歓迎
体調は良好。服装も多分大丈夫。寝癖もない。
今日からアイネはグランエルで暮らす事になる。アイネがどんな心境でここに来るかは分からないけど、同郷の人間として、アイネのねーちゃんとして寂しくさせない様に歓迎しようではないか。
「フェアチャイルドさん。変な所ないかな」
確認の為に聞いてみるとフェアチャイルドさんは僕の周りを一周してから答えてくれた。
「ないです。ちゃんと整っていますよ」
「よかった」
時間はまだあるから念の為に女子寮に持って行く為に纏めてある荷物も確認しておく。
持っていく物は日用品に服と下着類、小物に人から貰った置物、学校で使う物の他に本がある。読み終わった本は基本的に寮に寄贈したり古本屋に売ったりしていて、残っているのは完結していない本のシリーズ物だけだ。卒業までに完結してなかったらどうしよう……。
だんしゃり……だったか、前世でちょこっと流行っていた考え方。物への執着を捨て容赦なく捨てるという物だったかな。僕も修めるべきなのだろうか。
荷物の確認をして僕が使っていた机の引き出しも調べ終わった頃には丁度いい時間になっていた。
ロビーへ行くと僕と同じ東側の村出身の子供が四人いた。それぞれ友人か弟妹を待っているんだろう。
子供達に挨拶をしてから僕はソファーに座る。すると……。
「ねーねーナギお姉ちゃん」
「うん? どうしたの? エンリエッタちゃん」
エンリエッタちゃんは来年二年生になる女の子だ。下級生の面倒を見るのは上級生の役目でもあったけれど、振り返ってみれば今年は色々あったせいでその役目は疎かになっていたように思う。なのに今年の一年生の半分は何故か僕に懐いている。何故だろう?
エンリエッタちゃんも仲良くしている子の一人だ。特別な事をした覚えはないんだけど……まぁいいか。
「絵本読んでー」
「絵本? うん。いいよ」
よく見るとエンリエッタちゃんは後ろ手に絵本を持っている。絵本を手渡されるとそれはロビーの隅に置かれている小さな本棚に置かれている本だ。
僕はこうやって時々絵本の朗読を頼まれる事があり、割と好評のようだ。たぶん固有能力のおかげで内容が分かりやすいんだと思う。
本を読み終わる頃にはアイネが来るよりも先にお昼の時間になった。そう言えば僕達の時はお昼ご飯の最中に着いたんだっけ。何かあったのだろうか?
僕はすぐには食堂にはいかず、女子寮に荷物を置きに行ってるフェアチャイルドさんを待つ事にした。
エンリエッタちゃんもまだ食堂に行く気はないみたいで今度は僕に遊びを強要してくる。
簡単な遊びで相手にしてるとすぐにフェアチャイルドさんは戻って来た。
すぐにお昼に誘いエンリエッタちゃんと一緒にさっそく食堂へ向かう事になった。
そして、お昼ご飯の最中にも新入生の子達はやって来なかった。食堂にいた先生達はいつも通り周囲の子供達と楽しそうに食事をしていて変わりは無いように見た。
心配するような事じゃないのだろうか?
新入生達が到着したのはエンリエッタちゃんに二冊目の絵本を読んでいる途中だった。
終盤にさしかかっていた為かエンリエッタちゃんは話の方に集中しているようで新入生が入ってきた事に気付いていない。
こう、熱のこもった視線で見られると朗読を止めるか悩む。
しかし、そんな悩みも元気のいい声が解決してくれた。
「ねーちゃん!」
僕は本を読むのをやめ、エンリエッタちゃんに断りを入れてから絵本を返し、アイネの方に向き直った。
「ようこそ、グランエルへ」
新入生達が遅めの食事をとった後先生の寮の説明が始まった。これに何故か僕まで協力させられてしまった。この寮の生活について生徒側から捕捉があったら教えてやってほしいとの事だ。
実際に説明が始まるとあまり捕捉する事はなかった。基本的にルール通りに暮らせば後は不自由はないから、あるとしたら先生の前では言い難い事ぐらいだ。その為、僕は当番や自分の使うベットや机を決める時の注意をしたくらいで留めた。
話を聞くとアイネ達が遅れたのはどうやら馬車で気分が悪くなった子が多く、馬車をゆっくりと進ませざるを得なかったらしい。
やっぱり僕の心配のし過ぎだったようだ。魔物が蔓延る世界とはいえ新入生が都市に来る前に道とその周辺はしっかりと軍によって安全は確保されている。そのおかげで魔物どころか危険な動物だって道にはなかなか近づいてこないんだ。
一安心した所で僕はアイネに僕がこの一年過ごした部屋に案内した。
「ねーちゃん。ナスはー?」
「学校までは遠いから明日ね」
「えー」
「ナスと仲良くするのもいいけど、他の子達とも仲良くするのもいいと思うよ」
「むー」
眉をひそめているけど駄目な物は駄目だ。
部屋に入ると僕の荷物は四分の一に減っていた。けど、フェアチャイルドさんの方は朝から減っているようには見えない。僕の分から運んでいるのか。
