ティマイオスの一日
「はっ!」
フェアチャイルドさんの拳が突き出される。
僕はその突きを軽くいなした。
「踏み込みが甘いよ」
フェアチャイルドさんは避けられた拳をすぐに引っ込めて左腕で牽制のジャブを連続で繰り出してくる。
ボクシングのような戦い方はこちらの世界にもある。
こちらのだと蹴りを使う為ムエタイやキックボクシングと言った方が近いのかもしれないけど、生憎僕には前世の格闘技の知識はほとんどないからこちらの世界の物との違いはよく分からない。
拳闘と呼ばれるものであくまでも護身用に学校で学ばされるものだ。
フェアチャイルドさんはその拳闘であまり蹴りは使わない。使っても勢いが弱く簡単に掴まれるからだ。
それは拳でも同じ事なんだけど、隙の大きい蹴りよりはましだろう。
さらにフェアチャイルドさんはこの拳闘に投げと掴みを取り入れた。
無闇に掴み投げようとしてもフェアチャイルドさんの力では投げる事は難しいが、相手の攻撃にタイミングさえ会えば合気道のように相手を投げたり拘束する事が出来る。
あまり成功率は高くないがそこは訓練を続けるしかないだろう。
ジャブを凌ぎフェアチャイルドさんが次の攻撃に移ろうとする瞬間を狙い僕は彼女のお腹に向かってタックルを仕掛ける。
すると彼女は狙いすましたかのように僕の顔の軌道上に膝を上げてきた。
僕は当たる寸前に彼女の持ち上げられた足首を手で取り、彼女の太ももから脚の付け根辺りに僕の両足で拘束する。昔何かで見たアキレス腱固めだ。ふわっとした記憶の技だから正しくかかっているかは分からないけど、それでもフェアチャイルドさんは僕の体重を片足では支えられず訓練場の床に倒れた。
「きゃう!」
「どうかな?」
フェアチャイルドさんは僕から逃れようとするけれどがっちりと拘束しているため逃れられない
「うー……無理です。降参です」
「んふふ。膝を上げるならちゃんと曲げないと取られちゃうよ」
彼女が降参すると僕は拘束を解いて彼女をに手を差し伸べつつエリアヒールをかけて置く。
「ナギさん……私も何か武器を持った方がいいのでしょうか」
「うーん。安全の為なら持った方がいいね。何か使ってみたい武器でもあるの?」
「いえ……何を使ったらいいのか分からなくて」
「そっか……うーん。杖とかどうかな」
「杖……ですか? 年寄りとかが使っているような?」
「それよりももっと丈夫な物だね。棍棒を長くしたような物がいいかな」
「棍棒を長くしたもの……」
「杖があれば疲れた時杖を使えば楽に歩けるし、丈夫な杖なら武器にもできるよ」
「なるほど」
「他にも高い所にある物を取る時に使ったりとか、重い物を動かす時にはてこの原理を使って動かす事も出来る。
そして何より普通に剣とかを振り回すよりも少ない力で振り回せるんだ。力のないフェアチャイルドさんにはぴったりだと思う」
「杖ですか……そう聞くと確かに良さそうに聞こえてきます」
「うん。たださ、杖を使った戦い方って分からないんだよね」
「槍とかの戦い方ではダメなんですか?」
「刃がついてないからね。棒術の方が近いと思うよ。その棒術も使ってる人周りにいなかったからな。
杖を使うなら自分で使い方を考える必要が出てくるのが欠点かな。習うなら棒術の教官について貰う必要があるね」
「何故戦い方が分からない物を武器にしようと思いついたんですか?」
「えとね」
答える為に一応辺りを見渡してから近くに聞き耳をたてる人がいないかを確かめる。
大丈夫そうだと分かると少し声を小さくして答えた。
「前世では杖で戦う杖術っていうのがあったんだ」
「『ジョウジュツ』ですか?」
「うん。僕もどんな武術なのかは知らないんだけどね……」
「私にできるでしょうか……」
「別に無理に杖を選ぶ必要なんかないよ。盾を身に着けるっていう手もあるしね」
「盾ですか……実戦で使うとしたら金属になるんですよね」
「うん。そうなると思う」
「そうなると持てるか心配です」
「今は持てなくても成長すれば持てるようになるかもよ?」
「……いえ、盾は止めておきましょう。金属の盾を持ったからといって私が踏ん張れるか分かりません。
それよりも避ける事に専念したいと思います」
「そっか……」
その時僕の脳裏に電流が走った。
「いや、それならいい武器があるよ」
「え?」
「ただこの世界にあるかどうかは分からないから武器屋か鍛冶屋にいって確かめないといけないけど……フェアチャイルドさん。この後の観光のついでに武器屋と鍛冶屋に寄ってもいいかな?」
「構いません」
「うん。じゃあ決定だ。じゃあそろそろカナデさんと合流しようか」
カナデさんは弓用の訓練場にいる為僕達とは別の場所にいる。
頷くフェアチャイルドさんと一緒にカナデさんの下へ行く。
弓用の訓練場へ行くと弓音と的に当たる音が絶え間なく聞こえてくる。
