プレゼンテーション
僕が作った気球に関する全ての事をまとめた書類を纏めて封筒の中へ入れ荷物袋にしまう。
そしてから傍にいるフェアチャイルドさんに自分の格好でおかしな所が無いかを聞き直してもらう。
僕は今この国の正装を身に纏っている。
この国の正装は前世で言えば着物やチャイナ服のような伝統衣装がそれに当たる。
単色のドレスの上に股下の辺りまで届く色鮮やかな、肩先が見えるように長方形に作られた貫頭衣を身に着けるのがこの国の女性の伝統衣装だ。男性の正装も似たような物でドレスの替わりに単色の上下を着るだけだ。
ただし、ドレスの形は自由にして良く、僕のドレスは肩の所が風船のように膨らみ、スカートは脚を覆うほどの長さだ。
貫頭衣の意匠は昔は身分によって使われる色と複雑さが違っていたが、今の時代では王族に使用される金と銀以外は自由に使っていいとされている。
しかし僕のような若輩者は上流階級が好んで使う黒と白は避けた方が無難だろう。なので僕は赤い貫頭衣に紫を基調した簡易な意匠が施された物を選んだ。色を指定したのは僕だが意匠は店員さんおすすめである。
さて、なぜ僕が正装しているのかと言うと、今日僕は小母さんにアールスのお爺さんに紹介されるからだ。
お爺さんの名前はダルクス=ワーゲン。小母さんは小父さんに嫁入りしたので苗字が変わったんだ。
お爺さんに僕が気球の事を説明し、そこで納得させられれば国の偉い人にお爺さんが取りついで気球の情報を提供する手はずになっている。
その情報の提供の際は僕はついて行かずに小母さんに任せるつもりでいる。
あくまでも僕自身は気球の情報をお爺さんが経営しているワーゲン商会に売り、その情報を商会が娘または孫娘の為に国に渡すという形になるのだ。
つまり僕にとっては今日これから行う説明はプレゼンテーション。商品説明という名の商売という事になり、その後の事に関しては関与しないのだ。
こういう事は初めてだから緊張する。
せめて第一印象は悪くしたくないと思い何度もフェアチャイルドさんに確認を取ってしまった。
さすがのフェアチャイルドさんも呆れ顔になっていた。
準備を終えると僕は待ち合わせ場所である小母さんの家へと向かった。
家に着き小母さんに会うと僕の格好を褒めてくれた。
「良く似合ってるじゃないアリスちゃん」
「そ、そうですか?」
そういう小母さんも親に会うというのに正装をしている。小母さんも今日は商売だという認識なんだ。
そもそも正装で来て欲しいと言ったのは小母さんだ。
着る機会が無かったので僕は正装を持っていなかった。
その事を話すとアールスの持っている正装を貸してくれるという話にもなったが、僕はそれを断った。これから先も着る機会があるかもしれないから今のうちに購入しておこうと思ったのだ。
小母さんにはまたすぐに小さくなるんじゃない? などと小さく笑いながら指摘されたけれど、その時は売って新しいのを購入すればいいのだ。僕お金持ちだし。
「じゃあ行きましょうか。待ち合わせ場所はワーゲン商会の事務所ね」
「はい」
「事務所と言っても商会の人間が連絡を取り合う為の仮拠点みたいな物だからそんなに大きくないんだけどね」
そう笑いながら語る小母さんについて行き案内された建物は確かにこじんまりとした一階建ての平屋だった。
扉を開けて中を進むと従業員らしき人とすれ違った。頭を軽く下げて挨拶を交わすとその人は小母さんに僕の事を聞いてきた。
どうやら事前に僕の事は話していたようでああこの子が、と頷いた。
案内された部屋はよくある応接室だった。机が一つに三人は座れるソファーが一つ。その反対側には一人用のソファーが二つ並んでいる。
小母さんに促されて広い方のソファーに浅く腰掛ける。
「私はお茶を持って来るからそのまま待っていてね。お父さんもすぐに来ると思うの」
「分かりました」
小母さんは姿勢よくお辞儀をしてから部屋を出ていく。
ふふ、こういうのは治療士の仕事で慣れているのだ。今日の僕は昔の僕のように挙動不審になったりはしないぞ。
……一応資料の確認はしておくか。いやいや、資料を見てたら相手方が入ってきた時にすぐに対応できない。ここは我慢だ我慢。
今日ここでしくじるわけにはいかないんだ。アールスを危険な目に合わせる可能性を少しでも減らすために僕は今までやって来たんだ。
扉が開く音がする。確認すると中年の、大体五十代くらいに見える男性が入ってきた。
僕から見て五十代に見えてもこの世界の人はもっと年上だなんて事はざらにある。
男性も正装をしている。白い服に緑の貫頭衣を合わせ、僕のとは比べ物にならない複雑な意匠が施されている。
僕はすぐに立ち上がり男性の元へ行く。
日焼けし深く刻まれた皺のある顔は小母さんにもアールスにも似ていない。髪の色はハーリンさんと同じ茶色で、アールスと面影があるとしたらそれは鼻の辺り位だろうか?
