好きだから
「ふあ~すごいですねー。本当に飛んでますぅ」
カナデさんは籠の縁に自慢の胸が潰れるほど身を乗り出し上空からの風景を見て感心したように言った。
「これがアリスさんが頑張った結果なんですねぇ」
横に並び横顔を覗くととても優しい眼差しを地上に向けていた。
「お天気が良くてよかったですねぇ……とても気持ちのいい景色です~」
「今日は雲が少なくて良かったですよ。カナデさんに最高の天気でこの景色を見せる事が出来ました」
「アリスさん。こんな素敵な体験をどうもありがとうございます~」
「いえ。喜んでもらえたのなら作った甲斐がありますよ」
しばらく遊覧飛行を楽しんでいた僕達は夕方の時間になった所で一緒に乗っていたフェアチャイルドさんにそろそろ戻った方がいいと指摘され大慌てで気球を地面に降ろした。
どうやら僕はカナデさんのゆったりとした空気に当てられ時間を忘れていたらしい。
これを言うと、逆にカナデさんから同じ事を言い返され思わず笑ってしまった。
フェアチャイルドさんはどっちもどっちだと呆れたように言った。
気球を急いで片付けて街に戻ると僕は魔獣達と一緒に小屋に戻ってきた後急いで小屋の中を掃除した。
今朝、訓練場でアールスと会った時過去に行った祝賀会を倣ってお祝いするのは小屋でする事になったんだ。その際にガーベラもいたので誘うと遅れるかもしれないと前置きはしたが参加を表明した。
小母さんはアールスが連れて来るので問題ない。
鍵も事前に受付でアールスの名前で登録してあるから問題なく借りる事が出来るだろう。身分証明は神聖魔法で出来るからこの世界は便利に出来ている。
小屋の中を掃除し終わるとちょうどアールスがやって来た。
一人だけだ。話を聞くと作ってきた料理を荷台に乗せて運んできたから運ぶのを手伝って欲しいようだ。
アールスに手を引かれ小屋から出ると小母さんが荷車にかけていたであろう包まれた大きな布を両手で持って脇に置いている所だった。
今朝アールスに渡しておいたお金でアースの分の食事も購入してくれたようで色艶のいい立派な果物がたくさん載っていた。
大量の果物を引いてきた馬にアールスは布をもって身体を拭いてあげる。
僕は近寄ると馬に怖がられるのでそういう事は残念ながらできない。
馬と言えば午前中にアースが動物に怖がられる現象を検証してみたのだが、魔力を抑えても怖がられていた。
顔を背けられるだけで逃げ出そうとはしなかったので逃げるほど怯えさせていたのは魔力である事には間違いないようだ。
他にも試した所魔獣の匂いのような物を恐れているんじゃないかと、僕は推測した。魔獣に昔から接していた僕やヒビキとくっついている機会が多いカナデさんは馬にそれなりに怖がられ、フェアチャイルドさんは僕とカナデさんよりはましという態度を取られた。
そこで試しに香水を使ってみると怖がられなくなったので多分間違っていないだろう。
魔獣達は事前に消臭し魔力を抑え風の魔法を使って匂いを漂わせなければ多分街道を歩けるだろう。一度確認してみなくては。
小母さんを手伝って食べ物を全て小屋の中に敷いてある敷き物の上に乗せる。
その際に小母さんに臭いは大丈夫か確認を取った。二人が来る前に換気をして臭い消しのお香を焚いておいたが、魔獣達の匂いに慣れた僕達では判断がつかないのだ。
特に臭いはしない事と小母さんは答えてくれた。これで心置きなくこの場所で宴会を開ける。
料理には全てアールスがブリザベーションをかけた事を小母さんは自慢げに教えてくれた。
アールスは恥ずかしそうに僕の前で自慢しないでと言ったけれど、僕のようなずるをしてなければ僕達の年齢でパーフェクトヒールが使えるというのは探しても見つけられないだろう。それどころかブリザベーションを授かる第四階位以上でさえも珍しいと言える。
その点ではアールスは僕以上に努力していると断言していい。
何せ普通神様との回線を太くするには文献を漁るしかない。僕はともかくアールスの場合はルゥネイト様の事を相当勉強し理解しなければいけなかったはずだ。
それに加え魔力の量を増やすのはともかく、魔力操作も高くないといけない。
はっきり言って神童と称えられてもおかしくないんだアールスは。僕なんかよりよっぽど優秀だ。
……考えてみたら僕の周りって優秀な子ばっかりだな。
フェアチャイルドさんは当然の事、三英雄の固有能力を持ったアールス達三人、カイル君も養成所ではいい成績を残せていて士官学校からの誘いも来ているらしいし……アイネもかなり強くなっていた。カナデさんなんて弓の天才って呼んでいいんじゃないか?
