料理の味
長いお説教は小母さんが僕達に気づいた事でようやく終わりを遂げた。
「あ、あら二人ともごめんなさいね。みっともない所見せちゃって」
「い、いえ……こちらこそすみません」
アールスへの説教が大分長引いてしまった。僕とフェアチャイルドさんは中々退席する機会を得られず終わるまで動く事が出来なくてお腹の音がもうお昼の時間だと告げている。
アールスはまだ納得いっていないのだろう。不機嫌そうに眉をひそめている。
「もうこんな時間なのね。そうだ、お昼は家で食べていきなさい」
「ほんと!?」
小母さんの言葉に不機嫌な顔からまるで太陽が昇ったように明るくなるアールス。
「いいんですか?」
「とうぜんよ。幸い材料は買い溜めしてあるものがまだ残ってるからちゃんと作れるわ。
アールス、予備の椅子とテーブルを物置から出して来てくれる?」
「うん!」
アールスは大げさに頷くと部屋から出て行った。
「二人は椅子に座って待っててね?」
「分かりました」
僕達が椅子に座り待っている間小母さんは料理にとりかかりアールスは椅子、テーブルと順番にもってきた後きれいな雑巾でイスとテーブルをきれいに拭く。
そして、椅子とテーブルをきれいにするとアールスは二つのテーブルをくっつけフェアチャイルドさんの隣に椅子を置き座った。
今のアールスは誰から見ても浮かれているように見えるだろう。
笑みを絶やさず今か今かと小母さんのいる台所の方を見ている。
この家はローランズさんの部屋よりもさらに一つ部屋が多い。
部屋に入るとすぐに僕達のいる居間があり、入口の反対側には寝室と書斎の二つの部屋がある。
そして入口から見て左手側に扉のない空間が開いており、そこに台所がある。
トイレは部屋の外にあるようで男女別の共同トイレで住民全員で使っているようだ。
しかし、お風呂はなく近くにある公衆浴場まで行く必要がある。
自分ならどんな家に住みたいだろう。やはり魔獣達と一緒に暮らせるような大きな家がいいだろうか?
この家の間取りを見ながらあれこれ考えていると料理を待ち遠しそうに待っているアールスが視界に入った。
そして料理をしている小母さんの姿に視線を移すとまったく関係のない事が頭を過る。
アールスはいずれ国の為に働く事になり、僕はそれについて行くつもりだ。後どれだけ小母さんと出会う機会があるだろう。どれだけアールスは小母さんの手料理を食べられるだろう。
僕はもう前世のお母さんの料理の味を思い出せない。母の味と聞かれ思い浮かべるのは今世のお母さんの料理の味ばかりだ。
アールスには小母さんの料理を忘れないでいて欲しい。
そんな感傷に浸っていると僕もリュート村に帰ってお母さんの手料理が食べたくなってきた。
料理が出来上がり食事が始まるとアールスは皆と食事が出来て嬉しい、幸せだとしきりに語りだした。
そんなアールスに小母さんは笑みを浮かべながらもそっと目尻を拭いたのを僕は見てしまった。
必ずアールスを小母さんの元へ返せるように守ろう。
食事を終えた僕はアールスにガーベラに挨拶をしたいので居場所を聞くと、恐らく教練場にいるだろうとの答えが返ってきた。
僕がいなくなってからガーベラはさらに強くなろうときちんとした教官の教えに従い休みの日まで特訓を行なっているらしい。
僕達は教練場には許可がないとは入れないからガーベラと会うのは日を改めた方がいいだろう。
仕方ないので今日は夕方になるまで旅の疲れを癒す為に小母さんに許可を貰ってこの家でゆっくりする事にした。
ゆっくりする事が決まるや否やフェアチャイルドさんは今年の分の教本を読ませてくれとアールスに頼み込んだ。
長旅で疲れているだろうに彼女の知識欲には脱帽だ。
アールスは喜んでフェアチャイルドさんに様々な教本を渡す。
せっかくなので僕も魔法に関する教本を借りて一先ず流し読みで内容をざっと確認してみる。
一目見ただけで去年よりも覚える事が増えている事が分かった。
とりあえず神の文字の教本を読む事から始めた。
神の文字の教本は文字の意味と使い方を詳しく教えてくれて読んで真似るだけでも高階位の魔法に匹敵する魔法陣を作れたりする。
ただ中には罠と言うか引っ掛け問題なような物もあり、わざと魔力効率の悪い魔法陣が書かれているので漫然と真似だけをしていると馬鹿を見る羽目になる。
そう言った引っ掛け問題に引っかからないようちゃんと理解して読み進める必要がある。
教本をじっくりと読み解いている間アールスが僕に対して髪を触ってきたり背中に乗ってきたりとちょっかいをかけてきた。
