おかん
「ん……」
気が付くと僕は横になっていた。
なんだか少し固い弾力のある物の上に頭が置かれている。
目を開けると視界の上三分の一をひさしのような物が邪魔して影を作っている。
「あっ、ナギ起きた?」
ひさしの向こうからアールスの声が聞こえてくる。という事は……。
僕はひさしに当たらないように気を付けて上半身を起こす。
「アールス……僕どれくらい気絶してた?」
「そんなに経ってないよ。あっ、先生から壊した装備は弁償して貰うって」
「ああ……うん。斬らなきゃよかった」
「斬ったのって早く決着付けたかったから?」
「うん。長期戦は不利だと思ってたから。まさかお返しに盾をやられるとは思わなかったよ。アールスは痛い所無い?」
「きちんと回復してもらったから無いよ」
「よかった」
僕も確かめてみるけれど身体に異常は感じられない。
「……今回の試合、どうだった? 安心できた?」
「……」
アールスは目を伏せ僕から顔を背ける。
「……そっか」
どうやらアールスの期待には応えられなかったみたいだ。
「ごめんね」
「ううん。いいの」
アールスは首を軽く横に振った後僕の頬に手を伸ばしてきた。
「ナギ。危ない事、しないでね」
「大丈夫だよ。そんな事しない。カナデさんだっているんだ」
「でも心配だよ。ナギ優しいもん」
アイネにも同じ事言われたな。成長してないのかなぁ僕。
湿っぽくなった空気を換える為に僕は明るい口調で別の話題を出した。
「それにしても驚いたよ。精霊魔法使えるなんて。こっちで契約したの?」
「ううん。グランエルにいた時に補講で契約したの」
「そんな前から? どうして言ってくれなかったの?」
「驚かそうと思って」
そう言ってアールスは悪戯が成功した子供のように笑った。
「いや、本当驚いたよ。まさかアールスが使ってくるとは思わなかったからさ。名前は何て言うの?」
「シェリル。土の精霊だよ」
「他に契約してる精霊はいないの?」
「いないよー。精霊って気難しい子が多いから中々契約できないんだ」
「ああ、それはフェアチャイルドさんから聞いた事があるな」
「レナスちゃんはすごいよ。三人も契約してるんだから」
「幼い頃から一緒みたいだからね」
「ナギはどう? 精霊とは契約しないの?」
「僕の場合はしたくても出来ないみたい」
「出来ない?」
「うん……まぁ詳しい話はあとでね」
ガーベラが話したげに僕達を見ている事に気づき一旦話を打ち切る。
立ち上がり汚れを払いアールスに手を差し出す。
アールスは顔をきょとんとさせた後僕の手を取り立ち上がった。
「ありがと」
「どういたしまして」
アールスが汚れを払うのを横目にガーベラと向き合う。
ついでに周囲を見渡してみると、見学していた大人達が集まって何やら話し合っている。
「あれ二人の試合の感想を言い合ってるんや」
「うわぁ。何それ怖いな」
「まっ、あんたに伝わる事はないやろな。一応部外者だし」
「でもアールスには伝わるよね?」
「……かもしれんね」
「ナギ聞きたくないの?」
「悪い所は聞かなきゃと思うと同時にぼろくそに言われてたら嫌だなって。参考までにガーベラはどう思った?」
「へっぴり腰やったな」
「うっ……」
「でもそれはアールスに比べてや。むしろ平気な顔して友達に容赦なく木剣を振るうアールスの方がうちは怖いわ」
「? 怪我なんてすぐに治るでしょ?」
「えっ、なにそれは……」
こっちではそれが普通なの?
