都市グランエル
食事中の方は注意する描写があります
月日はあっという間に流れて、グランエルへ行く日がやってきた。
グランエルへ行くのに前日に学校から幌馬車が来ている。その馬車には最上級生の生徒五人と引率の先生がついてきており、どうやら卒業生が護衛をしているらしい。
僕とアールスが準備を終え馬車まで行くと引率の先生が僕達の顔と手元の羊皮紙を見比べている。
「うーんと、黒髪の方がアールス=ワンダーか?」
「いえ、僕はアリス=ナギです」
今世の僕はナギが苗字だけど、友達にはナギと呼んでもらっている。呼ばれ慣れているというのもあるけど、アリスはさすがに気恥ずかしい。
それにしても前世の僕とあんまり名前変わらないんだよな。すごい偶然だ。
「そうか。すまんな」
先生は態々僕に頭を下げてきた。
「いえ、気にしていません。僕自身アリスは似合ってないと思いますし」
アールスは僕達のやり取りを見て口を手で隠しながら笑っている。
「そ、そんな事はない。じゃあ君がアールス=ワンダーか?」
「はい。私も似合ってないって言われます」
「そ、そうか」
さすがの先生もこれには苦笑いをしている。そうだね、僕とアールスは名前逆の方がいいよね。
「さて、そろそろ出発の時間だ。準備はいいか?」
「はい!」
僕達二人は元気よく答える。
先生達から簡単な自己紹介を受けると僕達は馬車の幌の中に入った。先輩五人のうち三人も幌の中に入ってきて残りの二人は馬車の外で警戒をするらしい。
僕達の村からグランエルまでは馬車で五時間かかる。何事もなければお昼頃に到着する予定になっている。
僕は生まれてこの方村から出た事がない。馬車での移動とはいえこれが初めての冒険といえるかもしれない。もしも魔物が出てきたらどうしよう。
神様?は僕にランダムで優れた能力をくれたらしいけど一体どんな能力なんだろう。
身体能力に関する物じゃない事だけは確かだ。物心ついてから僕はほぼ毎日筋トレをしていたけれど特筆して優れていた能力なんて見つからなかった。何か目に見えない所で効果あるものなんだろうか。
考え事をしながら外の景色を眺めていると躊躇いがちな声でアールスが声をかけてきた。
「ね、ねぇナギ」
「うん?どうした……の?」
アールスの方に顔を向けてみると、アールスの顔面が真っ青になっていた。
「ど、どうしたのアールス!?」
「ぎもぢわるい……」
「ええ!?せ、先生アールスが気持ち悪いって!」
御者をやっていた先生は手綱を引き馬車を止めた。
馬車が止まると僕はアールスを抱え馬車から降り近くの草むらへ連れていく。護衛である先輩達の動きはさすがに早く僕達が下りると同時に周囲を警戒し、僕達を囲う様に陣形を整えている。
草むらにアールスを降ろし背中を擦ってあげるとアールスは嘔吐をする。
「大丈夫?」
「……」
アールスの顔はまだ青い。
落ち着くまで擦っているとアールスが腕で目のあたりを擦っている。
ああ、泣いてるんだ……アールスは女の子なんだ。こんな姿を見られて平気なはずがない。
「アリス=ナギ。これを」
先生が手拭いを差し出してくれる。僕はアールスの口元を拭ってから僕の方を向かせ、アールスの頭を胸元に引き寄せた。
「な、ナギ?」
「少し、このままでいよう」
「……うん」
「先生。いいですか?」
「気にするな。よくある事だ」
周りの先輩達もアールスに背を向けたまま励ましの言葉をくれた。優しい人達だ。
感謝をしつつ五分ほどたった頃だろうか、アールスが顔を上げ僕から離れた。
「ナギ、ありがとう」
「どういたしまして」
「ナギの服、汚れちゃった」
「そう? 手拭いでちゃんと拭いたつもりだったんだけどな」
