負けないで
僕は木剣と盾を持って男の子と対峙する。
男の子の方は木剣を両手で握っている。構えはどう見ても隙だらけだ。
けれど、秘かに繋いでいる魔力から魔法陣を構築している事がわかる。戦士タイプじゃなくて魔法使いって事か。
僕を騙そうとしたんだろうけど、構えが成っていない時点でバレバレだ。
お兄さんの合図で勝負は始まった。
男の子は開始早々顔を醜く歪めて魔法を放ってきた。
使ってきたのは第一階位の魔法ウィンドアローだった。
都市の中では魔法陣を使った魔法は指定された場所以外は使用禁止だけれど、訓練所で一応許可されている。しかし、それも第三階位まででそれ以外、第四階位以上の魔法や独自の魔法を使うとなるときちんとした資格を持った人の立会が必要になる。
そして、普通は目には見えない魔法陣。どうやって判別するのかと言うと、使われた魔法を見ればわかるという大変アバウトなものだ。
実際魔法陣の魔法を魔法陣なしで使おうと思ったら人間の平均的な魔力の量では高熱で燃やし尽くすのが目的のファイアアローですらろくな攻撃力を持たせる事が出来ないし、相手の魔力に阻まれて届かない事だってある。
今回は何でもありとは言ってもこの立会人がいない為第三階位までの魔法しか使えない。さすがに第四階位以上の魔法を使ってくることはないだろう。
僕はそのウィンドアローを身体を捻るだけで交わし間合いを詰める。
男の子は交わされた事が信じられないのか驚愕の表情を浮かべながら次の魔法を用意し始める。
アールスよりもはるかに構築が遅い。比べるのも失礼なほどだ。
将来家業を継ぐ気だったのなら真剣に訓練してなくてもおかしくは無いか。
僕は容易く男の子に接近すると首元に木剣を突きつけた。
「降参する?」
「っ! 誰がするか!」
男の子はすぐに後ずさり僕の木剣から逃れてから新たな魔法陣を生み出しながら木剣を僕に向かって振るってきた。
僕は攻撃を木剣で打ち払い魔法は同じ魔法で相殺させる。
「なっ!?」
「盾くらい使わせてよ」
呆れ顔で挑発すると男の子は顔を真っ赤にして木剣で攻撃してくる。
だがやはりどの攻撃も盾が必要としないほど防ぐのは容易かった。
やがて男の子は息を切らし動きを止めた。
「降参する?」
二度目の降参勧告。しかし男の子は僕の言葉を無視して魔法陣を組み上げる。
「君、許可貰ってないからそれ使ったら犯罪だって分かってる?」
「なんの事だよ」
嘲る様にいうが声が震えている。
男の子が出そうとしている魔法は第六階位の魔法だ。
どうにか止める事が出来ないだろうか。僕は『蜘蛛の巣』を張りめぐらせて魔法陣の完成を妨害しようとするが上手くいかない。
他人の魔力を操るなんてやった事ないし、出来るという話も聞いた事がない。せいぜいが魔力を濃くさせて相手の魔力の動きを阻むだけだ。
けれど魔法陣の輪郭が出来上がると動きを阻む事は出来ないし、相手の魔力を阻むだけの魔力を動かすと今度は自分が無防備になる。
僕もやっている事だが魔法陣じゃ複数違う場所に構築する事が出来る為一つの魔法陣の構築を妨害しても意味がない。
だから僕が今ここで取る行動はただ一つ。
木剣を弾き飛ばし男の子を地面に押し倒し僕は男の子のお腹の上に片膝を降ろし、横に向けた木剣の刃筋を首にあてがい動きを止めさせる。
「これで君はフレアスフィアを使ったら自分まで巻き込むよ」
男の子の構築している魔法陣は基本に忠実な物で範囲の設定も基本のままだ。これでは僕だけを狙うという事は出来ない。
「なん、で」
魔法陣が一旦消えて新しい魔法陣が二つ出来上がる。どうやら今度はアイシクルアローを出すつもりらしい。
僕はそのアイシクルアローが出た瞬間にファイアアローで相殺させる。
「降参する?」
「ぐっ……誰が」
お腹の上に乗せている膝を押し込む。
「降参する?」
「ぐぅ……」
男の子は諦める気がないのか僕を睨みつけてくる。
「……はぁ。仕方ないな。第四階位以上の魔法は使わないようにね? 捕まるし、冒険者の資格も永久はく奪されてもおかしくないんだから」
そう忠告して僕は男の子から離れた。
そして男の子に向かって木剣と盾を構え直す。
