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族長への拝跪、熱く

苺複(まいふく)、だったな?なんだ、寒くないのか、そんな格好で。」


 (そう)州の北の端、時節は十二月、領主の館にあって火は焚かれているが、こんな胸もとの大きく開いた服装では、当然寒い。


「ご配慮、恐縮ですわ。」

 (ひざまず)いたまま苺複が上目遣いに答えると、

「ふふ。二年前になるか、二人で来たのは。」

 莞包旅礼甦(かんぽうりょれいそ)は毛皮に包んだ逞しい胸板を反らせつつ、つい、舌舐めずりをしてしまう。



 眞暦(しんれき)1816年12月。葬北山脈の麓にある荊舒林(けいじょりん)の町は、冬枯れの葬州草原にたたずんでいる。

 遊牧民による数千の白い(ぱお)が張られ、遠くからは花畑のように見えた。穣界(じょうかい)等にある農耕民族が造った「町」とは大きく異なる。山脈の南麓にあって、谷間も多く、家畜達が冬の風を避けるにも好都合であった。ここ荊舒林は、遊牧の冬営地として適し、そこそこ活気があった。

 しかし、冬の冷え込みも穣界等とは大違い。苺複の上衣は、折角綿入れで厚手なのに、あえて襟を大きく開いて来ているので、白い胸乳(むなぢ)が室内の寒気にさらされてしまっている。


「膜惹、乳酒を持ってこい。さて、堊蹌(あそう)殿も元気にしておるか?」


 苺複が拝跪している男は、この荊舒林で宿営する中で最大の部族、莞包族の長であった。

 名を、旅礼甦という。


「我が主、堊蹌、本日は参れませず、申し訳ありません。」


 苺複は言った後で、咳き込むのをぐっ、と堪えた。

 ここは旅礼甦の私邸で、その居室だから彼の生活空間なのだが、乾燥してひどく埃っぽい。葬州の中ではそれ程動員兵力は多くはないが、万超の師団は組織可能、その族長の館なのだからもう少し環境が良さそうなものだが、そもそも移動生活を旨とする者たちであり、居館等にさほどの生活環境を求めていないのであろう。


「彼女は、墨銘楼に詰めてございます。」

「む。それぁ、多忙だろうな。特に閲血平(えつけっぺい)から後は。」


 堊蹌は前から多忙であったが、莞包旅礼甦の言う通り、閲血平で塊協半が美獣に勝ってから、その責任は数倍化した。()交相(こうしょう)府に正式採用されて、一気に高官職に就き、外交交渉を一任されたのである。


(この莞包旅礼甦は小勢力とはいえ、堊蹌様が重要視していた者。だから二年前にあのようなことまでした訳だし、派遣されたあたしの責任も重大だわね。)


 苺複は豊かな胸をぐっ、と寄せながら、少し前に膝を進める。

「武門の宿命とは申せ、閲血平では敵味方に分かれ、残念でございました。」

 莞包旅礼甦は椅子にどっかりとのけ反ったまま、側近の害伝膜惹(がいでんまくじゃく)が持ってきた盃を受け取ると、苺複に手渡す。にやけている。

「なあに。芥揚(かいよう)异粽(いそう)の痩せ犬組に言われて、ちびっ、と派兵したまで。わしらはさっさと離脱出来たから、ほぼ無傷よ。さ、ぐっと。」

 言いながら、旅礼甦は盃をあおった。苺複も急かされるように乳酒を干す。

 荊舒林の乳酒は酒精分が高く、きついので有名だったが、彼女にとっては寒さも紛れるし、この後の事のためにも、(私の精神上も、酔ってるくらいが丁度良いかもしれない)と考え、強い酒は好都合であった。

 旅礼甦は今、三十八歳。日焼けした精悍な顔からも、脂の乗りきった遊牧の部族長の充実感が漲っている。


 苺複は、この手の男があまり好きではなかった。


 莞包旅礼甦は太い腕を伸ばして、瓶子(へいし)を傾け、苺複の盃を再び満たす。

「もっと乳酒飲め。しかし秋の『先鋭土突(せんえいどとつ)』は凄かったようだなあ。掬巴且(きくはしょ)でなければ(ねん)州は危なかったな。」

「はい。土哭(どこく)は、春にやられた掬巴且の横槍を悔しがってましたから。」

「あれが無ければ閥街(ばつがい)は陥ちてたろうからな。」

「如何にも。ただ、どうでしたか。九月の捻南戦争の際、それこそ芥揚様は、葬州王殿はいかがでしたか?」

 と、途端に旅礼甦は太い眉を寄せ、一瞬、険しい目つきになった。


(少し、立ち入り過ぎたか?)

 苺複は悔いたが、後方でかすかに物音がして、直後に莞包旅礼甦が見せた表情を見るに及び、気持ちを落ち着けた。

(害伝膜惹め、準備完了か。さぞかし、下卑た笑顔だったろうね。)

「芥揚の奴、掬巴且に毎日早馬を出しておったらしい。怖かったんじゃろうな。捻州が陥ちたら、次は葬州だからな。だが、だからと言って自分からは援軍を出さねえんだ。あいつ、言われるまでは絶対に腰を上げんからな。」

 結局、旅礼甦は喋っている。欲情も一つの因だろうが、次に吐いた思いが大きかったようだ。


虐猟原(ぎゃくりょうげん)の戦いから約百年。情けない限りよ。原葬がいつ自分の力で立てるようになるのか。いつまで我等は渤因の鼻息をうかがわねばならんのか。」

「まず、おそらく大(ぼつ)は葬州東部の直轄から手を引きます。翼髄(よくずい)山脈の向こうへ、引き揚げる筈です。

「ほう。」

 これは、背中越しに聞こえた害伝膜惹の声である。戦略の士として、莞包族を切り盛りしてきた男だから、気になるのは当然だろう。眼前の莞包旅礼甦の方も、興奮で頬を染めていたが、彼女の話に気持ちが盛り上がり、顔全体が赤くなっていった。

「我が塊協半と結ぶべきです。起ち上がる機が近い内に来ます。共通の敵である大渤と美獣を葬って、高原を原葬の手に取り返しましょう!」


 苺複は、背後の害伝膜惹の衣擦れの音を聞いた。二年前に堊蹌としたことを、今から一人でやるのだ、そう思うと乾燥の為だけでなく、喉が渇いた。


「ふむ。何か、良い策がありそうだ。別室でゆっくり話を聞こう。」

 莞包旅礼甦は巨躯に似ず、素早く座を降りると、腰をかがめて跪いている女の白い耳朶に囁く。息が熱い。


「堊蹌殿には内緒でな。」


 獣の匂いがする、と感じた直後、ふんわりと肉づきのいい苺複の肩は、太い5本の指にガシッと掴まれた。







********************************




葬州中部


挿絵(By みてみん)



捻州


挿絵(By みてみん)




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