闘技場
朝の訓練を終えた後アールスは早速闘技場に行きたいと言い出した。
それは予定通りなのだけど誰がアールスの試合を見に行くかという事で少しの話し合いが始まった。
僕は行く事は確定しているのだけど、その事にレナスさんはあまりいい顔されなかった。
なにやら僕が試合を見る事が心配らしい。
どういう事かと聞くと試合の空気に僕が具合を悪くしないかと心配のようだ。
心配してくれるのは嬉しいが僕はそれを杞憂だと笑って否定した。
いくら臆病な僕でも戦いなんて訓練で何度も見て慣れている。今更気分を悪くしたりなんかしない。
レナスさんも心配性だな。もしかしたら山で倒れた事が尾を引いているのかもしれない。それならばここで大丈夫だという事を見せられれば安心してくれるかもしれない。
そんな風に考えているとアイネが僕から離れレナスさんの元へ行った。
そして小さく手招きをしながらレナスさんの名前を呼び、レナスさんが身を屈めるとアイネはレナスさんの耳元に何かを囁いた。
アイネが話し終わると次はレナスさんが何かを確認するかのように真剣な表情でアイネに何かを呟き、アイネがそれに答えるとレナスさんは立ち上がり何かを考えて始めた。
二人は事務的な事を話す事はあるが内緒話というのは初めてみるかもしれない。一体何を話したのだろう。
レナスさんの考え事はすぐに終わり皆で闘技場に行こうと提案してきた。
その提案に難色を示したのはカナデさんだった。どうやらカナデさんは人が傷つけあう所を見たくない様だ。その気持ちは分かるので提案を出したレナスさんを確認の視線を送ってみる。
するとレナスさんは……。
「確かカナデさんは過去に人型の魔物と戦っていますね?」
「え? まぁ戦うというかぁ、戦場で見て射貫いただけですけどぉ」
「それでしたら別に無理強いはしません。人型の魔獣と戦う時の為に人相手の戦いの空気というのを感じるのも悪くないと思っただけですので」
なるほど。レナスさんは中級の魔物である人とよく似た姿をしたオークやオーガと戦う時の事を考えているのか。
たしかに僕やレナスさんはまだ下級の魔物しか対峙した事が無い。
今のうちに取れる対策を取っておこうというのだろう。
アイネが耳打ちで伝えたのがこれなのかもしれない。わざわざ耳打ちした理由は分からないが。
「なるほどぉ。う~ん。そういう事なら一応私も行きましょうか~」
反対する人はいない様だ。
こうしてガーベラを含めた僕達七人は皆で闘技場へと行く事となった。
大丈夫なんて言わなきゃよかった。
役所で聞いてた話と違う。いや、あの人にとっては目の前の光景はまだ温いのかもしれない。
だけど僕にとってはとても辛い。
「ナギさん。顔が真っ青です。少し席を外しませんか?」
レナスさんが僕の膝に手を置きながら心配そうに声をかけてくれる。
「そ、そうだね。この試合が終わったらそうするよ……」
強がる気力もない。
今戦っている二人は本気で相手を潰そうとしている。
慎重に相手の出方を伺ってはいるが繰り出される一撃はどれも必殺の一撃のように僕には見える。実際には見せかけの攻撃もあるとアイネが教えてくれた。
今まで見てきたどの試合も血を見ない試合なんてなかった。
訓練とは全く違う手を抜いているとは思えないほどの気迫。
怖い。勝つ為に相手を傷つけ血を流させる戦いがこんなにも怖いとは思わなかった。
怖い。アールスがこんなところで戦い傷を負う事にとてつもなく恐怖を感じる。
怖い。アールスが五体満足で試合を終える事を祈る事しかできない事に絶望を感じる。
覚悟したはずなのに。戦えば無事で済むとは限らないと分かっていたはずなのに。所詮は分かった気になっていただけなんだ。
左隣に座っているアイネを見る。
アイネは真剣なまなざしで試合を見ている。
右隣に座っているレナスさんを見る。
レナスさんは僕の事を心配そうに見てきている。
レナスさんの右隣に座っているガーベラは時折僕を見てくるがアイネと同じく試合を真剣に見ている。
僕の後ろに座るカナデさんは僕と同じ風になっているのか時折小さな悲鳴が聞こえてきているけどミサさんが気にかけているようだ。
闘技場の空気に恐れを感じているのは僕だけじゃない事に少しだけ安心した。
試合に視線を戻す。
太く自分の身長と同じ長さの棍を持った大柄で筋肉質の男と半身の構えで細剣を前に突き出している一見線の細い美男子の戦いだ。
大柄の男の方は細剣によって両腕が血だらけになっている。対して美男子の方は傷こそ負っていないけど息が荒くなっている。
大柄の男の方は息は安定していて余裕があるように見える。
美男子はどうやら女性から人気があるようで心配する声が闘技場の観客席のあちこちから聞こえてくる。
