焦り
「ねーちゃん強すぎ!」
僕との十試合中十回目の敗北でアイネがついに吠えた。
魔法でほとんど何もさせなかったんだからよく持った方だろう。
「これぐらい闘技場じゃ当たり前だよ」
たぶんきっと。
「さすがに当り前じゃないと思うよ? 魔法は補助の為に皆使ってるだけで皆武器を主にして戦ってるからね?」
アールスの言葉に耳を疑う。
「馬鹿な、それじゃあ魔術士はどうやって勝てばいいんだ」
「闘技場は魔術士が戦う為の場所じゃなくて肉体を鍛えて技を競い合う場所だよ?」
「えっ、じゃあ魔術士の腕を競う場所はどこに?」
「魔法は危ないから試合形式じゃないって聞いたね」
「そんな……武器だって同じように危険じゃないか」
「それはそうだけど魔法の腕って結局は魔力操作の練度だから競うなら試合形式じゃなくてもいいし」
「じ、じゃあ僕が教えてる事は無駄……?」
「無駄ではないと思うよ? 強い相手と戦えば訓練になるし……」
「そっか……じゃあ今のままで……」
「よくない! すぐに終わっちゃって全然訓練にならないよ!」
「……アイネ?」
おかしい。いつものアイネなら訓練でも相手が強ければ強いほどやる気になるしきちんと対処して強くなる。だから今日の訓練も手加減をせずに本気でやっていた。
だというのに今のアイネは明らかに苛立っている。
アイネの変化にアールスを見るとアールスも同じように僕に視線を向けてきていて困惑の感情が見て取れた。
「やりすぎたかな。アールスはどう思う?」
「う、うーん。たしかにちょっとやりすぎ……だったかも?」
「開幕百個いじょーのまほーなんて避けられるわけないじゃん!」
「無理に避けるんじゃなくてシールド系やウォール系の魔法で防いだり同じ魔法で相殺していいんだよ?」
「百個いじょーもどーじにまほーだせないよ! それに百個いじょーのまほーを防げるわけないでしょ!」
「それは確かにアイネちゃんに一理あるかな……避けるにしたってナギの魔法って絶対に外さないし」
「う、うーん……じゃあ次からはもう少し手加減するよ。とりあえず今日はこれくらいにしようか。組合に行きたいし」
「あたしはもーちょっと一人で訓練してる」
「……うん」
今日のアイネはなんだか余裕を感じられないな。
この間の闘技場についての話が尾を引いてるのかな?
アールスにアイネに見えないように指で話をしたいと合図を送る。
そうして家に戻る途中アールスにアイネについて確認を取る。
「アイネ余裕が無いように見えるね」
「私もそう見える。後いつものアイネちゃんなら十回もやって打開策を出せないなんて事ないと思うんだけど」
「出せないから苛立ったのかも」
「ああ、なるほど……ナギとしてはアイネちゃんにどう攻略してほしかったの?」
「アイネなら足の速さで何とか出来たと思うよ。多少の被弾は相殺するなりシールド系の魔法で防いで距離を詰めてくる……これに拘ったわけじゃないけどアイネなら少しずつ対処できるようになると思ってた」
「私も同感。魔法の速度は基本的に変わらないもんね。アイネちゃんの速さなら逃げつつそのうち対処が出来るようになると思う」
魔法の動く速度はよっぽど魔力操作が下手でもない限り早さは変わらない。
だけど僕は相手に追いつけない速度を出されない限り魔法を外す事はない。外す魔法と外さない魔法の差はただただ無駄な動きをしているかどうかと相手の動きの先読みが出来るかどうかだ。
アイネの足の速さは魔法より少し遅い程度。というか魔法より早く動けるのはナスや馬のような足の速い動物位だ。
アイネの足では普通にやったら逃げ切れないが、しかしアイネの身の軽さなら魔法を駆使しつつ僕に対して距離を詰めてこれると思っている。
