リュート村にて その1
長期休暇になり僕達は学校の馬車ではなく村が所有している馬車で帰る事になった。グリヤも一緒に乗っている。
二年ぶりの帰郷だけどアールスの馬車酔いは治っていなかった。気持ち悪そうに小母さんに寄り添っている。
「アリスは平気?」
お母さんが聞いてくる。
「うん。平気」
ふと、僕もお母さんに甘えた方がいいのだろうかと思った。僕は生まれてこの方子供の様に両親に甘えた事がない。流石に元高校生の男が親に子供らしく甘えると言うのは精神的に抵抗があったんだ。でもお母さんは僕に甘えて欲しいのかもしれない。
僕だって子供が出来たら甘えてきて欲しいもんね。
だから僕は親孝行だと思って少しお母さんに寄りかかる。抱き着く事は流石に出来ない。男のプライドとか恥ずかしさとか色々あるんだ。
するとお母さんが僕の髪を撫でてきた。少し。いやかなり気持ちいい。
こうされていると昔の事を思い出す。
今世よりもっと昔、前世の頃の記憶。
僕は小さい頃臆病でいつも何かに怯え泣いていた。そんな時お母さんは『怖い物なんてお母さんが追い払っちゃったわ』と頭を撫でながら言っていた。
何度も何度も。僕が泣かなくなるまで言い続けてくれた。最後に僕が泣いたのは……。
僕の家族は元気かな。死んじゃってごめん……。
いつの間にか僕は寝ていたようだ。気が付くと僕は家のベッドで寝かされていた。外はもう暗い。ライトの光が木造建築の部屋の中を照らしている。
ベッドから起きるとお母さんから声がかかった。
「あら、起きたのね。もうすぐ夕飯出来るわよ」
匂いを嗅ぐとお肉の焼けるいい匂いがしている。……お腹が空いてきた。
でも味付けがなぁ……この世界は塩が高価なんだ。
海は魔物や魔獣の住処の為漁はおろか海から海水を確保するのは命懸け。岩塩ならあるけど学校などに優先されて回されるから市場にはあまり出回らない。市場などで出回っている塩のほとんどはフソウから輸入しているのが現状だ。
だからリュート村のような田舎では少しでも塩分を取る為に肉はレアかブルーレアが基本だ。血も無駄にはしない。お肉が出る時のスープは大体食べやすいようにハーブを入れた動物の血のスープだ。最初は慣れなかったな……でも今では僕も立派な肉食系男子……女子か。肉食系女子になった。
今日もそんな夕飯だった。もちろんサラダも添えられている。
夕飯の準備が終わりお父さんも帰ってきた所で家族の団欒が始まる。
しかし、今日の空気は昔よりも重い。原因はお父さんだが、やはり小父さんの事を悔やんでいるのかもしれない。
お肉をよく噛みながら昔の事を思い出す。
アールスの小父さん……テトラ=ワンダーさんは時々うちに来てお父さんとお酒を飲んでいた。お父さんがワンダー家にお邪魔していた時もあったようだ。
お父さんと小父さんは仲が良かったんだろう。いつも楽しそうに飲み明かしていた。
「ねぇお父さん。テトラさんとはどういう関係だったの?」
「……どうした、急に」
「お父さん達って仲良さそうだったから気になって。僕とアールスが仲いいからっていうわけじゃないよね?」
「ああ、あいつとは十年来の仲だ。俺は元々この村の生まれだったんだ。教会でちょっと話したな。冒険者を引退した俺の親父はここに住む事を決めたんだ。俺は学校を出た後暫く冒険者まがいの事をしてたんだが……まぁその時にアンナと会ってな」
ちらりとお母さんの方を見た。
「村に帰ってアンナと結婚したのが十二年前だっけか」
確認を取る様にお母さんの方に顔を向ける。
「そうね。もうそんなに経っているのね」
