はじめての女子寮
アイネへの小さな歓迎会が終わり僕は残った荷物をフェアチャイルドさんと協力して運び出した。
上級生用の寮では同じ学年の寮生が二人しかいない僕達は部屋はもう変わる事は無いらしい。部屋を変えなくていいのは楽でいい。
部屋の場所は二階の隅っこだ。造り自体は下級生用の寮と変わらないから住心地も変わらない……そう思っていた。
今日初めて僕は女子寮に入ったのだけど、まず玄関ロビーから空気が違った。なんというか、花の甘い匂いが充満している。内装もピンクの壁紙に白いレースが飾られていた。
しかも床には愛らしさを主張する記号が散りばめられた絨毯が敷かれている。
「何……何だここは」
「女子寮ですよ?」
「いや、それは分かってるんだけど、下級生用の寮と全然違うじゃないか」
「かわいいですよね」
うん。フェアチャイルドさん女の子だもんね。でも僕は男なんだ。正直これは……きつい。玄関からこれだと他の場所はどうなっているのやら。
ただまぁ、匂いはともかく掃除はきちんとされていて清潔そうだ。汗臭いよりも数倍マシだろう。
気を取り直して持っている荷物を僕達の部屋へ持っていく。
途中会った上級生達に挨拶をする。全員昔同じ寮に住んでいただけあって気安いけど、さすがに二つ上の子達は一年しか一緒にいなかった上に成長したおかげで顔つきも変わっていて分からない子も少なくはなかった。
けど、逆に相手からは僕達はよく覚えているようだった。僕達の世代は数が少なかったお蔭もあるだろうけど、相手が分かっているのにこっちが分からない状態になるとかなり気まずい。
僕は荷物運びを理由にわざと重いふりをしてなるべく捕まらない様にした。
部屋の中は流石に普通だった。多分部屋位は住人の裁量に任せようという事なのではないだろうか。
ベッドは二段ベッドから普通のベッドになっている。机も二つになり、空いたスペースに箪笥が二つ置かれている。
荷物を置いた後忘れ物は無いかを確認したが忘れた物はなかった。
荷物運びから確認まで終わった頃には夕飯の時間になっていた。初めての寮での初めての食事だ。その上女の子だらけ。少しだけ緊張している。
フェアチャイルドさんと食堂へ行くと中は女の子達のお喋りで賑わっていた。雰囲気としては下級生用の寮と大差は無いように感じる。が、決して話の内容は聞いてはいけない。
食事の内容はあまり変わっていないように見えるけれど、量は確実に増えている。
僕としては嬉しいけれど食の細いフェアチャイルドさんはどうだろうか?
「大丈夫? 食べきれる?」
「……がんばります」
食べきれるかはわからないけどペースはフェアチャイルドさんに合わせてみるか。
ゆっくりと食べつつ周りをさり気なく見渡してみる。みんなお喋りをしているからか、一度に口に入れる量が少ないからか非常にゆっくりとしたペースだ。
お風呂に入るなら一人でさっさと食べて先にお風呂に入るっていうのも悪くないかもしれないけど……その場合フェアチャイルドさんを置いて行くことになるだろうな。
あんまり子供扱いするのも成長の妨げになりそうだけど、一緒に食事をとっているのに途中でいなくなるのは逆に悪影響を及ぼすんじゃないだろうか。
それに僕は特に意味もないのにフェアチャイルドさんに嫌われたいとは思わない。そりゃあ何か悪い事をしたら嫌われる事覚悟で怒るだろうけど、フェアチャイルドさんはそんな悪い事をするような子ではない。
「あの……私に合わせなくてもいいですよ?」
「いやいや、僕はこの料理を味わっているんだ。別にフェアチャイルドさんに合わせている訳じゃないよ」
こういう風に人の事を気にかける事の出来るいい子だ。出来ればこのまま真っ直ぐ育ってほしいな。
食事が終わるのに大分時間がかかってしまった。結局フェアチャイルドさんは全てを食べる事は出来なかった。
食べ物を残す事になってしまったフェアチャイルドさんは申し訳なさそうな表情をしている。
「フェアチャイルドさん。僕はまだ食べられるけど、僕が残り食べようか?」
「……お願いします」
「次からは量を減らしてもらおうね」
「そう、ですね……」
御飯の残りを僕が食べ終わると僕は気を紛らわせるために最近買って、フェアチャイルドさんも読んでいる本について話題を振った。
