優しい神様
アールスの転校話を聞いた翌日、僕は夜明け前に目が覚めベッドから抜け出した。
部屋から出て一階のロビーへ行く。
椅子に座りテーブルに上半身を投げ出した。
「あ~」
息を吐き身体が少し楽になった。我ながら親父っぽい気がする。
どうしてこんなに胸の奥がもやもやするんだろう。シエル様に聞いてみようか?
そういえば最近シエル様と話をしていないな。
(シエル様、いますかー?)
(……)
(あれ? 繋がってないのかな? ま、まさか信仰回路が途切れちゃった!?)
(聞こえていますよ)
(あっ、よかった。もしかして今忙しかったですか?)
(いえ、今は星渡りの途中なので何もする事がありません。ただあまり交信を使ってないと繋がり難くなるので注意してくださいね)
(そうだったんですか。すみません。あまり話しかけるのも悪いかと思って)
(いえいえ、私も人と話せるのはいい暇潰しになります。その日の終わりにその日あった事を話すくらいでも大丈夫ですよ)
(わかりました。それで今話しかけた理由なんですが、僕の胸が何だかもやもやして苦しくて、何か分かりませんか?)
(……ふむ、貴方の知識と照合すると恐らくストレスによるものだと思いますが)
(ストレス……ストレスかぁ。まぁそうですよね)
それは流石に思いついているんだけど、言い難い。
(そのストレスの原因を探るには記憶の洗い出しが必要ですが、私が直接調べましょうか?)
シエル様の言葉に不安しかない。
(具体的にはどうやってですか?)
(私の力を少し使って脳を刺激し強制的に関連する記憶を引き出します。後遺症はないはずです)
(はず!?)
(人間にはまだ試したことがないんです。提案しても何故か皆嫌がるのですよ)
やっぱりシエル様はなんというか、危ない人だ。僕とは常識が違うと言えばいいのだろうか? 聞けば答えてくれるからマシなんだろうけど。
(ストレスの原因は何となくわかっているんですよ)
(そうでしたか。それでその原因とは?)
(アールスが転校するんです)
(転校ですか……それでもう会えなくて寂しいと?)
(はい。でも僕、いちおう高校生だったんですよ? こんなに寂しくなるとは思わなくて……)
(よほどアールスさんに好意を抱いていたんですね)
(妹の様な子でしたから)
(本当にそれだけですか?)
(僕はロリコンじゃありませんよ)
(今は同い年じゃないですか)
(中身は元高校生ですよ? こっちで生きた年月も足せばもう立派な大人ですよ)
(心は肉体に影響されるものです)
(……)
確かに性欲が湧かないけれど、それとこれとは話が違う、よね? そもそも肉体が心に影響を与えるのなら僕が好きになるのは男の子じゃ? あれ? でも同性愛の例もあるし……。
(それでどうなのですか? 本当にアールスさんの事妹としか見ていないのですか?)
なんだかシエル様の声が楽しそうに聞こえてくる。まるで他人の恋愛話に興味津々な女の子のようだ。
(ないです)
(ちっ)
あれ? 今舌打ち聞こえた? 気のせいだよね?
(そういえばシエル様って女性なんですか? 男性なんですか?)
(那岐さんはどちらがよろしいですか?)
(え、僕が決めるんですか?)
(どちらがよろしいですか?)
(シエル様?)
(どちらがよろしいですか?)
(あ……女性っぽいと思っていたので女性で)
(私に性別はありません)
(……)
何だろう。最初の頃は優しいイメージだったのに、この期待外れ感は一体何なんだろう。
い、いや、僕が勝手にイメージしてたのに勝手に失望したら失礼だよね。
(時に、那岐さんの好みのタイプとはどのような人間なのでしょうか?)
(え? なんで急に)
(お互いの事をより深く理解する為です。お互いを知る事で回路は太く強くなっていくのですよ)
(ああ、なるほど。僕の好みですか……)
好みのタイプと聞いて一瞬見覚えのある顔が頭に浮かんだような気がするけれど多分気のせいだろう。
(大人の女性で包容力のある人……かな?)
あんまりきちんと考えた事ないけど、たぶん間違ってはいないだろう。前世で好きになった人のタイプもそういう感じだったし。何かする前に死んじゃったけどね。
(なるほどなるほど)
(シエル様?)
(髪は長いのと短いのどちらが好みですか?)
(えー……長い方かなぁ)
(なるほど。参考になりました)
(じゃあ次はシエル様の事教えてくださいよ)
(いいですよ。何でも質問してください)
(じゃあシエル様の姿ってどんな姿なんですか? あっ、正気が保っていられる程度の情報でお願いします)
(そうですね……恐らくシルエットは那岐さんの知るクジラに近いのではないでしょうか)
クジラか。実際に見た事は無いけれど想像はつく。やっぱ人型ではないんだな。
(体の色は白く輝いています。自慢ではありませんが背中から尾にかけての輝きは星々の輝きに勝るとも劣らないと自負しています)
シエル様の言葉の端々から自信が満ち溢れているように聞こえる。
(目は十あり、頭の両側に五つずつあります。口は恥ずかしいですが大きいんです)
うんうん。それぐらいならまだ想像の範囲内だ。
(こんな所でしょうか? 言葉で伝えられる部分は)
(意外と普通なんですね)
(ええ、普通ですよ)
言葉で伝えられる部分っていうのが気になるけど、触れないでおこう。
「ナギ? 何してるの? そんな所で」
名前を呼ばれたから振り返ってみるとそこにはアールスがいた。たぶん朝のランニングをするために起きたんだろう。
「シエル様と話してたんだ」
そういえばいつの間にか胸の苦しさが無くなっている。シエル様との語らいが心を安らかにしてくれたのかもしれない。もしかしたら残念な感じも僕を和ませようとしてわざとやった事なのかもしれない。
「シエル様ってナギが信仰してる神様だよね?どんな神様なの?」
「……優しい神様だよ」
こういうしかなかった。姿形はクジラなんて知らないだろうから口からだと伝えにくいし、性格もまだ把握していない。
お茶を濁す言い方しかできなかったけれどアールスは気にした風もなく話を続けてくれた。
「いいなー、私もルゥネイト様とお喋りしたいな」
僕は曖昧に笑って答えた。
声を聴きたいならルゥネイト様の事を知ればいいんだろうけど……。
(シエル様はルゥネイト様の事をご存知ですか?)
(ルゥネイト……ああ、そちらの世界に力を貸している方ですね。直接あった事はありませんが名前くらいなら)
(アールスにルゥネイト様の声を聞かせる事ってできますか?)
(流石にそれは無理です。声を届かせるにはまず人間を認識しないといけないのですが、それは砂漠の砂の一粒を探し出すようなものです。那岐さんと会話できるのも、那岐さんが話しかけてくれているから出来る事なのですよ)
(でも神託が降りるって事は回路は繋がってるって事ですよね?それなら逆にたどれば……)
(回路越しに声を届けると回路そのものが壊れる危険があります)
(え?じゃあ今シエル様は回路を通していないんですか?)
(いえ、私と那岐さん位の強度なら大丈夫です。ですが、声が届けられない程度の回路では……)
(そうですか……)
残念だけどアールスの力にはなれそうにないか。
「ナギはランニング行かないの?」
「ん。行くよ。一緒に行こうか?」
「うん!」
起きたのは夜明け前のはずだったけど、外に出てみると空がもうすっかり明るくなっている。
天気もいいからランニングにはちょうどいい。
ナギ以外の人には神託は声ではなく意思の様なあやふやな形で下されます




