望むは比翼の翼
「くーやーしーいー!」
アイネは僕の胸に顔を埋めたまま泣き止まない。こんなことは初めてだ。
「どうしたのアイネ。いつもなら泣く事ないじゃないか。そんなにアールスに負けたのが悔しかったの?」
アイネの背中をさすりながらそう聞くとアイネは首を横に振った。
「違う。誘い込まれてたの。最後まで気づけなかったの……それが悔しい!」
「あー……」
先ほどの試合最後までアールスの手の平だったという訳だ。
負けた事よりアールスの考えをまったく見抜けなかったのが悔しく自分が許せないんだろう。
アールスの方を見ると申し訳なさそうな顔をしている。
ふぇ……レナスさんに小声でアールスを助けてくれるように頼む。
するとレナスさんはこくりと頷いてアールスへ駆け寄っていった。
「アイネさんどうなさったんですかぁ?」
レナスさんと入れ替わりの形で弓を持ったままのカナデさんがやって来た。
「アールスとの試合で失敗してちょっと落ち込んでるんですよ」
「あらぁ……」
カナデさんは悲しそうに眉を下げる。
「アールスは悪くないんです。アイネもそれは分かってるよね?」
「うん……」
アイネは僕の胸に顔を埋めながら頷く。
「そういう事なのでこちらは大丈夫です。自分の訓練に戻ってください。ミサさんも、訓練を始めてください」
「分かりましたぁ」
「そうですネ。ここはアリスちゃんにまかせマス。カナデ、準備運動に付き合ってくだサイ」
「私もう準備運動済ませてるんですけどぉ……まぁいいですよ~」
「頼みマース」
二人を見送った後僕は意識をアイネに戻す。
「アイネ、もう泣いてないよね?」
「……」
返事がない。
アイネを剥がそうにもがっしりと拘束してきていて簡単に剥がせそうにない。
泣いていなくてもまだ落ち込んでいる可能性はある。あまり手荒な真似はしたくない。
「次は勝てるように一杯考えなくちゃね。と言ってもアイネの事だからもう対処法は分かってるのかな?」
「……もちろん」
アイネが顔を上げ僕の顔を見上げてくる。その目は赤くなってしまっているが強い意志を感じさせる目だ。
「次はそっこーでしょーぶつける。あたしの動きに慣れさせるまえに倒せばあたしの勝ち」
「そんなに上手くいく?」
「分かんないけど多分いける」
多分とついているがはっきりと確信したという口ぶりだった。
「どうしてそう思うの?」
「怖がってるのかどうか分かんないけど、序盤の動きとしてはちょっと消極的すぎる動きだったからね。両手に剣を持ってるんだから様子見するならあたしの実力探る為にも何回かは打ち合う事になるっていうのがあたしの予想だったんだ。
でもねーちゃんはずっとあたしの攻撃を避けてた。様子を見るにしたって反撃の意思を見せたり剣で受けた方が安全なのに。
それをしないって事はそーとーあたしの事舐めてるかあたしの事を勝負は捨てて完全に見極めようとしてるしんちょーすぎる性格だって事だと思うんだ」
「アールスは相手を軽く見るような子じゃないと思うな」
「ならしんちょーな方かな。まぁどっちでもいいんだけど。つまり最初から全力出さないならこっちは最初から全力を出して当たるだけだって事」
アールスは身体が温まるのが遅いのか全力になるのが遅い。
その所為で戦っているうちに強くなっているような錯覚を受ける。
その性質上アールスは短期戦は長期戦よりも比較的苦手なようだ。
あくまでも比較的であって持久型である僕が速攻を仕掛けてもたやすくあしらわれるだろうが。
アールスとは逆にアイネは典型的な短期型だろう。体が小さく体力が少ないから長期戦にはあまり向いていない。その上戦いでは攻撃的な性格をしていて相手をかく乱させるために運動量も多い。
短所とも呼べるような長所を生かすには速攻を仕掛けた方がいいのだろう。それに元々アールス相手に長期戦は絶対的に不利なのだからアイネの考えは間違っていないように僕には思える。
「次は勝てるといいね。それでそろそろ離れて貰ってもいいかな?」
「むー……しょーがないなぁ」
本当に渋々といった様子でアイネは僕から離れた。
