製作準備
喧騒と熱気。そして、アルコールと汗の臭い匂い。
屈辱に耐え作った笑みを浮かべで相手の機嫌を窺わなければならない。
僕が今いる場所はそんな場所だ。
「いらっしゃいませー。ご注文はお決まりでしょうか?」
そう、僕は今夜の酒場で働いている。
飲酒制限のないこの国では僕のような子供が酒場で働く事が出来てしまうのだ。
伸びた髪を赤いリボンを使いお嬢様結びにして、仕事着は給仕用の肩と肌着の紐が出ている上着、スカートは膝小僧が見えるくらいの長さ。
傍から見れば大変可愛らしい格好だ。僕も客の立場なら喜んでいただろう。
時折感じる好気の視線に胃が痛くなるのを魔法で癒しつつ僕は今日も働く。
時々お尻を触ろうとする客もいるけれどそういう時は僕の感知能力で事前に察知できるので触られる前にするりと逃げる。
僕みたいな子供に手を出そうとするとは変態め。
「なぁナギちゃん。ナギちゃんって冒険者なんだろ?」
「そうですよ?」
料理を運んだ先の常連のお兄さんからの質問に僕は少し警戒しながら答える。
「最近ナギちゃんに変な噂流れてるけど大丈夫か?」
その言葉に僕の小さな心臓が鼓動を早めた。
「噂……ですか?」
「ああ、なんでも魔獣を連れて雪像祭に参加するっていう噂があるんだ」
僕はそっと溜息をつき答える。
「それって変なんですか?」
「変だろ? ナギちゃんみたいな若い子が魔獣連れてるなんて」
「ああ……まぁ確かにおかしく聞こえるかもしれませんね」
魔獣使いは本来熟練の動物使いを経てなれるものだから僕みたいな若い魔獣使いはまずいないんだ。
「変な噂っていうから身構えましたけど、その噂なら本当ですよ」
「へ?」
「私魔獣使いなんです。固有能力のおかげで最初から魔獣使いの職になれて、出会いにも恵まれ仲間になった魔獣もすでにいるんです。だから雪像祭では見に来てくださいね」
「まじか……え、じゃあ鞭とか使っちゃってるの?」
「私は鞭は使いません。皆いい子ばかりなので話せばわかってくれますよ」
「そうなのか……鞭とか似合いそうだけどな」
「……そんなにきつい顔しています?」
「いやいや、そういう訳じゃなくてなんというか……君みたいな子が持つからこそと言うか……」
「てめぇナギちゃんに向かって何言ってんだ! ナギちゃんは天使に決まってるだろ! そんなもん持つわけがねぇ!」
「そうだそうだ! ナギちゃんに似合うのはシスターの服に決まってるだろ!」
「はっ、分かってねぇなお前ら! 一見優しい女の子にこそ凶暴な武器が似合うんだろうが!」
「いいやそんな事ない! ナギちゃんに会うのはそれこそ可愛らしい動物に囲まれている姿だ!」
「馬鹿野郎! 可愛らしい女の子に付き従う凶悪な外見の魔獣。この良さがなぜわからん!」
他のテーブルのお客が何故か話に混ざってきてどんどんと騒がしくなる。
「お客様、や、やめてください」
僕が間に入って止めるとお客達は頬を緩ませ握っていた拳を解いた
「いやぁごめんごめん」
「俺達マブダチさ!」
「もう……喧嘩は駄目ですからね」
そう言って笑顔を向けるとお客達はさらに顔をだらしなくして各々の席へ戻って行った。
胃が痛い。少しぶりっ子じみていた台詞にも吐き気を催してしまう。
だが我慢。我慢だ。今はなるべく愛想を良くしておかなくちゃいけないんだ。
フェアチャイルドさん達と別れて一週間が過ぎた。
年末の街はゆく年くる年に浮かれ賑わっている。
ライチーがいつも傍にいるとはいえ、賑やかな街中にいるとあの子がいない事が少し寂しく感じる。
彼女達は今南の方にいるらしい。西の方は少し騒がしくなっているらしく、もしもの事を考えてフェアチャイルドさんが一人にならない様に南に下ったらしい。
酒場の中で耳を立てると今年も北の山脈から魔物が降りてきたという話が聞ける。
特に今年は西の方が多く、それで軍が慌ただしく動いているらしい。
世間は騒がしくても僕達の方は今の所目立った問題は起こっていない。
例の男の子は冒険者家業に復帰しているが今の所僕達に接触してくる気配はない。そろそろライチーも街中で普段の姿でいてもいいかもしれないな。
