ドサイドでの一日
トラファルガーを見に行く許可が役所から出た。
半日ぐらいなら都市から離れてもいい様だ。
トラファルガーのいるティオ山までは歩きでは一日の距離だけど走ったり馬を借りれば日帰りで帰れる距離だ。
山に登る時もガーベラの案内があれば大丈夫だろう。
どうせなら戦っている姿を見たい。軍の演習の見学を申し込む事にしよう。
仲間内で一緒に見に行きたい人がいるか聞いとかないといけないな。
レナスさんは来るだろうか? 僕としては僕の代わりにアールスの事を見ていてほしいのだけど。
役所から出た後役所の職員の人に聞いておいた演習の見学の受付を行なっている場所へ向かう。
受付は最寄りの詰め所で行われており、最初に詰め所で見学をしたい旨を伝えると書類を貰ってそこからさらにグライオン軍ドサイド支部という場所に行って正式な手続きが始まるようだ。
詰め所は交番のような物だ。市中を見回っている兵士さん達の拠点となっている施設で、都市内にいくつも点在している。
役所の近くにもありすぐにたどり着いた。
詰め所の受付にいる兵士さんに声をかけ要件を言うと羊皮紙を貰った。
三ヶ国同盟では紙が普及しているが、羊皮紙に比べるとまだまだ耐久度が低く劣化もしやすいので重要書類では羊皮紙が使われている。
しかし、ここで羊皮紙が出るとは思わなかった。羊皮紙は紙より高価なので申し込みの書類に羊皮紙が使われることはまずない。少なくとも民間のお店で申し込みの書類が必要な時は紙が使われている。
紙が劣化しやすいとはいえプリザベーションという魔法がある以上羊皮紙をこんな事で使うのはもったいなく感じる。
「申し込みの書類なのに紙じゃなくて羊皮紙使ってるんですね?」
受付の兵士さんにそう聞くと疑問の答えが返ってきた。
どうやら見学希望者者がどれくらいいるか統計を取っているらしい。何のために、というのは教えてはくれなかったけれど、恐らくはこの兵士さんも知らないのだろう。なにせ答える時に目が泳いでいたのだ。
残りの空き枠と魔獣達を連れてっていいかどうかの確認をしてから書類に必要事項を書き込み、兵士さんに確認をしてもらってから返してもらうと詰め所を出てグライオン軍ドサイド支部へと向かう。
ドサイド支部は役所と同じ行政区にあるので今の場所からでも割と近い。
詰め所で兵士さんに聞いたとおりに道を歩くと高い塀に囲まれた二階建ての建物を見つけた。
とりあえず塀の入り口を探してみるとやはりドサイド支部だった。入り口に大きな標識が飾られている。
入り口に立っている衛兵さんに書類を見せながら用件を話す。すると真偽を判別する神聖魔法のライアーの使用の許可を求められた。
ライアーを使わせないと中には入れないらしい。
それと連絡の為について来てもらっているディアナだけど、精霊は軍関係者と契約している精霊以外は絶対に入れない様だ。
そして、質問は内容によっては少し不味いがここで引いたらかえって怪しまれてしまうかもしれない。
シエル様の事に触れるような質問が来ない事を祈りつつ僕は頷いた。
質問はここに来た用件の確認。それに名前の確認と用件以外の事をする気はあるかという物だった。
質問に答えるとすんなりと中に入る事が出来た。
建物に入ってすぐにある受付で用件を言って書類を出す。
受付の人は書類を確認すると別の書類を差し出してきた。
それは羊皮紙ではなく一枚の紙で見学についての注意事項が書かれていた。
