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記憶という曖昧なもの

穴に落ちて遂に200日目、俺は――


「………やっぱり夢だったか…そりゃそうだよなあ」


俺は、子供の頃から使い続けているベッドの上に寝ていた。

ただベッドに寝ている、それだけのことなのに全身を包む柔らかな感触は俺にただ安らぎと安心感を与えてくれる。

身体を動かすと限界まで使い込まれたベッドの音がギシギシと部屋中にこだました。久しぶりに自分の声以外の音を聞いたな、そんな些細な喜びが寝ぼけた脳を動かしていく。

高校卒業後すぐに両親は事故で死んだ。

その時に彼等が遺してくれた一軒家は今も殆どそのままの状態にしてある。

だからベッドもそのまま、冷蔵庫は壊れたから買い換えたけど家電もそのままだ。

あんな夢を見た後だからか、久しぶりに自室のカーテンを開いた。

窓から覗く太陽が部屋ばかりか心まで朝の陽射しで満たしていく。

夢の中とはいえあれだけ暗いところにいた後だといつもの朝日も気持ちがいい。

これからも起きたらカーテンを開こうかな、だけど家を出る時にどのみち浴びるから別にやらなくてもいいか、などと朝のまとまらない思考が脳内を飛び交っていく。


「奈央、いつまで寝てるの!今日は登校日なんでしょ!」


久しぶりの日の光を満喫していると母の聞き慣れた声が下の階からから聞こえてきた。

今行くから、的な言葉を適当に返して登校の準備を……………………母?学校?俺は院生で、両親は結構前に死んだはずでは?

もしやと思い目覚まし兼カレンダーの電波時計を確認する。


「四月一日……やっぱりエイプリルフールか、また随分と手の込んだ嘘を……………っていやいや!どんな嘘で死んだ母さんの声が聞こえるんだよ!」


そもそも独り暮らしなのに誰が嘘をつくのかという根本的な問題をよそに頭を抱える。

混乱しながら一階に下りるとダイニングには女性が座っていた。

記憶よりも若干若い気がするがそこにいる女性は間違いなく母である。

ここで脳内の俺がある一つの可能性を提唱した。

もしかしてこれが夢で本当の俺は未だ穴を落ち続けているのではないか?

いや、このリアルな感触は現実そのものだろう、という反論が脳内のもう一人の俺から吹き上がる。

しばらく頭の中でディベートを行ってみたがやはり結論は出ない。

夢か現実か、真偽を確かめるべく母に尋ねる。


「あのさ、本当に母さん…だよね?」


「あんた自分の親の顔を忘れたの?母さんに決まってるじゃない」


そりゃそうだろうな。夢の中だろうと母は母に決まっている。


「ああ、そうだよな……あのさ、父さんは?」


「土曜日だから雅敏さんはまだ寝てると思うけど…雅敏さんに用があるなら高校から帰ってきてからにしてね。今日も朝帰りだったからとても疲れてると思うの」


それって浮気なんじゃないか?と邪な推理を働かせるもすぐにそれが違うことを思い出す。

父の雅敏は一時期朝の7時に出勤して朝の4時に帰ってくるというナポレオンもびっくりな生活を送っていたはずだ。

本人曰く、電車やタクシーでの睡眠を合わせると5時間は寝ているから一般人と同じらしいのだが、この生活を半年くらい続けていたからやはり彼は鉄人以外の何者でもない。

これがあったから働いてもいない俺が悠々と私立大学の院にまでいけるのだから感謝の言葉ぐらいは伝えておこうかと思ったのだがなんだか出鼻を挫かれてしまった。いや、そもそもあれは夢の話なのか。

久しぶりの母の朝食を平らげると学校の準備のため再び二階の自室へと向かった。

学生鞄に入っていた手紙を見る限り高校二年生対象のガイダンスがあるらしい。

俺が今年23になるから6年前にタイムスリップしたことになるのか?いや夢の中で6年多く生きたのか?

どうせなら高校からじゃなくて小学生からやり直したいな、何故だか分からないがそんな考えが頭を占めていた。




俺の高校は家から徒歩でいける範囲にある。

とはいっても徒歩で30分だ。同じ中学校の人の殆どはもっと近くにある俺の高校とはまるっきり逆方向の高校へ流れてしまった。

それ故に登校時に同じ制服を着た人、ましてや女子など見た記憶がない。

では、俺の少し前を歩くあの女子は一体誰なんだ?

