全ては遠い場所
王都の観光を終え、王都とベルナデットさん達に別れを告げて北へ。
要塞都市マハドに着くといよいよカナデさんと別れる時が来た。
「それでは私はこのままグライオンへ向かいますね~」
「はい。気を付けてください」
「お互い無事にまた会いましょう」
カナデさんは友達に会うのにどれくらいかかるかは分からないが、グライオンは山が多いが面積的には三ヶ国同盟の中では一番狭い。一年もあれば十分に観光して回れるらしい。
今回カナデさんは急ぐはずだから一年もかからないだろう。一応戻る頃に首都に向けて手紙を送る手はずになっている。
カナデさんは別れ際ヒビキを抱きしめ別れを惜しんだ。
「ヒビキさん。元気でいてくださいね」
「きゅいー」
ヒビキはいかないでと寂しそうに鳴くがもちろんカナデさんには何を言っているのかは分からないはずだ。
だけどカナデさんはヒビキの泣き声に優しく応えた。
「必ず帰ってきます。待っていてくださいね」
「きゅ~……」
カナデさんは僕にヒビキを渡し小さく手を振ってから背中を向き歩き出した。
そしてカナデさんは一度も振り返る事なく検問所へ消えていく。
「きゅー!」
ヒビキがカナデさんの後を追おうと僕の腕の中で暴れる。
僕は必死にヒビキを抑え込もうとすると、フェアチャイルドさんも手を貸してきた。
「ヒビキ。今君がカナデさんと行くと僕達と別れ離れになっちゃうよ? いいの?」
そう言うとヒビキの動きが止まった。
「きゅい……きゅい~」
どちらも嫌だとヒビキは泣く。
「カナデさんは必ず帰ってくるから待ってよう?」
頭を優しく撫でてもヒビキの泣き声は止む事はなかった。
「前はこんな事なかったのに……」
「長い間遠くに行くって事を理解してるんだよ。よほどカナデさんの事が好きになっちゃたんだね」
「よくヒビキさんの面倒を見ていましたしね」
それから僕は料理と食事の時、それと特訓の時以外はヒビキを抱く事になった。
本当は常時僕に抱かれていたいみたいだったけれど何とか譲歩を引き出し、僕がやる事がある時は手が空いていればフェアチャイルドさん。空いていなければ魔獣達や精霊達に面倒を見て貰う事になった。
首都に着くまでに落ち着いてくれるといいんだけれど。
そんなヒビキに影響されてかナスも僕にすり寄ってくるようになった。ナスには既視感を感じる。去年も旅の途中で似たような事があったような気が。
アースだけは様子は変わらずいつも通りだ。寂しくはないかと試しに聞いてみると逆に寂しいの? と聞かれ否定はしたがすぐにボロが出て僕の方が慰められてしまった。
なんというかアースはやはり余裕があるな。僕も見習わなくては。
カナデさんがいない一ヶ月以上の長旅と言うのは思えば初めての事だ。
ティマイオスでは一ヶ月近くカナデさんと別れてはいたが旅をしていた訳じゃないし、前線基地に行った時はカナデさんと一緒だった。
長く離れる事になって僕の中に不安が生じた。カナデさんがいなくて旅を続けられるのだろうかと。
いつの間にか僕の中でカナデさんに依存していたようだ。
首都まではたかが一ヶ月ちょいだ。これしきの事でうろたえていたらフェアチャイルドさんに笑われてしまう。
しゃんと立たなくちゃ。
僕は気持ちを新たに道を歩いていく。
すぐ横にはナスがいて、腕の中にはヒビキがいる。
フェアチャイルドさんは僕の一歩後ろを歩いていて、アースはさらにその後ろからついてきている。
警戒はちゃんとしているので問題ない。
日が暮れる頃には予定通り村に着き宿で部屋を取った。
部屋に入ると中は一人用のベッドが二つに腰かけようの椅子が二脚。それに椅子の高さに合わせた机がベッドの反対側の壁にくっついている。窓は一つといたって標準的な内装の部屋だ。
荷物を置き疲れた身体を椅子に預ける。
身体を拭きたいが今そんな元気はなかった。
「なんだかお疲れですね。ナギさん」
フェアチャイルドさんが荷物と貴重品を分けながら声をかけてくる。
「うん。なんでかな」
いつもなら僕も荷物の整理するくらいの元気は残っているのだけど。
