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馬車、白青大路を走る

 よく晴れて、都州帝城(としゅうていじょう)は夏の陽射しに照らされている。


 眞暦(しんれき)1795年7月。

 大(とう)帝国皇帝が鎮座するこの城市は、穣楽(じょうがく)両界、全斐界(ひかい)を見渡しても最大の都である。西の内城、東の外城、どちらも大小の街路で網の如く条坊に区切られ、あわせて東西20km、南北10kmの壮大な城壁に囲まれている。


 この夏の日射しは例年より弱い。

 だがそれでも数日前の雨水はあっという間に乾き、都城の城壁も、街路も、そして無数の甍も、一面に乾燥した塵埃にまみれて白茶けている。


「お。これは法相府の…、どうぞどうぞ、これとか。これとか、お似合いで。」

「要らんわ。玉はもう足りとる。いや、半端に持っとると上から取り上げられしまうんじゃ。最近はな。」

「はああ。官吏も大変ですな。」

 宝石店の前。

 一人の下級官吏が宝石店の親父の口車に乗るまいと、あごひげをしごきながら、愚痴で話をはぐらかそうとしている。

「それなら、これ。小さくて目立ちませんが、熱方の産、本物の海金剛です。」

「だから、要らんというのに。大体、海金剛?銀の真珠なぞ、こんな年嵩の男が付けても似合わんだろうに。おっと。痛てて。」

 下級官吏があごひげをしごいていると、足元を悪童が全速力で走ってきたのでひらりと避けたが、勢いあまって、2、3本ひげが抜けてしまった。

「いや、貴官が付けんでも。花街で流行ってますんで」

「なに?流行っておるのか。花街でか。おっとっと。うっ。」

 下級官吏は、好きな花街の話が出たので、もう、周囲の大喧騒にめげずに集中し始め、あごひげをしごくだけでなく、鼻の下を伸ばして、10m向こうの大路を駆ける牛車がはね飛ばした小石を器用に避けたが、また勢いあまってひげが十本超ぬけてしまった。

「いくらだ。え?いくらだ。おい。ううっ。ううむ。」

 下級官吏は、白い透明感のある宝石を掌中に転がして、気に入りの妓女が受け取ったらどんな笑顔を見せるか思いを馳せ、今度は小石が何個か体に当ったが、痛みに耐え、妄想の世界に沈んでいった。


 内城は帝国の禁宮や府庁、百大臣の生活施設が占めるが、ここ外城は有象無象のるつぼで貴賎を問わず、職種を、人種を問わず、うごめき、暮らしていた。外城の繁栄と猥雑さもまた、斐界随一であった。


 さっきの下級官吏が鼻の下を伸ばして妄想を継続している宝石屋から3軒隣、白青大路(はくせいだいろ)に面した店舗がひとつある。帝城の住所で言えば五条六罫、こちらの店もまた、負けずに騒がしい。


 「陋怪(ろうかい)酒家」とある。


「やだ。今年の紫玲酒、美味しくなあい?」

「うはは。じゃ、もう一杯」

「布羽ちゃん。そのおじさんは危ないよ、気をつけな。」

「へん。酒に呑まれるようなら、こんな昼から外城で飲んじゃいないよ。夕方からまた、宮殿に戻ってひと働きなんだから。あたしに手ェつけてみな。厄介なことになるよ。」


 白髪頭の店主が心配そうに眉をひそめている。

 昼から大酒を飲むこの後宮の下女、陜布羽(せんふう)はしかし、すでに膝がガクガクだ。とても内城の奥深くで、この女が仕えるのは皇帝の第五夫人だから特に高貴な人だが、そんな所でこれからまともに仕事はできないだろう。まだ年は17か18、十人並みの器量だが、帝国の中枢に出入りしている自尊心か、生き生きと自信に満ちている。


「お姐ちゃん。そうだね、厄介なのは俺も嫌だなあ。じゃあさ、手はつけないから、他のをつけてもいいかな。」


 「危ない」と言われた酔客が、好色な顔をニタつかせて訳のわからないことを言いながら、卓の向こうから陜布羽に近づいてくる。酔っぱらった娘なら誘惑できると思ったのだろう。ばたばた団扇を使っているが、それでもハゲ頭から汗をだらだら流している。


 「他の、ってなんだよ。くれぐれも店で変なことしないでくれよ。ん?」


 白髪の店主がふと、顔を上げた。


「車だ。こりゃ、誰だ?」


 さすが常に店の内外に気を配っているから、騒がしい大路沿いの店内に居ても、異変を聞き分けられる。店内の他の客もややあって、それと気付く。


「ホントだ。車の音だ。速いね。」

「ありゃ、赤頭馬車じゃないか。」

「じゃ、脂権大帝」


 言って、陜布羽の表情が曇る。


 店先まで陜布羽と店主は出て行き、50mの幅をもつ白青大路の真ん中を駆け抜ける馬車を見た。見た、と言っても往来する多くの通行人を透かしてうかがっているから、良くは見えないのだが、頭だけ赤い黒馬の二頭で漆黒の車を引いている。


 二、三人、通行人が跳ね飛ばされたようだが、頓着せず、きつい日射しの下を物凄い速度で走り去っていった。


 いやー、さすが黒の車輌は重厚だなとか、やはり赤頭の馬も脚が速いとか、どやどや席に戻る客たちに交じり、

「また今日も脂ぎってやがったねっ。」

 と、陜布羽は声を荒らげた。


 一瞬、店内がしいんと静まったが、すぐ喧騒が復活する。

「布羽ちゃん、御簾が下がってたよ。顔が見える筈が」

「見えたのっ。」

 白髪の店主は首をすくめた。


「私はね、下っ端の下っ端だけどさ、一応女硯帝にお仕えする身よ。たかが第六大臣、経相の分際で、でかい顔しやがって。許せないんだよ。」

「ふっふ。たかが第六大臣、って凄いね。お姐さん、偉いご身分なんだねえ。」


 いつの間にか、ハゲた酔客が更に酔いを進めて陜布羽のすぐ脇に立ち、更に汗をかいて、それは滝のようにハゲ頭から流れ落ちている。


 そして、陜布羽の尻に手を置いた。


「脂権大帝とはよく言ったものね。まったく、後宮の女たちはみんな、そう全員が全員、女懿(じょい)のことは嫌いさ。」

 そうまくしたてた陜布羽は、素早く卓上の肉用小刀をハゲ酔客の丸々した手に突き立てた。


 いでえ!とガマガエルのように鳴いて、どど、と後ろによろける。


「ほれ見ろ。今度やったらもっと厄介なことしてやるからね。私は脂ぎった人間が大嫌いなんだよ。」

 陜布羽は大声でハゲ酔客を罵倒した。

 小刀はきれいにハゲ酔客の手の甲に突き立っており、なるほど、このあと後宮で細かな手仕事が待ってるとしても、大丈夫かもしれない。


 白青大路にはもう、先程の赤頭馬車ほどの存在感を持つものはないが、それでも多くの馬車が行き交う。御者が通行人を怒鳴る。通行人も馬車を見て、一介の商人や農民のものと見れば、怒鳴りかえす。喧騒はいよいよかしましい。


 夏。都州帝城の午後は長い。


 まだ下級官吏は、宝石屋で鼻の下を伸ばしていた。きっと外城の北、傾城がひしめく郎羅街(ろうらがい)に火が灯る時刻まで、そこにいるのではないか。





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都州

挿絵(By みてみん)


都州帝城

挿絵(By みてみん)






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