カナデさん以外は皆僕抜きでもアールスは出会っているから、英雄譚だったらアールスは壮大な物語を紡いでいたかもしれない。
……まさか僕がその英雄譚を台無しにした? 魔の平野を舞台にしたサクセスストーリー……なんて、フィクションじゃないんだから考え過ぎだ。
料理の準備が終わりガーベラが来るまでの間にアールスに昨晩決まった事を伝え、最後にアールスに選択してもらう。
「アールス。これはアールスに決めて欲しいんだけど、僕達は明日首都を発って僕達の親にこれからの事を話しに行く。そしたらさっき言ったように僕達は旅行資金を貯める為に年末まで前線基地に近い都市に張り付くつもりなんだ。
それでねアールスに決めて欲しい。第四階位になってから僕達と合流するか、階位なんて気にせずに最初から僕達と旅をするか。
正直最初から僕達と旅をすると研修後すぐにグライオンに向かうから観光をする余裕なんてないと思う。それに面倒な手続きもある。
第四階位になってから合流するなら国内を見て回る余裕があるけど、どうする?」
じっとアールスの目を見るが迷いは見受けられない。
「そんなの決まってる。私は最初からナギ達について行く」
「……分かった。年末戻ってきた時にもう一度聞くけど、僕達はアールスがついてくること前提で予定を組んでおくよ」
「うん……気持ちは変わらないから」
話が終わり、少しの時間が過ぎ外が暗くなった頃にガーベラはやって来た。
開いておいた扉からガーベラが片手を上げ大きな声をかけてくる。
「おー! 久しぶりやなー」
「久しぶりガーベラ。待ったよ?」
「すまんすまん。教練場終わってからちょいと着替えに家に寄ったんや」
「まぁでも夕飯には丁度いい時間だよ」
「せやろ? おっ、酒もあるんか」
ガーベラは靴を脱ぎ捨てて敷き物の上にどかりとあぐらをかいて座った。
女の子としてはあれだが、ここには一応女の子と性別不明の魔獣しかいない事になっているので強く注意する必要もあるまい。
「ガーベラ、女の子なんだからあぐらで座っちゃ駄目だよ」
「ええやん別に」
「まったく……ハーリンさんもいるのに」
「まぁ今日は無礼講という事で。さぁ皆、食べ始めましょう」
料理のブリザベーションを解いてから各々小皿を持ち自分の好きな料理を取っていく。
魔獣達もいただきますの合図とともに一斉にご飯を食べ始めた。
お酒も各々好きな物を取って自分のコップに入れていく。
小母さんは僕に度数が弱いお酒と甘い果汁を合わせた飲み物を勧めてくれた。
一口飲んでみると確かに前に飲んだアイラよりも飲みやすい。
でもやはり喉が焼けるような感じは無くなっていない。
「なんや、あんた酒苦手なん?」
「う、うん。アルコールがちょっと……ナスは好きみたいなんだけどね」
ナスが催促してくるので小母さんに許可を貰ってから適当にお酒をマナポーションにして与えると今回は甘すぎると言って不評だった。
お試しという事で量を少なくしてよかった。
次に普通のを渡すと普通に喜んで飲んでくれた。
「ヒビキとアースは飲まないの?」
「ヒビキは駄目じゃないかな。ふたりとも飲んでみる?」
聞いてみたがふたりとも興味を示さず与えられたご飯を食べている。
「飲むのナスだけなんだね」
「みたいだね」
そう聞いてきたアールスもあんまりお酒を飲んでいない。料理を主に食べてたまにお酒を飲んでいる。
アールスはお酒は大丈夫なのかを聞いてみると、どうやら別に好きでも嫌いでもないようだ。なら弱いのかと聞くと別段そういう訳でもないと言う。
むしろいくら飲んでも酔わないようで皆が好んで飲む理由がよく分からないようだ。
その疑問に答えたのが意外にもフェアチャイルドさんだった。
フェアチャイルドさんによると酔うとふわふわして柔らかい物に包まれているような気分になるらしい。柔らかい物って僕の胸の事じゃないよね?
フェアチャイルドさんに同意を求められたが残念ながら僕は前回酔うほど飲んでいない……と思う。少なくともフェアチャイルドさんの感じたような気分にはならなかった。
そう答えるとガーベラが突然僕の肩を掴みお酒の入った陶器製の壺の注ぎ口を僕の口元に突き付けて来た。
「な、なに?」
「あんたの酔っ払った処見てみたい。飲め」
よく見るとガーベラの顔がほんのりと赤くなっている。
「酔ってる?」
「うちがこれぐらいで酔うかいな!」
「断固拒否する! 一気飲みは身体に危険なんだ!」
「うっさいわ!」
ガーベラは注ぎ口を僕の口に突っ込んできて壺を傾けようとするが僕は必死に抵抗する。
力が、力が足りない!