「その二年後にテトラが来たんだ。あいつは兵士をやってたらしいが、まぁなんか理由があったんだろう。この村に農夫としてやってきたんだ。それから俺とあいつは何故か意気投合しちまってな。それからだなぁ」
「あれ? テトラさんって一人でこの村に来たの?」
「ああ。一人だ。奴のかみさんのハーリンは元々はこの村によった行商人の娘でな、一回あっただけであいつ『一目ぼれしました! 結婚してください』って言いやがったんだ」
その時の光景を思い出したのか楽しそうに笑いだした。
「懐かしいわ。ハーリンさんも最初は戸惑っていたけど、テトラさんの情熱に負けた、という所かしら」
「くふふふ! 粘り勝ちってやつだよ!」
「あの時は村中の男の人達が悔しがってたわねぇ」
「俺はそんな事なかったがな」
「そうだったかしら?」
お母さんは意地悪そうに笑うけど、お父さんは昔を懐かしんでいるのか遠い目をして気付いていない様子だ。
「ほんと、ハーリンを口説き落とした時のあいつの喜びようったらなかったなぁ。まぁ本当の試練はその後に会ったんだがな」
「ハーリンさんのお父さん?」
「ああ、『娘が欲しければ俺を倒してみろ!』なんて、親父の常套句を言ってやがったよ。実際強くて勝負着いた時には二人とも立っていられなかったけどな」
「……お父さんは言わないよね? そんな事」
「寧ろ嫁に行けるかが心配だがな」
寧ろお嫁さんが欲しいです。
「その後は……まぁ変化があったのはお前とアールスちゃんが生まれた事くらいか。……ハーリンはきっと俺の事を恨んでるだろうな」
「……」
お父さんもお母さんも沈痛な面持ちでテーブルを見つめている。
「で、でも小父さんを殺したのは……魔物なんでしょ?」
「それでもだ。そう割り切れるもんじゃないさ」
「二人とも本当に仲がよかったのよ……」
僕はもう何も言えなかった。
翌日、僕は本当に久しぶりに家の手伝いをした。
太陽が昇るのと同時に起きだした僕の最初の仕事は洗濯物を纏める事だ。お父さんとお母さんから洗濯物を受け取り洗濯物を入れる籠に入れておく。
次はお父さんの後について行ってお父さんが担当している畑の様子を見に行く。今は何も植えられていないから簡単な見回りだけだ。動物等の不審な足跡がなければいい。今日は異常無し。次。
家に戻ったらすでに朝ご飯が出来ている。朝ご飯を食べたら暫く僕に仕事は……なかったはずなんだけど、今日はお父さんに畑を耕す手伝いをしろと言われた。
畑は村の柵の外にあるけど、周辺の安全は村人が交代でやっている見回りで確保されている。魔物でも出てこない限り凶暴な動物がいないこの辺りは安全だ。
魔物も僕達が帰ってくるまでに念入りに周辺にいない事を確認している。リュート村の周辺には障害物はなく、あるのも子供の腰位の高さの草だけだ。後危険な所と言ったら少し離れた所にある森くらいだろうか。
まぁ確かに? 僕はこの二年で? 力が付きましたよ? ふふ、見せてやりましょうお父さん。逞しくなった僕を!
ほんの一時間で力尽きた。
「もうマジ無理……」
「くははは! 頑張ったじゃねぇか! いいよ。休んで来い」
「え、まだ全然終わってないのに?」
「そこまで求めてねぇよ。お前がどこまで成長したか見たかっただけだ」
「なんだ……」
僕は鍬を引きずりながら畑から出て近くの草むらに座り込む。
今耕している畑は厳密に言えばお父さんの畑ではない。畑は村単位で管理されていて村長が誰がどこの畑の面倒を見るか割り振っているんだ。
収穫物は一旦村の倉庫に纏められ、国に売る分と保存できるものは保存用に取っておき国に売って儲けたお金を村人に分配している。あれだ、村が小さな会社みたいな物だ。
村長が社長でその他の村民が社員。収穫物が売り物で国がお客さん。みたいな?