後ろ姿しか見えないが短めに切られた黒髪やその靴を見る限り恐らくスポーツ少女だ。

一方でその見立てに対する反論一つ浮上する。それは歩き方だ。

これは俺調べだがスポーツ少女は一人だと早足かやや大股になる傾向がある。

しかし彼女の歩幅は文学少女かの如く小さいのだ。

いやそんなことはどうでもいい、今は彼女の存在自体について考えるべきか。

穴の方の俺の記憶にはあんな奴は存在しなかったはずだ。つまりこれこそが現実で穴の方が夢の世界ということでいいのか?

再び混乱に陥った俺を嘲笑うかのように四月の太陽は陽射しを投げつけてくる。あれほど有り難がっていた日光は鬱陶しい程に体に絡みつくようであった。

桜舞う爽やかな季節だというのにジメジメとした嫌な汗が身体中を伝う。

同学年、同クラスかもしれないというリスクがある以上、彼女と接触するのはなるべく避けたい。

しかし天はそんな甘ったれた考えを許さなかった。通学路でたった一つの信号をタイミング良く赤へと変える。

ただでさえ彼女の牛歩のおかげで狭まっていた距離がその信号によって更に縮んでいく。

全てを諦めた俺は僅かな可能性「転校生」に賭けて彼女の隣へと並んだ。


「お久しぶりだね奈央ちゃん、飴でも食べるかい」


やっぱり知り合いか。そうだよな、ただでさえ少ない地元民でしかも同じ通学路を使ってるんだから知らないはずがないよな。

それにしてもこの俺を「奈央ちゃん」呼ばわり、しかも飴ちゃんまでくれた。もしかして仲がいい女子なのだろうか?

飴ちゃんをポケットに入れ恐る恐る横を見てみると幼さを残しつつも整った顔立ちの下には女性らしい肢体が存在する。

こんな美少女が居たら絶対記憶にあるはずなのだがやはり覚えていない。

そんなこちらの考えを汲み取ったのか彼女の笑顔がやや曇る。


「どうしたの奈央ちゃん?何時もなら『なお"君"は今日も可愛いね』とか言ってくるのに」


彼女の口から出てきた言葉に耳を疑う。

俺がそんなとんでもない発言を朝っぱらからかましていたのか?

もしかして、この子は俺の彼女だったりするのか?

いや、それでは先ほどの「久しぶり」という言葉が不自然だ。おそらく春休み中ずっと会っていない、という意味のはずだがもしも彼女なら流石に一回ぐらいは会っているだろう。

それに中学、高校と積極的に人と関わらなかった俺がこんな可愛い女子に朝から嫌味たっぷりの言葉を返すのか?

しかし収穫はあった。彼女の名前は「なお」だ。漢字は分からないが俺と同じ名前を有している。

とりあえずは疑われないようにこの子の言う通りに返すしかない。


「お、おはよう、なお"君"。き、今日も可愛い、ね」


「じょ、冗談だよ奈央君!今日が何の日だかわかってるよね?」


そう言わせた本人が耳まで真っ赤になってどうするのだろうかと思う。

それにしても、だ。俺のストライクゾーンのど真ん中をストレートでブチ抜いてくるようなこの感じは一体何なんだ?

こんな子が俺の記憶に存在しないのが不思議でならない。

頭の中を混沌とさせていると信号は俺にゴーサインを出した。

考え事に気を取られていた俺は不覚にも隣の彼女のことなど考えもせず足を一歩進める。

だが彼女は先ほどの様子を見せずすんなりと俺についてきた。

この子は俺と歩くのに慣れていることが一発でわかる光景だ。本当にこの女の子は一体誰なのだろうか?

信号を渡り切ったところで隣にあった気配がふと消える。

振り返ると「なお」と自称する彼女は立ち止まっていた。


「あのさ、奈央君…私の事、覚えてる?」


彼女から不意に放たれた言葉に心を抉られる。

私はひと時も忘れていないのに何故あなたは私のことを忘れてしまったの?そんな感情が彼女の紡ぐ言葉から伝わってきた。

彼女をこれ以上悲しませたくない、だが俺はどうすればいいのだろうか?嘘をついてでも覚えているよ、と答えてあげればいいのだろうか?

