前線基地
行軍は滞りなく行われ予定通り軍の合流地点に辿り着く事が出来た。
目的地には僕達グランエルからの援軍とほぼ同時に北の都市ナチュルからの援軍が到着した。
西の都市スキエルからの援軍は三時間ほど遅れているらしい。西の方に旗がうっすらと見える。これなら僕が先行するという事はないだろう。
一先ず安心して胸を撫で下ろした。
実際に伝令からも待機の命令が来ている。
僕は今アースの首の上に乗っている。今、と言うか行軍中はずっと乗っていた。
軍隊での行動は普通に歩くよりも遅くなるって聞いた事があるような気がするけど意外とそうでもないようだ。
兵士達は重そうな装備を付けているのにそれを苦にせず歩いているから普通に歩くのと変わらない速度で辿りつけたんだろう。
それでも疲れは出ているんだろう。大休止と言う号令と共に皆荷物を地面に降ろし地面に腰も下ろしている。
冒険者の方は交代で休むつもりなのか周囲を見張っている人と地面に座っている人がいる。
ウィトスさんはアースの背に乗って周囲を見渡している。アースが歩いている最中でもウィトスさんは背に立っていた。弓使いだから高い所から見張る方が都合がいいのかもしれない。
空は雲が覆っていて青空は隙間からしか見えない。
フェアチャイルドさんは元気にしているだろうか……。
魔力節約の為に文字通り何もせずにアースから降りる事なく僕は待つ。そして、三時間が過ぎた頃スキエルからの援軍と合流し前線基地へ進軍を開始する。
戦況については僕の方には伝わってこない。ただ、護衛の冒険者達には前線基地周辺の情報は渡っているらしい。僕に情報が来ないのはただの回復係だからなのと子供だからだろう。
何があるのか分からないと怖いけれど、どれくらい魔力を使うか分からない今『蜘蛛の巣』を展開するわけにはいかない。
ゆったりと軍は進んでいく。
大体四時間ほどで前線基地が見えてきた。
ここから見える前線基地の外観は武骨で飾り気のない四角い建物だ。近づくにつれてその全貌が明らかになる。
遠くからでもよく見えた建物を囲むように頑丈そうな塀が囲っている。さらにその僕から見て左右に建物の半分ほどの高さの壁が地平線の向こう側まで続いている。
万里の長城かと思うほど長い壁は魔の平野を遮っている壁だ。
切り揃えられた単一の岩を横一列に突き立てた様な絶壁の壁は高階位魔法『ストーンウォール』によって作られた壁だ。昔はただの土の壁で前線基地が更新される度にいちいち繋ぎ直されていたらしい。
今では開拓する事が無くなったため石の壁に変えて守りを強固にしていると学校で習った。
建物を囲っている塀も同じ物で出来ている為そう破られるはずはない筈なんだけれど。
「あれが突破されたのか……」
三年前、アールスのお父さんが死んだ時の事は忘れられない。魔物達の目的は知らないけれど前線基地が突破された事は間違いはない。
殿を務めた村人や前線基地の人々以外からは死人は出なかったようだけれど、前線基地の修繕と人員の補充が終わるまであの年の都市外授業は行われなかったらしい。
一体どんな手段で魔物達は前線基地を攻略したのだろう?