「ここがねーちゃんが暮らしてた部屋?」
「そうだよ。今年だけだけどね」
「部屋は一年で変わるんだっけ」
「そうだよ。だから荷物は貯め込まないようにね」
ああ、これをさっき補足として入れておけばよかったな。
「取り敢えず適当に椅子に座って。お茶入れるからさ」
茶菓子もちゃんと用意してある。今日使う物はきちんと今朝フェアチャイルドさんに伝えてあるから運ばれてはいないはずだ。
「おちゃ?」
「アイネは飲んだ事ない?」
「おちゃってなに?」
「味のついた飲み物だよ。アイネは気に入るかな」
僕は今年に入ってお茶を飲むためにポットとカップを購入していた。
お茶と言っても甘いお茶……甘茶っていうのかな?前世では飲んだ事は無いんだけど。
すっきりとした甘さで子供でも飲みやすいと評判の茶葉を買って淹れてみたら、結構周りからの評判が良かった。
僕としてもお菓子などの甘味の値段が高いこの世界でこの茶葉は手ごろな値段で程よい甘さを楽しめるという事で気に入っている。
お茶の淹れ方はたぶん前世と変わらない。本で美味しい淹れ方の知識もあるし、何度も練習した。味は悪くないはずだ。……まぁクリエイトウォーターで直接熱湯を出すんだけどね。
ポットに茶葉と熱湯を淹れて暫く置いておく。大体このままで三分待つために砂時計をひっくり返す。
「アイネ、都市に来てどうだった?」
「んー? 人いっぱいいるよねー。あたしより速い人いるかなー」
「いると思うけど……それだけ?」
「他に何かあんの?」
「石が敷き詰められた道とか、窮屈なくらい詰められて立っている家とか、中央の噴水とか色々とあると思うけど」
「あー……なんか息苦しいよね」
「……」
息苦しい。そういう感想もあるのか。でも確かに開放的で牧歌的な村からしたら都市は狭苦しいという感想があってもおかしくないか。
僕とアールスは抱かなかった気持ちなだけに大変興味深い。
「慣れなさそう?」
「分かんないよそんな事。あたしとしては走れればそれでいいし……ナスもいるんでしょ?」
「前にも言ったけど、学校の敷地からは出せないよ」
「えー、ナス可哀想……」
「……そうだね」
ナスにはもっとのびのびとして欲しいという思いは僕にもある。僕が卒業して冒険者になれば都市の外に出てナスを思う存分遊ばせる事が出来る。それまで待っていてもらうしかない
砂時計の砂が落ち切ったのを確認するとポットを持ちお客用のカップにお茶を注ぐ。
「熱いから気を付けてね」
「うん」
アイネはカップの取っ手に指を通し口の近くまでカップを持ち上げる。
「スープみたいに白いの出てる」
「湯気っていうんだよ」
「それぐらい知ってるよー」
「あはは、ごめんごめん」
転生してから時々この言葉はいつ覚えたんだろうって思い返す事がある。お茶や湯気はいつだったろう。幼稚園の時にはもう使っていただろうか? もう昔の事過ぎて思い出せない事がほとんどだ。
アイネはふーふーと息を吹きかけてから一口含んだ。
するとアイネの顔に驚愕の表情が浮かび上がった。
「ふわぁーーーー!! おいしーーー!!」
うん。ここまでオーバーリアクションを見たのははじ……いや、アールスが初めてケーキを食べた時に見たか。
「気に入ってもらえたんならよかったよ」
「こんなの初めて!」
「スーリアっていう茶葉なんだ。近くの茶葉屋さんで売ってるんだ」
「茶葉ってその入れ物に入れた奴?」
「そうだよ。茶葉を入れた入れ物にお湯を注いで暫く待つとお茶になるんだ」
「いいなー、あたしも欲しいなー」
「お金が出来たらお店の場所教えてあげるよ」
「あたしお金持ってないよ?」
「学校でね、依頼っていう形で仕事をしたらお金を貰えるんだ」
もっとも、すぐには買えないだろうけどね。
ちょうどいい。今のうちに学校についても説明しておこう。
口を開こうとした時部屋の扉が開いた。フェアチャイルドさんだ。
突然入って来たフェアチャイルドさんにアイネは目を丸くしている。
「あ……お取込み中でしたか?」
「いや、そんな事ないよ。っていうか、荷物運んでるってわかってて来たんだからフェアチャイルドさんは気にしなくていいんだよ」
「そう、ですか? ……その子が?」
「うん。アイネ=スレーネ。アイネ、この子が前に話したレナス=フェアチャイルドさんだよ」
「よろしくー」
軽く挨拶をするアイネだが、上級生に対して少し失礼なのでは? っと頭の中でよぎった。けどまぁ、今日ぐらいは無礼講という事でいいだろう。フェアチャイルドさんも気にしている様子はないし。
「フェアチャイルドさんもお茶飲まない? スーリアだよ」
「はい。いただきます」
フェアチャイルドさんを椅子に促し僕はカップにお茶を注ぐ。