「そういう問題やないやろ!?」
どうやら違うようだ。よかった。一瞬ここは修羅の国かと思ったよ。
「どういう問題なの?」
アールスは本当に分からないようで首を捻っている。
「普通友達傷つける事に戸惑いとかあるやろ? 下手したら死んでまうかもしれんねんで?」
「それは……」
ようやくその可能性に気づいたという様子でアールスはどんどん顔を青ざめていった。
「私……そんなの全然考えてなかった……」
「うちは今回の試合は二人の意識の違いが勝負の分かれ目だったと思う」
「そうなの?」
「せや。うちが見た限りやとアリス。あんた、アールスに使えん技いくつかあるやろ」
「……何で分かるの?」
技と言うかスキルや魔法だけど……『蜘蛛の糸』からのサンダーインパルスはアールスには意図的に使わなかった。
あれは体内にどんな悪影響を与えるか分からないから使わなかった。
もっとも、理由の大部分は決まれば一撃で勝負が決まるスキルを使うのは今回の試合で使うのは趣旨に反すると思ったからだし、隠しておきたいという意図もあったからだ。
「石人形を壊したあれ、手加減できんとちゃう?」
「……」
ガーベラの問いに僕は答えない。
あれはサンダーインパルスを使って破壊した。もちろん手加減は……出来る。
サンダーインパルスは切り札の為隠しておきたい……というのと、あまりにガーベラがしたり顔で言うもんだから指摘しにくくて答えは無言という形にするしかない。
「ああいうんを気にせずに戦こうてたら、確実に勝てたやろ」
「……今回の試合は僕がどれだけ戦えるかを図るものだったと思ってる。
一撃で勝負が決まるような力は使う気はなかったよ」
「一撃……」
暗い表情のままのアールスがぼぅっとした様子で僕の顔を見てくる。
「それに、その……魔物に効くかどうかも分からないし」
僕のサンダーインパルスは蜘蛛の糸と一緒に使う事前提のスキルだ。蜘蛛の糸が魔素の塊である魔物の身体を透過できるとは限らないし、電気自体効かない魔物がいるという事も考えられる。過信しては駄目なんだ。
「それ魔物を想定して戦ってたっちゅう事?」
「僕が今回自分で想定していたのは汎用性だよ。人と動物、魔物、どれと戦う事になってもある程度の効果はありそうな戦い方をしたんだ。
人には通用しても動物や魔物に対して効果が無かったらアールスの期待には応えられないと思ったんだ」
「そこまで考えてくれたの?」
「当り前じゃないか。アールスは僕達が危ない目に合うのが嫌なんでしょ?
いくら人であるアールスに勝ったからって、動物や魔物に勝てないんじゃ意味がないじゃないか」
「そりゃ道理やな」
「ナギ……」
アールスが突然僕に抱き着いてきた。
「ごめんね、ナギ。私……そこまで考えてくれるなんて思ってもみなかった」
「謝る事じゃないよ」
「私、何も考えてなかった。ただナギの力を見たかっただけで……」
「アールスはそれでいいじゃない。僕は力を見せなくちゃ行けない側なんだから色々考えるのは当然だよ」
「でも……」
僕は抱き着いているアールスの頭を優しく撫でる。少し傷んでるな。
ああ、毛先が縮れてるじゃないか。あれだ、泥を乾かした時の魔法が原因だ。
こっそりとエリアヒールをアールスの髪にかけ元通りの真っ直ぐな髪へと治す。
「笑って? アールスには満点の笑顔が似合うんだから。
負い目を感じて暗い顔をする位なら笑ってほしい。君が笑ってくれないと、僕まで笑えなくなっちゃうよ」
「なんや口説き文句みたいやな」
「茶化さないでよ。真剣なんだから」
「そないな事言うてもなぁ……」
「ガーベラはアールスの笑顔好きじゃない?」
「それは……まぁええ笑顔やと思うよ」
「でしょ?」
「今話逸らしたやろ」
「そんな事ないよ」
「……」
アールスは顔を真っ赤にして僕から離れた。
ガーベラが茶化したせいだ。
「大丈夫?」
「だ、大丈夫……ガーベラちゃんが変な事言うから!」
「いやいや、人前で抱き着かれてみぃ。目のやり場に困るわ」
「女の子同士なんだから気にし過ぎじゃない?」
「そないな事ないって。いい年して抱き合うなんて見てるだけで恥ずかしゅうなるわ」
「そういうものなの?」
アールスに聞いてみるがまだ顔を赤くしている。
頬をパンパンと叩くと気合を入れ直したのかアールスは姿勢を正しガーベラに視線を向ける。
「ガーベラちゃんも一度ナギに抱き着けばわかるよ。ナギの良さが。やみつきになるよ」
「え」
「えー? ほんまにー?」
「ほんとだって。ナギに抱き着くとすっごく心地いいんだから」
「またまたぁ。うちをかつごうとしても無駄やで?」
とかいいつつもガーベラは僕に近づき抱き寄せられた。
「んー。まぁ抱き心地はええかもしれんけど」
「そんな人形みたいな」
「ほら、ナギ。頭撫でてあげて」
「ええ……ガーベラ、触ってもいい?」
「ええで」
ガーベラの髪は固いというよりは僕の髪質に近くよりもっさりとしている。
触ってみると一本一本が太いのがよくわかる。
手入れは良くされており艶がある。ガーベラは一見がさつに見える外見だけれど、やはり女の子。髪には手間をかけている。