「やっぱり焦ってるのかな」
「闘技場の事?」
「うん。本当に今のアイネじゃ勝ち抜くのは難しいかな?」
「難しいよ。アイネちゃん位の技量の闘士は一杯いるのに体力がないんだもん。だから今はすっぱりと諦めさせた方がいいと私は思うよ?」
「そっかぁ……中途半端な事しちゃったかな」
「ナギはどうしてやめさせようとしないの? 勝ち抜ける可能性が無かったらてっきりナギならアイネちゃん闘技場に出すのやめさせると思ったんだけど」
「そりゃ……だって僕達ってやりたい事があるから旅をしてる訳でしょ? 皆やりたい事をやろうとしてるのにアイネにはやめろだなんて言えないよ」
アールスの時だって止めることは出来なかった。一応僕達に利益があるから止めなかったという言い訳はできるけれど。
「そっかぁ。それもそうだよね」
「それに、アイネが闘技場で通用しない訳でもないでしょ?」
「うん。通用しない訳じゃないよ。勝ち抜くのが難しいんであって勝てない訳じゃないからね」
「じゃあますます止められないよ。次来れるか分からないんだから……」
そうだ。次の機会があるかどうかなんて分からない。でも、だからといって焦っていたせいで不本意な結果に終わり後悔を残すような事にはさせたくない。
夕方、仕事を終えて家に帰るとアイネが庭をぐるぐると走っていた。
どれ位走っていたのか遠くから見ても走りの姿勢が崩れているのが分かる。
すぐにアイネの元に行き声をかける。
「アイネ、それ位にしておきな」
しかし、僕の声が聞こえてないのかそれとも無視しているのかアイネは止まろうとしない。
「アイネ」
アイネの手を掴みとめる。
「……ねーちゃん?」
ようやく僕を認識したような反応を見せる。
「汗かいて手もこんなに冷たくなってるじゃないか。これ以上は逆効果で身体に悪いよ」
「……」
アイネはバツが悪そうに僕から視線を外す。
暖かい空気を作る魔法石を持っているはずだけどアイネにマナがもう全くない。一体いつからこんな事をしていたんだ。
「他の皆はまだ帰ってないの?」
「知らない」
「とりあえずお風呂入る事。いいね?」
アイネの肩と頭に付いた少量の雪を払ってから有無を言わせずアイネの手を引き家まで連れて行く。
家の中は寒く、声をかけるが誰からも返事がないのでまだ誰も帰ってきていないんだろう。
「着替え取ってきな」
「はぁい……」
アイネと別れて一足先に浴室へ行き準備をしておく。
夏場なら浴槽にお湯を張るだけでも大丈夫なんだけど今は冬だ。
浴室に書かれている魔法陣にマナを与え室温と水温を維持しないとあっという間に冷えて凍死してしまう可能性がある。
精霊が一人でもいれば任せられるんだけど、誰もおらずアイネが魔法を使えない以上維持を行えるのは僕だけだ。
魔法陣にマナを与え続けるのは遠隔でも大丈夫なので準備を終えたら浴室から出る。
「……ねーちゃんも入るの?」
浴室から出た所で脱衣所に丁度入って来たアイネと鉢合わせして聞いてくる。特に嫌がるそぶりも嫌悪してくる様子も見せない辺り一緒に入る事に関してなんとも思っていないのかな。
「お湯とかの準備しただけだよ。アイネ今マナないでしょ?」
「あっ、そっか」
「きちんと疲れとるんだよ?」
「ん」
そうしてアイネがお風呂が出るまで待つ事にした。
「アイネ、少し話しようか」
お風呂から上がったアイネにそう話しかけるとアイネは僕と視線を合わせようとしないまま答えた。
「……うん」
視線を合わせないまま頷くアイネ。しかし、まるで迷子の子供のような手つきで僕の手を握って来る。
一体どうしてしまったんだろう。いつもの自信に満ちたアイネはどこに行ってしまったんだ。
もしかしてあの日か?
