思い出
僕は都市の中央部である噴水広場から離れる前にシエル様と一緒に辺りを見て回る事にした。
本来はシエル様はすでに周辺を見て回っているようで案内する必要はないのだけど、僕は広場にやって来てからずっと聞こえてくる歌声が気になったのだ。
その歌声は聞き覚えがある。
歌の聞こえてくる方角へ向かうとその先には僕の予想通りの人物が歌を歌っていた。
「ミリアちゃんここで歌ってるのか」
ミリアちゃんは小さな竪琴を弾きながら歌を歌っている。
穏やかで美しい歌だ。僕以外にも大勢の人が足を止めて歌に聞き入っている。
(良い歌ですね。激しい歌よりも私はこのような歌が好みです)
(僕も同じです。幼い頃村で草原を眺めていた事を思い出します)
僕は昔を懐かしみながら歌が終わるのを待つ。
そして、歌が終わると観衆がミリアちゃんの足元に敷いてある布の上目掛けてお金を放り投げ始めた。
よくある光景だ。路上で芸を披露している人達はこうやって投げ込まれたお金で生計を立てている。
僕は銅貨を十枚取り出して他の人達と同じようにミリアちゃんの足元の布目掛けて放り投げる。
お金を投げてくる観衆に対してミリアちゃんはお辞儀をしながらしきりにお礼を言っている。
お金が投げ終わるとミリアちゃんはお礼するのをやめて布から外れたお金を拾い始めた。
忙しそうだ。声を掛けるのは止めておこう。
僕はミリアちゃんに気づかれないうちにその場を後にした。
(お話ししなくてよろしいのですか?)
(はい。忙しいようなのでやめておきます。暇になるのを待つというのは今の僕には時間が無いので出来ません)
(そういう事なら仕方がありませんね)
(とりあえずこのまま学校まで行きましょう)
僕達は広場を西に出て大通りを行く。
通学路にも思い出は沢山ある。
初めて学校に登校した時はフェアチャイルドさんはとても辛そうだった。
あまり体が丈夫ではなかった彼女は幼い頃は倒れる事も珍しくなく、目付け役として子供達と一緒に登校していた先生のお世話になる事も少なくはなかった。
アールスはそんなフェアチャイルドさんをいつも心配そうにしていたっけ。
ああ、でもその割にはアールスはフェアチャイルドさんの事を追いかけっこみたいな体力を使う遊びに誘っていたな。
そんなアールスとの遊びがあったからかフェアチャイルドさんも高学年になると息を切らす事なく登校する事が出来るようになっていた。
一つの事を思い出すとどんどんと思い出が蘇ってくる。
僕はそれを包み隠さずすべてシエル様に伝えた。
案内と言いつつ思い出語りになってしまっているので軌道修正をするが、思い出深い場所を通りかかるとすぐに思い出語りをしてしまう。
だけれどそんな思い出語りもシエル様は楽しそうに聞いてくれた。
学校に着くと僕は早速校舎の来客用の玄関へ向かう。
玄関を通り抜けた先には受付がある。
「あっ、ナギちゃんじゃない。ひさしぶりね~」
「お久しぶりです」
受付にいた職員は前にもお世話になったことがあるおばさんだった。
「もしかしてまた魔獣達の授業してくれるのかい?」
「はい。ですので教頭先生にお会いしたいのですが、面会を申し込めますか?」
「ちょっと待っててね~」
おばさんは席を立つと隣の部屋へ移動した。
受付の部屋の中にはもう一人女性が残っていて目が合ったので軽く会釈をしておく。
おばさんはすぐに戻ってきて教頭先生の予定を教えてくれた。
今日の五時頃になれば時間が取れるらしい。今の時間も教えてくれて今は三時半だそうだ。
大分時間が空いてしまうな。
「それでは五時前にまた来ますね」
一度校舎を出て僕は校門までの道をシエル様に学校の事を教える為にゆっくりと歩いた。
玄関から校門までの道の左手側は校庭へ続いている。
今の場所から校庭は少し遠いが子供達の声が聞こえてくる。きっと授業中なんだろう。
校庭とは逆の方向、右手側にはナスが住んでいた飼育小屋や倉庫がある。
どちらも僕がよく通った道だ。
そう言えば昔校庭へ続く道の途中でアールスが転び泣いてしまった事があった。
僕の名前を呼びながら泣いているアールスを見てフェアチャイルドさんも泣き出してしまい落ち着かせるのに苦労したっけ。
もうあの時みたいに泣いて僕の名前を呼ぶような事はないだろうな。
校門を通り過ぎると僕は時間を潰す為に学校の周辺を案内する事にした。
学校の周辺は学校の依頼でよく駆け回っていた。
だから案内できる場所は多い。
時間が来るまで僕は思い出の場所をシエル様と一緒に歩き回る。
学校で教頭先生と面会し、仕事を取った後僕は鍛冶屋へ向かった。
