遠出
アールスが休みの日、僕達は朝早くから遠出の支度を進めていた。
支度と言っても大半は昨晩のうちに準備し終えている。寝間着から着替え髪を整えるだけで終わりだ。
行先は要塞の中で倉庫街からもあまり離れていない場所なので最低限の武装だけ持っていく。
昼食は現地で自分達で作る予定だ。
アールスは小母さんから料理を習っているらしく手伝ってくれるらしい。
それと一昨日ガーベラの参加も決まった。仲が良くなったからアールスが誘ったんだ。
もう一人の子も紹介したくて誘ったらしいが用事があるみたいで来れないみたいだ。王女様を誘って大丈夫何だろうか。
食事を取ってから宿を出て、魔獣達の所へ行く前に念の為組合へ寄り治療の依頼が来ていないか確認しておく。
来ていたら遠出が出来なくなるけど、幸い今日は依頼は来ていなかった。
安心して組合から出て隣にある預かり施設へ向かう。
手続きをして魔獣達を外に出しアールス達との待ち合わせの場所に向かう。
待ち合わせ場所は住宅街と倉庫街の境目だ。
馬車の通らない大きな魔獣も通行可能な道を歩き目的地を目指す。
アースは身に着けているコサージュを見せつけたいのか周りに人がいないのが不満そうだ。
ナスはくつわに手綱、それに鞍と言うフル装備でどこか誇らしげに胸を張って跳ねているように見える。というか乗って欲しそうにちらちらとフェアチャイルドさんを見ているような。
フェアチャイルドさんはナスの視線に気づいていないのかライチーとお喋りをしながら歩いている。
リボンを身に着けたヒビキはカナデさんの腕の中だ。今日は普段着なので軟らかさを満喫しているだろう。
待ち合わせ場所に行くとアールスとガーベラはすでにそこにいた。
「でっか! めっちゃでっか!」
離れていてもガーベラの大きな声はよく聞こえてくる。
苦笑しつつ近づき魔獣達の紹介を簡単にする。
「ほんまに魔獣使いなんやな」
「ガーベラちゃんってば言っても信じなかったんだよ」
「そないなこと言うたかて、アールスに勝てるのに戦闘に関するもんに補正が一切ない職業に就いてるとは思わんやろ」
「それはまぁたしかに……」
「てかその、なんや? ナス? の背中に乗っとるんはなに?」
「鞍だよ」
「なんでそんなもんつけてんの?」
「ナスは人を乗せるのが好きなんだよ」
「大丈夫なん? 人乗せて平気なん?」
「うん。ナスは騎獣の職業に就いてるから補正が効いてるみたいだし、ちゃんと乗って確認もしたよ」
「はっ? 動物って職業に就けるん?」
「それは私が保証するよ。ナス達が職業に就けたってこと手紙で教えてもらった時お母さんに話してね、お爺ちゃんの所のお馬に試してみたらちゃんと職業に就けて商品を運ぶのが楽になったって喜んでたよ」
「なんだ。もう試してたんだ?」
「えへへ」
ちゃっかりしているというかなんというか。まぁ普通の動物でも就ける事が分かったのは朗報かな。
「そういえば二人は職業に就いているの?」
旅に出ていて手紙の返事を貰う機会がなかったから僕はアールスがどんな職業に就いたのか知らないのだ。
「私は神聖騎士についてるよ」
神聖騎士は騎士の上位職で普通騎士を経由してからなるものなんだけど、そういえばアールスは最初から神聖騎士が出ていたんだっけ。
神聖騎士は騎士の補正効果をさらに強めそこに神官の補正も加わり、神との繋がりや魔力操作に補正がかかるはずだ。
「うちは重戦士やな」
予想通り重戦士か。重戦士は戦士とはつくが別に戦士の上位職ではない。
戦士は武器全般が得意になるが重戦士は重い武器限定なので、剣士や槍士などと同じ扱いだ。
「騎士って確か騎獣に対する補正があったはずだよね」
「うん」
「じゃあ動物に乗れば酔ったりしないの?」
「しないよ。試してみたもん」
「そっか。じゃあ馬車とかは平気になったの?」
「……」
アールスが露骨に目を逸らした。まだ乗り物は駄目なようだ。
しかし、アールスは平衡感覚は悪くないだろうに酔うって事は心理的な物なのだろうか?
例えば最初に乗った時の事が軽いトラウマになって不安になっているとか?
あの時戻しちゃったから苦手意識を持っていても仕方ないか。
僕達は話をしながら倉庫街を出る。
首都では出入りの検問は要塞で行われる為街の外は要塞の所まで自由に行動する事が出来る。
何故都市と違って首都にそのような余地があるのかと言うと、万が一要塞が突破された時にすぐに街へ被害が及ばないようにする為の処置だ。
住宅街の周りに倉庫街があるのも人の住んでいない建物を盾にし市街地戦を強要させるためらしい。
要塞が突破されるほどの危機にどれほどの効果があるかは分からないけれど立て直すための時間は稼ぐ事は出来るのだろう。
街を出た後は特に目的地は定めていない。今回の遠出は魔獣達の散歩と首都周辺の観光目的だからだ。
もっとも、要塞の内側には森は無く、たまに背の高い木々や低木が生えているだけで大半は家畜を飼っている牧草地や田畑な為観れる範囲はそう広くはない。
抜けるような青空。遠くには積雲も見える。グランエルでは夏はそれなりに暑くなるが雨も多くなる季節だ。首都周辺だとどうだろうか。
グランエルよりは北に位置しているので気温は低いらしいが、海からも北の沼地からも遠い所為か雨が多いとは聞いた事がない。
今日は気温はそれほど高くないが良く晴れている為日差しが気持ちいい。ナスも嬉しそうに野原を駆け回っている。
時々僕の方を見てくるのは早く乗ってほしいからだろう。元はナビィなのにどうしてそこまで誰かに乗って欲しがるのか?