「ヒビキさんをずっとナギさんが抱っこしている所為ではないでしょうか? マハドを発ってからずっとナギさんが抱いていましたし」
「ああ、そっか……いつもカナデさんと一日交替だったもんね」
「きゅ?」
僕の腕の中にいるヒビキはカナデさんの名前に反応したのか前を向いていた身体を動かし僕の顔を見上げて来た。
「ヒビキ、ずっと抱っこされてて身体痛くない?」
「きゅいきゅい」
いやいや、と鳴いて身体を揺する。
肯定しない辺り多分痛いんだろうけど離れたくないという事だろう。
仕方ないのでエリアヒールをかけてみると少しの手ごたえを感じる。
肩こりなどの場合はこっているのかどうかは魔法を使ってもよく分からないから自分の手で確かめないといけない。
「んふふ。じゃあマッサージしてあげるね」
「きゅ~」
「むぅ。ナギさんはヒビキさんに甘すぎます」
「そうかな?」
フェアチャイルドさんの突然の言葉に僕はヒビキの身体を触りながら応える。
分かる。分かるぞ。ヒビキの固くなっている所が。
「ナギさんはいつもそうです。自分の事は後回しにして他の者の事を気にかけて……それじゃあナギさんはいつ休むのですか?」
「えと……それは」
フェアチャイルドさんに言われて確かにカナデさんと別れてからヒビキやナスの事ばっかりだったような気もしなくはない。
だけどナスのもふもふで結構癒されてるんだよな。
「それに、ヒビキさんを甘やかしてばかりだといつまでたってもヒビキさんはナギさんから離れられませんよ」
「そ、それは……ほら、僕は魔獣使いなんだしヒビキはずっと傍にいても問題はないっていうか」
「ナギさん。お忘れなのですか? 魔獣は不老の存在である事を。いつかは別れ離れになってしまうのですよ? ましてや冒険者と言う仕事は、いつどんな事が起こるか分かりません」
「うっ……」
「きゅー?」
確かにフェアチャイルドさんの言う通りなのだ。僕はいつまでもヒビキの傍にいられるという保証はないんだ。
僕だけじゃない。それはナスやアースだって同じ事だ。
「分かってはいるんだけどね……ねぇ、ヒビキ」
「きゅぅ?」
「ヒビキは今幸せ?」
「きゅー!」
「そっか幸せか……どうしたらいいかな」
突き放すのは簡単だ。このまま抱きしめているのも簡単だ。でも、きっとどちらも正解じゃない。
ヒビキは魔獣だ。可愛らしい外見はしていても危険な力を持った魔獣なんだ。付き合い方を間違えたらその力は僕だけではなく周りまで巻き込んでしまうだろう。
かといって現状維持のまま時だけが経てば僕がいなくなった時どうなるか分からない。
「僕はね、ゆっくりでもいいからヒビキに強くなってもらいたいんだ。力とかそういう意味じゃなくて、心が。
人と別れる時に泣いてもいい。悲しんでもいいんだ。でもその悲しみに潰されないで欲しい」
「きゅー……」
「ヒビキは別れるのは嫌いだよね?」
「きゅぅ」
「僕も別れは好きじゃないんだ。それでも泣かないのはね、昔に一杯一杯泣いたから。
その時一杯泣いたのはそれがとても悲しい別れだったからなんだ。
悲しくて悲しくて、泣いて泣いて心が空っぽになった事があるんだ。
それでしばらく心が空っぽのまま僕は生きてたんだ。その時の事は何も覚えてないくらい、僕は空虚に生きていたんだ。
でもね、ある日ある事があって、僕の心は空っぽじゃないって気が付いたんだよ」
「きゅー?」
「それはね、その別れた人との大切な思い出が、僕の中にまだ残ってるって気が付いたからなんだ。
ねぇ、ヒビキ。ヒビキはカナデさんとの忘れたくない思い出ってあるかな?」
「きゅーきゅー!」
「んふふ。ちゃんとあるんだね。その思い出の中のカナデさんは、笑ってるかな?」
「きゅ~」
「ヒビキ、もっともっと思い出作ろうね。そしたら、きっとヒビキはもっと強くなれるよ」
「きゅー……きゅ!」
話が終わるとヒビキは揉んでいた僕の手から離れ床に立った。
そして羽をパタパタと勇ましく動かした。
「きゅーきゅー」
「うんうん。僕も大好きだよ」
「あの、何とおっしゃってるのですか?」
「僕も、カナデさんも、皆皆大好きだって言ってるんだよ」