「くそっ……舐めやがって!」
この勝負、問題なのはどうやって降参させるかという事だ。
下手に長引かせても男の子は痛みを増していくだけだし、僕自身もいつか油断して負けてしまうかもしれない。
諦めない相手と言うのは厄介だ。この勝負圧倒的な差を見せつけても参ったと言わなければ負けはないんだから。
男の子の攻撃を防ぎつつ僕はこの勝負を受けた事を後悔し始めた。
男の子を倒した時に降参させられなかった時点で僕に勝つ手段が限られてしまったから。
あまり気持ちのいい勝ち方じゃない。けれど、負けるわけにもいかない。
この子は僕を怒らせた。
攻撃を防ぎ切った後僕は反撃に出た。
今度は容赦なく。手加減は殺さないくらいに。それくらいの覚悟がなければ勝つ事は出来ない。
まずは腕を、次に胴を、次に肩を、頭以外の場所に木剣と盾と魔法を当て続ける。
何度も降参勧告をして、立てなくなった所でようやく降参をしてくれた。
僕は疲れ重い身体を動かしエリアヒールを使い男の子を回復させようと近づいた。
「ひっ……」
男の子は怯えた目で見てくる。
僕はその視線を何も言わずに受け止め回復させる。
そして、回復が終わると僕は立ち去る前にお兄さんの前に立った。
「ウェスターさん。立会人ありがとうございました」
「……大丈夫か?」
「攻撃は一度も食らっていませんけど?」
「違う。今にも倒れそうな位青くなってるぞ。とても勝者の顔には見えないな」
「あ……そんなに酷いですか?」
「酷いな。そんなに人を殴るのが苦手ならどうして勝負を受けた?」
「……頭に血が上っていたんです」
本当はそれだけじゃない。すぐに終わるだろうと甘く見ていたんだ。
「……まぁなんだ。実力差が明らかだったのにすぐに降参しなかった方に非がある。だから気にするな」
「ウェスターさんだったら、どうしていましたか?」
「そんなのすぐさまぼこぼこにするに決まってるだろう。ああいうのは一度とことんまでやらないといけないんだ」
「……そういうものなんでしょうか」
「ああ。それで恨みを買う事もあるが……まぁ何とかして今ここにいる訳だ」
「難しそうですね」
「ああ、難しい。だからまぁ頑張れよ」
「はい」
訓練場を出て武器を元の場所に戻し組合の外に出ると何かが僕に抱き着いてきた。
「え?」
「……ナギさん。ごめんなさい。私の問題に巻き込んでしまって」
頭がようやく働いて来て抱き着いてきたのがフェアチャイルドさんだとようやく気付いた。
「どうして謝るの。僕頼ってくれて嬉しかったよ?」
「でもそれでナギさんは辛い思いをしてしまいました……」
「……戦ったの気づいてたの?」
「出てくるの遅かったですし、ライチーさん達が残っていましたから」
「そう言えば部屋を出ていくとき一緒にいなかったね……」
てっきり石の中に戻っていた思っていたけど。
「とりあえずまずは宿に戻ろう」
「そうですね。ここであの人と鉢合わせしても嫌ですし」
フェアチャイルドさんは離れると僕の手を取り歩き出した。
そして、宿屋に戻るとフェアチャイルドさんはお茶を入れてくれた。
それを飲むと少しだけ心が軽くなったような気がした。
「ナギさん。大丈夫ですか?」
「……そんなに心配されるほど顔色悪い?」
「はい。ナギさんは……相手を随分と痛めつけなければいけなかったんですよね」
「最後まで見てたの?」
「はい。サラサさんが。とても辛そうだったと」
「辛いのは殴られたあの子だよ」
「力の差がはっきりした時点で降参すれば良かったんです……そうすればお互いに必要以上に傷つく必要はなかったはずです」
「うん……でも、そういう選択を取れない人もいるんだよ。あの子は自分で勝負の付け方を決めたからなおさら……なのかな」
「ナギさんは何も悪くありません。ルールも、中々降参しなかったのもあの人の決めた事です」
「うん……でもさ、考えちゃうんだよ。もっと上手く出来たんじゃないかって」
「ナギさん……」
「あの子にとっても僕にとっても、いい勝負じゃなかったよ。勝っても全然嬉しくない……」
果たして次同じような事が起こったら、僕はもっと上手く事を収められるのだろうか?