狼狽える俺の姿を見て全てを察したのか、彼女は無理に笑う。


「しょうがない、よね、なにせ会うのは12年ぶりだし、それにこっちも成長してるし…でも、少しだけでも会えて、私は嬉しかったよ」


彼女の笑顔から一雫零れ落ちる。

彼女に弁明しようとしたがもう遅かった。

彼女の姿はどんどんと薄くなって、霞のようにぼやけていく。

いや違う、俺が消えかけているのだ。俺の身体が消えるにつれて世界がどんどん薄くなっているのだ。

薄れゆく視界の中、こんなにも失礼な僕に笑いかける彼女の顔だけが鮮明に映っていた。




夕闇の中、山道にひっそりと立つ看板の前に仰向けで倒れていた。

辺りを見回してみれば、ここは間違いなく俺が穴に落ちた場所だ。足元を見てみれば右足が太ももの辺りまでずっぽりと地面に埋まっていた。

この穴にハマっただけで気絶してしまったのだろうか、何とも情けない話だ。


「……………それにしても一体あの子は誰だったんだ?」


独り暮らしが長いせいか思わず考えが口に出してしまう。

家路の途中もずっと記憶を漁ってみるもやはりあのような美少女と関わった思い出はない、というより人と関わった記憶がないのだ。

俺は小学生のある時期以来人とあまり関わらないようにしてきたからだ。

理由はもう忘れた。たしかある日から人の目が無性に怖くなったのだ。お前は犯罪者だ、そう訴えかけるような目に感じたから、そんな感じだったと思う。

俺が高校をわざわざ少し遠いところにしたのはそのためだ。

自分を知らない人しかいないところへ行けば俺の事を見る目も変わるんじゃないか、そんなことを思ったのだ。

こういうのを「逃げ」と言うのだろうな、それに気づいたのは高校入学後すぐだ。

人の目が変わって確かに楽しい高校生活は送れた。だがその後残ったのはぽっかりと空いた穴のみ。

そんなことを考えていたらいつの間にか家に着いていた。

気を取り直して玄関を開けるも中から聞こえてくるのは静寂のみ、母の声など無論聞こえてこない。

親などいなくても大丈夫だと思っていたが、夢の中とはいえ実際に会ってしまうとやはり寂しい。

タバコを吸おうとポケットに手を突っ込んだ時、何か固いものが手に当たった。

取り出してみると、それは今朝、あの少女がくれた飴だった。


「…………………思い出した」


独り言を吐き捨て二階の両親の部屋へと向かう。

部屋に置かれたタンスの下から二段目、そこに目的のものがある。

引き出しを開けるとそこに入っていたのは小さい頃、母の日にあげた安いハンドクリームや父親の似顔絵、そして俺のアルバムだった。

そのアルバムを無造作に取り出し、そのまま置いてあるベッドに腰を落ち着ける。

そのアルバムはまるで俺が開くこの時を待っていたかのように数多くの写真を蓄えていた。

アルバムをめくっていくにつれ当時の記憶がどんどんと色付いていく。

その写真を見て少しだけ驚く。小学生の俺はこんなにも笑顔に溢れていたのか。

ついつい当初の目的を忘れて感傷に浸っていると、ふとある写真に目が止まった。

それは小学校入学式時に取られたものだ。

そこには泣いている俺と、その隣で笑う少女の姿が写っていた。

その少女は会う度に飴をくれた。

その少女は会う度に俺の名前をちゃん付けで呼んだ。

その少女の名前は――


「思い出した…彼女の名前、西宮奈緒、俺の幼馴染じゃないか……なんで、なんで今まで…」


そこで思考が断絶した。

この先を言ってしまうと自分が必死に目を背け続けてきた「何か」が目覚めてしまう気がしたのだ。

その「何か」が良い物なのか悪いものなのか、記憶なのか、はたまた感情なのか、それすらも分からない。

ただそれは自分にとって一番触れられたくないものだ、そう無意識が訴えかける。

だが一つ、根拠はないが分かることがある。その「何か」はあの少女、西宮奈緒に等しい存在だ。

俺をずっと抑圧していたその「何か」とここで向き合わなければこの先ずっと後悔する、そんな気がした。

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