「そうですか……」
フェアチャイルドさんは優しい目をしてまだ羽を動かしているヒビキの頭を撫で始めた。
「ナギさん。先ほどの話は……」
「あー……あはは、詳しく聞きたい?」
「いいのですか?」
「もう昔の事だからね」
少し恥ずかしいけれど、彼女になら話してもいいかもしれないと僕は思ってしまった。
「ああ、でもご飯食べてからにしようか」
そう言うとフェアチャイルドさんは少し残念そうにしてから頷いた。
「じゃあヒビキ、精霊達とここで待っててね?」
「きゅー……」
寂しそうにはするが少しは立ち直ったのか素直に言う事を聞いてくれた。
食事から戻るとヒビキは僕に向かって飛んできたので受け止める。抱っこは譲れないらしい。
僕はヒビキを抱いたまま椅子に座るとフェアチャイルドさんが椅子を動かし僕と向き合うようにして椅子に腰かけた。
そんなに僕の話を聞きたいのか、彼女は背筋をピンと伸ばしお行儀よくしている。
そんなにかしこまった話でも無いんだけどな。
もう遅い時間なので部屋にウィンドウォールを張り巡らせて声が漏れないようにしておく。
そうしてから僕は彼女につられ姿勢よくしてから話を始めた。
今の僕があの頃の自分を評するならただただお母さんに甘えていた子供だ。
お母さんがいないと何も出来なくてすぐに泣いていた子供。
自分の過去の恥部を語るのは辛い。恥ずかしさで胸をかきむしりたくなる。
でも、考えてみればフェアチャイルドさんの人生の事、ずっと一緒にいたから大体知っているんだ。だというのに僕の事は彼女は半分も知らない。これは不公平と言うものではないだろうか?
なので僕は自分の事を語れるだけ語った。
この世界と前世の世界の違いから始まり、生まれた国の事、育った場所の事、家族の事、友達の事、学校の事……お母さんの死の事。
意外と話したいことが多くその日の内には収まりきらなかった。
だから僕は首都に着く日まで夜になると自分の事を話す事にした。
語り過ぎかなとも途中で思ったのだけれど、フェアチャイルドさんがせがんできたので最後まで話す事になった。
特に彼女が興味を示したのは僕の初恋についてだった。恋の話になると食いつくなんてフェアチャイルドさんも女の子なんだな。
僕の初恋の相手は学校の先生だった。今では顔もよく思い出せないけど、優しくていい香りのする先生だった。
学校の友達によくからかわれていたっけ。
結局想いを告げる事もなく僕は死んでしまった。いや、結局と言うのはおかしいか。僕に告白する気なんてなかったんだから。
ただ先生の姿を見ていられれば満足だったんだ。教師と生徒の関係を抜きにしてもそれより先の関係になろうとは欠片も考えていなかった。
今思えば初恋ではなくお母さんの面影を先生に重ねていただけかもしれない。
立ち直ってたと思っていたのになんて未練がましいんだろう。
初恋の話から流れで死んだ時の話になった。
僕が死んだ理由は物語の中ではよくある理由。でも、現実じゃそうそうないような理由。
あの日から僕の現実は非現実的な物になって……いつからだろうな、この世界が現実になったのは。それともまだ心の奥底のどこかではまだ信じきれてていないのかもしれない。
だって誰が信じられる? 死んだら神様のような存在に誘われて異世界に転生するなんて。
試しにフェアチャイルドさんに聞いてみると僕の言葉と魔法での証明が無ければとても信じられなかったそうだ。
全てを話し終えると疲労感を覚え座っていた椅子に身体を深く預けた。
フェアチャイルドさんは椅子から立ち荷物袋からカップを取り出し中に水を満たして僕に手渡してくれた。
「ありがとう」
「ナギさんは、前の世界に帰りたいと思いますか?」
「微妙な所だね。たとえ帰れても僕は向こうでは死んでるし……」
「そ、そうですよね」
「でもお父さん達の様子が分かるのなら戻ってもいいかな……なんてね」
「ナギさん……」
でも転生でもない限りこの身体で向こうの世界に戻っても戸籍がない。戻った所で居場所なんてないだろう。
それに何より、僕はこの世界から離れられない理由をもう見つけてしまっているんだ。