収穫が多かった畑の人間には祭りの時にお酒や貴重な食べ物を多く振る舞われ、サボりなどをして収穫が少なかった畑の人間ははその分お給料が減るらしい。
基本的にお給料は常に一定で増える事はなく、余ったお金は村人全員で管理している村の非常用の資金となる。
農作業が苦手な人だっているだろうって言う人もいるだろうけど、農作業が苦手な人間や嫌いな人間はそもそも農民にならない。この国は職業選択の自由が保障されているんだ。自分の向いている職業が分かる分前世の世界よりかは自分の将来を決めやすいかもしれない。
休んで体力が戻ってきたから僕はもう一度畑の中に入って鍬を振るう。
あー意外と腰に来る。ヒールでは疲れは取れないのが残念だ。
腰の痛みと戦いながら鍬を振るっていると視界の端に見慣れたリーフグリーンが見えた。
リーフグリーンの動きを追っていると後ろから肩に大きな手が乗せられた。
「……ここはいいから行ってこい」
「……うん」
鍬を持ったまま僕はアールスを追った。
「アールス!」
僕が呼びかけるとアールスの足が止まった。
「ナギ」
僕はアールスの右隣に立つ。ここは村を回る時の昔からの定位置だ。
「どこに行くの?」
「お父さんの畑」
そう言うアールスの表情はよくわからなかった。無表情ではないけど、感情が読み取れない、そんな表情だ。
「グランエルに行く前はよくこうやって二人で散歩してたよね」
「うん……」
朝の手伝いをしたら僕達みたいな子供はやる事が無くなる。加えて一緒に遊ぶ子が少なかったから僕達は自然と二人でいる事が多くなった。
この村には子供が少なく学校に行っている子を含めても七人しかいない。一人は来年学校に入学する予定。残りの三人はまだ赤ん坊だった。
子供を大切にお国柄だけど、別に子供を増やす事を推奨しているわけじゃない。
理由は資源の問題だと思う。人が増えればそれだけ領土を広げなければならない。けど無計画に領土を広げる事は出来ないため下手に人口が増えるのは困るんだろう。
人手に関しては前線基地はともかく農家なら魔法で何とかなる。今朝自力で耕してたのは体を鍛える意味合いが強い。自分の力で耕す期間を決めて、期間が過ぎても終わっていない場所だけ魔法で耕すんだ。農家を目指す人間は大体魔法を使えるし、使えない人は人に頼めばいい。成果はちゃんとお祭りで反映される。
「収穫の季節になるとさ、アールスはいつも手伝いで泥だらけになってたよね」
「そう……だっけ?」
「覚えてない?すごく楽しそうだったよ」
僕も手伝いがあったから遠目からだけど、アールスの楽しそうな声は障害物の無い広い土地ではよく聞こえていた。
「そうだったかな……」
「アールス、あそこが小父さんが担当してた畑だよ」
指さした先には小父さんではない人が畑を耕していた。もう別の人に決まったんだ。それはそうだ。畑を遊ばせるわけにはいかないよね
「僕はね、ここでテトラ小父さんが畑を耕してるの何度も見てるんだ」
「……」
「遠かったからどんな顔で働いてたかわからないけど、近くまで行ってたアールスなら覚えてないかな?」
「……覚えてる。お父さん、いつも真剣な顔してた。けど、休んで私を見つけた時は笑顔だった。それで手を振ってくれたの」
「アールスが来てくれてうれしかったんだね」
「そうなのかな……」
「そうに決まってるよ。じゃなかったら笑顔にはならないよ」
「うん……そうだよね」
アールスの右手が僕の左手に重なり手を繋いできた。
「行こう」
アールスが歩き出す。どこへ?とは聞かなかった。僕達が行く場所なんて決まってる。
僕達は村まで戻ると大きな岩が埋まっている空地へやってきた。
「懐かしいな。ここでよく遊んだっけ」
「遊びっていうよりもお勉強だと思う」
アールスが何故か口を尖らせている。
「そうかな?」
「そうだよ。掛け算って三年生で習う計算だってレナスちゃん言ってたよ」
まだ習っていないはずなのにそれを知ってるフェアチャイルドさんも普通じゃないと思うけど。
