治療士のお仕事 後編
カームの魔法効果の範囲外に出ると一気に吐き気が込み上げてきた。
血の匂いと色、魔力で体内を弄った感触と腸とお腹を押さえた時の感触が頭の中で何度も生々しく蘇ってくる。
魔法の効果があったとはいえ、よく腸を押し戻そうと思えた物だ……当分お肉は食べられそうもないよ。
というかお昼時を過ぎているが食欲がない。多分今食べたらすぐに戻してしまう。
「きゅ~?」
僕の腕の中でヒビキが心配そうに声をかけてくる。
吐き気を何とか飲み込み僕はヒビキに軽い調子で答えた。
「んふふ。大丈夫だよ。心配してくれてありがとうね~」
街中で吐き出すわけにはいかない。
僕は少しふらつく足で急ぐ。
歩いているうちに少しずつだが吐き気は収まり元気が出て来た。
服が血で汚れている所為か街を歩く人達から見られている気がする。通報されないか少し怖い。吐き気は収まったのだがなんだか胃の辺りがむかむかしている気がする。
なんとか小屋に着き中に入るとナスが二本足で立って耳を周囲を警戒する時のように動かしていた。
「あれ? ナス何してるの?」
「ぴーぴー!」
ナスは僕とヒビキの名前を呼びながら駆け寄ってきた。
どうやらかなり心配させてしまったらしい。
「ぴ? ぴー?」
突然ナスは困惑した様子で鼻をひくひくと動かしだした。
「血の匂いかな? これは僕の血じゃないから安心して」
「ぴーぴ?」
「事情を説明したいんだけど……アース起きてる?」
声をかけてみるが返事がない。近寄ってみると寝息が聞こえてくる。
「アース。起きて」
鼻横を叩くと寝息が途切れアースは薄らと瞼を開けた。
まだ眠たげな眼で僕を見てくる。
起こした事を謝りつつ事故があった事と、僕が治療を行った事、そのさい血で服が汚れた事を説明した。
それと今日はもう来れないかもしれない事と、蓄えておいたマナポーションを持っていくので晩御飯は用意できない事を伝えておいた。
フェアチャイルドさん用に紙を用意し書置きとナスに伝言を頼んでおくのも忘れない。
それとヒビキは置いていく。さすがにもうヒビキの力は借りなくて大丈夫だろうし、どのくらいの時間が治療にかかるか分からないからナス達と一緒にいて貰った方がヒビキとしてもいいだろう。
その事をヒビキに伝えると身体を大きく横に振ってやだやだと鳴いた。
僕とついて来ても退屈だよ、と教えナスと一緒に遊んで待っていなと説得をする。ナスもヒビキの説得してくれたのでそう時間はかからなかった。
別れ際ナスを抱きしめる。今までも何度もナスを抱きしめたがやはり落ち着く。治療の記憶による心の負担が少しだけ軽くなった気がする。
「ナス。行ってくるね」
「ぴー」
「フェアチャイルドさんへの伝言。頼んだからね」
「ぴぴー」
マナポーションを持てるだけ持って小屋を出るとお次は泊っている宿まで行き手早く着替える。
汚れた服は宿に帰ってきたフェアチャイルドさんに見つからない様にきちんとしまっておく。
後こちらにも書置きを残しておく。小屋よりも先に宿屋に帰ってきた時の為だ。
用事を済ませると足早に治療所へ戻る。
治療所に行く途中事故現場を覗いてみると大体片付けが終わったのか兵士さん達が忙しそうに瓦礫を荷車に乗せて他の場所へ運んでいる。ガーベラの姿は見えないからまだ治療所の方にいるのかもしれない。
組合員の人の姿も見えない。
もっとも組合員は腕に付けた印が見えないと分からないからただ単に見つけられないだけかもしれないけど。
事故現場から脇道に入ればすぐに治療所に着く。
空き地に作られた簡易の治療所は兵士さん達が樽を持って忙しなく出入りしている。
マナポーションの為の樽かそれとも汚れた身体を拭く為の樽か。
中に入るとすぐに僕に声がかかった。
「おお、戻って来たか」
先ほどここを離れる時に許可を貰った責任者だ。
「早速だがどうか治療後具合が悪い者から順次回復して欲しい」
「はい」
これからの手順を教えられ話し終えた所で僕の名前を呼ぶ声が治療所に響いた。
「ナギ!」
アールスの緊迫した声に僕は身構えた。
「どうしたの?」
「私の担当した人が突然苦しがって……」
「じゃあすぐに僕の所に連れてきて。僕はあそこで具合が悪い人を待つから」
指さした先は先ほど僕が治療していた時には無かった空いた空間。一先ずの治療が終わった患者を移動させて作った空間なんだろう。
「直に行かないの?」
「治療を待っているのは一人だけじゃないからね。容態の深刻さが比べられないと優先すべき人が分からないんだ。
もしも軽度の人に先にピュアルミナを使って重度の人に使うべき魔力が足りなくなったら魔力が回復する間に手遅れになるかもしれないんだ。
