた当日に闘技場に参加したいと願うほどやる気に満ちている。
幸いな事なのかドサイドに到着したのが昼を大分過ぎた頃で受付が終わっていたので着いてすぐ登録という事は出来なかった。
翌日になるとアイネは朝一番に身支度を整え朝ごはんも食べずに闘技場へ行ってしまった。一番に登録をしたいんだろうが五時を過ぎた時間ではさすがに早すぎる。
とりあえずアイネの為に朝食用のお弁当を作る事にした。届けに行く自分用のお弁当もついでに作っておく。
消化が速く身体の負担にならない物を詰め込みアイネの後を追う。
そしてアイネに追いつきお弁当を渡すと驚いた顔をされた。どうやら闘技場が楽しみ過ぎて朝ご飯の事を忘れていたらしい。
アイネのうっかりさにひとしきり笑ってから闘技場に行くには時間が早すぎるので少し散歩しようとアイネに提案した。
アイネは少し渋る様子を見せたが僕の提案に乗ってくれた。
そして、闘技場までの道を遠回りして散歩をする。散歩の間ずっとアイネが今日の戦いへの意気込みを話し続ける。
思いっきり楽しんで来い、そう言うのがきっとアイネの事を考えたら一番いいのかもしれない。
だけど僕の口からはとてもだけど言えない。
だからって心配するような事も水を差すようでいいにくい。
結局嬉しそうに話すアイネの話をただ聞く事しかできなかった。
一時間程散歩をして時間を潰した後闘技場に到着する。
やはり時間が早いのか入り口前の広場には屋台の準備をしている人しかいない。
広場に設置されている長椅子に座り、少し早いけれど朝ご飯を食べる事にする。
アイネはずっとつけていた兜を脱ぎ自分の横に置いてからお弁当を膝の上で広げる。
お弁当と言ってもパンにおかずを詰め込んだ物で手の込んでいる物じゃない。
しかも消化が早そうな物を中心に入れてるからアイネが好きなお肉は数が少ない。
それでもアイネは嬉しそうに、美味しそうに食べてくれる。
食べ終わり片付けを終える頃になると人が増えて来て、皆闘技場の中に入って行く。恰好からして恐らく見学の人だろう。
きっと席を取る為に朝早くからやってきた人達だろう。
時計塔を見て時間を確認すると現在は六時半。闘士の受付開始は確か七時からだったか。
「もうすぐ時間だね」
「うん」
アイネの青い瞳はまっすぐ闘技場を見据えている。
「アイネ」
「なに?」
「きっとアイネが怪我をしたら僕は泣くと思う」
「知ってる」
「下手をしたら失神してしまうかもしれない」
「知ってる」
アイネは僕の事をよく知っているな。
「けど僕の気持ちなんて気にしないでアイネのしたい事思いっきりやってきな」
「うん。もー来れないかもしんないしね」
「来れるさ。アイネにその気がある限りね」
「その時はまたついて来てくれる?」
「どうかな。多分僕はもう来ないと思うよ」
「そっか。残念だなぁ」
少なくとも僕がまたここに来るとしたらそれは遊びに来るためじゃないだろうな。