ちなみに数字を使って教えたわけじゃない。アールスには小石を使って四則演算を教えていた。小石を使ったのは数字と記号をどう書くのか分からなかったからだ。
「でも一緒に追いかけっこしたりしてたじゃないか」
「あれも今から考えると筋トレだったんじゃ」
「……いやいや、花を一緒に探したりもしたじゃないか。アールスが誘ったんだよ?」
「そうだっけ? ナギって記憶力いいよね」
「そんな事ないよ。ただ……楽しかったから覚えてるだけだよ」
「……私はあんまり覚えてないな」
「アールスの場合はグランエルに行ってからの思い出の方が印象深いんじゃない?」
「そう、なのかな」
僕にもグランエルでの楽しい思い出はあるけど、たぶんアールスとは重みというか密度というか、そういう物が違うと思う。
僕にとってのグランエルでの思い出は前世も含めても約二十年分の内の一部でしかないんだ。それに比べてアールスはまだ八歳。割合が違う。
「ナギ、座って」
アールスは岩に腰を掛けて自分の隣を手で叩いた。
僕はアールスの望み通り隣に座る。すると、アールスが僕の肩に頭を預けてきた。
「昨日ね、お母さんにね……思い切って聞いてみたの。私の目ってお父さんに似てる? って」
「どうだった?」
「すっごく泣いてた。嫌だった? て聞いたらお母さん私の事が好きだから泣くんだって言ってた」
「どういう意味?」
「わかんない。でも朝起きたら元気になってたの」
それならきっと悪い意味じゃないんだろうな。
「……私ね、泣いてないの」
「……」
「どうしてかな。悲しいのに涙が出ないの。ナギだって泣いてたのになんでかなぁ……」
「……アールス、僕はね、小父さんがお父さんを庇って死んだって聞いて怖くなったんだ。アールスに嫌われるんじゃないか? って怖くてアールスの目を見れなくなったんだ」
その事に気付いたのはアールスの目を見た後だけれど。
「アールスの目を見てないって気付いたあの日、僕はすごくアールスの目が見たくなったんだ。それで、改めて気付いたんだ。アールスの目は小父さんに似てるって。優しい目をしてるって。そして、もうアールスを迎えに来れないんだって思ったら、泣いてた」
「……もう、迎えに来ない」
「うん……」
「……ねぇナギ」
「なに?」
「お父さんは偉かったよね? ナギのお父さん守ったんだもん」
「……うん。偉いと思う。でも、死んじゃうのは偉くないと思う」
「そうかな」
「そうだよ。アールスや小母さんをこんなに泣かせてるんだから」
アールスや小母さんを見て僕は思う。きっと僕が男の子を命を呈して守った事も正しい事じゃなかったんだ。少なくとも残された者にとって。
もっと他に方法があったんじゃないか? どうしても救わないといけなかったのか?
後悔はしていないはずなのに、アールスを見てると家族を思い出してしまう。
「私泣いてないよ?」
「泣いてるよ」
「泣いてないのに。変なナギ」
「ずっと泣いてたさ」
「嘘つき」
「嘘じゃないって。アールスの心はずっと泣いてる」
「……」
「今は心が元気がないだけだよ」
「元気になったら……泣く?」
「うん。泣く」
僕だって昔はそうだったんだ。
「お父さんの事ね、好きだった。好きだったんだよ……でもね、死んじゃったって聞いた時全然涙でなくて、私お父さんの事好きじゃなかったのかなって思ったの。ナギも全然私の事見なくなったし、お母さんはね、ずっと落ち込んでた。私どうしたらいいのか全然分からなくて……ナギが私の事見てくれた時、嬉しかった」
アールスの右手が岩の上に置いた僕の左手の上に重なった。
「ナギ、私の事これからも見てくれる?」
「うん」
「今日ナギの家に泊まっていい?」
「小母さん大丈夫?」
「わかんない……でも今朝は元気だったよ」
「……僕がアールスの家に行くよ」
「いいの?」
「小母さんが許してくれるかはわからないけど、そうした方がいいと思う」
「ナギがそう言うならそうする」