訓練をしている人の邪魔にならない様に静かに行こうと思ったのだが、訓練場にいたのはカナデさん一人だった。
「カナデさんしかいないね」
「そうですね」
僕達は小さな声だったのだけれど弓音が途絶えた。
「あら~。二人とももう終わったんですかぁ?」
「もうって、もう大分時間経ってますよ?」
時計がないので詳しい時間は分からないけれど、太陽の位置と影の長さの変化でだいたいどれくらい時間が経ったかは分かる。
「まぁ、もうこんなに時間が経っていたんですねぇ」
「どれくらい射ていたんですか」
的の方に目を向けて見ると、円形の板の的がハリネズミのようになっている。
「……カナデさん。矢が組合のだからってやり過ぎじゃないですかね」
「えへへぇ。楽しくってつい~」
矢は弓使いにとって消耗品だが貴重な武器であるため訓練で消耗しない様に訓練場では有料だが矢を借りる事が出来る。
「ちなみに的何枚目ですか?」
フェアチャイルドさんがそう聞くとカナデさんは指を折り数え始めた。
「多分十五枚目くらいですかねぇ。的に隙間なく射るのが楽しくてついつい~。
あんまり強く引くとぉ、的を貫通してしまいますしぃ、弱いとすぐに抜けてしまうからから力加減が難しいんですよぉ?」
「えと、弓を使う人って皆こういう事できるんですか?」
「どうでしょう~。やってる人は見た事ないですねぇ」
「そりゃそうか……」
的をハリネズミにする奇特な人なんてそうそういないよね。
「しかし……良くあの的割れていませんね」
「うふふ~。八枚目辺りからコツを掴みましたぁ」
あんな芸当が出来るなんて可愛らしい外見をしていて化け物だなこの人。しかも弓を射る音が絶え間なく続いてたから速射で射ていたんだよね。
「それで今日の訓練は終了ですかぁ?」
「はい。一旦休憩してから観光に行きましょう」
「分かりましたぁ。うふふ~。楽しみですねぇ」
「あっ、それでですね、フェアチャイルドさんの武器も探そうと思うんですよ」
「まぁまぁ。レナスさんもとうとう武器を持つ事にしたんですかぁ?」
「はい。ナギさんがおすすめの物があるそうなんです」
「ああ、そうだ。カナデさんはこの武器知っていますか?」
僕はライトを使い僕が思い描いていた武器を映し出す。
それは二本の棒でそれぞれに持ち手のついているトンファーだ。
「アリスさんなんですかぁこれぇ?」
「知りませんか?」
「あっ、いえいえ~。武器の方は知っていますよぉ。でも急に現れたのでびっくりしましたよぉ」
「ああ。これライトに色をつけてるんですよ」
「は~。こんな事も出来るんですねぇ」
「ナスと一緒に練習しましたんです」
練習と言っても、物の姿を映し出すぐらいなら生活魔法は基本想像力さえあれば自由に使えるのでそんなに難しい事ではない。
「それで、知っているんですか?」
「はい~。たしかフソウの方の武器ですよねぇ。名前はたしか旋根だったはずですよぉ」
よかった。この世界にも存在はするんだ。でも、フソウの方の武器か。
「よく知っていましたね?」
フェアチャイルドさんが首を傾げて聞く。
「お父さんがこちらに持ち込んだ本の物語に出てくる人物が使っていたんですよぉ。
好きな人物だったのでお父さんにどんな武器なのか教えて貰ったんですぅ」
カナデさんはお父さんがフソウの人間だけあって幼い頃からフソウの書物には慣れ親しんでおり、読む事は出来るらしい。
聞き取りも単語単位なら出来るらしいが、喋るのと書くのは自信がないと言っていた。
「じゃあ使い方も分かりますか?」
「本に書かれていた事位なら~」
「そうですか! では旋根を見つけたらカナデさんからも助言を下さい」
フェアチャイルドさんの嬉しそうな言葉にカナデさんは笑顔で頷いた。
訓練場を出た僕達は身体をきれいにしてからお祭で賑わう街へと繰り出した。
お祭が始まったばかりだから昼前だけれど大通りは人であふれている。
フェアチャイルドさんといつものようにはぐれない様に手を繋ぐ。
彼女の暖かい体温を感じた事に少し胸の鼓動が早くなる。
そして、そのまま僕達は大通りを歩きだした。
カナデさんは僕達の前を歩いている。
視線が雪像の方を向いているから前に歩く人とぶつかりそうなものだが、カナデさんはきちんと前も見ていないのにひょいひょいと人を避けている。
「すごいね。あの身のこなし」
「はい……カナデさんはあの身のこなしをどのように身に着けたのでしょう」
僕達は手を繋いでいるからカナデさんのようにはいかない。
置いて行かれそうになるとサラサがカナデさんに注意をしてくれるのではぐれるという事はないだろう。
この都市の雪像は規制の為大きくても一階建ての家ほどまでの大きさしかない。おまけに周りは僕達よりも背の高い大人ばかり。
その為雪像の周りは人が多くてなかなか見る事が出来ない。一つの作品だけを見るだけで大分時間がかかってしまう。今日と明日だけで見て回れるだろうか?