ガタイがよく真正面に立つと威圧感を覚える。
そう言えば小父さんとハーリンさんを巡って戦ったとかお父さんが言っていたっけ。武闘派なんだろうか?
「やぁ、君が娘が紹介したがっていたアリス=ナギ君だね? 君が魔獣に職業を就かせる事を思いついたという事は聞いてるよ。お陰でとても助かってる。
俺がダルクス=ワーゲン。ワーゲン商会の会長でありハーリン=ワンダーの父でありアールス=ワンダーの祖父だ」
威圧感を感じさせる風体に反してワーゲンさんは気さくに話しかけて来た。
「初めましてアリス=ナギです。いつもハーリンさんとアールスさんにはお世話になっております」
僕がお辞儀をするとワーゲンさんはほぅ、と感心したように息を吐いた。
「その年にしては中々胴に入った仕草だ。慣れているのかな?」
「私は治療士としても働いているのでたびたびこういう機会があるのです。
さすがに正装を着たのは今日が初めてですけれど」
「なるほど。ああ、いかんな。お客さんを立たせたままにしてしまった。どうぞ座ってくれ」
「それでは遠慮なく」
大げさにならないように小さく頭を下げてから僕は元の座っていたソファーに座り直す。
「さて、仕事の話の前に折角こうして孫娘の友達と会えたんだ。少しばかり孫娘の話を聞かせてくれないかな?」
「もちろんワーゲンさんがそれを望むのなら私の方に異存はありません」
きっと世間話をして僕の人となりを探ろうとしているんだろう。
僕としては隠すような事はないから素直に話をして大丈夫……だと思う。
問題は自分で気づいていないような問題が僕にあって、それがワーゲンさんにとって気に入らない物だったら後々の話にどう響いてくるか分からない。
なんにせよ僕には今できる事をするしかないんだ。
僕が話し始めようと姿勢を正した時、再び扉が開き小母さんがお盆の上にお茶セットを持って戻ってきた。
小母さんがお茶を配り終えてワーゲンさんの隣に座ると、ワーゲンさんが簡単にアールスの話をする事を説明してから僕は話を始めた。
話の途中で分かった事だが、僕とワーゲンさんは何度かあった事があるようだ。
ワーゲンさんは行商人として何度もリュート村にやってきており、学校の寮に移る前に会っているのだと教えられた。
指摘されて僕はようやく思い出した。確かに僕はアールスが行商人の人をお爺ちゃんと呼んでいたのを知っている。
当時僕はまだ小さかった為完全に忘れているだろうとワーゲンさんは思っていたようだ。
さすがに思い出さそうとしなければとっさには出てこないが、それでも僕はその頃あった印象深い出来事は大体覚えている。
何せ代わり映えのしない毎日だったから変わった事があれば自然と記憶に残るのだ。
お茶を少しずつ飲みながら僕はアールスの事を中心に話をした。
幼い頃の僕とアールス、それに親友であるフェアチャイルドさんの事。
僕が治療士になったきっかけも流れで話す事になった。
僕が冒険者になろうとした理由は少しぼかした。さすがに男になる為、なんて素面で言えるほど肝は据わっていない。
少し長い話になってしまったが、ワーゲンさんには満足いただけただろうか。そんな心配をよそにワーゲンさんは世間話の延長戦かのような厳つい顔には似合わない朗らかな笑顔で切り出してきた。
「いやぁありがとう。孫娘の話を聞けて良かった。
それで、その孫娘の為に空を飛ぶ乗り物を考え作り出したとか」
「はい。正直に言うとアールスだけではなく、私の為でもあるんです。安全にフソウに行けるようになって欲しいと考え、気球を作り上げたんです」
「なるほど。自分の為でもあるのか。それで気球、と言ったかな?