酒場での仕事は大体五時から九時までの間だけだ。
時間は短いからその分お給金は少ないけど、時間単価で言えば悪くはない仕事だ。
仕事が終わり宿に戻る途中に公衆浴場に寄り、宿に帰ったらライチーにフェアチャイルドさん達の事を聞きながら実験用の気球の風船の部分になる布を縫い合わせる作業に入る。
実際の気球の作り方なんて知らないからシエル様に僕の中の記憶にある気球の情報を掘り出して貰ってから設計図を作った。
それでも昔テレビで見ただけの情報だけど。
本当は他の世界の文明の発展にシエル様達が直接関与する事は禁止されているらしいけれど、今回の場合は僕の記憶の中の物だから問題ないとの事だった。
もし僕の記憶の中にあるものまで使えないとするならそもそも記憶を保持したまま転生させるわけがないしね。
ライチーにはフェアチャイルドさんに合流するまで内緒にしておくように言っておいてある。
どうせならこの壮大な計画を話した時の彼女の驚く顔を見たい。
フェアチャイルドさん達が眠る時間になると僕も一休憩しライチーに絵本を読んであげる。
大体ライチーが飽きるか朝になるまで絵本の読み聞かせは続く。
飽きた場合は風船作りを再開させる。
そして、朝になったら魔獣達の所に行き、朝ご飯を用意した後そのまま小屋でお昼まで眠る。
お昼に起きたら少し遊んだ後昼食を取ってから訓練場で訓練をして夕方になったら仕事に行く。
これが僕のフェアチャイルドさんと分けれた後の過ごし方だ。
ライチーと過ごした年明けを過ぎると僕は雪像祭の説明会に出た。
雪像祭の製作期間は二週間。製作期間が終わると雪像祭りが始まる。
コンテストのように最優秀賞を決めるとかそういうものはない。ただこの都市のお祭を盛り上げる為に有志により作られるだけだ。
ただ僕の場合はアッテンボローさん直々のお誘いなので運営の方から祭の際に開かれる屋台の優待割引がある。
雪像が作られる場所は中心部から東西南北に伸びる大通りの中心。かなり目立つ所だ。そして、各々が作る場所はくじ引きで決められる。
僕は東側の大通りの中央から三番目の所に決まった。
使用する雪は運営の方で用意したものだけを使う事になる。
作られた雪像はブリザベーションをかけられ冬が終わるまで展示される。
早く作り終えるメリットは特にないが、何を作るか考えに考えていたアースなら一瞬で終わらせてくれるだろう。
説明会が終わると同時に製作期間が始まる。
しかし、僕は急がず馬車の通りが少なくなる夜を待った。
アースがいたら馬が怯えてしまうから馬車の往来が多い昼間にアースに堂々と作らせるわけにはいかない。
この日の為にまだ続いている酒場の仕事も休みを貰ったんだ。
魔獣達のいる小屋に行くと、僕の姿を確認したアースが立ち上がった。
「アース、準備はいい?」
「ぼふっ」
「ふふっ、いい返事だね。じゃあナス、ヒビキ。お留守番お願いね」
「ぴー」
「きゅー……」
ヒビキは僕と一緒に行きたいようだけれど、寒さを嫌がるナスが一匹だけになってしまうので我慢してもらう。
「じゃあ行こうか」
「ぼふっ」
飾り布を身に纏ったアースは自信満々の様子で一歩を踏み出した。
アースを連れて夜の街をライトで照らしながら歩く。
「そう言えば、夜の街でアースと一緒に出掛けるのは初めてだね」
「ぼふっ」
「気を付けてね?暗がりから飛び出てきた人を跳ね飛ばさないでよ?」
「ぼふん」
失礼ねと不服そうに鼻を鳴らす。
「あはは、ごめんごめん。ところでもう何作るか決まってるの?」
「ぼふ。ぼふぼふん」
何を作るかは秘密らしい。
「そっか。何作るのか楽しみだなぁ。ねぇフェアチャイルドさん」
フェアチャイルドさんに化けているライチーも楽しみにしているのか大きく頷いた。
歩く事三十分ほど。大通りに出るとすでに僕達以外の人も製作にとりかかっているのが見えた。
アースの姿がいい目印になったのか運営の人がすぐに僕達の所へやってきてくれた。
「えーと、飼い主のナギさんに、魔獣のアースさんですね」
「はい。そうです」
参加証を提示すると運営の人は頷いた。
