もう一人の妹
夕方になると僕達はアイネに指定された学校近くの訓練場にやって来た。
訓練場には大人とは言い切れない年代の青年が多くいて、その中では小さなアイネが準備体操をしている。
「アイネ」
「あっ、来たんだ。って盾? ねーちゃん盾使うようになったの?」
貸し出し品の訓練用の盾を見てアイネは面白そうに笑った。
「アイネこそ剣から槍に変えたんだ?」
アイネは自分の身長と同じくらいの長さはありそうな槍を手に準備体操をしていた。
持て余している様子はなく、十分手に馴染んでいるように見える。
「うん。せんせーからあたしの速さを生かすならこっちの方がいいって勧められたんだ」
厄介な物を勧めた物だ。確かに背が低く体重の軽いアイネでも間合いが長く足の速さがそのまま攻撃に乗せやすい槍はアイネに合っているのかもしれない。
槍を使う相手とは学校の模擬戦で何度も戦った事がある。間合いが違うので剣一本では闘い辛かった。
そんな槍を僕が選ばなかったのはただ単に剣の方が小回りが利きやすくどこでも戦えると思ったからだ。
訓練場の、なるべく空いた所に移動し僕らは向かい合い構えを取る。
フェアチャイルドさんに開始の合図を頼み、合図が出されるとアイネが真っ先に動いた。
相も変わらず速い。
目にも止まらない速さで突き出された槍を僕は盾で受け止める。
拡散で警戒しておいてよかった。拡散の中なら僕は相手一人の細かい動きを目で見なくても感じ取れる。
もしも拡散が無かったら今の一撃で勝負は決していただろう。
受け止められた事にアイネは驚きの表情を見せ、すぐに凶暴な笑みを浮かべた。
アイネはすぐに槍を引き連続突きを繰り出してくる。
速い。盾を動かすだけでは間に合わない。盾を動かしつつ身体の部位を盾に隠すように動かしてやっとだ。
それでも僕に擦り傷を負わせる。槍の先端は球があり、怪我防止の布に分厚く覆われている。その布がもう破れて木槍の先端の球が見えている。
「アイネ先端破れてる破れてる!」
「これぐらい大丈夫!」
「いや、大丈夫じゃないって!」
まずい。アイネ全く引く気が無い。むしろ獰猛な表情のままだ。
痛いのは嫌だけど、覚悟を決めるしかない。なぁに、フェアチャイルドさんだってナスとの特訓で何度も痛い目に合ってるし、僕だってアールスの試合で痛い目には合ってるんだ。今さら痛みで逃げてどうするんだ。本番に向けてのいい練習になるさ。
それにどうせ大怪我しても僕は自分で治せる!
とはいえ、叩かれるのはそれなりに慣れたつもりだったけれど、今のアイネの攻撃は突き。しかも先は球体なのでかすっただけでも皮膚をこすり摩擦熱を生むだけではなく、避け方が甘ければ皮膚ごと持っていかれるという慣れない痛みだ。
痛いのは苦手だ。意識を強く持たないと力が抜けてしまう。
けど意識を強く持とうとすると途端に身体が硬直しそうになっていつも通りの動きが出来なくなる。
ああ、嫌だ。こんな痛いのは嫌だ。でも、怯えている姿をあの子には見せたくない。
もっと守るんだ。いつものように盾で相手の攻撃を弾いて体勢を崩すんだ。
槍は長いから大きく一度弾かれるとすぐには立て直しにくくなる。
痛みに耐えて隙を伺いその時がやって来た。
疲れからかアイネの動きが止まる。そこを突き盾で槍を叩き落そうとしたのだが、アイネは僕の盾をひらりと交わし一回転してそのまま横薙ぎの攻撃を仕掛けてきた。
わざとだ、そう気づいた時にとっさに右手の剣で受け止めようとしたが、意外なほど大きかった衝撃に剣が僕の手から離れた。
「やた!」
アイネは歓喜の声を上げると続けて槍を振り回し縦横無尽に走らせて攻撃してくる。
その攻撃を何とか盾で防ぐが、剣を取りに行く余裕はない。と言うか普通剣が弾かれたらそこで終わりじゃないかな!?
「アイネ! け、剣飛ばされたんだけど!」
「それがどうしたの? ねーちゃんにはまだ武器があるじゃん! まさかこれで終わりなわけないよね!?」
武器って、盾の事か? 確かに僕は盾を武器に使うけれど、なんでアイネがその事を? もしかして手に持っている物はすべて武器とかそういう狂戦士じみた発想じゃないよね?
しかし、嘆いても仕方ないし、そもそもアイネの言う通り僕にはまだ盾がある。諦めるには早い。
剣を取りに行く余裕はない。かといって盾の間合いにはアイネは入らせてくれないだろう。
こんなの耐えるしかないじゃないか。
果たしてアイネはどれぐらい動けるのだろう。さすがにこの動きでアールス位動けるとは思いたくないが。
しかし、アイネの動きは激しさを増していく。槍どころかアイネ自身も縦横無尽に動き出した。
低い所からの突き上げが来たかと思えば石突の部分をまるで棒高跳びのように使い上空から襲い掛かってきたり。
拡散のおかげで何とか反応できているが、攻撃の苛烈さで言うならアールスやガーベラ以上の物がある。
アールスならどう対処するだろうか? 僕には想像もつかない。
僕に出来るのは攻撃を防ぐ事だけだ。
「さすが、ねーちゃん! 全然崩せ、ないね!」
アイネの言葉が途切れ途切れになっている。疲労が溜まって来たのだろうか?
