アップル狩り
レーベさんと昨夜話をしていい事があったのかフェアチャイルドさんの機嫌が傍から見てもとても良い。
鼻歌を歌いそうなほど機嫌がいい。……もしかしたらアップル狩りがあるからかもしれないけど。
普段はすまし顔であまり表情を変えないおしゃまさんだけれど今の彼女の顔は年相応のかわいい女の子だ。
カナデさんが何かあったのかと聞くと彼女は弾んだ声でレーベさんと話をして一緒に寝た事を語った。
やはり彼女にとってレーベさんがお母さんなんだな。
でもレーベさんを前にしなくてもシスターという言葉に副音声が微かに聞こえてくるような違和感を感じるようになっている。昨日の晩シエル様に相談してみたけれど分からなかった。なんなんだろうか。
それにしても昨日は色々考えさせられた。フェアチャイルドさんがあんな事を考えていたなんて。
優しくしたら死を思い出す、か……。
初めて彼女の中のアールスに触れた気がする。
アールスがいたから結果的に上手くいったようだけれど、ただ優しくするだけでは相手を追い詰める事になるんだな。
運が良かったたんだ僕は。ほんと僕は何をしていたんだろう。
一人項垂れているとフェアチャイルドさんに心配されてしまった。
いけないいけない。心配させては駄目だ。気を取り直していかなければ。
朝食を食べて少しの食休みを挟んだ後僕達は仕事の為村長さんの案内で森へ連れられた。もちろんナス達も一緒だ。
アップルを育てている場所は森の入り口に近い南西部にあり、森からは少し離れた場所にある。
この世界のアップルの木は、僕が記憶している林檎の木よりも大きい。おかげで遠目からでもアップルの木は規則正しく植林され並んでいるのがよく見える、
近くまで寄れはアップルの香りがしてくる。
アップル園にはすでに村人が幾人もいて準備をしていた。
村長から説明を受けて道具を貸してもらう。
使うのは背の高い脚立に刃がのこぎり状になっている大きな金属のナイフ。そして採ったアップルを入れる籠だ。
脚立は大きくアースの体高よりも少し低いくらいだ。……あれ、これって。
「フェアチャイルドさん。アースに乗ってアップル取ったらどうかな?」
「アースさんにですか?」
「うん。高さ的に丁度いいから上り下りしない分楽じゃないかなって」
「私が乗っていいんですか?」
「フェアチャイルドさん乗せて作業して貰ってもいいかな?」
「ぼふ」
「いいって」
「いえ、その……ナギさんは乗らなくていいのかなって」
「僕は脚立で低い所のアップルを採るよ。アースに乗ってたら低い所のは取り難そうだからね。それに一杯になった籠を交換するのにも誰かいた方がいいだろうし」
「つまり共同作業ですね!」
「そうだね」
一緒にやるのがそんなに嬉しいのか。女の子らしいな。
「ナギさんとの共同作業……フヒッ」
「ふひ?」
「んんっ。……ちょっと喉に埃が。恥ずかしいです」
「乾燥してるもんね。マスク着けたら?」
「そうします」
フェアチャイルドさんは腰の小袋からマスクを取り出しつけた。久しぶりにマスク姿を見る。
マスクを着けた彼女にカナデさんが興味深そうにマスクの事を聞いてきたので僕が答えておいた。
羨ましそうにしていたけれど今あるマスクはフェアチャイルドさんに合わせて作られた物だけだから未使用の物はないし大きさも合うか分からない。
そう伝えると残念そうにしながらも諦めてくれた。
そろそろフェアチャイルドさんの持っているマスクの大きさが合わなくなってきているので新しいのを作る時に全員分を作っておいてもいいかもしれないな。
フェアチャイルドさんにアースの背に乗って貰い準備を終える。
ナスとヒビキは手伝えないから二匹には獣が寄って来ない様に周囲を見回って貰う。
ナスは早速ヒビキを背に乗せて走り出した。
ヒビキはナスに乗って走って貰っているのが余程嬉しいのか楽し気な鳴き声を上げている。
羽に指もないのによく落ちないなとも思うかもしれないけれど、ヒビキのはんぺんの様な厚く柔らかい足は意外と握力が強い。
恐らく跳ぶ時にどんな地形でも安定して跳べるように鍛えられているんだろう。おまけにヒビキの就いた職業はカナデさんと同じバランス感覚が良くなり身のこなしが軽くなる曲芸師。ごつごつしている岩の横面に立っているヒビキを見た時は本当に驚いた。しかもそのまま僕に向かって跳んできたのだ。
そんな訳でヒビキがナスから落ちると言う心配はしていない。ナスの様子からも痛くない程度に加減しているようだしナスの方も問題ないだろう。