だが時間がかかった分感動もひとしおなのかいつもすまし顔のフェアチャイルドさんも作品を目にできるとその顔を綻ばせた。
「どれも素晴らしい像ですね。どうやって雪像を作ってるんでしょう?」
「えとね、遠くから見てたんだけどね、四角く切り出した雪の塊を少しずつ削って形を整えるんだよ。石像とかとおんなじだね」
「ああ、そこは石像と変わらないのですね」
「うん。調整しやすさは多分雪の方がやりやすいんじゃないかな」
「石像とは違ってブリザベーションを解いたら春には溶けてしまうんですよね」
「そうだね。冬が終わる頃にブリザベーションを解いて解体するんだって。残念だよね」
「どうせなら一年中置いておけばいいのに」
「さすがに道の真ん中にあると馬車が通るのが邪魔なんだよ。馬車での街間の往来が少ない今の季節ならではの催しなんだ」
「たしかに、街道は広いですが、雪の壁に挟まれ下手に精霊魔法で温かくは出来ませんから非常に寒かったです。馬には辛いかもしれませんね」
「そういう時はヒビキの固有能力かルゥネイト様の神聖魔法があればいいんだけどね」
ルゥネイト様の対象者の周囲を一定の気温に保つ特殊神聖魔法勇敢なる者へは奇跡の力だけあって対象者以外に温度が外に影響を与える事はないらしい。
つまり雪の中キープウォームを使い常夏の温度にしても雪が溶ける事はないし、たとえ範囲内に雪が入っても溶ける事はないという事だ。
逆にこの魔法の弱点は対象者とその周囲の空気以外に影響を与える事がないので雪を溶かす事は出来ない、という事になる。
例えば雪崩に巻き込まれた時魔法なら暖を取りつつ雪を溶かして抜け出すという事も出来るが、キープウォームではそういう事は出来なくなるのだ。
雪を溶かす事が出来て熱を遮断する事も出来るヒビキの固有能力は両方の魔法の良いとこ取りと言っていいだろう。ただ、固有能力の場合はキープウォームを完全に再現させようとしたら自身が細かい調整をしないといけないのが欠点だ。割とこらえ性のないヒビキには不向きかもしれない。
雪像を一つずつ見ながら屋台でお昼を買い食べ歩いているといつの間にか武器屋兼鍛冶屋へ続く路地の前までやってきていた。
カナデさんに声をかけ僕達はその路地へ入っていく。
数分もしないうちに武器屋に着き中に入ると僕は早速旋根と言う武器がないかを店員さんに聞いてみた。
しかし、店員さんに調べて貰ったりもしたが旋根は無かった。
調べて貰っている間にフェアチャイルドさんに他の武器も見て貰ったが、いまいち気に入ったものは無かったようだ。
店員さんにライトで現物を映しつつ作って貰う為に説明してみて返事を聞くと僕は難しい顔になった。
作る事自体はそんなに難しくないが、仕事の予定ですぐに作り出す事は出来ないらしい。
年明け頃から続いていた前線基地での魔物の駆除がつい先日一段落着いた所で現在はその時に使われた武器の整備を頼まれていて職人の手が空いてないらしい。
依頼を受けられるのは一ヶ月は先らしい。
さすがに一ヶ月も待っているとグランエルに帰るのが遅れてしまう。
フェアチャイルドさんと相談した結果、王都へ行く道中に寄った都市で見つからなかったら王都で頼む事に決まった。
夕方になっても人の多さは変わらない。流石に人混みに疲れたので西と北の雪像を見終わった後僕達は人混みから抜けて茶店で休憩する事になった。
「どれも面白い雪像ばかりでしたねぇ」
「そうですね。初め見るまではどういう雪像があるのかと思っていましたけど、小説や絵本の登場人物の雪像があるとは思いませんでした。もっと、語弊があるかもしれませんが芸術的な物ばかりかと持っていました」
「芸術家が作るような物を想像してたって事だよね?
