閑話 高嶺の花
どうも私はヒビキさんにあまり好かれていない気がする。
ナギさんに抱かれたヒビキさんを見て私は時々そんな風に考えてしまいます。
出会ったばかりの頃は私が抱こうとすると羽で叩かれ拒否されたりしていました。
嫌われている……という事はないと思います。お菓子をあげる時や暇つぶしに遊ぶ時は普通に私に懐いてくれるのです。ですが、抱こうとすると途端にヒビキさんは私を拒否をする。何故でしょう。
私とナギさんやカナデさんの身体に差異なんて……無いはずなのですが。しいて言うなら筋肉でしょうか? 私では長くヒビキさんを抱く事は出来ません。もしかしたらそれを察しているのかもしれません……。
……そんな訳ないですよね。いえ、本当は分かっているんです。私に軟らかさが足りないんだという事位。
私はナギさんに比べてほんのちょっぴり胸の辺りが寂しい事位自覚しているんです。
何よりも私にはナギさんやカナデさんのような包容力という物がありません。
ヒビキさんは家族と別れ離れになり、同族の生死も分かっていないとナギさんから教わりました。
そんな境遇ならばナギさんの溢れ出ているぼせ……父性の虜になってしまうのも頷けます。
カナデさんも優しいですし、無駄に脂肪を胸に蓄え柔らかくしているのでヒビキさんに気に入られるのも分からないではないです。
私にあとほんのちょこっと胸の辺りがこう……太ればヒビキさんも喜んで……くれるかは分かりませんが。
私に足りないのはほんのちょっぴりの胸の脂肪と優しさなのです。
はっきり言って私は動物が苦手です。何考えているか分からない瞳とほとんど変わらない表情。
それに臭う体毛。魔獣達は毎日は出来ませんが時間が出来れば身体を良く洗うのでそこまで臭いません。でもそこら辺にいる動物は駄目です。臭いです。飼い主がいてもあまり洗われていないようなのです。
前に働いていた牧場の動物も肥の匂いがして少し辛かったです。
生ぬるい体温も苦手です。これに関しては私は人間相手でも駄目です。
例外なのはナギさんやアールスさん、それにシスターにフィアにベルにカナデさんと言った親しい人達だけです。
ナスさんはまだ少し苦手でヒビキさんは重さを差し引いても長時間持っていたくはありません。
そんな様々な苦手がある私に包容力が備わっているはずもありません。
ヒビキさんも私の苦手意識に気づいているから私に中々懐かないのでしょう。決して胸に厚みが足りないとかそういう理由だけではないはずです。
そんなヒビキさんですが、今日何故か私の腕から逃げるどころかすり寄ってきて私に抱っこを求めてきました。
一緒にナスさんを追いかけた事によって少しは私に懐いてくれたのでしょうか。
すごく重かったのでナギさんに代わってもらいましたが、なんだか成長した事を認めて貰ったようで嬉しかったです。
アールスさんの家に行く事になりナスさんはなんだか上機嫌です。ヒビキさんはいつもと変わらない様にしか見えませんが。
ここにアースさんがいないのが少しだけ残念です。
アースさんがいても家の中には入れないのですが、なんだか仲間外れみたいになっていて少し心が痛みます。
動物が苦手な私ですがアースさんは別です。
表情は分かりませんし少しお調子者な所があるのは確かですが、しかし私はアースさんの深緑の瞳がなんだかナギさんに似ているような気がするんです。
ナギさんと同じような優しさに満ちた瞳に。
いえ、優しさだけではありません。深い知性を感じさせる時もあるのです。だからアースさんの事を苦手に思わないのかもしれません。
アールスさんの住んでいる集合住宅に着くとアールスさんは急ぎ足で中へ入って行き、すぐに戻ってきて魔獣達が中に入る許可をいただいてきました。
ナギさんは中に入れる前に魔獣達の身体を拭く布をアールスさんから受け取り、手慣れたもので手早くふたりをきれいにしました。
部屋の中に入るとハーリンさんが黄色い声を上げてナスさんに抱き着いてきました。どうやら許可を貰えたのはナスさん達をかわいがりたかったからのようです。
ナギさんはハーリンさんに挨拶を済ませると抱いていたヒビキさんを降ろしアールスさんに早速勉強しようと言いました。
アールスさんは少しは遊びたかったのか不満そうな声をあげましたが、きちんと教本を持って来てくれました。
なんだかアールスさんは変わりました。
前は素直にナギさんのいう事を聞いていたのですが、首都に帰ってきてからはナギさんに不平不満を良く出す様になってしまいました。
再会した時ナギさんと喧嘩をしていましたがまだその時の事を引きずっているのでしょうか……。