「傷は大柄の人の方が多いけど余裕が無いのは相手の方だね……」
「ちっちゃいほーは避けるのに無駄に力を入れてるんだよ。今までの試合もそーだったけど、相手を攻撃する事にちゅーちょしない割に皆相手のこーげきにかじょーにはんのーし過ぎてるんだよね。
皆怪我しないよーに気を付けてるんだよ。その点おっきーほーはましだね。相手のほーが上手いから避け切れてないけどさいしょーげんの動きで避けよーとしてる。
ちっちゃいほーが疲れてるのは焦ってるせーもあるかもね。せーしんめんで負けてるよ」
「なるほどね……」
アイネの方が見極めるのが上手いから解説はありがたい。
闘士二人が見合っていたのは時間にして数十秒といったところか。大柄の方が先に動き出す。
大柄の方は遠くから見ても背筋が凍りそうなほど強烈な一撃を繰り出す。
その恵まれた体格と鍛えられた筋肉から繰り出される一撃は僕では盾越しでも受けきれないだろう。
ミサさんが言っていたっけ。オークのような中級以上の人型の魔物の攻撃はまともに受けてはいけないと。
ミサさんから対処の仕方は教わっているけどここで試合を見るのも勉強になるだろう……観るのは辛いけど。
いや、慣れればいいんだ。すぐには無理かもしれないけど時間はある。ドサイドを出るまでに慣れればいいだけなんだ。
一際大きい歓声が上がった。
少し考え事をしていた間に決着がついたようだ。
顔を上げて見ると美男子の方が脇を抑えている。
「もーちょっと早くしょーぶに出てれば勝ててたかもしれないのに」
そうアイネはつまらなさそうに呟いた。
「ナギさん。あれ内臓は大丈夫なんでしょうか?」
「ど、どうだろう……内臓は鍛えられないからね。あるのかどうか分からないけど衝撃で内臓が破裂して大きく破れてたりしてたら不味いかも」
一応ヒールは使っているようだけど……。
「ああ、骨が折れて内臓を傷つける可能性もあるな……でもあの位置ならそこまで心配する必要はないか……?」
「脇腹の辺りには骨はありませんね。背中側からだったら背骨がありますけど」
「そうだね……ごめん。ちょっと限界。お手洗いに行ってくる」
気分はもう限界だ。
この血の匂いがしそうな熱気のこもった会場から早く別の空気を吸いたい。
「あっ、つ、ついて行きます」
僕が立ち上がるとレナスさんも立ち上がった。どうやらついて来てくれる様だ。
僕一人でも大丈夫だと本当はいいたい。だけど僕の口は動いてはくれない。
だって嬉しいから。
僕の弱った心ではこの子を拒絶することは出来そうにない。
厠から出た後僕達は闘技場の建物内にある売店で飲み物を買った。
ここでも紙の入れ物が使われており、外から持ってきた紙の入れ物を持ってくればその分割引する様だ。もっとも僕達は持ち込んでないのだけど。
「この分だとアールスの試合は午後になりそうだね」
買った飲み物を口に付けながら窓から太陽の位置を確かめて今の時間を推測する。
この闘技場の試合は基本的に登録が早い者達から行われる様だ。
階級のような物は無く、相手を指名しない限りは登録順に試合が組まれるらしい。
登録は朝の七時から開始され試合の開始は朝の八時、アールスが登録できたのは八時前。
今は多分十一時頃で四試合が終わっている。アールスの前にどれくらい登録されていたかは定かではないが、控室を覗きに行ったアロエの話では十人以上の人がいたらしい。
「そうですね。アールスさん退屈していないとよいのですが」
「試合の時間まで僕達と一緒にいればいいのにね」
「それだけ本気という事でしょう」
アールスは集中したいからと言って観客席に来るのを拒んだ。
「だけどこれだけ待たされると逆に気が抜けちゃうんじゃないかな」
ああ心配だ……。
「アールスさんの事、心配ですよね」
「うん……心配だよ。今まで見てきた試合の闘士達にね、アールスの姿を重ねちゃうんだ」
「ナギさん……」
「自分がここまでアールスが傷つく事を恐れるとは思わなかったよ」
「それは……アールスさんの事をあ、愛しているから……ですよね」
「あはは、そうかもね。でもアールスじゃなくてもきっと同じだよ。僕は身近な……好きな人達が傷つくのが怖いんだ」
アールスの事を愛していると言うのは大げさかもしれないけど、友達として大切に思っているのは確かだ。
「そ、そうですね……ナギさんならそう仰いますよね……」
「レナスさんは試合見ていて平気?」
「あまり気持ちのいい物ではありませんがナギさんほどでは。血は見慣れていますし……」
「僕も慣れないとな……」
本当に慣れなくちゃ。
……慣れないとな……慣れるかな……。