「触ってもあんま気持ちよくないやろ?」
「そんな事ないよ。よく手入れされてるのが分かるよ。ガーベラも女の子だよね。髪を大事にしてる」
「……そ、そないな事ないって」
「あるよ。太くてもっさりしていて、質のいい毛皮を触ってるみたい。触ってて飽きないよ」
アールスが何を考えてこんな事をさせるのかは分からないけど、僕としては髪に触れられて役得だ。
「ん……あんたの手つき、なんかおかんみたいやな」
「そう?」
「せや。優しくて、温かくて……おかんの手や」
「同い年なんだけど」
「それに……アリスの声落ち着くわ。なんでやろな。こうしてるとずっと聞いてたくなる」
「なんでだろう?」
考えつつも髪を触る手は止めない。
「ん……う、うちもうええわ。これ以上くっついてるとおかんとおとん思い出すわ……」
ガーベラが目尻に指を当てながら離れる。
んふふ。どうやら僕の大人力は非常に高いようだ。
「あんた撫でるの上手すぎやろ。なんなん?」
「昔から年下の子達のお世話をしてたからかな?」
「ふふん。ナギの良さ分かったでしょ?」
「アリス。あんたの事今度からおかんって呼ぶわ」
「やめて? 未婚でしかも自分よりも先に生まれた人に呼ばれたくないよ?」
「いやいや。あんたの包容力はまさしくおかんや。きっと男にもモテモテなんやろな」
「男の人にはさすがにやってないよ」
僕も男だ。変に優しくされると勘違いするなんてのはよくある事だというのは知っている。
前線基地で少し加減を間違えたお陰で変な人が増えたからそれ以来自分の身を守る為に男相手には自重しようと堅く心に決めたんだ。
それにアールスとフェアチャイルドさんにも注意されたからね。男には厳しく行きます。
「もったいないな~」
「ガーベラも、アールスも気を付けるんだよ? 男ってのは下手に優しくすると勘違いして自分の事を好きだって思い込む生き物なんだから」
「それは言い過ぎやろ?」
「それ位用心はしろって事だよ」
「……」
アールスが何かを言いたげに僕とガーベラを交互に見る。
恐らくツッコミたいけどガーベラがいるから出来ないんだろう。
「別に好意を持たれるのはいいんだよ。ただね、中にはすごく乱暴な手段を取る人もいるから、優しそうな人でも上辺だけっていう人も珍しくないんだ」
「なんや実感篭っとるな」
「旅の途中で何人もいたからね」
「!? ナ、ナギ襲われたの!?」
「僕じゃなくてカナデさんが被害者だよ。もっとも、全部カナデさんが返り討ちにしたけどね」
カナデさんの武勇伝を語り出すと二人は真剣な表情で聞き入る。
話し終わる頃になるとカナデさんを称える言葉が二人から出てきた。
……少し誇張表現があったのは否めない。
注意喚起はこれくらいでいいだろう。でもこのままだと男の人に対して敵意を持ってしまうかもしれない。少しは持ち上げておこう。
宿に戻ると疲れた体を休める為僕は汚れた服を着替えてからベッドに倒れ込んだ。
本当は汚れた服をつけ置きしておきたいんだけれど、そんな余裕もなく僕の瞼は重く閉じられた。
そして、次に目が覚めた時には僕の目の前にはフェアチャイルドさんがいて僕の頭を撫でていた。
暗い部屋の中は淡い光に照らされて彼女の顔とその周辺だけが辛うじて見える。
「……おはよう」
「おはようございます。ナギさん」
上半身を起こすと彼女は残念そうな表情をして伸ばしていた手を引っ込めた。
「今何時頃?」
「つい先ほど完全に日が落ちました」
「そっか。ナス達の所に行かないと」
「ナスさん達のお世話はサラサ達とカナデさんがしてくれています。ナギさんは休んでいてください」
立ち上がろうとするとフェアチャイルドさんに僕の肩を押してベッドの中へ戻された。
部屋の中を見渡してみると確かにフェアチャイルドさん以外の姿はない。
「でもマナポーションが」
「作り置きのがあるじゃないですか」
「ん……じゃあ持って行ってくれる?」
「ナギさんが寝ている間にカナデさんがもう持っていきました。一緒に戻ってきて寝ているナギさんを見つけたから私だけ残っているんです」
「そうだったんだ……アールスとは会った?」
「いえ、会っていません。……あの、試合はどうなったんですか?」
「僕の完敗だったよ」
「そう……ですか」
「……そうだ、フェアチャイルドさんはアールスが精霊魔法使えるって知ってた?」
「え? はい。知っていますけど」
「あっ、知ってたんだ」
「精霊魔法の補講に行っていた子から聞きました。確かシェリルという名の土の精霊です」
「そうだったんだ……知らなかった。戦いの最中に精霊魔法使ってきて驚いたよ」
「アールスさんナギさんに話していなかったんですね……そう言えば私もアールスさんからは聞いた事がないです」
「驚かせようとしていたらしいよ?」
「まぁっ。それでしたら私も驚いた事にしましょう」
「んふふ。そうしよっか」
「はい」
僕達は薄暗い部屋の中まるで悪だくみをするように笑い合った。
今までの人生の中で一番優しく癒された女性の声を想像してください。それがナギの声です。