「ナギさん。そろそろお昼の時間じゃないでしょうか」
「あれ? もうそんなに歩いてた?」
「街から外に出るのは時間かかりますから」
「ああ、そうだよね」
うっかりしていた。倉庫街を出てから時間の経過を気にしていたけど、宿からだと時間がかかるんだった。
方位磁石を出して太陽の位置を確認してみると確かに正午の位置に達している。
そこでようやく自分のお腹も昼食の時間だと主張していることに気づいた。
歩いて風景を見ていただけだけどどうやら空腹を忘れるくらいには楽しんでいたようだ。
一見何もない野原だけれど、見た事のない花が咲いている。
グランエルに移る前は毎日草原を眺めてまだ見ぬ世界を想像していた僕にはそれで十分すぎる。
この世界は当時思い描いていた世界とは違うけれど、それはどこの世界でもきっと同じだ。想像を凌駕する世界なんてそうそうないだろうけど、今この野原に咲く名も知らない花のように見た事のない物を見る事が出来る。それが楽しいと思えるようになるなんて、前世の僕では思いもよらなかっただろうな。
「じゃあそろそろお昼にしようか」
フェアチャイルドさんと頷きあってから他の皆にも声をかける。
僕とアールス、それにフェアチャイルドさんの三人でお昼は作る。
ガーベラも一応は作れるらしいが得意ではないらしく一緒に料理しようと誘いはしたが辞退されてしまった。
アールスの手際は良かった。最近フェアチャイルドさんは食材の大きさを均等に切る事が出来るようになってきたが、アールスはさすがと言うべきか包丁さばきは僕よりも上手だった。
味付けは僕が担当した。アールスが僕の料理を食べてみたいと言ったからだ。
とはいえ僕はベルナデットさんから料理を教えて貰ってから特別手を加えた事はない。
元々前世での料理知識なんてほとんど持っていない僕の知識はこっちで得た物ばかりだ。
違うと言えば調味料の量くらいだろうか。それだって余裕がある時や疲労が溜まっている時は多めにして、それ以外の時は節約している位だ。そうそう食材の大きさが均等なら味に違いなんて出ないと思うが。
なんにしても楽しみにしているというのならスープをかき混ぜる力が入る。っていけないいけない。ゆっくりとかき混ぜないと具がつぶれてしまう。
無事料理が出来上がり食べる段階になるとアールスとガーベラは僕の味付けを褒めてくれた。
ただガーベラは量が少なかったようだ。余分な分がないから我慢してもらったが、少し可哀そうな事をしてしまっただろうか? 次からはもう少し量を用意しておこう。
口に合ったようで何よりだ。
食事を終えると食休みの時間を挟み魔獣達の体毛を梳かす。
これにはガーベラも手伝ってくれた。
どうやら身体の大きなアースに興味があるようで率先して櫛を入れてくれた。
「あんたほんまにでっかいなー。それにめっちゃきれいな毛やね。真っ直ぐで羨ましいわ」
「ぼふぼふ」
梳く度に褒めるものだからアースの機嫌ゲージが限界突破しそうだ。
「うちもなー。もっと真っ直ぐならええねんけどなー」
「ぼふ……」
髪の悩みというのはどこの世界でも、男でも女でも同じようにあるんだな。
しかし、縮毛矯正か……たしか何か塗るんだよな。僕はした事がないし成分なんて全く覚えてないので何を使えばいいのか分からない。
この世界にも矯正用の薬はあるのだろうか。
「ぴーぴー」
考え事をしているとナスが僕の手を引いてきた。どうやら我慢の限界らしい。
「分かった分かった。毛は梳き終わった?」
「ぴー!」
「じゃあ乗るね」
鞍にまたがりあぶみを履く。重くない? とはもう聞かない。ナスに揺らぎはない。これなら大丈夫だと自信をもって乗る事が出来る。
「うん。あるのとないのとじゃ大違いだな」
「いいなー。私も乗りたい」
馬車酔いしやすいのにアールスは羨ましそうな目で見てくる。動物なら平気と踏んでいるからだろう。
「んふふ。じゃあちょっと走ったら次はアールスの番ね。ナスもそれでいい?」
「ぴー」
「早くしてね」
ナスの首筋を撫でてから僕は手綱を持つ。
さて、どうすればいいのだろう。馬と同じでいいのだろうか? 御者の訓練はした時あるけれど、馬に直接乗った事はない。
とりあえず御者の時と同じ要領で手綱を操ってみる。
「ぴー?」
なぁに? と聞いてくる。
なるほど。あらかじめどういう意味の合図かを教えておかないと駄目だったか。考えてみると当たり前か。
訓練の時はすでに訓練されていた馬を使っていたからな。合図は走りながら教えよう。
「今のは走れっていう合図だよ」
「ぴー!」
ナスが走り出す。
何もない時よりも安心感が増している。
風を切り、風景を駆け抜け僕達が一体になったような錯覚。
説明をしながら手綱を操る度に一体感は強くなっていき、何度か乗っているというのに初めて体験する未知の領域。
前乗った時とは全く違う。まるで本当に自分の足で走っているかのようだ。
「楽しいねナス」
「ぴー!」
目を合わせてるわけでも、顔を見ている訳でもない。言葉を聞くまでもなくナスも楽しんでいる事が手に取るように分かる。
きっとナスにも僕の気持ちは通じているだろう。そんな風に信じられる不思議な時間。
けれども、信じられるからと言って今の僕には気持ちを口にしないという選択肢はない。
「もっとこうしていたいね」
「ぴー!」
「んふふ。これからもよろしくね。ナス」
「ぴーーーーーー!」