そう思うとアイネは攻撃の手を止めて僕から離れた。
「はぁ……はぁ……ねーちゃん。これで決められなかったらあたしの負けでいいよ」
アイネは矛先を下げて身を低くして構えを取る。
「……それでいいの?」
まさかあのアイネが自分から負けを口にするとは。それだけ自信のある一撃を繰り出すという事か。
「流石に……体力も限界、だからね……ここまで防がれるとは思わなかった」
アイネが脚を伸ばす動作をしたかと思った瞬間、アイネの姿が僕の目の前から消えた。その動きは拡散でも捕らえる事は出来なかった。
次にアイネを捕らえられたのは、アイネの槍先を首元に突き付けられた時だった。
「……へへ、勝ちぃ」
「アイネ……何をしたの?」
「速く……動いただけだよ」
アイネは息を切らしながら答える。
飛んでくる石だって感知できる僕の拡散の感知を逃れるほどの速さなんて、どれほどの速さなのか僕には想像がつかない。
「僕の感知よりも早く動いたのか……身体に負担はない?」
それ相応の代償があるはずと思ったがアイネは痛そうなそぶりを見せず笑って答えた。
「……あたしが勝ったのに……どーしてねーちゃんはあたしの事心配するかな……」
「アイネは大切なもう一人の妹みたいなものだからね。当然だよ。それでどう?」
「へい……き。すっごくつかれ……た……だ……」
アイネの身体がぐらりと傾く。僕はとっさにアイネの身体を支える。
アイネに対してエリアヒールを使ってみると、身体のあちこちから回復の手応えを感じる。
しかし、それはアイネが変態的な動きを見せたせいで未発達の身体がついて行けずに傷ついただけに感じる。
最後の一撃、文字通り目にも止まらない速さどころか感知する事すらままならない動きをしてこの程度で済んでいるというのも不思議な物だ。
武器を振るう時力を籠めればその分止める時にかかる負荷も増える。それは速さだって変わらない。どんな物にでも慣性はかかるのだからアイネは腕はおろか身体全体に大きなダメージが残ってなければおかしいんじゃないか?
だけどアイネにはそんな痕跡はない。せいぜいが最後の攻撃の前の無茶な動きをしていた時に負ったであろう筋肉の傷位だ。
進化した固有能力が超回復や怪我を負わない能力、なんていうのも考えにくい。
それならば僕のエリアヒールに手応えを感じるまでもなく回復しているはずだ。
そう言えばアイネは特殊スキルを得て固有能力が進化したと言っていた気がする。その影響だろうか?
アイネの昔の固有能力は確か『俊足』。足が速くなる固有能力だ。
進化と言うのだからきっと速さに関する固有能力に進化したのだろうけど……今は詳しく聞く事は出来ないだろうな。
「ナギさん、アイネさんは大丈夫ですか?」
フェアチャイルドさんがカナデさんと一緒に近寄ってきた。
「うん。疲れただけみたい」
僕の方も残り少なそうだけど、少しだけインパートヴァイタリティで生命力をアイネに分けておく。
「まったく……心配させるんだから」
「むぅ」
「アイネさんすごいですねぇ。あんなに速く動けるなんてぇ」
「カナデさんは最後の動き見れましたか?」
「はい~。辛うじてですけどぉ」
「どんな動きだったんですか?」
「単純ですよぉ。ただナギさんに近づいて首元に槍を突きつけただけです~。いやぁ腕に相当な負担がかかったんじゃないでしょうか~?」
「それが、そんな様子無いんですよ」
「え?」
「腕どころか、身体全体に最後の攻撃で負いそうな身体の負荷は見られないんです」
「まぁ。不思議ですね~」
「本当に」
アイネ、君は一体どんな固有能力を持っているんだ?
「とりあえずアイネさんを休息室へ連れて行きましょう」
「そうだね」
僕は支えていたアイネを改めて背負う。
槍はフェアチャイルドさんが持っている。布の部分が完全になくなっているが、貸し出しの際の料金に修復代は入っているので弁償代はわざわざ払わなくても大丈夫だ。
休息室に行き、置かれているベッドにアイネを寝かせる。
アイネは可愛らしい小さな寝息を立てて目覚める気配がない。
エリアヒールをかけたので身体に怪我はないが、容態まではさすがに分からない。
『解析』の魔法石を使い異常は無いかを調べてみたが、HPが一割ほどしか残っていないがそれ以外は問題はないようだ。
ちなみにこのアナライズの魔法石は機能が限定されていて相手の簡単な状態を調べる事しかできない。
本来のアナライズは相手の経歴やステータス、固有能力、はてはスリーサイズまでわかってしまう。
さすがにそんな魔法を無許可で使えるはずもなく、売り出されているアナライズの魔法石は僕の持っている魔法石のように機能が限定されている物だ。
「とりあえず本当に疲れて寝てるだけみたいだね」
一先ずは安心だ。
「でも、どうしますか? 起きるまで待ちますか?」
「僕が背負って寮に送るよ。この分だと門限に間に合わなそうだし」
「……またナギさんが背負うんですね」
「アイネは僕にとってもう一人の妹みたいなもんだからね」
「妹、ですか……随分と特別視しているのですね」
「同じ村出身だからね。それに……よく懐いてくれるからなんだかほっとけないんだよ」
「……ぐぎぎ……」
ああ、また幻聴が聞こえる。たしかに今の僕は非常に疲れている。せめてアイネを寮まで送り届けるまでもってくれよ、僕の身体。