「しょうがないじゃないよ……飛び込んできた時鼻とかぶつけなかった?」
「へーき。ねーちゃん受け止めるのじょーずだね」
そう僕を誉めてアイネはにひひっと歯を見せて笑った。
「笑い事じゃないよまったく。互いに防具身に着けてるんだから気を付けてよね」
「うー……分かったよぉ」
「それと、アールスに謝っておく事。試合の後泣かれたら罪悪感を持っちゃうよ。次から手加減されたくなかったらきちんと話しなくちゃだめだよ?」
「はぁい」
僕がアイネの背中をアールスの方へ押すと、アイネはとぼとぼと歩いて行った。
そして、アールスと話をし始めて少し経った頃にふぇあちゃ……レナスさんが僕の方へ駆け寄ってきた。
大丈夫。今の僕はアイネのお陰で平常だ。
「どうしたの? レ……ナスさん」
慣れていないせいで舌が絡まってしまった。断じて意識しているからじゃない。
「はい。あの、アールスさん達は一緒に訓練する様なので私はナギさんの所に来たんです。その、話しておきたい事もありますし」
「昨日の事?」
確認するとレナスさんは頷いた。
「シンレイになるかどうかはとりあえず保留する事になりました」
「そうか……フェアチャイルド……さん自身はどう思ってるの?」
「あの、呼びにくいのでしたら苗字でも……」
「いや、慣れてないだけだよ。早く慣れる為にも名前一杯呼ばないとね」
レナスさんは照れたのか頬に薄紅がかかり顔が綻んだ。
そんな顔をしないでほしい。勘違いしたくなってしまう。
どうやら僕の精神はまだ緩んでいるようだ。僕自身も言葉には気を付けないと。
「正直に言うと私はサラサさんと契約が切れてしまうのは寂しいですし、物心がついた時から繋がっていましたから想像できないんです。
だけどサラサがそれを望むのなら……受け入れてもいいと思っています」
「そっか。サラサは答えを出したの?」
「いいえ。悩んでいるみたいです。だから保留という事に……ナギさん。一応私にシンレイになる方法を教えてください。サラサの選択がどちらにしろ私は知っておいた方がいいと思うんです」
「うぅん……教えたとして対処出来るかは分からないけど……そうだね。知っておいた方がいいか」
精霊が神霊へ至るには自己の確立が必要。そう伝えるとレナスさんはかわいらしく首を傾げた。
具体的にはどういう事なのかと聞かれたがそれは僕にも上手く答えられない。
だけど恐らくは自分とはどういった存在なのか、それを突き詰めて行く事が自己の確立に繋がるのだと思う。
そして、それは精霊とはこうあるべきだとライチーによく説いているサラサは自己の確立を進めていると言っていいだろう。
サラサが神霊になるのは時間の問題かもしれない。
神霊について話し終えると僕とレナスさんは話をしながら柔軟体操を始めた。
空地に来てから一時間が経って今は時間は七時前だ。話し込んでしまって時間的に訓練は出来そうもないが柔軟くらいはしておいた方がいい。
話はもっぱら大きな声では話しにくい事だった。といっても別に悪だくみをするわけじゃない。
主な話は首都で驚愕の話を聞かされたマリアベルさんとローランズさんの二人の事だ。
まさかあの二人が、と思う反面昔やった占いの結果でローランズさんが結婚できないというのはこういう事情だったのかと納得してしまった。
この世界でも同性愛というのは理解が得られにくい存在だ。僕にとっても他人ごとではないので二人には周囲の好奇の目に負けずに頑張ってほしい。
「私は二人の事を聞いた時恥ずかしながら声を上げて驚いてしまいました」
「それは当然だと思うよ。親しい友達が急に見せた新たな一面なんだから」
それが世間一般では受け入れられない物ならレナスさんの反応も当然だろう。
「でも僕やジーンさんっていう前例があるのにちょっと不思議には思うかな?」
「ナギさんやジーンさんは心と体の性別が違うじゃないですか。あの二人は違います。心と体の性別が一致しているのにそれでも同性を選んだんです」
なるほど。はたから見たら僕やマリアベルさん達は同じ同性愛者で区別がつかないだろう。