僕には前線基地の地面を魔法で空洞にして地盤沈下を起こしたり数の暴力で地形を整えた後魔法で水を出し水攻めするか空気を操りこの辺一帯を真空状態みたいにして酸素をなくすか……逆に酸素濃度を増やしてもいいかもしれない。自然界の毒を風に乗せてばら撒くと言う手もあるか。
それぐらいしか思いつかないな。でも当然そんなのはちゃんと対策されているだろう。地盤沈下や毒の風は結界で魔力や魔素の干渉を防げる。
水だってウォール系の魔法があれば水を誘導できるだろう。
空気に関しては自分達で風を操ればいいんだ。難しい事じゃない。
やはり力押しに負けたのだろうか……いずれにせよ突破された理由は軍に所属していない僕では理由を知る機会はほぼないだろうな。
塀の手前側には明らかに手っ取り早く魔法で作りましたよっと言った感じの入り口と明り取りの為の穴が開いているだけの土で出来た建物が立ち並んでいる。
ウィトスさんに聞くと後方支援と援軍用の建物で何処の前線基地にもあるらしい。
怪我人が増えてきたらこちらに移すらしいから僕がお世話になる場所だ。
軍隊は一度入り口の前で立ち止まった。
僕は隊の真ん中らへんに居る為前の方の状況はさっぱり分からない。動き出すのを待っていると護衛の一人が僕に声をかけてきた。どうやら僕はここで隊から離れるらしい。
声をかけてきた冒険者が指さす先には神官服を来た神官がいた。
僕は周囲の兵士に声かけながらアースに神官の前まで行くようお願いする。
神官の前まで行くと僕はアースの首から降りてルゥネイト信徒式の挨拶をする。神官はゼレ信徒式の挨拶を返してきた。
胸の奥がちくりとする。ルゥネイト様、許してください。
「初めまして。アリス=ナギです」
「初めまして。グリッド=ノーウィンです。お越しいただきありがとうございます。早速で申し訳ございませんが治療に取り掛かっていただけますか?」
「は、はい。やっぱり怪我してる人は多いんですか?」
「ええ。このような場所は初めて……ですよね?」
「初めてです……」
「自分である程度は回復できる分無茶しやすいんですよ……それで結果身体を欠損する人が多いのです」
「そう……なんですか」
「特に今回は……いえ、あまり話している余裕はありません。治療院へ案内します。こちらへ」
「はい」
護衛の人達と一緒にノーウィンさんの後ろをついて行く。
案内されたのは壁からは大分離れた所にある平屋で広い建物だ。
アースと荷車はとりあえず邪魔にならない場所にいて貰って、樽を自分で一つ、護衛の人達にも持って貰ってから僕は建物の中に入った。
建物の中に入った途端僕は自分の心が落ち着き始めたのを感じた。僕はとっさに後ろに下がり建物から出た。
「どうしたんですかぁ?」
僕の後ろにいたウィトスさんが聞いてきた。先に建物の中に入っていた神官さんは何か知っているのか僕を見て微笑んでいる。
「なんだか、変な感じがして。なんというか心が強制的に落ち着くような」
「ああ~それは魔法ですよぉ。たしか神聖魔法のぉ……」
「ああっ、『戦士の休息』ですか? たしか軍神ゼレ様の特殊神聖魔法ですよね」
「その通りです。この建物にゼレ様の神官の魔力を充満させ『戦士の休息』を使い怪我人の気持ちを落ち着かせているんです」
「そうだったんですか」
自分の心が操られているようであまり好きな感じではなかった。けど、そういうのもこういう所では必要なんだろう。
気持ち悪さを覚えながらもう一度建物の中へ入る。
気持ち悪ささえも消えていく。でもそれがまた不快感を産み、その不快感さえもすぐに消えていく。気分が落ち着くからって別に心地の良い空間だと感じるわけでもない。なんだか頭がおかしくなりそうだ。
怪我人のいる部屋に近づくとかすかに甘い香りが漂っていた。割と当たり前に使われている香水に似た香り……多分ヘレナという花の香りだ。
香りと魔法の効果が合わさってさっきまで感じていた違和感が薄れていくような気がする。
「この香りは……ヘレナの香りですね」
「先ほどのナギさんの様に魔法の効果だけで落ち着かせようとすると違和感を感じる人は多いんですよ。だから香油を使って気持ちが落ち着くのはこの香りのお陰だって錯覚させているんです」