「ガーベラちゃんやめなさい。嫌がってる人に無理やり飲ませたら駄目」
徐々に傾けられていく壺。しかし、小母さんの言葉によってガーベラの力が弱まった。
「ちぇー。まぁええわ。あんたが酔うまで付きおうたる」
「すっごい迷惑なんだけど」
むしろ僕の方から飲ませて酔い潰させるか。
「むー……ガーベラさんナギさんにくっつきすぎです。離れてください」
フェアチャイルドさんがガーベラを僕から引き離し代わりに肩を寄せてくっついてくる。
アルコールで身体が火照っているのか体温が高く感じられる。
「フェアチャイルドさん何杯目?」
「ん……五杯目くらいだと思います」
「もうそんなに飲んでるのか……ゆっくりと飲まないと駄目だよ」
「でも気持ちいいです」
飲んでいるのは度数は低いのにもう酔っているようだ。いや、低くても五杯も飲めばこうなるものなのか?
前世では飲んだ事ないから基準が全く分からない。
カナデさんはゆっくりと飲んでいるみたいだからまだ余裕はあるように見える。
小母さんも同じだ。ただ、小母さんの方は一口一口味わって飲んでるみたいだからペースが遅いみたいだ。
ガーベラはそれはもう豪快に飲んでいる。未成年がこんなにがぶ飲みしていいのだろうか?
たしなめると僕にお酒を飲ませそうだから放置しておくが、隙を見てピュアルミナとインパートヴァイタリティをかけておいた方がいいかもしれない。
お祝いの宴は夜遅くになる前に終わった。フェアチャイルドさんとカナデさん、それにガーベラが酔いつぶれたからだ。
小母さんは酔いつぶれてこそいないが動きが緩慢になっている。
アールスも結構飲んでいたはずなのだが事前に言っていたように顔色は普段と変わらずまったく酔っている様子がない。
アールスに許可を取ってピュアルミナで確かめると黒い靄のような物は一欠けらも感じられない健康優良児だった。
続けてフェアチャイルドさんにかけると身体全体に薄く黒い靄があるが少しずつ小さくなっているのが分かる。多分アルコールが分解されているんだろう。
もしかしたらアールスはアルコールの分解がものすごく早いのかもしれない。
とりあえず皆に酔い覚ましのピュアルミナをかけて置く。もちろん他の皆には内緒にしてもらう。こんな事でいちいち高いお金なんか取りたくない。
一応小母さんからの要望で完全にアルコールを取り除く事はしなかった。ほろ酔いぐらいが気持ちいいらしい。
後片付けをした後フェアチャイルドさんとカナデさんに毛布を掛けた後僕はまだ眠っているガーベラを背負った。
ガーベラは今日はアールスの家に泊まる事になっているらしいので僕が送る事にしたのだ。
アールスはまだ足元がふらついている小母さんを補助している。
精霊と魔獣達に戻ってくるまで残す二人を任せて僕達は小屋の外へ出た。
星が光瞬いてる空の下、アールスは小母さんを支えながらお礼を言ってきた。
「ナギ、ありがとねガーベラちゃん見てくれて」
「んふふ。どういたしまして」
「ねぇナギ」
「なに?」
「私すごく楽しみ。早くナギと一緒に旅したい」
「僕も同じだよ」
「ナギ達は私がちゃんと守ってあげるからね?」
「頼もしいね。でも僕にも守らせてほしいな」
「え……」
よほど意外な一言だったのだろうか? アールスは驚いたような声を出した。
「そんなに意外だった?」
「だって……私の方が強いし」
「あははっ、その通りだけどさ。でもね、守られてばっかりっていうのは嫌だよ。
僕だってアールスに傷ついてほしくない。苦しんでほしくないし悲しんでほしくもない。
僕は君の笑顔が好きなんだ。アールスの事が好きなんだ。
アールス。僕の好きなアールスを守らせてもらえないかな?」
「す、すすす好きとか! 何言ってるのナギ!」
「フェアチャイルドさんも同じ気持ちだと思うよ?」
「うっ……す、好きだから守りたいの?」
「アールスは違うの?」
「……違わないけど」
「じゃあアールスも僕達と一緒じゃない」
「あっ……そっか。好きだから……あはは、そうだね。そっか、ナギ達と一緒なんだ」
「そうだね」
「そっかそっか……」
アールスは呟くようにそっかという言葉を何度も繰り返す。
何か得心がいったのだろうか?
呟きが止むといつもとは違う……いつもの笑顔が太陽ならこれはまるで月のような穏やかで静かな笑顔だ。
そんな美しい表情のままアールスは僕の名前を呼んだ
「ナギ」
「……なに?」
「楽しい旅にしたいね」
「うん……そうだね」