受付の人から注意事項について説明を受けた後また別の紙を差し出された。今度はトラファルガーのいる山中の地図だ。
山までの道のりは街道沿いに真っ直ぐ北上するだけでいいので地図には特に書かれていない。
地図の受け取ると今度は帳面を出された。どうやら名前を記入しなければいけないらしい。
アーク王国文字でよいかと聞くと大丈夫だと返って来たので書きなれたアーク王国文字で自分の名前を記入する。
手続きを終えると僕は敷地から出てディアナと合流すると今度は行政区からだと少し遠いが闘技場を目指す。
アールスの試合の順番はディアナから確認済みで、もうすでにアールスの試合は終わっているらしい。
それでも闘技場に行くのは闘技場近くの食事処で食事をする為に合流する際の待ち合わせ場所になっているからだ。
大きく分かりやすい建物を目印にしない手はないだろう。
ディアナから今日のアールスの試合の事を聞くと今日もアールスは昨日と同じく時間がかかったが勝ったらしい。
だけど今日の相手は昨日よりも手強かったようで怪我が多いらしい。
幸い骨折やパーフェクトヒールを必要とするような大怪我しなかったようだ。
そして、今はお腹を空かせながら僕を待っているとディアナは締めた。
お昼にはまだ早い時間なのだけどお腹を空かせているのなら仕方がない。
一試合でお腹が空く位力を使ったという事なんだろう。
僕は急いでアールスの元へ行く事を決めた。
食事を終えてこれからどうしようかという時にアールスは組合に行って仕事を貰いに行くと言いだした。
休んだ方がいいと言ったのだけど早く階位を上げる為に数をこなしておきたいというアールスの言葉に僕とレナスさんは引く事しかできなかった。
ミサさんとカナデさん、そして体調が良くなったアイネは今日は働いている。
ガーベラは昨日アイネに負けたのが悔しかったらしく今日一日は訓練に当てる様だ。
皆が訓練や働いている中遊んでいるのも悪いので僕も低階位の短時間で終わりそうな仕事を受ける事にしよう。
そう思ったのだけど、いざ組合に行ってみると短時間で終わる仕事が無かった。
どうやら今日は短時間の仕事は売り切れてしまったらしい。あるのは食事処の給仕のような働く期間の長い仕事ばかりだ。
最低でも一ヵ月の勤務を求められているので今の僕らが受ける訳にはいかない。
受付でアールスがどうにかならないかと聞くと、一人だけ組合の仕事を手伝う依頼を出せるとの事。
僕とレナスさんは身を引きアールスに譲る事になった。
組合を出てさて困ったこれからどうしよう、と頭を悩ませる。
「レナスさんは何かしたい事ある?」
「特にないですね。買い足しておきたい物もありませんし……」
「そっか。それじゃあ本屋にでも行かない?」
「本屋ですか? いいですね」
レナスさんは嬉しそうに僕の提案に頷いてくれた。
レナスさんと一緒に買い物するのは久しぶりだ。自分が少しだけ気分が高揚している事に気が付く。
隣を歩いているレナスさんの顔を見てみる。前にレナスさんと買い物したのはグライオンで武具を整えた時だ。
二人きりで買い物をしたのは……学校を卒業する前か。当然だ。レナスさんが精霊達と再会してからは誰か一人は必ず一緒にいるのだから。
精霊達がいるお陰で僕はレナスさんと二人きりにならないで済む。
今の成長してよりきれいになったレナスさんと二人きりになったら……いや、僕は何を考えているんだ。
僕はまだ昨日の観戦を引きずっているのだろうか?