「そ、そっちじゃなくて! その、涙……」
「ああ、なんだ。それくらい平気だよ。……うん。臭いもないし大丈夫」
臭いをかいで見せてなんともない事をアピールし僕はアールスの手を取る。
「さあ行こう」
「う、うん」
青かった顔は今は真っ赤になっている。よっぽど恥ずかしかったんだ。
今度は無理しないで気持ち悪くなりそうだったら早めに言うようにとアールスに言い含めてから先生に馬車を出してもらった。
酔いには外を見る事も大事だけど安心させる事も大事だ。僕はアールスにぴったりとくっつき話しかけ続けた。
効果がどれほどあったのか分からないがこの後は特にトラブルも起こらずほぼ予定通りの時間にグランエルへついた。
都市を初めて僕は見たのだが、僕はてっきり都市は大きな城壁みたいな物が囲っているのかと思ったがそんな事はなかった。代わりにというのだろうか用水路みたいなものが幾重にも都市を囲っている。
先生に聞くと都市から出た生活用水を貯める場所であると同時に魔物の侵攻を食い止める物らしい。埋められたらどうするのかと聞くと魔法で簡単に元に戻せる為頑丈な城壁を作るよりも簡単で安上がりなんだとか。
おまけに魔法陣を使い都市全体を結界で覆い飛び道具や魔法を完全に防げるらしい。
都市の入り口まで行くと検問所があり二人の兵士が見張りをしていた。
馬車が見張りの近くまで行くと先生は馬車を止めて全員に馬車から降りるように言った。
降りる際アールスが寒いのに大変だねと言ってきた。たしかに兵士達は防寒具は着てるが寒空の下、風が吹いている中で何時間も立っているというのは大変そうだ。
先生は全員を並ばせると点呼を取り、誰一人も欠けていない事を確認すると羊皮紙を片方の兵士に見せつけている。
「ふむ。人数は大丈夫のようですな。では台帳に記入するので少々お待ちください」
「ねぇナギ。台帳って何?」
「たぶんどこそこの人が何人都市の中に出入りしたかって事を記録してるんじゃないかな」
「なるほどぉ」
「お前よく知ってるなぁ」
僕の隣に立っていた先輩が驚いた様子で僕を見てきた。
「知ってたわけじゃありません。ただそうじゃないかって思っただけですけど、合ってるんですか?」
「ああ。もっと正確に言うなら運搬物のチェックや怪しい人物のチェックのためだな。ここで名前を記入した後身体検査をして問題がなければ通行許可証を貰って都市には入れるんだ。出る時も通行許可証を渡すって事以外は同じだな」
「名前の記入は終わった。名前を呼ばれたら順番に建物の中に入るように。まずはアーデルハイト=ハイマン」
「はい」
最初に呼ばれたのは先生だった。アールスを見てみると緊張しているのか落ち着きがなくなっている。
アールスのそんな様子がおかしくて口元がにやけてしまったのが自分でもわかった。
「な、なに? ナギ、にやけて」
「いや、アールスが挙動不審なのが面白くて」
「きょど? ……ナギは緊張しないわけ?」
「してるけどさ、アールス見てたら落ち着いちゃった」
アールスは僕の言葉に機嫌を悪くしたのか頬を膨らませてそっぽを向いてしまった。
アールスのこういう所が愛らしい。きっと妹ってこういう感じなんだろうな。
僕の前世は兄がいたけれど弟や妹はいなかった。生まれはアールスの方が早いけれど魂の年齢は僕の方が上だから僕が兄……じゃなくて姉でいいよね。
「次、アリス=ナギ」
「はい」
いつの間にか僕の番が来ていた。
僕が返事した事に兵士は少し意外そうにしていたけれどすぐに真顔に戻り身体検査をする建物を指さした。
示された建物に行くと女性の兵士が僕を迎えてくれた。