今日の事は忘れないでおこう。次はもっと上手くやれるように。
数日が経った。フェアチャイルドさんの罰則は三日間の依頼禁止で済んだ。
あれ以来男の子とは会う事はなかったけれど、念の為フェアチャイルドさんはカナデさんと一緒に他の都市へ行く事が決まり、今日がその日だ。
フェアチャイルドさんは最初泣いて嫌がったけれど、あの男の子の気性を考えるとやはり安全の為に一旦都市から離れるというのは譲れなかった。
カナデさんにも話し合いでの事は話していたので説得に回って貰えることになった。
そして、サラサとディアナも都市から離れる事に賛成をしてくれたが、なるべくなら僕と一緒の方がいいと言ってきた。
しかし、魔獣達の事もあるけれど、僕は雪像祭の件で打ち合わせがあるのでティマイオスから離れる訳には行かない。
その事を説明するとサラサは理解を示してくれたが、同時に恨みがましい視線で見られもした。
説得の末フェアチャイルドさんは泣きながらもなんとか頷いてくれた。
でも、約束したのに、という言葉が耳にから離れる事はなかった。
そして、その件でもう一つ珍しい事が起きた。
「ライチーさん。ナギさんをよろしくお願いしますね」
『まかせて!』
ライチーが連絡係として残る事になったんだ。
最初はフェアチャイルドさんはサラサを残そうとしたけれど、それは僕とディアナが止めた。
サラサは寒い冬の間フェアチャイルドさんを温める仕事がある。
起きている間は自分で魔力を操ればいいだろうが、寝てる間はそうはいかない。
次の機会にはサラサを預けると前に約束したと言われたが、それは僕が都市の外に出て野営する場合だと僕は解釈している。
都市の中の宿と野営では例え焚き火があっても冷たい風が吹かない分差がある。
僕は野営するわけではないし、いざとなったらヒビキがいる為サラサはフェアチャイルドさんの傍にいてもらう事になった。
分け身を残すという意見もフェアチャイルドさんから出たが、それはサラサから否定された。
僕と契約できれば別みたいだがさすがに別の都市までの距離となると分け身を維持する事は出来ないらしい。そもそも都市には結界が張られているから結界の外から分け身を維持するのは不可能だそうだ。
ならばディアナが残るべきかという結論に達しようとした時、ライチーが自ら志願したんだ。
どういう心づもりなのかを聞いてみると、どうやらレナスのもっと役に立ちたいらしい。
でも本当にそれだけなのだろうか? 彼女の役に立ちたいのなら傍にいた方がいいと思うのだけれど。
フェアチャイルドさんはライチーを止めるような事はしなかった。
『レナス、おはなのかんむりもってて』
「いいのですか?」
『うん! レナスにもっててほしいの!』
「分かりました」
ライチーからいまだに色あせていない花冠を受け取ると大事そうに布に包み自分の荷物袋の中へ入れた。
そして、準備を終え朝食を取った後フェアチャイルドさんとカナデさんを見送る為に検問所の前まで同行した。
時間は朝早い。あの男の子に見つからない様に人目を忍んでの時間だ。
雪は相変わらず降っており、昨夜は吹雪いていたが朝日が昇った今は雪の勢いは弱まっている。
昨夜の分がまだ除雪されていない道は大変歩きにくい。だけどその分人目につきにくいだろう。
「本当ならこんな逃げるような真似させたくなかったけど……」
「ナギさんは何も悪くありません! 今回の件は私はもっと上手く……」