だけど内面を知っているレナスさんからしたら違うように見えるのだと思う。
「その事がとても驚きでした」
「そうだね。確かにそうだ。僕とあの二人は違う」
ついでに言ってしまえばジーンさんも僕と違うとは思うがそれは話がややこしくなるので口には出さない。
「僕は勇気があるなって感じたよ。本来僕達に付き合う事になった事伝える必要はないんだ。
偏見や好奇の目が怖くないのかって聞いたら二人とも怖いって言ってたよ。それでも僕達の事を信じて伝えてくれたんだよね」
僕も告白した時は緊張していた。気持ち悪がられるんじゃないかと恐れた。
幸い僕の場合は皆が優しいからそういう事はなかったけれど、今でも公然と言いふらす事なんてできない。ましてや恋人がいたらカナデさんやカイル君にも話す事は出来なかったかもしれない。
「ナギさんもやはりそういう目で見られるのは嫌ですか?」
「僕は小心者だからね。嫌に決まってるよ。でもね、僕だけならまだしも恋人になった相手にまでそういう嫌な目で見られるのはもっと嫌だよ」
「で、ではもしも……えと、す、好きな人から告白されたらナギさんはどうしますか?」
「偏見や好奇の目で見られる事を覚悟した上でなら……うん。頑張れると思う」
「頑張れる……ですか?」
「うん。実際にどうなるかは分からないけどさ、この人とならどんな困難があっても一緒に歩いていきたいって思える相手がいいなって思うんだ。
だからそういう人が告白してきてくれたなら受けていいなって思えるかな」
「じ、じゃあ例えばですけど……アールスさん……みたいな人はどうですか? 偏見など気にしなさそうですけど……」
「気にしないのと覚悟をするっていうのは違うよ。覚悟をするっていうのは痛みや苦しみのような恐ろしい事があるという事を理解した上で先に進む事だと思ってる。
気にしないっていうのはそもそも痛みや苦しみを感じていないか鈍感なんだと思う。
でも……そうだね。気にしない人でも支え合って生きていけるのならそれもいいのかもしれないね」
柔軟運動する身体を止めて遠くの空にまだ見ぬ未来の光景を見る。
未来の僕には隣に人はいるだろうか?
共に人生を歩んでいる人はいるだろうか?
ナス達はいるだろうか?
独りぼっちは嫌だ。
独りぼっちは寂しい。
最後の時に誰か傍にいて欲しい。
レナスさんはどうだろう? 彼女は生涯の相手を見つけられるだろうか?
精霊達がいるから最後の時に独りぼっちという事はないだろうけど……。
「レナスさんの方はどうなの? どういう人なら恋人になりたいと思う?」
「私は……ナギさんのように優しい人がいいです」
「僕みたいにか。んふふ、見つかるといいね。でも、悪い人は良い人の皮を被って近寄ってくるものだ。ちゃんと見極める目を持たないと駄目だよ?」
「はい」
「って偉そうに言ってるけど、レナスさんも知ってるように僕恋人作った事ないんだよね」
「そんな、経験がなかったとしてもナギさんが間違った事を言ってるとは思いません」
「そうだといいんだけどね。僕の常識ってやっぱり前世の世界に引っ張られてる所あるし、その前世だって社会経験なく若く死んだんだ。
僕の言う事は鵜呑みにしないで自分で確かめた方がいいよ」
「ナギさんはいつも私に自分で考えろと、確かめろと言っています。私はそんなに自分で考えていないように思えますか?」
「あっ……い、いやそういう訳じゃないよ。うん……ごめんなさい。今のは確かに侮辱した言い方だよね」
唇を尖らせるレナスさんに僕は謝る事しかできない。
今のは僕がうかつだった。彼女を侮る発言だったことは間違いない。
「ナギさんが繰り返しその事を話すのは私が頼りないというよりご自分に自信がないからではないですか?
ナギさんはもっとご自分に自信を持つべきです」
怒らせてしまったのだろう。いつになく辛らつな言葉。
だけど反論する事ができない。
「全く持ってその通りだよ。返す言葉もない」
だけど、自信ってどうやれば身に着くものなのだろう?
ナギの心の壁は母性と父性で出来ています