雪像祭の雪像の製作には芸術家も参加するけど、大半は素人の団体が参加してるんだよ。
学校の生徒達なんかも参加してるんだよ」
「そうだったんですか。この都市では個人で参加している人はいないんですか?」
「もちろんいるよ。一人だからその分作り終えるのに時間はかかってたみたいだけど」
そう答えてからカップの中の暖かいお茶をすすり一息つく。
「アースさんの雪像の評判はどうですかぁ?」
「かなりいいよ。本物みたいな出来だって知り合いの人達は皆褒めてたよ」
「知り合いですか?」
「皆が帰ってくる前にね、僕酒場で働いてたんだけど、そこの常連さん達だよ」
「酒場ですかぁ。変な人に絡まれたりとか、大丈夫でしたかぁ?」
「ええ、大丈夫でしたよ」
何人かは痺れさせる事になったけど。
「皆いい人達でしたよ」
「本当ですか? 失礼な事とかされませんでしたか?」
「本当だよ。んふふ。心配してくれてありがとう。でも四人の旅の事も聞きたいな」
「いいですよぉ。といってもぉ、私達の方はあまり変わらない生活をしていたんですよねぇ」
そう切り出された二人の話を僕はお茶をすすりながら静かに聞いた。
ライチーから毎日その日あった事を大体は聞いていたけれど、それでも直接聞く話はやはり当人の感情まで知れて楽しい。
四人はお祭の時期に合うようにティマイオスの南方にある三つの都市を巡っていた。
他の都市でも雪像の製作をしていたり、すでにお祭りが始まっていた所もあるらしい。
開催開始時期を被らせなければその分他の都市を回る人達にも余裕が出て冬の間でも都市間の人の往来が盛んになるんだろう。よく考えられている物だ。
僕の場合は最初にこの都市で最初の雪を見るという目的があった。さらにアースの雪像祭の参加と、あの件があった為僕は他の都市の雪祭を見て回る機会が無くなってしまったが、フェアチャイルドさん達はどうやら楽しめたようだ。
どこの都市も冬の終わりまでは雪像を展示しているので僕も通り道の都市で見る事が出来るだろう。
フェアチャイルドさんの話によると他の都市では雪像の数は少なく、作品の数はやはりこのティマイオスが一番多く、作品の出来に関しても質が高いらしい。
しかしそれを聞いてもやはり他の都市の雪像にも興味は尽きない。
なのでどんな雪像があったのかは詳しくは聞かないで依頼の事を主に聞く事にした。
夜、僕は緊張したままベッドに潜る。
少し遅れてフェアチャイルドさんも緊張した面持ちで僕のベッドの中に入ってくる。
今晩問題が起こらなければこれからも一緒に眠る事が出来る。
しかし、昨晩と同じ事が起こったらもう一緒に寝る事はないだろう。僕だって安眠したいのだ。
その事をよく覚悟しているんだろう。フェアチャイルドさんは同じベッドに寝るが僕との間に隙間がある。
「フェアチャイルドさん。もうちょっとくっつかないと落ちちゃうよ」
一人用のベッドだから広さにそんなに余裕がある訳じゃない。
だけれどもフェアチャイルドさんは僕の言葉に首を横に振った。
「駄目です。ナギさんに迷惑をかける訳には行きません」
「それだったらそろそろ一人で寝る事を視野に入れても」
「嫌です。ナギさんと一緒がいいです。いつか離れ離れになると言ったのはナギさんです。私はその日がいつ来ても後悔が無いよう生きると決めたんです」
「ええ……そこまで大層な事じゃないと思うんだけど」
「ナギさんにとっては大した事のない、些末なことかもしれません。ですが、私にとってはこれ以上に大切な時間はないと言っても過言ではありません」
「わ、わかったよ……」
力説するフェアチャイルドさんの迫力に負けそうになる心を引き締め僕は言った。
「フェアチャイルドさんの気持ちは分かったよ。でもせめてベッドから落ちない様にもう少し詰めよう?」
「うっ……は、はい」
フェアチャイルドさんは少しずつ僕との隙間を詰めてくる。
「じゃあおやすみ」
「はい。おやすみなさい」
僕は眠りにつくために瞼を閉じる。
今晩はどうか安眠できますように
そんな願いを神様は聞き届けてくれたのかぐっすりと眠る事が出来たのだった。