私はナギさんとアールスさんには仲良くしていて欲しいです。
二人は私にとってかけがえのない大切な人達です。もしもこのまま最悪喧嘩別れなんて事になってしまったら私はどうしたらいいのか……。
ナギさんに聞いても問題ないと言うばかりです。
ナギさんはもうちょっと危機感という物を持ってほしいです。
危機感の薄さは優しさの表れなのでしょうがやはり心配なのです。でも、そういう隙のある所もナギさんの魅力なのですが。
アールスさんはアールスさんで私が注意してもまともに取り合ってくれません。
「……スちゃん。レナスちゃん」
「アールスさん?」
「あっ、動いた。なんだかずっと上の空だったから心配したんだよ?」
「ごめんなさい……少し考え事をしていました」
「そうなの? 邪魔しちゃった?」
「いえ、そんな事ないです」
「よかった。それでさ、分からない所があるんだ」
アールスさんが指さした本の内容は数学の問題でした。
「証明問題ですね……」
問題文を読み少し考えてからアールスさんに解答の導き方を教えました。
「なるほど! やっぱりレナスちゃんはすごいなー。独学で勉強してるのに私よりも頭いいなんて」
「本当だよね。僕なんてもうついて行くのにやっとなのに」
「えー? ナギは前世の記憶があるじゃん」
アールスさんの発言に思わずナスさんとヒビキさんの面倒を見ているハーリンさんを確認しましたがふたりに夢中になっているみたいでこちらを気にしている様子はありません。
アールスさんも声は抑えていたので聞こえていなかったのでしょう。
「そんな昔に習った事なんて覚えてないよ」
「そうなの?」
「そうだよ。それに数学以外は前の記憶あってもあんまり意味ないし」
「なるほどねー。つまり頑張ればナギよりも頭良くなれるんだ」
「それは記憶のあるなしは関係ないような……っていうか、頭の良さで言ったらもうフェアチャイルドさんには抜かれてるよ」
「え? そ、そんな事ないですよ。ナギさんは気球を作るほど頭がいいじゃないですか」
「あれは頭の良さは関係ないよ。発想力と繰り返しの実験のお陰」
「そ、それにナギさんは機転が利きますし……」
「それは経験の差だよ。フェアチャイルドさんは謙遜してるけどさ、同世代の子で独学でアールスに勉強を教えられる子なんてそうそういないと思うよ?
アールスって別に教練場の成績は悪くないんだよね?」
「うん。ユウナちゃんには負けるけど、同じ勉強を習ってる軍の訓練生の子達含めても上位には入ってるよ」
「へぇ? そこまでなんだ。すごいじゃない」
「えへへ」
アールスさんはナギさんに褒められて嬉しそうに笑います。
不思議です。普段は子ども扱いしないで欲しいと褒められる事を嫌うのに一体何が違うというのでしょうか?
「二人に勉強手伝って貰ってるからね。当然だよ」
「いやいや、アールス自身が努力してるからだよ」
「それもそうだね。えっへん」
アールスさんの胸を張って偉そうにふんぞり返る仕草に思わず笑みが浮かんでしまいます。
やっぱりアールスさんは可愛らしい人です。
ナギさんはそんなアールスさんにとても慈愛に満ちた眼差しを向けています。……私には向けてくれない眼差しです。
深く深くアールスさんの事を想っている事が私でも分かります。
ナギさんがアールスさんの事を想うのは当然でしょう。幼い頃から一緒にいてとても仲の良かったお二人なのですから。
そして、私との約束を後回しにしてでも守りたいと想っている……。明言はしていませんが、ナギさんは恐らくアールスさんと共に行くでしょう。
だというのにアールスさんはナギさんの想いに気づく様子もなく反発をして……嫉妬してしまいます。
ですが、悔しいですが私から見てもお二人は……とてもお似合いです。
天真爛漫で誰からも好かれ、好奇心に満ちたその瞳は常に前を見て新たな世界へ踏み出そうとするアールスさんは私とは全然違います。
私は人に好かれるような人間ではありませんし、誰かに引かれていないと前には進めない人間なのです。
そんな人間が、ナギさんのような聖人君子のような素晴らしい人に見合うはずがありません。
ナギさんは誰にでも優しくて、傷ついている人がいたらすぐに飛んで行って傷も心も癒してくれる神様のような人なんです。
そんなナギさんに見合うのはかつての勇者と同じ固有能力を持ち、力も強く優しさを兼ね備えて成長し続けるアールスさんのような人がいいのです。
それにアールスさんに抱き着かれると嬉しそうにしますし……。
私がナギさんを望むなんて高望み……分不相応、身の程を弁えない考えなんです。
でも……許されるなら、私はナギさんのお傍にいたい。
ずうと傍でナギさんのお役に立ちたい。