ナス達から目を離し目の前の仕事に集中しなければ。
精霊達も手伝ってくれるようで石から完全に出て来てアースから離れた場所にある木へ道具を持って向かって行った。
丈夫そうな木で出来た脚立を組み立て一番近くの木へ向かう。
アースには僕の反対側に行ってもらう。さすがに横に居られたら怖い。
魔法で足場を作れば安心なんだけどな。やっちゃ駄目だろうか。他の村人は誰も魔法を使う気配ないんだよな。
もしかして木の根っこを傷つけない様にする為だろうか。アイスウォールも冷気は木に良くないかもしれないし、脚立でやるのが正解なのかもしれない。
脚立を昇りナイフでアップルのへたを切り片腕で抱えた籠の中に傷がつかない様に気を付けて入れる。
籠が半分くらい埋まった所でフェアチャイルドさんから声がかかった。籠が一杯になったらしい。
アースに近くに来てもらい自分の籠と彼女の籠を交換し、一杯になった籠を持って脚立を降りて中身をすべて大きな木箱の中に入れておく。
空になった籠を持って戻ると籠をもう一度交換した。
もう一度アップルを木箱に入れに行き、戻って作業の続きをする。
この方法はフェアチャイルドさんの方はいいけれど僕の方の効率がよろしくない。このままでは上の方が早く終わってしまう。
空いている籠が複数あればアースに括りつけてかなりの数のアップルを溜め込める事が出来たのだけど。
カナデさんに手伝って貰うか。数は力だ。
一本の木を三人で採集していると僕の採れる高さにあるアップルが真っ先に無くなってしまった。
ウィトスさんは身長は低い方だけれど僕よりかはまだ高いし、腕だって大分長い。採れる範囲が僕よりも広いが為に起きてしまった事だ。
あれ? 僕いらなくない?
いやいや、少しでも早く終わらせる為なら猫の手だって役には立つさ。
フェアチャイルドさんの補助をしつつアップルを採り、疲れたら遠くで見回りと言う名の遊びを満喫しているナス達を見て癒されていたらあっという間にお昼になった。
お昼は作業場から少し離れた場所で用意された食事を村人と一緒に取る事になった。
ナス達を呼びに行き戻るとフェアチャイルドさんは村人達に囲まれていた。
どうやら成長した彼女と話をしたかったみたいだ。困った顔をしているが迷惑ではなさそうだし邪魔する事はないだろう。
カナデさんの隣に座ると村人達の興味が僕の方にも向いてきた。どうやら友人として興味を持っているらしく話の矛先が僕の方へ向いてきた。
病気の事は曖昧に話しつつもフェアチャイルドさんの事を中心に話は進んだ。
どうやら昔はこの村には子供がフェアチャイルドさんたった一人しかいなかったらしい。
この村は果実などの作物を出荷してはいるが本来の役割は精霊術士を育てる為の村だという。
幼い頃から精霊と関わらせる事によって心を通わせ協力関係を作りやすくしているんだとか。フェアチャイルドさんもこの村のやり方に従って幼いながらも三人の精霊と契約を果たしたんだ。
そして成長し精霊術士となった子供は都市で就職したり、軍に入ったり、冒険者となる事がほとんどの為村に帰ってくるのはあまりいないんだそうだ。
それでもこの村が問題なく存続しているのは子供を精霊術士にしたい夫婦がやってきたり冒険者をやめて戻ってくる人がいて村の形を保っているらしい。
で、フェアチャイルドさんがまだこの村にいた時に子供は他に誰も居なかった為村人全員に思いっきり可愛がられていたらしい。
占い師の話が始まり結果の話が出ると僕とフェアチャイルドさん以外の全員が泣き出してしまった。……全員と言うのはカナデさんも含めてだ。
仲の良かったおばさんの死を境に引き籠るようになった辺りはまるでお通夜の様に沈んでいた。もちろんカナデさんも。
グランエルに来てからの彼女は僕が話した。
会ったばっかりの頃は青白い肌に細く華奢な手足、表情もお世辞にも良くはなかった。今思えば病的とまでは行かなくても健康的とはいいがたい姿だったように思える。
それが今ではどうだろう。肌は白いけれど、それは不健康だからではなく恐らく遺伝的な物だからだ。不健康どころか張りと血色が良く健康的な白い肌をしている。身体も痩せてはいるけれど同世代の女の子と比べて華奢と言う印象が持たれない程度には筋肉がついている。何よりも表情があの頃とは比べ物にならないくらい明るくなった。
話が三年生に入る所で昼休みが終わった。正確にはまとめ役の人が長くなった休みを切りのいい所で終わらせたんだ。