「はい。雪はすでにブリザベーションをかけて持ち場に運ばれています。製作を中断する時と、終了した時にブリザベーションをかけなおすので近くにいる運営の人間に報告をしてください。
それと念の為に確認を。既定の量以上の雪を使う場合は私達の許可が必要なので注意してください」
「分かりました。アース、勝手にそこらへんの雪使っちゃ駄目だからね」
「ぼふん?」
アースが何故? と聞いてくる。
「えと……すみません。一応理由を聞かせてもらえますか?」
「いいですよ。えっとですね、一番の理由は使う雪の量をあらかじめ決めておく事によって無駄に大きな物を作らないようにさせる為です。
昔この規定がなかった頃……建物よりも巨大な雪像を作ろうとした団体がいて、強度が足りなくなり崩れてけが人が出た事件があったんです。
それ以来無制限に雪を使う事は禁止されたんですよ」
「なるほど。説明ありがとうございます。この子にもよく言い聞かせておきますね」
「よろしくお願いします。では持ち場に案内します」
持ち場に案内されるとそこにはアースと同じくらいの大きさの四角く切り取られた雪の塊が置かれていた。
アースの姿を物珍しげに見ながら通り抜ける人がいるが、人通りは少ないからかあまり注目されないで済む。
「これってどうやって四角く切り取ってここまで運んだんですか? すごく重そうですけど」
「薄い水の獏を四角くなるように張り、周りの雪を取り払った後ブリザベーションをかけ力の強い冒険者を雇って荷馬車に積み込んだんですよ」
「はぁーなるほど。こんな大きな物も運べるんですね」
「本当凄いですよね。それでは早速製作にかかりますか?」
「その前に、アースこれで足りる?」
「ぼふんぼふん」
全然足りないようだ。
「すみません足りないみたいです」
「えと、あとどのくらい必要でしょうか?」
「うーん。この雪の塊がもう一個あったら足りる?」
「ぼふ」
「もう一個ですか……念の為にどのような雪像を作るか教えて貰っても?」
「アース、どういう雪像作るか教えてもらいたいんだって」
「ぼふ」
アースは僕達の周囲に積もっている自然の雪を集め雪像を作った。
その雪像はアースの姿をしていて僕の手に乗る位には小さい。
「また自分なんだ……」
どんだけ自分が好きなんだアース。
「ぼふぼふ。ぼーふぼふぼふふぼっふ」
「えと、大きさは自分と同じくらいにするけど、密度を高めて強度を増す為にももっと雪が欲しいそうです」
「密度を高める?」
「はい。アースは今のように最初に雪を圧縮させてから、魔力を操って形を整えて作るんです」
「なるほど。そんな方法で……そういう事ならかまいません。出来上がった時念の為強度は確かめさせていただきますがよろしいですね?」
「ぼふ」
「よろしいそうです」
「では今日の所はお帰りいただいた方がいいかもしれませんね。すぐに手配し運ばせますが、それでも時間はかかります」
「あの、僕はブリザベーションを使えます。だから今晩僕達だけで作業をするというのは出来るでしょうか?」
「すみません。さすがに運び込むのは明日の作業となりますので」
「そうですか……」
さすがに夜中に雪を切り出して持って来るのは危ないか。
「えと、じゃあ明日の夜の九時以降でも作業は出来ますか?」
「それは大丈夫です。徹夜で仕上げる人達もいますので、ちゃんと運営の人間は作業現場に残っています」
「それはそれで大変ですね。頑張ってください」
「ありがとうございます」
「アース。作るのは明日になるけどいい?」
「ぼふぅ」
仕方ないわねとため息交じりに応えた。
「じゃあ雪の件よろしくお願いします」
「はい。お任せください」
アースを連れてその場から離れようとすると、あの男の子が僕を睨んでいるのが見えた。いるのは分かっていたから放置していたけれどあの顔は……。
「フェアチャイルドさん。アースの陰に隠れて」
ライチーは頷くと男の子から見えない様に隠れる。
だけど男の子はじっと僕の方を見ている。
東の大通りは組合から男の子の家に帰るのに通る道だ。見つかるのも不思議じゃない。
組合からここに向かっていたのは分かっていた。
「……アース。行くよ」
「ぼふ」
嫌な予感を感じつつ僕は施設へ足を速めた。