だからまずはアナライズを使って調べてからだよ」
「でもそれじゃあ手遅れになるかも……」
「ヒールをかけ続けてあげて。それなら時間は引き延ばせられるはずだよ」
「……分かった。ナギの言う通りにする」
アールスは決意したように頷き自分の担当していた患者の元へ向かった。
僕は僕で開いた空間に用意された椅子に座り患者を待つ。
次々とやってくる患者にアナライズと治療後に軽いヒールをかけるのはユウナ様だ。
他国の王族にこんな事をさせていいのか? という疑問も湧いてくるが指摘するほど今は余裕はない。
選別された患者を優先度の高い順に回復していく。
身体の中に異物が残っている人から雑菌が入り込んだ上に持病持ちの人まで順々に回復させていく。
魔力がなくなり始めたらアールスやアールスと同じルゥネイト信者の人が僕に魔力を分けてくれる。
ただし、ピュアルミナは消費が激しいわりに一回にかかる時間はパーフェクトヒールとは比べられないくらい短い。その為マナポーションを飲んでもらいながら魔力をかき集めても回復できるのは一回に必要な分の半分がいい所だ。
自分で用意したマナポーションをがぶ飲みしながらでも全くピュアルミナが使えない時間と言うのはどうしても出来た。
でも、重い症状の人から優先的に回復していたお陰か特に危篤になる人も出ないで治療を終える事が出来た。
患者達のお礼の言葉を手を振り答え見送りながら僕は小さくつぶやいた。
「最後の人ただの風邪っぽかったんだけど……」
アナライズを使ったユウナ様は素知らぬ様子で答えた。
「よろしいじゃないですの。重傷を負った後なのです。
たとえ風邪だとしても具合が悪ければ自分の身に何か良からぬ異変が起こったと思い込んでしまっていたかもしれませんわ」
「ん。たしかに……事故の後なんだし余計な不安は消した方がいいのか」
最後の患者だから魔力の心配はない。そして事故被害者の感情を考慮しての行動。何と素晴らしいお心を持った人なのだろう。
「すごいなー。ユウナちゃんそこまで考えてたんだ」
「……ちゃん?」
「当然ですわ」
「いつもみたいにめんどくさがった訳じゃないんだね!」
「……当然ですわ」
今ユウナ様が答えるのに変な間があったが深くは触れないでおこう。
僕は椅子から立ち上がりイグニティ方式の左手を鳩尾の辺りに置き感謝の礼を取った。
「……イグニティ様のお力添えで滞りなく治療を終える事が出来ました。感謝申し上げます」
「わたくしの方もピュアルミナという珍しい魔法を目にする事が出来て運がよかったですわ」
「もしやそれが目的で王女様自らこの場へ?」
「そんな所ですわ。さて、する事も無くなった事ですし私はここでお暇させていただきますわね。
たしかアリス=ナギと言いましたわね。またいつか会う事があるかもしれませんわね。
その日までごきげんよう」
そう言ってユウナ様はスカートを摘み軽く持ち上げ頭を浅く下げ礼をした。
礼が終わるとユウナ様はスカートの裾が捲りあがらない優雅な仕草で後ろを向き去っていった。
「……アールスって王女様の事ちゃん付けで呼ぶんだね」
「前は一応様をつけてたんだよ? でもなんかね、仲間はずれにしないで~的な事を遠巻きに長々と語られてからちゃん付けで呼ぶようになったの」
「ああそうなんだ……」
「ユウナちゃんね、ここに来たのだって私がまず行く事が決まって、横で話を聞いてたガーベラちゃんが手伝いを志願して慌てて自分も志願したんだよ」
「それは何とも……」
意外と寂しがり屋なんだね、という言葉が危うく出かかった。危ない危ない。流石に不敬だろう。
「あっ、そうだ。アールス。今回の事故の事何か知ってる? 僕詳しい事聞かないでここまで来ちゃったんだよね」
「私は馬車を引いてた馬が突然暴れ出して、連鎖的に他の馬も暴れて大事故になったって聞いてるよ」
「ふぅん? 最初の馬は何で急に暴れ出したんだろ?」
「今それを調べてるんじゃないかな?」
「それもそうだね。それで、アールスはこの後どうするの?」
「私は後片付け手伝うつもりだよ。ナギはどうするの?」
「僕はこの後は戻るつもりだよ。フェアチャイルドさんが心配してるかもしれないし」
「そっかぁ……残念だなぁ。もうちょっとお話したかったんだけど」
「また明日ね」
「うん」
少しだけアールスと別れるのを惜しんでから治療所を出ると外はすでに暗く街灯が街を照らしている。
カームの魔法の効果範囲外に出ると今日一日の心の疲れがどっと押し寄せて来た。
早く帰ってフェアチャイルドさんの顔を見たい。
でもその前に小屋に戻って気球制作の片付けもしなくては。片付ける暇もなく出てきてしまったからな。