気球の詳しい説明を聞きたいね」
「はい。ではまずはこちらからご覧ください」
資料を分けてから机の上に一旦置き、最初に気球の仕様書とも呼べる気球の材料から作り方までを記した資料をワーゲンさんに手渡す。
ワーゲンさんが資料を受け取るのを見ると自分様に持ってきた資料を手に持ち説明を始める。
まずは概要から。
僕が気球をどのように思いつき形にしたのかを話す。もちろん真実は話さない。ちょっとぼかすだけだ。。
気球の発想に関しては精霊と会話をしていて空を飛ぶ乗り物を作ったらどうか、という風に思いついたと話した。気球を作ろうと思ったのはライチーとの会話だから嘘はついていない。
そして、さらに精霊達の会話から発想を進め、ヒビキの特殊スキルであるフレア・バードの原理を知っていたからフレア・バードの原理を応用できないかと考えた、という事にした。
気球の形に関しては試行錯誤の結果という事になっている。これも実験を重ねたので間違ってはいない。
そして、材料への話へと移っていく。ここからは特に嘘をつくところはない。何故この材料を選んだかの理由を絡めつつ話を進める。
一つ目の資料の話が終わると次は具体的な性能。と言っても僕の作った魔法陣の消費魔力と大体の制限重量ぐらいだ。速度は風力によって変わるし、耐久性は測定方法がちょっと分からない。
次に注意点と僕の気づいた事をまとめた資料を渡し説明すれば気球の説明はひとまず終わりだ。
「ふぅむ。気球……中々楽しそうな乗り物だね。気になる所はあるが……まぁそれはいい」
一度僕の目を見た後首を横に振って資料に視線を戻した。もしかしたら僕の嘘がばれたのだろうか?
「聞きたいのは一つ。この積載量では魔の平野を越えるのは無理だと思うが、その辺りはどう思っているのかな?」
「……それが僕がこの話を国に通したいと思った理由です」
「と、いうと?」
「ではこの最後の資料をご覧ください」
僕は机の上に出していなかった最後の資料を荷物袋から取り出し渡す。
資料の一番上にあるのは完成予想図。あまり上手な絵ではないが意図は伝わるはずだ。
資料を見たワーゲンさんはすぐに目を見開き小母さんにも見せる。
「アリスちゃんこれは……」
「積載量が足りないなら単純に大きくすればいい。それが答えです」
「なんとも呆れた答えだ……だが、面白いね」
ワーゲンさんはにやりと口元を釣り上げた。
「正直どれほどの資金と技術力が必要なのか僕には分かりません。だけど気球の技術を応用すればそう遠くない未来には出来上がるんじゃないかと思っています」
「確かに気球の成功を考えればそう考えるのもおかしくはないかな。
仕組みは単純。気球をただ大きくさせるだけでいいのだから。
俺は悪くないと思ってしまったよ。実現の可能性と、将来への投資としては。
うん。この……飛行船? ふむ。船? ああ、なるほど。船を風船の下に付けているから飛行船か。
この飛行船の説明はただ大きくしましたと言うだけでは終わらないんだろう?
この船の部分についている物は何だろう?」
「それは風を後方に送って速度を上げる為の物です。
今の所二種類考えてはいますが」
「ぜひ聞かせて欲しいな」
「まずは羽を使ったものです。説明の為に少し魔法使ってもよろしいですか?」
聞くとワーゲンさんは頷いて応えてくれた。
僕はプロペラを光の魔法で再現させると二人は驚いた表情をした。
「こういう板を曲げた形状の羽を用意します。この羽を回転させると空気の流れが生まれ後ろへと押し出され前に進むんです」
「ああ、玩具でそう言うのがあったな。なんて言ったかな? 木細工のほら、持ち手部分を勢いよく回すと空を飛ぶ奴」
「たしかパイタルね。羽の部分が花びらに似てるからパイタルね」
「ああ、そうだったそうだった。じゃあこれもパイタルと言う名前かな?」
「名前は決めていませんが……それでいいと思います。それでですね、これの問題点が動力なんです」
「そうだね。何か当てはあるのかな?」
「……時計ってどうして動いてるんでしょうね」
動力に関しては全く思いつかなかった。エンジンのないこの世界でどうやって推進力を出せるほどの回転を生み出せばいいのか僕には分からなかったんだ。
「当てはそこかぁ……時計、時計ね。確かに時計の機構を知る事が出来れば希望はあるのかな……それで、もう一つの方は?」
「こちらは問題解決済みです。気球を膨らませる魔法石を使えばいいんです。
風船を膨らませる原理は説明しましたが、空気を送る勢いを推進力に使えばいいんです」
「なるほど……一つ目よりもまだ簡単に試せそうだ。