「あなたがアリス=ナギさん?」
「はい」
「持っているものを机の上に置いて。……うん。問題はないね。次はじゃあ両手を水平に上げて。はい。ちょっと体触るわね」
パンパンと僕の体を服の上から叩いてくる。
「あの、こんな簡単な検査でいいんですか?」
「え? うん。大丈夫よ。あなた学校の入学生でしょう?何かあっても学校が対処するから」
にっこりと笑う女兵士だがそこはかとなく恐ろしさを感じたのは何故だろう。
全員の検査を終えるとようやく都市の中には入れた。馬車は二人の先輩が学校に戻しに行くらしい。
何故学校に?と聞くと馬車は学校の備品で僕達がこれから行くのは寮だから行く道が違うし、徒歩での街の案内も兼ねているため馬車が邪魔なのだとか。
「うわぁー」
アールスが感嘆の声を上げている。それもそのはずだ。外から見えてはいたけれど実際に中に入ってみると村との圧倒的な差に驚くしかないのだから。
まず僕達の住んでいた村は木造が基本だ。これは魔物に占拠された時家を破壊しやすくするためだ。そして、家同士は一定の距離を保っていて万が一火事になった場合被害が広がらないようになっている。
けれどこの都市は所狭しと石やレンガでできた建物が立ち並んでいる。地面も石が敷き詰められ舗装されていて、道の脇には水路らしきものもある。
「ナギ、すごいねここ!」
「……うん」
まさかここまで文明が高いとは思っていなかった。僕はてっきり――それこそ前世で聞きかじった程度だが――中世ヨーロッパ程度の文明で糞尿がそこらへんに落ちている光景を思い描いていたけれどそんな事は全くなかった。
「ナギ全然驚いてない?」
「驚きすぎて声も出ないんだよ」
お昼時だからか人通りは多くないがそれも前世の記憶での基準だ。今の状態でも村出身の僕らからしたら十分多い。村では道に十人いれば多い方だったか、ここではその百倍以上は人がいるだろう。
みんな急いで歩いているのは家に帰るためか、はたまた食事処の椅子を確保するためか。
「人が多いね」
「うん。どこからこんなに人が来てるんだろ?どこに住んでるのかな?」
「二人とも、お上りさん気分はいいが迷子にならないでくれよ」
先生が苦笑しながら注意してくるけどアールスは好奇心を抑えきれないようで顔をあちこちに向けている。
仕方ないので僕がアールスの手を引いて連れていくことにした。
アールスの子守は意外に疲れた。村では割と大人しかったアールスだったけれどここに来て鍛えていた僕でも抑えるのがやっとな位はしゃぎまくっていた。
寮に着いた頃には僕は息も絶え絶えになっていたというのに、アールスはまだまだ元気そうだった。これが子供パワーという奴なのだろうか。
僕達の寮は都市の北側。首都方面の検問所へ続く大通りに面しており人通りも非常に多い。そしてその寮自体だが、寮はレンガ造りで三階建ての建物が三つ並んでいる。男子寮と女子寮、それに低学年用の寮と別れていると先生は説明した。
僕達がこれから暮らすのはもちろん低学年用の寮だ。この寮には先生も一緒に住んでいて暮らしに必要な技能を一緒に暮らしつつ教えてくれるらしい。
部屋は一部屋四人ずつ。同じ村の出身同士は原則として一緒の部屋にはなれないらしい。これにアールスは文句を言いだしたが、これも毎年の事なのか先生は困った様子もなくスラスラと答える。
曰くこの部屋割りは他人との協調を取れるようにするためであり、顔見知り同士が固まるのはあまりよろしくない。もしも冒険者や兵士になるのなら知らない人とも協力し魔物と戦わないといけない時が来る。その時のために今のうちにコミュニケーション能力を養っておく必要がある。という理屈だ。