空は真っ暗になってもう人通りがない時間だけれど、鍛冶屋は時間が不規則な冒険者がよく利用するので遅くまで営業している所が多いから僕の目的の鍛冶屋が閉まっているという事はない。
鍛冶屋に何の用があるのかというと研修の旅に出る前に注文しておいたアース用のブラシと、ゲイル用のブラシと櫛を取りに行くのだ。
研修の旅が予定よりも伸びてしまったからなるべく今日中に取りに行きたい。
宿に帰るのは遅くなるだろうな。アイネはどうしているだろう。寂しがってるというのは想像できないけれど。
鍛冶屋に着くと早速注文していた物を受け取る。
アース用のブラシは特別製なのできちんと確認を取る。
アースの体毛は銀色でお日様の下で見ると輝いて見えてとても美しいのだけど少々硬い。
普通に市販の普通の動物のブラシを使ってもすぐに駄目になってしまうのだ。
だから新しいアース用のブラシは動物の体毛を使うのではなくに完全木製のデッキブラシのように柄の長い形にすることにした。
平たい台底はアースに合わせた大きさだから結構重量がありバランスも悪い。何度も握りの滑り具合を確かめる。
満足の行く出来だと確認が取れると支払いを済ませた。
(かなり大きいブラシですね)
(そうですね。前世の僕だったら持てないと思いますよ)
何せ台底の大きさは僕の身長の半分はあるかと思うほど大きいのだ。その台底を支える柄の部分もかなり太くなっている。
持ち歩くには少し不便だけどこれでアースの毛づくろいがはかどるというもの。アースも喜んでくれるはずだ。
ゲイル用のブラシと櫛は荷物袋の中に入れ、アース用のブラシは重い方を下に向け両手で持つ。
(重くはないのですか?)
(これぐらいなら大丈夫ですよ)
(私の中にいる那岐さん達に似た人型の生命体の雌と比べるとやはり魔素の影響か身体能力が高いようですね)
(魔素の影響って考えるとやっぱりちょっと怖いですね)
(そうですね。許容量を超えると魔人となってしまいます。気を付けてくださいね)
(はい)
鍛冶屋を出た後は噴水広場でシエル様と別れ、その後は真っ直ぐ預かり施設へ戻った。
翌朝、僕は早速アース用の巨大ブラシを使ってみた。
新しいブラシという事でアースもとても楽しみにしていた。
昨晩アースに巨大ブラシを見せたら今すぐ使って欲しいとねだられてしまったけれど、時間が遅かったからブラッシングしてあげる事は出来なかったのだ。
柄が長いだけあってブラッシングするのがとても楽だ。
「ぼふ~」
気持ちよさそうにもう少し強めでという要望が来たのでブラシを動かす腕に力を籠める。
『ねーねーナギ』
ブラッシングを後ろで見ていたアロエが声をかけて来た。
「何?」
『前から疑問に思ってたんだけど、アースの背中の出っ張りって何?』
「……なんだろうね」
アースの背中の真ん中あたりには本来アライサスにはない山のように盛り上がったこぶのようなものが一つある。
こぶのような所にも体毛が生えていて、こぶの根元の凹凸の所為でブラッシングが面倒になっている。
だけど背中に人が乗る時はこぶに掴まればいいので非常に便利でもあるのだ。
『ナギでも分かんないの?』
「アース自身も分かってないみたいだからねぇ。魔獣になった時自分の身体になかった物が出来るって言うのは珍しくないみたいだよ。ナスの角や大きさみたいにさ」
『ふぅーん。じゃあゲイルもどっか変わってたりするのかな』
「魔獣になる前の記憶は曖昧らしいから聞いても分からなかったよ。僕も元の動物の姿が分からないとどこが変わってるのか分からないし」
ヒビキなんかは元はペルグナーという生き物らしいがどのような姿をしているのはさっぱり分からないのでどこが変わっているのかも分からない。
『そっかー』
ミストラという動物の絵姿は見た事はあるけれど、ゲイルは体毛の色と模様以外は一般的なミストラと変わりはない。
だけどゲイルは恐らく種族名からして元は大森林東側の固有のミストラのはずだ。
アーク王国で見られるミストラと同じミストラであるから大きく姿かたちは変わらないと思うけれど、体毛の色や模様が変わっている可能性はある。
そこから更にゲイルの体毛が変化している可能性は否定できない。
「ぼふん」
考え事をしていて力が緩んでしまっていたようでアースに怒られてしまった。
気合を入れ直してブラッシングを再開する。
気に入ってくれているようで嬉しい限りだ。注文した甲斐があるという物だ。
ブラッシングを終えた後はアイネと朝の特訓を行い、お風呂に入って汗を流した後朝食を摂った。
朝食の際にアイネが今日はミリアちゃんに会いに行くことを僕に告げた。
アロエもアイネの発言に乗っかる様に都市の外に出たいと言い出した。
二人の今日やりたい事を聞きながら僕は今日の予定を組み立てていく。