どうやら暇らしいが、なぜフェアチャイルドさんには同じ事をしないのか。
本から目を離しフェアチャイルドさんの方を見てみると同じような事をライチーにされていた。
「アールス。ライチーと遊んだら?」
「ライチーちゃんレナスちゃんに夢中で遊んでくれないの」
「ああそうなんだ。じゃあ仕方ないね」
ライチーに限った事ではないが精霊は契約者に夢中になって周りが見えなくなることがある。それは割かし冷静なディアナでもなる事で、精霊がフェアチャイルドさんと二人きりで遊んでいたり会話をしていて話しかけても反応しない時は邪魔をしてはいけないという暗黙の了解が僕とカナデさんの中で出来上がった。
これを破ったら精霊達は脚の脛を的確に蹴ってくるのだ。弁慶の泣き所に当たっても大して痛くないが大変鬱陶しい事この上ない。
仕方ないのでアールスの復習がてら一緒に勉強をする事になった。
とはいえ僕よりも勉強が進んでいるだけあってアールスのおかげで一人で読むよりも速く理解ができる。
教本を半分ほど読み進めた所で窓から見える空が赤くなっている事に気づいた。
教本を読むのをやめてライチーを頭に乗せたまま教本を読んでいるフェアチャイルドさんに声をかける。
「泊って行けばいいのに」
アールスは僕の片手を両手で取りゆらゆらと横に揺らしてくる。
「そういう訳にもいかないでしょ。泊まるならちゃんと準備しないと」
「ん~……」
「この後魔獣達に会いに行くけど、アールスもついてくる?」
「行く!」
教本を片付けてから小母さんに挨拶をして僕達は家を出る。
アールスは今度はフェアチャイルドさんと手を繋いでいて僕は二人の後ろを歩く。
楽しそうに話しながら歩く二人は後ろから見ているだけでも微笑ましい。
施設に着くとアールスは早速ナスに飛び付いてもふもふを堪能し始めた。
アールスがナスに向かったからかヒビキが僕を見るなり胸に飛び込んでくる。
カナデさんがいない今ヒビキが安らげるのはナスのもふもふボディか僕とアールスの胸だけだ。残念な事に。
フェアチャイルドさんはアースの元へ行き鼻先を撫で始める。
動物が苦手だったフェアチャイルドさんは今でもあまり魔獣達とは触れ合わないが、アースとは仲がいいようで時折触れ合っている姿を見る事が出来る。
アースはあれで気遣いが出来るからフェアチャイルドさんも安心して触れ合う事が出来るのかもしれないな。しかし、その気遣いをもうちょっとナスに向けてくれてもいいと思うのだが。
魔獣達と触れ合い夕食の用意を済ませて施設を出るとアールスとはそこで別れる事になった。
僕が送ろうかと提案したがフェアチャイルドさんについていてくれと言われた。
フェアチャイルドさんの方を見るとアールスがそういう風に言った理由が分かった。フェアチャイルドさんの瞼が眠たげに落ち始めている。
長旅の疲れがここで出たのだろうか?
確かにこれでは一人にするのは心配だし、アールスの家まで一緒に送るというのも辛いだろう。
アールスと別れた後僕はフェアチャイルドさんの手を引き宿へ戻った。
部屋に着くとフェアチャイルドさんは安心したのか僕にもたれかかってきた。
これはお風呂に入れそうもないな。
「フェアチャイルドさん。寝る前に服着替えよう」
「ん……はい」
フェアチャイルドさんは眠たげに目をこすりながらふらふらと僕の荷物をあさり始めた。
「フェアチャイルドさん。それは僕の寝巻だよ」
「あ……ん……これでいいです」
「それ着られたら僕が着る寝巻が無くなっちゃうよ」
「私のを着てください……」
「いや、ほら……大きさが合わないからさ」
少し前ならいざ知らずフェアチャイルドさんと僕とでは身長もそうだが、全体的にサイズが合わなくなってしまっている。
僕の身体は筋肉で引き締まっているとはいえ、女の子らしい身体の線と脂肪があり細身なフェアチャイルドさんよりも大きかったり太かったりするのだ。
「残念です……」
「何が残念なのさ。ほら、こっちがフェアチャイルドさんの荷物だよ」
荷物袋を渡して上げると中から自分の寝巻を取り出し今着ている服を脱ぎだした。
「ライチー。フェアチャイルドさんの着替え見てあげて」
『わかったー!』
僕はフェアチャイルドさんに背を向けて布の擦れる音が止むまで着替えを見ないようにする。
音が止むとぼふっという音がした。振り返ってみるとフェアチャイルドさんがベッドの上に寝転がっていた。
「フェアチャイルドさん。まだ寝ちゃ駄目だよ。少し体を起こして」
「はい……」