食器をカウンターに置き話をしつつ食堂を出るとそこで声をかけられた。相手は一年上のガレットさんだ。どうやら後でロビーで僕達の歓迎会を開いてくれるらしい。準備が終わったら呼ぶからと部屋に戻るように促された。
僕達は感謝をしつつ素直に従い部屋に戻った。
歓迎会が終わった後、僕は日課の魔力操作の練習をする。
ここの所は魔力操作が上達したという手応えが感じられない。ただ漫然と同じ事を繰り返しているだけだ。マナポーションの事を知った時もっと上に行けるかとも思ったけれど、それもすぐに頭打ちだった。
今年に入ってから一年近く経つけれど新しい神聖魔法を授かっていない。
先生にも相談はしたけれど僕の魔力操作の技術はもうすでに先生と同程度のレベルまで迫っているらしい。『やはり天才か』なんて言われたけど僕には前世で十七年のアドバンテージがあるだけだ。天才なんかじゃない。逆にそんな事言われてもプレッシャーで吐き気が出てしまう。
後は地道な鍛錬で精度を上げるだけだと言う。シエル様も同じような事を言っていた。
もしもっと技術を磨きたいのなら自分に合った訓練法を模索するべきだと言うアドバイスを先生から貰っているからそうするつもりなんだけど、さてどうした物か。結構色々やってるんだけどいまいちピンとこない。
取り敢えずやったのは瞑想や魔力で文字や絵を描いたり……そうそう、魔力を操って物を動かそうとしたりもしたっけ。結果は簡単に出来た。
今はまっているのは魔力を物凄く細い糸にして刺繍をやる事だ。気を抜くとすぐに模様が消えるから集中力の訓練になってると思う。それに割と楽しい。
今日の目標であるナスの絵を作り終えるとぼくはそろそろお風呂に入ろうかと視線を箪笥に向けた。その途中、ベッドの上に目を閉じて座っているフェアチャイルドさんの姿が視界に入った。多分精霊と話をしているんだろう。
声をかけようかと思ったけれど邪魔をするのも悪いか。
僕は箪笥の引き出しを開けて着替えとタオルを取り出す。
「あ……お風呂ですか?」
「うん。そうだよ」
「私も入ります」
「精霊さん達はいいの?」
「はい。大丈夫です」
支度を済ませて僕達はお風呂場へ向かう。
結構遅い時間だと思うのだけど、脱衣所には女の子達が半裸の状態で話をしていて混んでいた。
僕は咄嗟に誰もいない方向に視線を向ける。
「ご、ごめん。フェアチャイルドさん。僕、もっと空いてから入るよ」
さすがに年頃の女の子の肌を僕が見るわけにはいかない。女の子達が視覚に入らない様に慎重に後ずさりして脱衣所を出ようとしたその時、フェアチャイルドさんの右手が僕の左手を掴んだ。
「一緒に入らないんですか?」
「それは……」
ここで話すのはまずい。手を掴まれたままフェアチャイルドさんを誰もいない所まで誘導しそこで話をする事にした。
「フェアチャイルドさん。昨日僕は心が男だって言ったよね?」
「はい」
「だからその、僕の事を知らない女の子の肌を、男である僕がこういう所で見ちゃ駄目だと思うんだ。昨日までは男女混合で入ってたからまだ僕の許容範囲だったけれど……」
「駄目、何ですか?」
「想像してみて。男の子が何も知らないフェアチャイルドさんの入浴姿を覗き見ているような物なんだよ?」
「……気持ち悪いですね」
「でしょ? 最悪身体はタオルで拭けばいいんだから僕は今は入らないで……」
「あの、それでしたら目隠しをしたらどうでしょう?」
「目隠し?」
「はい。私がちゃんと誘導しますから」
「いや、駄目だよ。そんなの危ない。床は濡れてるんだから目隠ししたままだとバランスが取れなくて転んじゃうよ。それに怪しいし」
「……でしたら、魔法で転ばないようにするとか」
「魔法で?」
少し考えてみよう。魔法でどうやったら転ばないで済むか。周囲の障害物の確認は魔力を使えば何とかなるだろう。魔力は物に触る事が出来触覚も肌で触るよりも薄い感覚だけどちゃんとある。
次の問題は視界を塞がれる事によるバランス感覚の喪失。これは魔力によってどれくらい軽減されるか分からない。
その次がやっぱり水か。水の対策としては魔法で操るか? 魔力で水分を感知してウォーターで滑らない様に床から水を操るとか? そんな事できるだろうか?