午前中と同じように協力し合ったお陰か予定よりも早く今日の分を収穫し終える事が出来た。
依頼は今日一日だけ手伝うという事なのでこれで依頼達成だ。
仕事終わりに手伝ってくれたお礼にと魔獣含め全員分のアップルを貰った。フェアチャイルドさんの分は特に出来のいい物に見えるのは気のせいではないだろう。
フェアチャイルドさんは貰ったアップルを大事そうに両手で包んでいる。
今日も教会に泊まる事になっている。夕食はレーベさんが作ってくれるのだけど、今アップルを食べると夕食が入らなくなってしまうだろうから後で食べるつもりなんだろう。
アースは夕飯替わりがマナポーションなのでそんな事は気にせず貰ってすぐに食べてしまった。流石にアップル一個では物足りなかったらしくナスに対して猫なで声でナスの分を要求していたが、ナスはそれを拒否しさっさと自分の分を食べてしまった。
ヒビキはアップルが大きかったらしく食べにくそうにしていたので僕が切ってあげると一つ一つゆっくりとしっかり噛んでから飲み込んだ。初めて食べる物だから慎重になっていたようだ。ナスとアースはヒビキの野性を見習ったらいいと思う。
教会に戻るとレーベさんが出迎えてくれた。
まだ夕食を作り始める前だったようでこれから作り始める事を告げてきた。
そこでフェアチャイルドさんがそれならと手伝いを申し出た。レーベさんは驚いた表情を浮かべたがすぐに微笑みその申し出を受けた。
ここは二人きりにした方がいいかもしれない。
「カナデさん。夕食まで特訓に付き合ってくれませんか?」
「いいですよぉ」
「じゃあそういう事でフェアチャイルドさん。夕飯楽しみにしてるね」
「任せてください」
そう彼女は強気に胸を張って答えた。
部屋に行き武具を持って空地へ向かう。
カナデさんの武器は僕の予備の木剣だ。カナデさんに木剣を渡しお互いに少し離れた場所で向かい合う。
始まりの挨拶をし僕は盾を前に出し構える。
カナデさんとは三度この形式で特訓をしている。
剣術は苦手だと言っていたけれど、それでも身のこなしは軽く僕からしたら強敵と言えるほどに強い。でも勝てない相手じゃないから中級の冒険者という事を考えるとやはり苦手なんだろう。あくまでも苦手でも最低限の動きは出来るようにはしているという事なのかな。
カナデさんの木剣を盾でいなしつつ隙が出来た所を狙うと言うのが今の僕の戦い方だ。
守れるように。今はそれだけを考え盾に慣れるように特訓をする。攻めを考えるのは後だ。
それにしてもカナデさんの身体は柔らかい。アイネよりは動き回らないけれど、柔軟さにかけてはアイネ以上と言っても過言ではない。いや、さすがに十五歳と九歳の子を比較するのは間違っているか。
とにかく当てたと思っても紙一重で身体を曲げて避けられてしまう。
目もいい。さすが目に関する固有能力を持っているだけの事はある。
おっとり系の見た目に反して筋力もあるから一撃が重い。攻めの動きが単調だから余裕をもって防げるけれど、これでアイネの様な動きをされたら僕なんかじゃ相手にならないだろう。
倒れにくく受けやすい。始めたばかりの盾の特訓相手としてはやりやすいが物足りなさも感じてしまう。
それにしても身のこなしが似ているせいかついアイネを思い出してしまう。……特訓中に過去の事を思い出すのはよろしくないな。カナデさんにも失礼だ。
蘇りそうになったアイネとの記憶をしまいカナデさんに集中する。
カナデさんは突きを主体にし時折斬りを混ぜてくる。突きは盾で受け止め斬撃は弾くか避けて対処する。なるべく攻撃が後方へ行かない様に受け流しはしない。
僕の目指す戦い方はあの子を守る為の物。流れ弾があの子を傷付けない様に意識して防ぐ。
反撃の方はあまり功をなしていない。精々がカナデさんの攻め手を妨害くするくらいにしか機能していない。もう少し攻めるべきか。
攻めと守りのバランス調整は相手によって変わるから難しい。カイル君が相手なら守りを大目にしないとすぐに食いつかれる。アイネの場合は少しでも攻めっ気を削る為にこちらも攻めなければきつくなる。
カナデさんはどうだろう。恐らく攻めた方がいいとは思うのだけれど、カナデさんの突きを受け止める度にその衝撃に決心が鈍ってしまう。
単調な突きとはいえ威力は高い。もしも受け止めそこなったら僕は一撃で倒れてしまうだろう。特訓の度に確実に鋭さが増しているため悩まされる。