僕の言う通り身体を起こしベッドの上で座ってもらう。
編んでいた髪を一度解き櫛で梳いてから髪を纏める為にもう一度ゆるく編み直す。
「はい。いいよ」
僕がそう言うとフェアチャイルドさんはベッドに倒れ込みそのまま可愛らしい寝息を立て始めた。
「おやすみ」
なんて愛らしい寝顔だろう。
僕は彼女の頬に触れたくななるのを我慢し、夕食を食べる為に彼女の事は精霊達に任せ部屋を後にした。
翌朝目覚めるといつも通り僕以外の体温をすぐ横に感じた。昨晩は別々のベッドで寝ていたはずなのに朝になるとすぐ横にいるってちょっと怖い。
精霊達に挨拶をして窓を開けて外を確認すると雨が降っていた。
しとしとと降り続ける雨。気持ちのいい涼しい風が入り込んでくるが雨粒も入ってくるので窓を閉めてライトを使い部屋の中を照らす。
フェアチャイルドさんが起き出すまでに僕は自分の編み込まれた髪を解き櫛を簡単に入れておく。
ちゃんと櫛を入れるのはフェアチャイルドさんの役目だ。
前に自分できちんと櫛を通した時フェアチャイルドさんはふくれっ面というかわい……怒り顔をされたのでそれ以来任せるようにしたのだ。
髪を梳き終えると寝間着から普段着に着替え、昨日着ていた服を持って部屋を出る。
宿屋の洗い場に行くとすでに先客がいたが場所は空いていたので軽く挨拶をして洗濯を始める。
数が少ないから洗濯はすぐに終わった。水気を魔法で取ってから部屋へ戻り温風を使って服を乾かす。完全に乾かす必要はない。あまり湿気は高くないのである程度乾いたら部屋の中に干しておけば後は乾く。
フェアチャイルドさんはまだ起きていない。
ベッドに近寄り確かめてみると相変わらず愛らしい寝顔を見せてくれる。
おでこに手を当てて熱を測るついでに生命力も分けて置く。少し体温が高い気がするが、月の物が近づくと体温が高くなるため判断が付きにくい。
体温計があればいいんだけれどそんな物はまだない。
手を離すとフェアチャイルドさんは小さく身動ぎをしてから瞼がゆっくりと開いた。
「起きた?」
「……ん」
フェアチャイルドさんは僕の腰に手を伸ばし抱き着いてきた。
「フェアチャイルドさん。寝ぼけてないでちゃんと起きて」
「うー……」
抱き着いていた腕を解くとさらに寄りかかってきてベッドから落ちそうになった。
「もう……危ないよ」
彼女の脇の下に腕を回し支える。
体温が高い時は本当に寝起きが悪いのだこの子は。
「ナギしゃん……だいしゅきでふ……」
「はいはい。僕も大好きだからちゃんと起きようね」
「ふぁい……」
少し目が覚めたのか僕から離れ自分の髪に触れた。
「うー……あたまがかゆいです……」
「昨日お風呂に入らなかったからね。どうする? 軽く洗ってあげようか?」
「おねがいします……」
そう頷いてベッドから降り近くの椅子に座る。
「じゃあえーと……」
僕は自分の荷物の中からシャンプー代わりの薬草を煎じて作られた粉末薬を取り出す。
これは去年ユウナ様に教えられ勧められたものだ。本来はお湯に溶かして飲む漢方薬のような体にいい物なんだけど、髪に使えばべたつきがよく取れるのだ。
しかもすっきりとしたいい香りになり、値段も庶民に優しいので通の間では愛用されている美容薬品だ。
フェアチャイルドさんの纏められた髪を解き櫛で軽く梳いて埃や汚れを落とす。
そしてクリエイトウォーターでお湯を宙に作り出し粉末薬を投入すると丁度緑茶と同じ色に染まる。味は緑茶よりも苦みが強くえぐみが強い。僕はあんまり好きではない味だ。
緑茶色にそまったお湯の塊をフェアチャイルドさんの髪につけ、魔力を操りゆっくりと頭皮に圧力をかける。この際服や椅子や床が濡れない様に気を付けて魔力を操作する。
痛くないかを聞きながら頭皮マッサージをする事およそ五分。お湯を頭から離し球の状態のまま宙に維持して浮かせたまま新しく水の球を作り出し今度はその水の球で髪と頭皮をよく洗う。
それも終わると仕上げに髪を布で軽く拭いて最後に温風を出し乾かしてから櫛で梳けばお終いだ。
使ったお湯と水の球は洗い場に持っていき捨てる。
部屋に戻るとフェアチャイルドさんが着替えの途中だったのでとっさに扉を閉めた。
僕は大人で紳士だからこういう時長々と見るような事はしないのだ。
中から合図が出るのを待ってから中に入るとフェアチャイルドさんはいつものおすまし顔になっていた。さっきまで可愛らしい寝起きの悪さを見せた女の子と同一人物だとはとても思えない。その落差に前世で言う所の萌えを感じてしまってもきっと仕方のない事だろう。