「なるほど。元々この香りも沈静効果があるから勘違いさせるにはもってこいですね」
部屋の中に入ると熱気のこもった空気が僕達を迎えた。急に温度が変わるこの感覚に覚えがある。多分魔法で室内の温度を上げているんだ。
部屋の中には沢山の人がいて入ってきた僕達を見ていた。
脚がない人。腕がない人。お腹を抱えている人。身体の一部が炭化している人。目を覆う様に包帯を巻いている人。一見怪我が無いように見える人もいるが、それは内臓を欠損している人なのだろう。
血の匂いはしない。恐らく傷口はヒールで塞いでいるんだろう。アイネみたいな例外でもない限り誰でもヒールは使えるからこの世界では外傷をすぐに塞げる為出血多量で死ぬと言うのは少ない。
死ぬとしたら即死の攻撃を受けた時くらいだ。だから、ここにいる人は多いんだ。軽傷なら自分で治せる。そしてその分無茶だってできる。その無茶の代償がここにいる人達の怪我だ。
でもここにいる人達の表情を見るに誰もが絶望の顔は見せていない。魔法の効果かもしれないけれど悲壮感は全く感じられない。何というか覚悟してきた自分が馬鹿々々しく感じられるほどだ。
自己紹介をせずにマナポーションの入った樽を隅に置いてから近くにいる人に声をかけてパーフェクトヒールをかける。
現状僕のパーフェクトヒールは練度が低い為ピュアルミナよりも燃費が悪い。二年前よりも魔力の容量は増えたとはいえそれでも四回が限度だ。
パーフェクトヒールは欠損した部分を直すのに時間がかかる。今治している人は右腕の肘から先が無くなっている人だ。無くなった部分に光が徐々に集まって行く。
その光景を見ていた周りの人達から驚きの声が聞こえてくる。僕のような子供が使っているのが驚きなんだろう。
パーフェクトヒールを使ったのは実はまだこれで二回目で、一度都市からの依頼で使ったきり。だからまだどんな魔法なのかは把握しきれていない。
分かっているのは時間をかけて光が集まり徐々に欠損した部分と同じ形になって最終的に光が血肉骨となる。もうどういう原理なのかはさっぱりだ。これだから神の奇跡って言われるんだ。
前に使った時は中指だった。事故で失ったらしく、治すのに三十分ほどだったろうか? それくらいかかった。
今治している前腕は明らかに一時間以上かかっている。やはり大きさによって変わるんだろう。
夜になっても僕の仕事は終わらなかった。数は徐々に減ってきているんだけれど、夜になっても戦闘は続いているらしく遠くから爆発音が聞こえてくる。
大砲みたいなものはこの国にはまだないはずだから多分魔法の音だろう。
「お嬢ちゃん。怖いか?」
治療中の髭面のいかつい中年の兵士が僕に声をかけてきた。爆発の方向を見たのを僕が恐れたからだと思ったからだろう。その通りです。
「はい……」
恐ろしさは感じてもすぐに消えてしまう。危機感まで消えてしまいそうでここにいるのはやはり怖い。
「なぁに。嬢ちゃん達のお陰でもうすぐ片が付くさ。相手は幾ら多くても下級の魔物ばっかだ」
「脚を切り落とされておいて説得力ないですよ」
「まぁ数が数だからな。ちょいと油断しちまってな」
「それに中級の魔物もいるって聞いてますよ。無理はしないでくださいね。怪我をして脚一本で済んでいますけど、死んだらそれまでなんですから」
「ははっ、確かに死んだらそれまでだ!」
「笑い事じゃないですよ。こんな怪我して……よく無事ですよね。どうやって戦線から撤退しているんですか?」
「ああ、仲間が援護してくれるからな。手遅れになる奴もいるが……」
「難しいのかもしれませんけどあまり僕達に頼らないでくださいね? もしも撤退に失敗したら……」
「嬢ちゃんは心配性だなぁ。まっ、援軍も来てこうして治療を受けられるくらいには余裕が出たんだ。精々気を付けるさ」
「約束ですよ?」
「おう」
「治った後は思うように動かないかもしれませんから無茶しないでくださいね」
「わかってるって」
戦える人が減ったらその分あの子への危険が高まってしまう。だから本当に自分の身を大事にして欲しい。