カップを受け取るとマスクを取り淵に口を付けカップを傾け飲み始める。
アイネの視線がマスクの方に向けられているが口を開き聞いたのは別の事だった。
「ねーちゃん達って友達なんだよね?」
「そうだよ。明後日ででもう四年の付き合いになるんだよね」
「あっ、そうですね。明後日ですね……」
「それなのに家の名前で呼んでるの?」
家の名前? ……ああ、苗字の事か。
アイネの問いにカップをフェアチャイルドさんに渡しつつ答えた。
「まぁ特に何も言われないし」
「え……」
「名前で呼びたいとかないの?」
「んー、僕は家の名前で呼んでほしいからさ、相手から言われない限りは僕も家の名前で呼ぶ事にしてるんだ。……もしかしてフェアチャイルドさん名前で呼んでほしい?」
僕としては長いけどフェアチャイルドっていう響きが妖精みたくてかわいくて好きなんだけど。
「い、いえ。私は別にどちらでも……」
「そう? なら今のままでいいかな?」
「はい」
「えー、あたしはレナスって言う方がかっこいいと思うけどなー」
「え」
「でもフェアチャイルドの方がかわいくない?」
「くぁっ!?」
突然フェアチャイルドさんが奇声を上げる。
アイネが驚いてカップを落としそうになっていた。
「どうしたの? フェアチャイルドさん?」
「わ、私かっこよくも、かわいくも……ないです」
「たしかに……フェアチャイルドさんって可愛いとかかっこいいとかよりも綺麗って言った方が合ってるよね」
「きぇっ!?」
「あーわかる。レナスねーちゃんの髪きれーだもんね」
昔から神秘的な雰囲気はあったけど最近は顔の輪郭がほっそりとしてきたからますます美しさに磨きがかかっていると思う。前世なら妖精の様に言われても不思議じゃないかも。
ただ病気が多い所為か年齢の割に肌の張りが良くない。
「うぅ……」
普段あまり表情を変えないフェアチャイルドさんの白い肌が真っ赤に染まってしまっている。少し褒めすぎてしまったか。
だけどこれくらいで照れるなんて可愛らしいな。
フェアチャイルドさんは顔を真っ赤にしたまま残っていたお茶を一気に飲み干した。
「あっ、お茶菓子もあったんだ。ちょっと待ってて」
「えー、今度は何でるのー?」
危ない危ない。忘れる所だったよ。本当ならお茶と一緒に出すべきだったんだろうけど、まだポット内にお茶が残ってるからセーフだ。
茶菓子は前世で言う所のクッキーだ。ただあんまり甘くない奴。
名前はキャディー。今回のは胡桃の様な木の実とブルーベリーのような果実が入っている。どちらも味も似ているから味は想像しやすいと思う。
円形の箱の蓋を開けるとクッキーの香りが漂ってくる。とりあえず中身のキャディーをアイネに見せてみる。
「あっ、これ知ってる! キャディーだ!」
「知ってるんだ?」
「うん! かーちゃんが誕生日に作ってくれた!」
「そっかぁ。じゃあ食べてみなよ」
「うん!」
おかわりを聞いた後空になった二人のカップにもう一度お茶を注ぐ。
アイネは頬一杯にキャディーを頬張っている。どうやら相当気に入ったようだ。
フェアチャイルドさんは少しずつ齧って食べている。さながら小動物のようだ。
ここ、アールスがいたらもっと楽しいだろうな。
「でさ、ナスの名前ってもしかしてレナスねーちゃんから取ったの」
「え?」
ナスの名前? ナス……レナス……やばい。全然気づかなかった。普段名字で呼んでるからすっぽりと頭から抜け落ちていた。
アールスは名前で呼んでいたというのに今まで気づかなかったなんて僕はなんて馬鹿なんだ!
種族名がナビィ・インパルスで、しかも身体が茄子色だからナスにしたっていう単純なネーミングだけど、この世界には茄子なんてない! しかし、下手な言い訳したらフェアチャイルドさんも傷つくぞこれ……。
フェアチャイルドさんも気になっていたのか純粋無垢な瞳でじっと僕を見てくる。
すみません。ちょっとこの瞳には耐えられそうにありません。な、何とか誤魔化さないと……いや、今回は全面的に僕が悪いんだ。素直に話そう。
「その、ナスの種族ってナビィ・インパルスっていうんだ。で、名前の前と後ろから取ってナスって名付けたんだ」
「……それだけ?」
「うん」
「ねーちゃんってなんていうか、センスないね」
「ごめんなさい……」
「私から取ったわけじゃなかったんですね……よかった」
「よかった? なんで?」
「いえ、その……ナギさんはナスさんをとても可愛がっているので、もしも私から名前を取っていたらと思うと……」
「……変態じゃないか」
しかも本人の目の前で可愛がってるんだ。しかも昨日僕中身が男だって明かしたばっかりなんだよ? 変態かもしれない僕を許してくれるってフェアチャイルドさんは聖女様か!?
アールスは勘違いしてないよね? 手紙来たら返事出す時に聞いてみよう……。