本屋に着くと僕は真っ先にグライオン料理が紹介されている料理本を探した。
今までは旅をしていたから試せなかったけど目的地である都市ルーグまで近い所に来ている。
目的地であるルーグに着けば料理を練習する時間も取れるだろう。
今の内にグライオン料理を予習するために料理本が欲しいのだ。
目的の本は数種類あったが題名を一通り読んでから一番分厚い本を迷う事なく選ぶ。
僕が選んだのはグライオン料理の伝統的な料理が載っている本で、分厚いと言っても十数項しか無い。
お店で出すような料理は大抵作り方が秘匿されているので店売りの料理本に乗る事は無い。
目的の本を片手に持ちレナスさんが本を選ぶのを待つ。
レナスさんは特に目的となる欲しい本は無かったようだが、それでも今は興味深げに本棚に収まっている本の背表紙をじっくりと見ている。
見ているのはどうやら恋愛小説のようだ。
レナスさんはあまり恋愛小説を読まない。冒険者になる前はただ興味を示さなかっただけだけど、冒険者になってからは興味を持つようになったのか読むようになった。
けれど恋愛小説を読む時レナスさんは終盤になるといつも顔を真っ赤にしている。その姿を見られたくないようであまり読まないのだ。
そんなにエッチな表現があるのかと思っていたのだけど、話を聞いてみると僕が想像していたような表現は無かった。
カナデさんにも確認を取ったのだけどどうやら前世の世界とアーク王国の羞恥の感覚に差があるようだった。
アーク王国だとどうもキスとは神聖であると同時に恥じらうべき物で人前では絶対にしてはいけない物らしい。前世でもそういう傾向はあったけれどアーク王国ほど過剰に反応されるものではなかったはずだ。学校でも女の子とはそういう話をした事が無かったので僕の認識は前世のままになっていたのだ。
この辺の感覚を僕も修正しないと恥をかいてしまうのでレナスさんからよく恋愛小説を借りたものだ。
「何か良さそうなの見つかった?」
「はい。ナギさんは見つかりましたか?」
「うん。見つかったよ」
見つけた料理本を軽く持ち上げレナスさんに見せつける。
「お料理本ですね」
「ルーグに着く前に今の内に買って読み込んでおかないとね。グライオン語をまだ慣れてるとは言い難いから」
きっと一つの料理を理解するのに時間がかかるだろう。
「他に何か買うものあるかな?」
「買うかどうかは分かりませんが歴史関係の本も見たいです」
「んふふ。いいよいいよ」
学術関係の本というのは高価だから気安く買える物ではない。
例えばカナデさんが植物図鑑を欲しがっていたが銀貨十枚出しても買えないほど高価だ。
読む人が限定されるから高いというのもあるけど、質のいい羊皮紙を使い保存しやすくしてあるのだ。
もっともそこまで高価な本は街角にある本屋には置いていない事が多い。
あっても銀貨数枚位だろう。それでも高価で気安く手を伸ばせるものではない事には変わらない。
「……」
「レナスさん?」
そう、高価なのはグライオンでも変わらないのだ。
レナスさんは一冊の本を手に取ったまま目をつぶって固まっている。
「……欲しいの?」
「今考えているんです」
何を、とは聞かない。
レナスさんは今も二冊歴史関係の本を所持している。二つともとても高価な本で首都アークで見つけた物をレナスさんがコツコツとお金を貯めて購入したものだ。
とても高価なだけあって内容は充実していて分厚い。分厚いのだ。とてもかさ張っているのだ。
それでもレナスさんは本をアースに預ける事は無く自分で肌身離さず荷物袋の底の方に厳重に梱包し運んでいる。
今手に持っている本もかさ張りそうな位には厚い。
娯楽用の本なら飽きたり邪魔になったら売ればいいのだろうけど、学術書はとても売りにくいのだ。
普通の本屋では高価で売れにくい古本は買い取ってもらえない。
古本屋は滅多にない上本屋で売れ残った本が流れるのでやはり高価な学術書を買い取ってくれない事が多い。
処分するだけなら金銭のやり取りが無くなるが図書館に寄付するという手はある。
だけど旅をしながら自分の貯金をやりくりしている身としては銀貨数枚を払ったのに何も戻ってこないというのは痛い。
かといって売れる場所を探すまで持ち歩くというのも邪魔で仕方がない。
僕が代わりに持つ事ぐらい簡単にできるけど、それはレナスさん自身が望まないと分かっている。
悩んでいる彼女の為に何もしてやれないというのはすごくもどかしい。
「決めました。買います」
「買うの? かさ張らない?」
「ルーグに着けば拠点を得られます。それまでなら多少かさ張っても問題は無いでしょう」
「ん。たしかにそうだね。ちなみにどういう本なの?」
「グライオン西方に存在した国の紹介と遺跡の分布図が描かれているんです」
「遺跡か。それ関係の依頼があったら役に立つかも。共有資金から出してもいいんじゃ?」
「そういう訳にはいきません。これを買うのは私の趣味というのが大きいですし、役に立つかは分かりませんから」
「ううん。レナスさんの言う通りだ」
僕達の会計係としてレナスさんは立派に役割をこなしている。レナスさんに頼んで本当によかった。