怪しまれる件については魔力操作の訓練とすれば誤魔化せるだろう。
「試してみようかな」
「え、本当にやるんですか?」
言い出した本人が驚いてどうするのか。
「うん。でも、どっちにしても人がいなくなってからの方がいいな。フェアチャイルドさんは先に入ってていいよ?」
「……いえ、言い出したのは私です。私も付き合います」
「フェアチャイルドさん……ありがとう」
「と、友達……ですから」
友達……そう呼んでくれるのか。
この子はどこまで優しいのだろう。昨日僕が男だなんて言って相当怪しいだろうに、僕を拒否するでなく受け入れてくれた上に僕の事情にも付き合ってくれるなんて、僕はこの子にどれだけのお礼をすればいいんだ!
「そうだよね、友達だよね」
出そうになる涙を何とか堪えて僕はロビーでお風呂が空くのを待つ事にした。
とはいえ、お風呂に入れるのは十時までだ。せめて九時くらいまでには空いて欲しいんだけど。
九時になった。フェアチャイルドさんとのお喋りを中断し脱衣所の様子を見に行く事にした。
中の様子はフェアチャイルドさんに伝えてもらう事になっている。
どうやら今脱衣所にいるのは四人。これくらいなら目隠ししてもぶつかる可能性は低いだろう。
待っている間に用意した目隠し用の布を頭に巻き付けて準備万端。フェアチャイルドさんに手を繋いでもらうよりも先に魔力感知の範囲を広げる為魔力を極細の糸にして縦横無尽に、そして幾何学的に糸を張り巡らせる。すると遠くまで物を感知する事が出来た。人がどこにいるのかだって分かる。
ただ人の区別は魔力の量でしか区別できない。
「じゃあ行こうか」
僕がそういうとフェアチャイルドさんは僕の手を取り脱衣所の中へ誘導してくれる。
バランスは魔力感知のおかげで何とか取れそうだ。障害物も難なく避ける事が出来る。
これはいけるんじゃないだろうか?
着替えを籠に入れ、今着ている服も脱いでから籠に入れる。
着替えるために解いた手を再び繋ぎ直していざお風呂場へ。
最初の一歩は慎重に。魔力感知では水の感触は分からないみたいだ。いや、分かりにくいのかな?もうちょっと集中すればわかるかも。でも、水に集中しすぎるとバランスを崩しそうだ。
今は手を繋いでるから何とか立っていられるけど、魔力感知と同時に転ばないように注意するのは難しい。
これ結構な訓練になるんじゃないだろうか?
「大丈夫ですか?」
「うん。大丈夫。フェアチャイルドさんがいるから」
慎重に動き椅子に座る。流石に水桶はフェアチャイルドさんに……ああ、いや、クリエイトウォーターでいいか。
クリエイトウォーターでお湯を出し頭から全身を濡らすついでにタオルを濡らす。
「すごい……」
「え? ごめん何て?」
お湯を被っていたせいで良く聞こえなかった。
「生活魔法で、そんなに多くのお湯を一度に出せるんですね」
「そんなに多かった?」
「初めて見ます」
「ナスを洗う時よりも少ないけど……あっ、見た事ないのか」
大体ナスを洗うのは時間に余裕のある朝か休みの日だ。フェアチャイルドさんが見た事なくても不思議ではないか。
「精霊魔法じゃ出せないの?」
「いえ、むしろ広範囲は精霊魔法の得意な分野なんです。だから、普通の魔法で出来るのがすごいなって」
「あはは、こんなの魔力の量があれば誰でもできるよ。アールスだってこれくらいできるよ?」
「そうなんですか?」
「そうだよ。これくらい普通普通」
軽く笑う。全くフェアチャイルドさんは大げさだ。
お風呂は何の問題もなく入る事が出来た。お風呂場に残っていた子からは僕の目隠しを不審がられたけど魔力操作の為だと言うと逆に感心されてしまった。
訓練として悪くない手応えを感じた僕はこのままフェアチャイルドさんに手伝ってもらい続ける事を決定した。