「とりあえず僕の部屋で話そうか。それともアイネの部屋の方がいい?」
「あたしの部屋がいい」
「分かった」
手を繋いだままアイネの部屋に行き、中に入るとアイネは僕から手を離し椅子へ座った。
足取りはしっかりとしていたが椅子を座る時少し勢いが付いていて何となく疲れていてすぐに座りたかったように見えた。
「具合悪いの?」
「疲れてるだけ……朝はごめんねねーちゃん。朝のあたしイラついてた」
余っている椅子を持ってアイネと向き合うように置き僕も椅子に座りアイネと向き合う。
やはり視線は合わせてくれない。
「イライラしたのはやっぱり僕との約束の所為?」
「……うん」
「アイネは本気で闘技場に出たい?」
「出たい……出て強い相手と戦いたい」
「どうしてもアールスの様に勝ち抜きたい?」
「それは……」
「……アイネ。僕はね、勝ち抜く事を目的にしないなら条件を撤回してもいいと思ってる」
「えっ、どーして?」
「僕にはアールスの記録を抜きたくて焦っているように見える。それこそどんな無理をしてでも勝ちに行こうとするんじゃないかって思うくらい」
「そ、そんな事しないし」
「アイネ、僕の目を見て。さっきから全然僕と目を合わせようとしてないよね」
「うっ」
「アイネ」
「……」
アイネは恐る恐るといった様子で視線を合わせてくる。今にも泣きだしそうな顔だ。
「僕には今のアイネが大怪我をしないで帰って来ると思えない。アイネ自身は絶対に五体満足で帰って来るって誓える?」
「それは誓えるよ」
アイネの表情には脅えが見えるが僕を真っ直ぐ見てくる。
「ならアールスに認められる事でそれを証明して僕を安心させて欲しい」
アールスは焦りのあるアイネでは絶対に認めてはくれないだろう。
「分かった……やるよ」
「うん。それで本題だけどどうして姿勢が崩れるまで訓練をしてたの? いつもなら姿勢が崩れたら休むかほかの訓練をしてるよね」
「さっきまでのが本題じゃないの?」
「違うよ。調子悪そうだったから確認したら話の流れで約束の話になっただけじゃないか。それともイライラしたのが原因?」
「うん……自分でもなんだかうまく消化できなくて……がむしゃらにやったら気持ち悪いの無くなるかなって」
「そっか。そういう時もあるよね。今はもう平気?」
「……ねーちゃんと手を繋いだら収まったからくっついたら治るかも」
「他に方法は?」
「そこはいいよってゆー所じゃないの!?」
「僕がいない時どうやって気持ちを収めるか見つけないと駄目だよ」
「きょーのねーちゃんはなんか厳しい」
「アイネは一人でドサイドに残る事になってでも闘技場に挑戦したいんでしょ? だったら一人でも気持ちを整理方法を確立させた方がいいよ」
「むぅ。なるほど。さんこーまでにねーちゃんはどーしてるの?」
「……僕にはほら、魔獣達がいつも近くにいるし」
「あっ、ずるい! ねーちゃん自分一人じゃできない事あたしにさせよーとしてる!」
「いやいや、美味しいもの食べたり本を読んだり訓練したりとか他にも色々あるよ? 魔獣達との触れ合いはあくまでもそれは一番効果があるって事だから!」
「えー」
アイネが疑わしそうな目で見てくる。
「ごほん。冗談はここまでにして、無理な訓練はしたら駄目だよ。今は冬なんだから無理のし過ぎで病気になったら元も子もないんだから」
「はぁい」
「とりあえずお風呂に入ってる間に帰って来たサラサにはアイネの部屋も暖かくしてくれるよう頼んでおいたからお礼言っておくようにね」
「うん。分かった。皆帰って来たの?」
「アールス以外は帰って来たよ。カナデさんには魔獣達のお世話してもらってるから僕ももう行かないと。アイネはしっかり休んでおくようにね」
「はーい」
こうして席を立ち部屋を出る。
アイネもう無理しなければいいけど……今は信じるか。