……うん。悪くはないと思うけど、この飛行船実際に出来るかどうかは分からないよ?」
「分かっています」
「それで……なんだか横取りしているようで恐縮だが、これはうちの商会で使っても問題ないんだね?」
「はい。ただ……」
「分かっている。代価として気球の方は金貨七十枚。飛行船の方は……まぁ設計図にすらなっていないからいい所金貨五枚という所だろう。合わせて金貨七十五枚でどうだろうか」
「そんなにですか?」
「当然だ。今までには無かった乗り物だ。むしろ安全性がもっと確かな物だったら百枚でも惜しくはない所だ」
「そこは個人の限界ですから……」
「そうだね。我々か国の方が磨き上げていく事になるだろう」
「……その、気球の方はそれでいいんですが、飛行船の方で一つ頼みがあるんです」
「頼み? 叶えられる物なら考慮はするが」
「……大型馬車位の大きさの魔獣が乗れるくらいの飛行船を作って乗せて欲しいんです」
僕の言葉が予想外だったのかワーゲンさんは目を大きく開け小さく首を捻った。
「それは、君の魔獣を乗せたい、という事かな?」
「はい。一匹だけ乗れないというのはかわいそうですから……と言うか飛行船を考えた目的はそっちの方が比重が大きいと言いますか」
「はははっ。いいともいいとも。それくらいならお安い御用さ。うちの商会で出来たら必ず乗せるし、国の方でも出来たら気球と飛行船の発案者として記念に乗せてもらえるようお願いしよう。
もっとも、さすがに後者が聞き入れてくれるかどうかは分からないけれどね。
うちの商会は無理を通せるほど大きくはないんだ」
「いえ、それで十分です。どうかお願いします」
「うん」
とりあえず何事もなく終わる事が出来てよかった。
話が終わるとワーゲンさんと小母さんが立ち上がり僕も二人に続く。
軽く言葉を交わし小母さんが扉を開くと外に出るように促してくる。
廊下に出るとワーゲンさんが僕の隣に立ち歩きながら話しかけて来た。
「しかし、中々君は度胸がいい。金貨七十五枚と聞いても顔色を変えずにいるなんて、やはり治療士の仕事をしているからかな?」
「あはは……はい。下世話な話、治療士の報酬は結構いいので」
「はははっ、ぜひともうちの商会をひいきにしてほしい物だ」
「それはもちろん。そういえば首都に出店するという話はどうなんですか?」
「もうすぐ出せそうだよ。首都はいいね。お金さえあれば自由にお店を持つ事が出来る」
「都市は自由に土地を拡張できませんからね」
都市は結界が張られている関係上土地に限りがある。
拡張されれば土地も空くのだが、拡張は基本的に人口が規定値に至らないと行われない。
何故かと言えば結界を維持している魔法陣を拡大する為に書き換えなければいけないのと魔力の確保が必要だからだ。
都市を覆う結界は創造神ツヴァイス様の神聖魔法で、神聖魔法では珍しい魔法陣が必要な魔法だ。
魔法陣が必要な理由は単純。範囲の指定をして維持が容易くなるようにするためだ。
使用する魔力は自動発動型の魔力道具と同じように近くにいる人から少しずつ吸い取っていく。
吸い取る量は人一人が自然回復する魔力の量で補えるくらい少量という感じに決まっていて、都市を拡張するなら吸い取れる魔力量が余りあるほどの人口がいなければならないのだ。
この吸い取る量を増やそうにも自然回復が追い付かなくなり結果結界が維持できなくなるので増やす事が出来ない。
これが都市がなかなか拡張されない理由と店を持つ事が難しい理由だ。人がいなければ拡張できない。
だから住居となる土地は優先して取られる。残った土地はまず役所が確保し公営の施設になったりいざと言う時の空き地になったりで店を開く為の土地の余裕がなくなってしまうんだ。
一方首都は要塞が囲っているという事もあって結界が張られていないので割と自由に街が拡張できる。しかも今は土地に余裕があるので物価が高い事を除けば自由に店を出す事が出来るのだ。ただし、その後が続くかどうかはその店しだいだ。
小母さんは店が出来た後存続させるために日々駆け回っているのだという。
ついでから小さな気球を使い看板みたいな物をぶら下げて宣伝してみてはどうかと提案してみた。いわゆるアドバルーンというやつだ。
小さい気球ならちょっと魔力が多ければ半日は宙に浮かせられる。
これにはワーゲンさんは大いに喜んでくれた。
建物の玄関に着くと話は終わり別れの挨拶を交わす。
小母さんと一緒に建物を出ると太陽が真上を通り過ぎて少し傾いていた。
結構話し込んでしまったらしい。小母さんの提案で僕はお昼を小母さんと一緒に取る事になった。