僕は最初から文句はなかったがアールスは説明されてもまだ納得できないようだ。
「ナギはいやじゃないの?」
「どうして? アールスと会えなくなるわけじゃないんだし、いいんじゃない?」
「それはそうだけどさぁ」
「取り敢えず入ろうよ」
先生達はもう寮の中に入って僕達を待っている。
玄関の前に立っている二人の兵士に挨拶をしてから僕達は寮の中へ入る。寮の入り口の部屋はロビーになっているみたいで長テーブルや椅子が置かれている。てっきりだれか出迎えてくるかと思ったが先輩達とハイマン先生以外誰もいない。
(誰もいないんだ)
残念な気持ちが顔に出てしまったのか先生が答えてくれた。
「今はたぶんみんな食堂にいると思うよ。おいで、みんなに紹介しよう。その後は御飯だ。ああ、あと上級生達は帰ってよし。ユリーシア先生に報告しておいてくれ」
「はい!」
先輩達は先生に敬礼した後寮から出て行った。
そして、僕達は先生の後をついて行く。
食堂にはパッと見三十人位の生徒がいた。奥には恐らく一緒に暮らしている先生達が十人ほどいた。突然入ってきた僕達に一斉に顔を向けてきて少し怖かった。
「誰ー?」
「ほら、新入生だよ」
「後輩?」
食堂がざわつき始める。すると奥の方にいた先生のうちの一人が手を叩きざわつきを鎮めようとする。
「みんな、聞いてはいると思うがこの子達が新しくこの寮に入る事になる新入生だ。さっ、自己紹介を」
「じゃあ僕から。僕はアリス=ナギっていいます。ナギと呼んでください。これからよろしくお願いします」
「あっ、えっと、アールス=ワンダーです。よろしくお願いします」
「うん。彼女達が最初に来た新入生だけど、後五人。明日か明後日には揃うはずだから仲良くしてやってくれ」
『はーい!』
揃って大きな声だった。
「じゃあ食事はあっちのレジでもらう様に。後先生達の言う事はちゃんと聞くんだぞ」
「はい。ハイマン先生はここには住んでいないんですか」
「ああ。一応低級学年の担当だけど、担当が全員この寮にいたらさすがに窮屈になるからな」
「そんなに多いんですか?」
「三学年の担当全員合わせたら三十人いるからな。それよりいいのか? ワンダーはもう食事を取りに行ったぞ」
「え?」
本当にアールスはいつの間にかいなくなっていた。僕も慌ててレジへ行き食事を貰う。
トレイに乗ったお皿にはパンに肉のスープ、人参っぽい野菜とキャベツっぽい野菜の炒め物が乗っている。
どこに座ろうかと迷っているとアールスが手を振って僕を呼ぶ。
アールスの右隣に座ると早速前に座っていた男の子が話しかけてきた。
「なぁお前らどっから来たの?」
「リュート村です」
「あっ、俺知ってる。たしかグリヤの村だよ」
グリヤの名前を聞いてアールスが反応した。
「うん。そうだよ。お兄ちゃんどこかな?」
「確かあっちの方だぜ」
男の子が指さした方にはたしかにグリヤが座っていた。僕達の視線に気づくと手を振ってくれる。
グリヤは二つ上の僕達の先輩だ。子供が少ない村で帰ってくる度にいい遊び相手になってもらっていたっけ。たしか将来は農業を継ぐと言っていたな。能力の適性も農夫が合っていると言っていたけれど、子供にしてはあんまり夢が無いように感じられるな。
「ナギ、後でお兄ちゃんとお喋りしようよ」
「え? う、うん。いいよ」
正直僕はグリヤの事が苦手だった。というのもグリヤは僕を妹扱いしてくるから対処しにくいんだ。前世では十七だった男が小学生の男子に妹扱いされるのはさすがにきつい物がある。いや、いい子なんだよ。アールスも頼りにしてるところはあるし。
だけど女の子扱いですら慣れていないというのに妹は……ない。