フェアチャイルドさんの肩にカナデさんの手が乗り言葉を中断させられる。
「今回は、ただ運が悪かっただけですよ」
「カナデさん?」
「昔私の友達がそう言っていたんです。ただ運が悪かっただけだって」
カナデさんはいつもの間延びした口調ではなく、ゆっくりと一言ずつ丁寧に言葉を紡いでいく。
「私達女の子……いいえ、女の子に限らず男女関係なく災難な目に合うのは仕方ない。だけどそれで自分を、自分達を責めてはいけないと言っていました。
……私もそう思います。
こういう時は運が悪かったと考え切り替えましょう。次は素敵な出会いがあるかもしれませんしね」
「でも……」
「いますぐに、と言うのは無理かもしれません。でも、これから先も同じような事が起きるかもしれません。その度に後悔していたら身が持ちませんよぉ」
「たしかにそうですね。フェアチャイルドさんはきれいなんだからこれからもきっと大変な目に合うかもしれない。
その時僕が傍にいるかは分からないけど、たとえ一人だったとしても負けないで。
後悔とか悔しさとかそういうのに負けたら上手く笑えなくなると思うんだ。だから負けないで欲しい。
僕は君の笑顔が大好きだから、その笑顔を曇らせないで欲しい……っていうのは僕の我儘かな」
「ナギさん……私からもお願いがあります」
「何?」
「ナギさんも負けないでください」
フェアチャイルドさんは僕の手を取り自分の胸の前に持っていき続けた。
「私もナギさんの穏やかな笑顔が大好きです。だから、ナギさんも負けないでください。辛い事や苦しい事があっても私にまた笑顔を見せてください」
「フェアチャイルドさん……うん。約束するよ」
「じゃあいつも通り」
フェアチャイルドさんの方から小指を差し出してくる。
僕はその細い指に自分の小指を絡め契りを交わす。
「雪像祭の時に戻ってきますね」
「うん。でももしも不味そうな時は……」
「……分かっています。グランエルで会いましょう」
「……病気になったらすぐに伝えてね。飛んでいくから」
「それは不味いのでは?」
フェアチャイルドさんが危惧しているのは恐らく勝手にピュアルミナを使う事だろう。
「何。方法は一つじゃないよ」
そう言って僕は繋いでいる小指から生命力を渡す。
インパートヴァイタリティがあれば長引くかもしれないが死なせる事はないはずだ。
たとえインパートヴァイタリティでも治せないような病気でも自分で自分を雇えばいいんだ。それが出来なくても勝手にやって黙っていればいいし、あとからお金を僕が立て替えるっていう手もある。
「ナギさん……」
「元気でね」
「ナギさんも……お元気で」
小指が離れる。
彼女は今にも泣きだしそうな笑顔を僕に見せてきた。
「カナデさんも、お元気で」
「はい~。ナギさんも気を付けてくださいねぇ」
「はい」
「ライチーさん。お元気で」
『うん! レナス、きをつけてね!』
別れを済ませると二人は僕達に背を向けて検問所の中へと入って行った。
「……行こうか。ライチー」
『ん……もうちょっと』
「これ以上は辛くなるだけだよ」
『……ん』
ライチーは僕の背中側から首に腕を回し纏わりついた。
ライチーをそのままにし僕は検問所に背を向けて歩き出した。
とりあえず魔獣達の所に行こう。
フェアチャイルドさん達は昨日の夕方に別れを済ませて今朝は魔獣達に会う事なく都市を出立した。
なので僕はまだ今日魔獣達に会っていない。
背にライチーがくっついたまま僕は施設へ急いだ。




